21日元歌手で「ねむの木学園」の園長の宮城まり子さん(本名本目真利子)がお亡くなりになった。93歳。太平洋戦争の敗戦の昭和20年といえば宮城さんが18歳といえる。東京大阪名古屋神戸とそして横浜など大都市は米軍の猛烈な空襲を受けて焼け野原となった。親を亡くし住む家もない子供たちは明日の糧をと靴磨きなどをして凌いだ。夜の寝場所といえばガード下だった。こんな姿を描いて戦後間もない時代に作られた歌謡曲が宮城まり子さんの「ガード下の靴磨き」だった。そして女たちが自身の身体を売って明日の糧を稼いだいわゆるパンパンと呼ばれる売春婦となってゆく様を描いた菊池章子さんの「星の流れに」がヒットした。
宮城まり子さんが肢体不自由児のための養護施設「ねむの木学園」を私財を投じて設立したのはたぶんに彼女自身の大ヒット曲「ガード下の靴磨き」によるものだろう。いちめんの焼け野原になった街でどうして生き延びたのか今の豊かな生活に慣れてしまった我々は想像するだに困難だが極限の生きざまだったことは容易に想像することができる。今では靴磨きはなくなってしまった。満員電車の中で靴を踏まれて不愉快な思いをした方々は多いであろう。もう都会でも靴を踏まれるほどの満員電車はないのではないか。
東京五輪夏開催は困難との今日の新聞の見出しである。延期か中止かが今後の問題だが、延期するにしても1年先は予定がびっしりで余裕はなさそうだし2年先とすれば選手の体力精神力がそれまで持つのか気がかりだ。オリンピックという国際大イベントというものは予定されたスケジュールに沿って行われて初めて気分が最大の盛大さがでるもので延期となればその気分そのものが喪失されて大イベント足りえないものにならないかだ。中止の公算が大である。