中日高木守道さん

2020-01-18 09:08:30 | 日記
 中日ドラゴンズの名二塁手の高木守道さんがお亡くなりになった。ミスタードラゴンズの愛称で親しまれその華麗な守備は定評があった。昭和16年7月という誕生日。私と同じである。昭和16年とは巳年でこの年は太平洋戦争に突入した年としてある意味で記念する年であるし戦後日本の行く道を決めた昭和16年体制としても大きな意味のある年である。
 この年の生まれは将の器ではなく、どちらかというと裏方つまり補佐官のほうに向く性格といわれる。身体はややひ弱く頑丈さに欠くといわれる。野球という体力気力度胸の要る世界でよくもスーパーヒーローの名をはせたものだと頭が下がる思いである。78歳というまだこれからという時に心臓発作でお亡くなりになったようで、これまでの疲労が発作に現れたのかもしれない。
 だから私は自分の身体を知っているつもりで歌手の河島英五さんの「時代遅れ」のように目立たぬようにはしゃがぬように無理をあせずマイクが来たなら自分の十八番でも歌って心臓に脳の血管に負担のかからぬように日毎を有意義に過ごすよう努めている。

阪神淡路大震災から25年

2020-01-17 11:33:36 | 日記
 阪神淡路大震災から25年が経った。震源地の神戸市はすっかり復興して震災の跡形はほぼ消え失せ復興を成し遂げたようである。被災者の個人的には復興にかかわる借入金の返済が不可能な方もおられるとかだが、やむを得ぬこともあろうからそれは何とか税金の投入でおしまいにしてあげてもよいにではと思う。神戸市も復興債権の返済を完了をしたと昨日の新聞にあった。
 阪神淡路大震災は1995年平成7年1月17日朝5時46分に起きた。まだ朝の暗い時間、突然の大揺れに眠りからたたき起こされた。本当に自分の家が倒れそうな気がした。電気はまだ大丈夫だった。テレビラジオは関西地方で大きな揺れが発生したと現在のような地震災害の放送がまだなかった時でその放送もそれくらいでまだ悠長なものだった。出勤のため自宅を出て駅まで行く途中、築地塀が倒れている家もありそこそこの被害があるなと感じつつ駅に到着したが電車はストップの状態で自宅へ戻った。テレビは被害が相当なものと改めて本格的に大被害が発生しているらしいと放送して始めたようだ。
 1月17日を遡る半年前より、猪名川町を震源とする群発地震が発生し始めた。1日に何回もゴーという地鳴りと小刻みに揺れる群発地震である。そのような状態が続きに続いて1月17日の遂にその本振れが起きたのである。神戸市芦屋市西宮市伊丹市宝塚市など阪神間の諸都市は壊滅的な被害であった。いわれるように先の東日本大震災が史上最大の地震ということだが、揺れによる家屋の倒壊はほんのいちぶだが阪神はそうではない。一瞬の激しい横揺れに木造家屋はもちろん高速道路が横倒しになり、自慢の山陽新幹線の線路が破壊され、デパートの建物他市役所の庁舎の中二階がスポっとだるま落としのように抜けるほどの激しい揺れでそれほどの地震であった。だから本当の揺れについては阪神大震災のほうが大きかったのは確かなことといえる。
 平成3年1991年に雲仙普賢岳の大火砕流に始まる平成7年の阪神大震災、そして平成23年2011年の東日本大震災と平成31年の間にかくも大きな災害を出した時代はこれまでなかったのではないか。平成とは裏腹に災害の時代だった。
 雲仙普賢岳で思い出したが、平成3年4月からNHKの朝ドラで「君の名は」を放送したがこの年の6月に大火砕流が発生して多くの死者を出してこの朝ドラもムードをすっかり壊されて人気もすっかり吹っ飛んでしまったようだった。そこで今、当時の映画のシーンを思い起こすべく岸恵子さんと故佐田啓二さんが出会う第3部の映画のいちシーンに合わせて主題歌「君は遥かな」を聴いている。

NHKのネット参入

2020-01-16 09:52:58 | 日記
 4月からNHKがネットに同時放送に参入する。若者のほとんどがテレビよりもネットを日々の情報収集のよりどころとしているし、中高年も同じ傾向があるという実績がそうさせているからだ。これまでNHKは国民からの税金(視聴料)でカネに心配することなく思う存分の製作をし質の高い教養番組を提供すると豪語して放送界の王者として君臨してきた。確かにそういうものがこれまでのもので一つの国民性というか文化を作ってきた一面があったことは事実である。
 しかしながらあの東日本大震災で局面が変わったという印象が広く一般に知れ渡ってしまった。すべてはあの大震災のあの大津波だった。あの大津波の映像でNHKが記録したものはほんの一部であってほとんどの生々しい危機迫る逼迫した住民の生の姿は現地の皆さんが記録しそれをネットに発信したものである。NHKは津波の情報を自らの映像ではなくて現地の皆さんの映像資料に頼らざるを得ない状態なのである。これからもいろいろな事件が発生するが同じような現象が起きるに違いない。一人ひとりがスマフォやカメラを持つ時代その現場にいるのは一般の人々でそれが生の情報を即発信するだろう。NHKという大組織はそのような体制ができているだろうか。ネットに参入するだけではなにやっているんだとの国民からの批判が出るの違いない。NHKは民放にない質の高い番組を提供してきたと仰るが最近の番組は民放と同じような他愛のないつまらないものが多いのではないか。
 ネット放送するのであるならば、同じものを放送するのではなくて多くの国民が今でも見たい番組を掘り起こしてそれを流すべきだと思う。パソコンの需要が高まりスマフォがより広く普及して景気回復の一助になると思うがNHKさんはおこまでお考えであろうか。NHKの倉庫に眠っている多くの映像が生き返るに違いない。

大川小学校の生き残り

2020-01-14 18:41:11 | 日記
 2011年3月11日に発生した東日本大震災で多くの児童と教職員を亡くした宮城県石巻市の大川小学校の生き残りの只野哲也さんが20歳の成人式を迎えた。全児童77人中74名が、教職員11人中10人が犠牲となった大きな被害を出して損害賠償の訴訟にもなるという異例の大惨事だった。それは助かる見込みが予想されたにも関わらず教職員の採った行動に疑問があるからである。学校側には地震津波の起こった際の行動が一応定められていてその行動の通りに児童を引率し津波をかわそうとしたらしいが津波があまりにも大きく行道の想定をはるかに超えていたものだった。
 小学校の先生だからおそらく若い女性の先生だっただろう。マニュアル通りの行動でそれを超える咄嗟の判断がまだ無理な年齢であったであろうが、裏山に逃げろと進路を決めていれば随分と違った結果になっていただろうことは容易に想像がつく。
 その行動に走って生きながらえたのが今日成人式を迎えられた只野哲也さん20歳である。現在東北学院大学2年生でその体験を語り続けているという。同級生を失った悲しみ辛さはこれから只野さんが年を経るにしたがってよりおおきくなるであろう。大川小学校を襲ったあの大津波の映像を見るにつけ先生が児童を引率して避難したあの小高い丘はまるで大河のような大洪水の水が怒涛のように流ている。小学生の子供が耐えられるものとは到底思えないような大津波であった。あの映像と破壊された小学校の姿は遺産として後世の皆さんに知ってもらうべく残しておくべきだ。

明日は成人の日

2020-01-12 10:44:00 | 日記
 やや肌寒い雨模様の成人の日、晴れ着に身を包んだ若者の皆さんにとっては少し気の落ちる日だが、それでも将来に向かってやってやろうの気分が充満していることだろう。大学で勉強中の方、もうすでに社会人として活躍中の人や浪人の方もおられるであろう。まだ世の中の事人生の事自分がどのように生きるのかがまだはっきりしない時代である。道に迷っている時代であることは間違いない。だがただ漫然と生きるのではなくて目標をもって生きていただきたい。まだ若いこれからだというのではなくてもう人生は始まっているのであってひと時も気をゆるめてはならないということははっきりとしている。
 正社員でないからとあきらめてはいけない。正社員でないから結婚はできないと家庭を持つことを放棄してはならない。その場その場を一生懸命に生きていけばいずれ誰かの目に留まることははっきりしている。一流大学を卒業しているからと生活のどこかに油断があると思わぬ落とし穴があるのが今の世の中なのだ。今日から一日一日を大事に努力目標をもって生きていただきたい。
 今日の新聞に長寿時代、財布のひも固くという老後の年金生活の理想と現実の記事が出ている。節約志向の方向であることが見える。景気後退というニュースもあった。消費が落ち込んでいることがはっきりしている。2%の消費税増税の影響もあろうが先の人生100歳時代に2,000万円の貯蓄が必要とのことが大きく影響しているのかもしれない。今更2,000万円貯めていなくてはといわれてもない人にとっては不可能であって少々貯蓄に回しても追いつかないに決まっている。でもやっぱり貯めようかの意識が働いているのかもしれない。高齢者の増加で衣料も食料も若い時代と違ってかかるおカネは少なくて済むし、旅行だって出かけようという気分にならないに違いない。それよりも近くの行きつけのクリニックの医者に身体の不具合の相談へと行くのが多くの高齢者の行動なのではないか。
 成人式を迎えた皆さん、どうか今日から気持ちを改めてしっかり老後の資金を構築すべきこころ構えをしていただきたい。あきらめてはならない。あきらめたらもうそこでおしまいなのだ。千里の道も一歩からでその一歩を歩み始めていただきたい。貯蓄をするクセを身に付けて欲しいものである。その結果は20年30年後にきっと実を結ぶであろう。