こんばんは。
日中は風も無く穏やかな一日でしたけれど、朝晩本当に冷たさを感じるようになって参りました。
とはいえ、火曜日以降もっと寒くなるとか;。
皆様、風邪、インフルエンザ等々にはお気をつけ下さいね(自分もだけど;)
朝はこのように晴れ渡っておりました。
良く夢を見るという話をしておりますが、そういうものも覚えている限り書いて残しております。
後で読み返すとその時のことが蘇ってきて、自分でもよく覚えているよなぁと不思議な気がするんですけれどね。
ただ夢の内容は他愛のないものばかりで、決して瞑想で見ているような龍が出てきて、こんにちはなどとはしてくれません;。
もしそんなのが夢にでも出てくるようでしたら、それこそ即宝くじ売り場へ直行するんですけれど;。
そのような夢を見てみると、どうやら車が頻繁に出てきているようです。
先日は大型トラックを運転している男性を上から見ていたようで、その男性というのがどうしてだか竹野内豊さん。
なんで;?と自分でも思うんですけれどね。
これも申すように我が家はTVは既に無くドラマも最近見ることもありません。
特にご本人に思い入れがあるわけでもないのですけれど;。
続いて先日見ていた夢は、これは自分が運転する車でした。
で、此処で登場したのが、これまたなんとユーチューバーのSEIKINさん;。
これは多分日頃、テレビを見る代わりにこのような映像を見ているのでそこでこの彼の登場となったのかもしれませんけれどね。
誰ですか?男性しか出ていないのは心に鬱憤が溜まっているのではないのかって;。
う~む、どうでしょうね;。
それはさておき、この夢の時はその夢の中で一台の車が出てきて、道の真ん中、それも交差点の真ん中におり、これじゃ邪魔だし危ないし、と
中に乗っている人に声を掛けると、これがそのセイキンさんだったというわけでした。
後ろにはこれも何故か我が家のお向かいのボク(これは実在のお子さん、幼稚園児さんです)がチャイルドシートに乗りやはり笑っています。
どかして下さいといっても、セイキンさん、彼はニコニコするばかりで、見れば助手席で座っておられます。
これじゃ埒があかないと自分が乗り込み動かそうとするのですが、この車がBMWのセダン;。
そんな車乗ったこともないし、どないしょお;と思いつつアクセルを踏むと思いのほかスピードが出てしまい、うわ~っ;と慌てます。
シートが低いのか外は見えにくいし、ステアリングはこれまた重いし、ドアミラーも見えません。
車をどこかの敷地に入れるのもそのミラーが見にくいので、殆ど当てずっぽうで左へ曲がるとこれも難しい。
と、そんな全く脈絡のない話ではありました。
もう一体何なんでしょうねぇ;。
主人が出てくる夢もこれも毎度突飛な設定ですけれど、ある意味予告のないドラマを見ている、それも自分が出てくるのをと考えると、お金も
かからないし、結構お得な世界?なのかもしれません。
まぁでも制御の利かない車の運転はご勘弁、という感じです。
さて次は今朝の祝詞奏上後に感じたことを述べて参りたいと思います。
瞑想をして
大きく息を吐き出しながら 周りの物音も聞こえるけれど 心は静か 穏やか
富士山のシルエット?
空を行く龍の視点?
宇宙 地球 そんな光景が見えている
キリスト?
“ 在るがままで良いのです
判断を下さぬことです
人は一瞬のうちに 良い悪いを感じて 判断しています
目の前の通り過ぎていく事象を(そのように)判断するのではなく
在るがままに 見て(見つめて)下さい ”
続いて別の声?
‘ こうふくじへ行け ’
こうふくじ? 興福寺? 寺? なんで? 神社ではないの?
‘ 行けば分かる ’
そのうちに
‘ まぁよい ’
これは(仏像との)会話?
はい、出ました、毎回訳分からない感じで色んな存在の登場となっております。(いや茶化すわけではないのですけれど;)
キリストらしき存在からは、どこか穏やかでそれでいて荘厳な感じのする話し方をされます。
在るがままを見てください、と言われておりますね、また一瞬、瞬時で自分たちは物事を良いか悪いかで判断しているとも。
これも少し前に別の存在?から同じようなことを聞いた覚えがあります。
在るがままを見る、出来そうで出来ていないことと自分では感じております。
見るものを確かにどちらかにジャッジしていると思います。
瞑想のように、ただ目の前のものに捉われず、あるように見ること、それが出来るようになると心は安定して穏やかでおられるようになるので
しょうね。
なかなか難しいことですけれど、心掛けたいと思います。
続いては今度はこれまた仏像なのか仏陀であるのか;そのような存在からでした。
いきなり「こうふくじへ行け」と言われ頭の中で面食らう感じでしたけれど;。
これまで仏門とは殆どご縁はなく、ましてや京都や奈良の寺院等は全くというほど存じません。
こうふくじとうかがい、興ってこういう字だったよね、確か、とこれもまた頭の中で思い浮かべておりました。
早速ネットでググッてみると、なるほど運慶の作とされる菩薩立像等がおありで、これも良く知られた阿修羅の像もある寺院であられるようです。
(そんなことも知らんのか、と呆れられそうですけれど;、すみません、若かりし頃習った覚えはありますが全部、忘却の彼方でございます;)
そのググッた中の写真の一葉に「旧山田仏頭」というものが載っておりました。(写真はウィキペディアより拝借させて頂きました)
仏像らしき映像も浮かんだのですけれど、頭の中にはこれとよく似た面持ちのお顔が出てきたように思います。
そういえば随分前ですけれど、たまたま図書館かどこかで借りてきていた運慶作の仏像の図録か何かを見ていた時だったか、そのような仏頭に
いきなり画面の中から「参れ」と声が掛かり、ええっ;?と驚いたことがありました。
今回もそのような感じで、瞑想中にこのような仏頭と思しきお顔からお声が掛かったように思います。
もう本当に毎度のようにしつこく申しておりますけれど、どうしてそういうところからお声が掛かるのかさっぱりわかりません;。
神様からは、参れ、とほぼ命令というのかコマンドのようにして言われますし、これは仕事柄そうかいな、とも思えるのですけれどね。
う~んまぁ、時間と懐に余裕を持たせて頂ければ、それこそ二つ返事で参りますところではあります;。
話が前後致しますけれど、瞑想の最初にはこれもまた毎回のように天駆ける龍が出て参ります。
遠くには富士山と思しき山のシルエットも見えておる、壮大な景色です。
これはいつ見ても胸のすくような光景であり、あたかも自分がその龍になったかのような視点で悠々と空を駆けて行きます。
耳元の風を切る音が聴こえそうに感じられます。
これは自分に遣わされたという龍であるのか、それはわかりません。
ですけれど、このように大空を駆けて行くのはいつも清々しさを感じておるのは言うまでもありません。
月の出には間に合いませんでしたけれど、外には大きな満月と思しき月が出ております。
今日明日とこのように大きな月が、晴れていれば見られるようです。
皆様の辺りはご覧になられておりますか。
先日来より申しております月読尊に思いを馳せながら眺めて見られては如何でしょうか。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
日中は風も無く穏やかな一日でしたけれど、朝晩本当に冷たさを感じるようになって参りました。
とはいえ、火曜日以降もっと寒くなるとか;。
皆様、風邪、インフルエンザ等々にはお気をつけ下さいね(自分もだけど;)
朝はこのように晴れ渡っておりました。
良く夢を見るという話をしておりますが、そういうものも覚えている限り書いて残しております。
後で読み返すとその時のことが蘇ってきて、自分でもよく覚えているよなぁと不思議な気がするんですけれどね。
ただ夢の内容は他愛のないものばかりで、決して瞑想で見ているような龍が出てきて、こんにちはなどとはしてくれません;。
もしそんなのが夢にでも出てくるようでしたら、それこそ即宝くじ売り場へ直行するんですけれど;。
そのような夢を見てみると、どうやら車が頻繁に出てきているようです。
先日は大型トラックを運転している男性を上から見ていたようで、その男性というのがどうしてだか竹野内豊さん。
なんで;?と自分でも思うんですけれどね。
これも申すように我が家はTVは既に無くドラマも最近見ることもありません。
特にご本人に思い入れがあるわけでもないのですけれど;。
続いて先日見ていた夢は、これは自分が運転する車でした。
で、此処で登場したのが、これまたなんとユーチューバーのSEIKINさん;。
これは多分日頃、テレビを見る代わりにこのような映像を見ているのでそこでこの彼の登場となったのかもしれませんけれどね。
誰ですか?男性しか出ていないのは心に鬱憤が溜まっているのではないのかって;。
う~む、どうでしょうね;。
それはさておき、この夢の時はその夢の中で一台の車が出てきて、道の真ん中、それも交差点の真ん中におり、これじゃ邪魔だし危ないし、と
中に乗っている人に声を掛けると、これがそのセイキンさんだったというわけでした。
後ろにはこれも何故か我が家のお向かいのボク(これは実在のお子さん、幼稚園児さんです)がチャイルドシートに乗りやはり笑っています。
どかして下さいといっても、セイキンさん、彼はニコニコするばかりで、見れば助手席で座っておられます。
これじゃ埒があかないと自分が乗り込み動かそうとするのですが、この車がBMWのセダン;。
そんな車乗ったこともないし、どないしょお;と思いつつアクセルを踏むと思いのほかスピードが出てしまい、うわ~っ;と慌てます。
シートが低いのか外は見えにくいし、ステアリングはこれまた重いし、ドアミラーも見えません。
車をどこかの敷地に入れるのもそのミラーが見にくいので、殆ど当てずっぽうで左へ曲がるとこれも難しい。
と、そんな全く脈絡のない話ではありました。
もう一体何なんでしょうねぇ;。
主人が出てくる夢もこれも毎度突飛な設定ですけれど、ある意味予告のないドラマを見ている、それも自分が出てくるのをと考えると、お金も
かからないし、結構お得な世界?なのかもしれません。
まぁでも制御の利かない車の運転はご勘弁、という感じです。
さて次は今朝の祝詞奏上後に感じたことを述べて参りたいと思います。
瞑想をして
大きく息を吐き出しながら 周りの物音も聞こえるけれど 心は静か 穏やか
富士山のシルエット?
空を行く龍の視点?
宇宙 地球 そんな光景が見えている
キリスト?
“ 在るがままで良いのです
判断を下さぬことです
人は一瞬のうちに 良い悪いを感じて 判断しています
目の前の通り過ぎていく事象を(そのように)判断するのではなく
在るがままに 見て(見つめて)下さい ”
続いて別の声?
‘ こうふくじへ行け ’
こうふくじ? 興福寺? 寺? なんで? 神社ではないの?
‘ 行けば分かる ’
そのうちに
‘ まぁよい ’
これは(仏像との)会話?
はい、出ました、毎回訳分からない感じで色んな存在の登場となっております。(いや茶化すわけではないのですけれど;)
キリストらしき存在からは、どこか穏やかでそれでいて荘厳な感じのする話し方をされます。
在るがままを見てください、と言われておりますね、また一瞬、瞬時で自分たちは物事を良いか悪いかで判断しているとも。
これも少し前に別の存在?から同じようなことを聞いた覚えがあります。
在るがままを見る、出来そうで出来ていないことと自分では感じております。
見るものを確かにどちらかにジャッジしていると思います。
瞑想のように、ただ目の前のものに捉われず、あるように見ること、それが出来るようになると心は安定して穏やかでおられるようになるので
しょうね。
なかなか難しいことですけれど、心掛けたいと思います。
続いては今度はこれまた仏像なのか仏陀であるのか;そのような存在からでした。
いきなり「こうふくじへ行け」と言われ頭の中で面食らう感じでしたけれど;。
これまで仏門とは殆どご縁はなく、ましてや京都や奈良の寺院等は全くというほど存じません。
こうふくじとうかがい、興ってこういう字だったよね、確か、とこれもまた頭の中で思い浮かべておりました。
早速ネットでググッてみると、なるほど運慶の作とされる菩薩立像等がおありで、これも良く知られた阿修羅の像もある寺院であられるようです。
(そんなことも知らんのか、と呆れられそうですけれど;、すみません、若かりし頃習った覚えはありますが全部、忘却の彼方でございます;)
そのググッた中の写真の一葉に「旧山田仏頭」というものが載っておりました。(写真はウィキペディアより拝借させて頂きました)
仏像らしき映像も浮かんだのですけれど、頭の中にはこれとよく似た面持ちのお顔が出てきたように思います。
そういえば随分前ですけれど、たまたま図書館かどこかで借りてきていた運慶作の仏像の図録か何かを見ていた時だったか、そのような仏頭に
いきなり画面の中から「参れ」と声が掛かり、ええっ;?と驚いたことがありました。
今回もそのような感じで、瞑想中にこのような仏頭と思しきお顔からお声が掛かったように思います。
もう本当に毎度のようにしつこく申しておりますけれど、どうしてそういうところからお声が掛かるのかさっぱりわかりません;。
神様からは、参れ、とほぼ命令というのかコマンドのようにして言われますし、これは仕事柄そうかいな、とも思えるのですけれどね。
う~んまぁ、時間と懐に余裕を持たせて頂ければ、それこそ二つ返事で参りますところではあります;。
話が前後致しますけれど、瞑想の最初にはこれもまた毎回のように天駆ける龍が出て参ります。
遠くには富士山と思しき山のシルエットも見えておる、壮大な景色です。
これはいつ見ても胸のすくような光景であり、あたかも自分がその龍になったかのような視点で悠々と空を駆けて行きます。
耳元の風を切る音が聴こえそうに感じられます。
これは自分に遣わされたという龍であるのか、それはわかりません。
ですけれど、このように大空を駆けて行くのはいつも清々しさを感じておるのは言うまでもありません。
月の出には間に合いませんでしたけれど、外には大きな満月と思しき月が出ております。
今日明日とこのように大きな月が、晴れていれば見られるようです。
皆様の辺りはご覧になられておりますか。
先日来より申しております月読尊に思いを馳せながら眺めて見られては如何でしょうか。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。