兵庫担当兼代表です。
NHKのハートネットTVで写真家の幡野氏の特集番組?を見て、昔の事を思った。
だーいぶ取りとめないかもですがまた整理して書きたいと思います。
うつになって、苦しみがあって、死にたいと思う気持ち。
あの頃と今は少し景色が違い、自分の気持ちを受け止めることが少しできたきたように思う。
ただひたすらに死を願っていたときとは違う気がする。
自死は尊いかといわれると、わからないが、自死に至る思考は尊いと思う。死を決意させるほどに何かを思うことは人生でほとんどない。死を思うことで生が美しくなるのはあながち間違ってないようにも思う。
うつを通じて
優しくなった、どっしり構えられるようになった、理屈と感情のバランスが取れるようになった、路傍の花が美しくなった、愛情を感じるようになった。
振り返れば、そうだとも言える、そうでないとも言える。
もう一度生まれ変わってもうつになりたいかと問われれば、yesと答えるだろう。
もう一度苦しみを味わい、少し違う景色が見たい。
違う景色がそれだけ魅力的かも知れないが、いいことなんて何もない、ただただ「何もしない」「何もできない」があるだけ。
しかし、それらは尊いのだと確信した。「何も~」は何よりも自分を助けてくれた。それを認めるのには時間がかかったが、それ以降の景色は明らかに違った。身の回りの意義を見出すことも、実生活の行動についても何もかもグレーゾーンが広がった。そう、何もできなくても構わないのだ、何もしなくとも構わない。ただただ自分の責において粛々と行うだけだと。
楽に見えるかも知れないが、楽な方向なんてありはしない。おかれた立場で置かれた苦しみがある。それを認識できないから楽な方向に見えてしまうだけなのだろう。
代表としてやってきたことは、ほとんどない。ただ座っていただけだろう。そういう意味では「何もしない」ができていた自分は尊かったかもしれない。
代表になって、周りからあがめられて、いい気分になれる。そんな事はなかった。自分でもそれをどこか期待していたのだろうけれど。あるのは「無」だけ。
自助会で楽しく話をして、喫茶店に寄り、そのあと二次会へ。そんな流れで一様に楽しんでいる姿を見ると、良かったなぁとは思うが、代表として何か取り立ててしたわけではなく、本当に何もしなかった。
それが良かった。という方もいる。何かしたいと思って代表になったわけだから、無力感にさいなまれた時もあった。
今、自分の「何も~」思考が自分を助けているように思う。自分と他人を区分ける線になっているし、うつと自分を見つめる鏡にもなっている。
代表としては、幸いにも京都開催は今も引き継がれいるし、大阪は自分の後継が担当して数年たつ。兵庫はなんとなく形になりつつあり、家族会はなんだかんだで続いている。これで良かったのかなぁ。
ざざっとこんな感じで。
さて、もう年末ですね。
うつは人にとって様々な思いをもたらします、私は「何も~」を思うことで抜け出すきっかけになりました。あなたにもきっと、最適な何かを見出す事が可能ではないかと、その助けとして、今後とも自助会をよろしくご利用くださいませ。
NHKのハートネットTVで写真家の幡野氏の特集番組?を見て、昔の事を思った。
だーいぶ取りとめないかもですがまた整理して書きたいと思います。
うつになって、苦しみがあって、死にたいと思う気持ち。
あの頃と今は少し景色が違い、自分の気持ちを受け止めることが少しできたきたように思う。
ただひたすらに死を願っていたときとは違う気がする。
自死は尊いかといわれると、わからないが、自死に至る思考は尊いと思う。死を決意させるほどに何かを思うことは人生でほとんどない。死を思うことで生が美しくなるのはあながち間違ってないようにも思う。
うつを通じて
優しくなった、どっしり構えられるようになった、理屈と感情のバランスが取れるようになった、路傍の花が美しくなった、愛情を感じるようになった。
振り返れば、そうだとも言える、そうでないとも言える。
もう一度生まれ変わってもうつになりたいかと問われれば、yesと答えるだろう。
もう一度苦しみを味わい、少し違う景色が見たい。
違う景色がそれだけ魅力的かも知れないが、いいことなんて何もない、ただただ「何もしない」「何もできない」があるだけ。
しかし、それらは尊いのだと確信した。「何も~」は何よりも自分を助けてくれた。それを認めるのには時間がかかったが、それ以降の景色は明らかに違った。身の回りの意義を見出すことも、実生活の行動についても何もかもグレーゾーンが広がった。そう、何もできなくても構わないのだ、何もしなくとも構わない。ただただ自分の責において粛々と行うだけだと。
楽に見えるかも知れないが、楽な方向なんてありはしない。おかれた立場で置かれた苦しみがある。それを認識できないから楽な方向に見えてしまうだけなのだろう。
代表としてやってきたことは、ほとんどない。ただ座っていただけだろう。そういう意味では「何もしない」ができていた自分は尊かったかもしれない。
代表になって、周りからあがめられて、いい気分になれる。そんな事はなかった。自分でもそれをどこか期待していたのだろうけれど。あるのは「無」だけ。
自助会で楽しく話をして、喫茶店に寄り、そのあと二次会へ。そんな流れで一様に楽しんでいる姿を見ると、良かったなぁとは思うが、代表として何か取り立ててしたわけではなく、本当に何もしなかった。
それが良かった。という方もいる。何かしたいと思って代表になったわけだから、無力感にさいなまれた時もあった。
今、自分の「何も~」思考が自分を助けているように思う。自分と他人を区分ける線になっているし、うつと自分を見つめる鏡にもなっている。
代表としては、幸いにも京都開催は今も引き継がれいるし、大阪は自分の後継が担当して数年たつ。兵庫はなんとなく形になりつつあり、家族会はなんだかんだで続いている。これで良かったのかなぁ。
ざざっとこんな感じで。
さて、もう年末ですね。
うつは人にとって様々な思いをもたらします、私は「何も~」を思うことで抜け出すきっかけになりました。あなたにもきっと、最適な何かを見出す事が可能ではないかと、その助けとして、今後とも自助会をよろしくご利用くださいませ。