馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

2011年11月 再掲 立川談志さんの思い出。

2013-06-12 18:49:31 | 日記

落語家立川談志さんが亡くなった。

私が小学生低学年だった頃

夏祭りの神社境内で演芸会が開かれるというので観に行った。

裸電球が灯る境内に臨時舞台らしき櫓が組まれ

立ち見の大人達の間をすり抜け舞台のまん前に立った。

落語家が来るというので大人達は大騒ぎだった。

小さかったので舞台演台に手を伸ばしぶらさがった。

落語の意味も分からなかったが登場を待った。

 

素人喉自慢大会だっのだろう知り合いのオバサンが

浴衣姿で舞台に登場歌っていたのを驚いて見ていた。

その隣にやはり浴衣の20歳前後の目がキョロとした

お兄ちゃんがいて喋っていた。

名前は「柳家こえん」と名乗っていた。

新聞も読めない田舎の小学生には

当時はラジオしかなく、声でしか聞けなかった。

我が家にも中学生になって白黒テレビが入ってきた。

ある日 テレビ画面に夏祭りで見た柳家こえんが

演芸場を走り回っていた。

唯一人名前と顔が一致する落語家だった。

幾年月後、立川談志を襲名、毒舌で有名となり

参議議員になったが酒酔い発言で政務官を首になった。

それから私もサラリーマンを辞め悪戦苦闘をしている頃

ムード歌謡コーラスとして一斉風靡したグループのメンバーと

知り合い仕事した時期があった。

人気が下がりメンバーも脱退していった。

再復活すべき催しをホテルで開かれた。

私もなぜか招かれた。

有名歌手、俳優、スポーツ選手、昭和の大横綱、経済界、政治家、 革新政党の女性委員長まで応援に駆けつけた。

これだけの有名人を生で身近に見られることはない。

その時 司会者が立川談志さんだった。

壇上下には著名人が酒グラス片手にムード歌謡を聴き観ていたが

その人たちを掻き分け舞台下に立って観た。

47年近い歳月を経て再び柳家こえんを観たのだ。

著名人を前にした内輪の会なので

緊張していて毒舌話はなく、平凡な謎解き問答をしゃべっていた。

意外だった。

やはり稼業としての商売の顔と違う一面を出していたのだった。

 

まだ日本が貧しく戦後復興途上にあった頃

小さな町の夏祭りの宵舞台下で尻にミシン目の縫いがある半ズボンの

子供としてじっと見たが、成長して少年、青年、中年、老年となり

一番上等なスーツを装い 胸には招待のリボンを付け

華やかな饗宴の渦中にいるのは不思議だった。

 

75歳で談志さんはこの世を去った。

己が人生を途切れることなき毒舌で突っ走り

息絶えた。

友人も食道癌1年半前生涯独身で息絶えた。

どんな人も様々な人生辿り、思いがけない病である日突然死ぬのだ。

 

速度を増して遠ざかる思い出、夜祭の演芸会の太鼓お囃子の音色が

幼い日々の記憶として奥底から聞こえてきた。

 

死ぬのに失敗はない。

ご冥福に。

合掌!

  


女房は銀座でランチ!

2013-06-12 00:44:17 | 日記

6月10日(月)今日は漁港の魚屋で買ったコチの刺身

初夏から出回る高級魚だ。

旨いか旨くないかの判断は私には分からない。

だって、殆ど食べた記憶がないからだ。

  

同時刻

女房は銀座でランチ。

18年ぶりにOL時代の仲良し同僚女性と会った。

 

銀座4丁目三越前で12時に待ち合わせ。

相手の女性は平塚の奥地?からやって来る。

 

ランチは鮨を食べて、銀座をブラブラして

甘味喫茶に入り、18時に銀座で別れたそうだ。

 

女房の楽しそうな語りを聞いて笑えた。

やはり、40年前のOLなのだ。

今時に若い女性だったら、イタリアン、フレンチ、エスニック料理で

食事してカフェバーでお酒を飲むのだろうが

当時はまだまだ、欧風料理は一般的ではなかったのだろう。

 

女房との結婚前の馴れ初めが蘇った。

 

26歳の時、会社勤めをしていたが

上司の不正を追及したら、逆に大手町の勤務先から

新橋の軽食喫茶で皿洗いを命ぜられた。

新橋の職場近くに大学所属クラブの先輩の会社があった。

先輩が軽食喫茶に尋ねてきた。

私は精神的に落ち込んでいたので

半分冗談混じりに、お見合いでもして結婚したいと言った。

 

それから数日後、先輩から銀座の小料理屋に来いとの呼び出しがあった。

松坂屋裏の地下にある料理屋に出向いた。

先輩と二人の女性がいた。

一人は背が高い色白で赤く髪を染め

銀座のクラブホステス風の妖艶な女性。

もう一人は地中海色の肌とオリエンタルな容姿の女性。

いまだったらオセロの漫才コンビだろう。

 

日本料理と竹に酒を注いで下から炭火で

お燗した日本酒を飲みながらぎこちない会話をした。

中途で先輩と一人の女性は店を出て行った。

私ともう一人の女性と二人だけになった。

今では何を話したか憶えていない。

それから数日後、先輩が店に来た。

「お前は付き合う気があるか、遊びではなく

結婚を前提とするなら話を進めるがどうだ」?

唐突で性急だった。

 

「分かりました!先輩」と答えた。

当時、先輩は奥さんと別居しているらしいとの噂を聞いていた。

順調に交際は進んだ。待ち合わせなどしなくとも

軽食喫茶は18時閉店なので彼女が退社して直ぐに

店に直行すればいいだけ、店の従業員も

了解事項だったのでお茶も軽食もただ?

 

11月に知り合って、春5月半ばに籍を入れた。

まだ、マンションが高値の花だったので

公団住宅を申し込んだ。

倍率が高く当選しないと思い冷やかし半分だった。

ところが当たってしまった。

条件が婚姻していることだった。

慌てて婚姻届を市役所出した。

 

同棲もせず、正式に籍を入れて住んだ。

驚いたのは女房の会社の人達だ。

先輩が事情を話したので理解したが

前もって知らせもなく突然、姓が朝変わってしまったのだ。

 

結婚式は11月22日 今ではいい夫婦の日だが、当時は

そのような呼び方はなく偶然だった。

披露宴を会社が経営するレストランに隣接する

会議場を借りた。

料理等は軽食喫茶勤務だったので、

コックさんや他の従業員が無償で手伝ってくれた。

 

憂鬱なことがあって困っていた。

紹介してくれた先輩が奥さんと別居のため

主賓であるのだが夫妻で列席できなかった。

 

別居の原因が先輩の不倫だとの噂が入ってきた。

その不倫相手が銀座で見合いした時いた女性だった。

 

諸先輩からも聞かれたが沈黙した。

やがてその女性は相模原の工場へ異動した。

身を引いたのだ。

 

まもなく会社を辞めて見合い結婚した。

 

先輩も別居を解消して奥さんは戻った。

 

夜半の月空に黒雲が急速度で流れ消えて行くがごとく

歳月は30年が経った。

 

誰も多少は経験する夫婦間の危機

常識人間であれば困難があっても

破滅までには至らない。

 

違った場所で違った環境で

異なる地域社会で生活すれば

長い年月を経て悲しかった事は耐えられるようになる。

人生は三つの時に分けられる。

過去の時と、現在の時と。将来の時

しかし確かな事は現在でも将来でもなく

思い出したくもない過去なのだ。

 

銀座で食事した二人の女性は、それぞれ子供二人持った。

その子供も家を出た。

先輩には孫が生まれた。

 

女房はこれからも先輩と同僚女性とは会うことはあるが

先輩と同僚女性は会うことはない。

 

地中海色の妻は私と結婚して幸せなのだろうか?

サラリーマンの妻のつもりだったのが

独立して苦労の連続。

不況の嵐に翻弄されている。

あの日あの時、会わなかったら

先輩が不倫していなかったら

結婚はなかった。

恋のひとこと