敬老の日、団塊の世代が全員75歳以上になったとある。
昭和40年代後半、学校を出たての若者が続々と会社に役所に就職してそれを受け入れる企業や役所は建物の改築や新たな場所への移動が大変だった。高度成長の始まりでもあった。街には若者で賑わい年末の忘年会は若い新入社員が幹事を任され夜の盛り場は爆発したような活気で溢れかえっていた。
その時代を彩った所謂団塊の世代がすべて後期高齢者となり街から消えてまさに宴の後の感じの今の世相である。団塊の世代の子供たちもそろそろ定年を迎えようとする。その団塊の世代の子供所謂団塊ジュニアーは豊かな時代に生まれ育ったせいかいまいち迫力に欠けるというか時代を造る精神に乏しいようだ。
豊かになったことは結構なことだが欠乏感に囲まれて生きてきた今の後期高齢者からみると何となく物足りない気持ちがするがどうだろうか。甲子園での選手宣誓を見ているといやいや今の若者も我々時代には無かった素晴らし闘志の持ち主であることがわかる。この若者が将来の日本を造ってくれるよう祈るほかない。きっとやってくれるであろう。結婚して子供を多く生んでくれるよう祈るほかない。