退屈しないように シニアの暮らし

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さて何をしようか

いい考え(2009,2)より

2013-02-08 09:56:25 | 韓で遊ぶ
幸せを呼ぶ対話法
ユンヨンギョル メギョンインターネット理事
幸福なバカ聖者と称されるナスティンは老年になって自分の人生を省みて話をした。「私は若い頃にはすべての人々を変えたいと、アラーの神に世の中を変える力をくださいと祈った。中年になって、ある日、ふと、人生の半分を過ぎたけれど変えることができなかったことを悟った。そして近くにいる人たちだけでも変えられるようにしてくれと再び祈った。残念なことに、今や私は老年になってしまい、私の祈りはとても簡単なものになった。アラーの神よ、最小限自分自身を変える力をください。」(チェックコンピルドゥの「霊魂を治す話」の中から)
人々は何か問題が生じると原因が自分でなく他に、すなわち他の人々にあると思う傾向がある。失敗を「他人のせい」として回してしまう習性のために、多くの人間関係がすれ違うパターンに至る。自らを変えようとする努力はまた簡単ではないけれども他の誰かを変えると言うことよりはずっと成功率が高い。
まず、対話法から変えて見ればどうだろうか。言語をみだらに使うと相手を傷つける。何気なくいった一言が深い悲しみになり相手の胸をえぐり、些細な誤解が膨らみ、しまいには前世の敵のような関係になることもある。意思疎通の能力とは、「他人の世界」を理解する能力だ。意図した通りに相手に自分の思いを伝えられる能力だ。有能な職員が会社から特別な理由もなく解雇されたり、夫婦とか家族関係が戻ることができないくらいねじれてしまったら話をする習慣から変えて見よう。
自分だけの世界から、私と相手をそのまま受け入れて、対話する姿勢が重要だ。「私が、、、」で始める言葉の変わりに自分が持っている考えと感情について話をすれば対話がずっと柔らかくなる。例を挙げると、「お前は私にこう言ったじゃないか。」は「私はこのようにきいた。」に、「今日の君は本当に変だな。」は「今日は気分がよくない感じがする。」に、「君は私の話を一度もちゃんと聞いたことがない。」を「今日、君は私が言うことを注意深く聞いていないような気がする。」と言うのだ。「お前―伝達法」を「私―伝達法」に変えると言う話だ。「いつも」「たったの一度も」「男なら」「おばさんは」などのような言葉は注意して使うことだ。
30代は長い人生の航海を前にして自分を少し引き締め、持ち上げなければならない時だ。他人に配慮する暖かい言語の使用は自分と世の中を変えるはじめの一歩だ。

原文はこちら
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