こんばんは。
今朝は放射冷却もあってか、相当に冷え込んでおりましたけれど、日中はこのところの寒さが少し緩んだようで割りと暖かく過ごせました。
ただ日が陰るとやはり寒さを覚えますね。
そうして今日は冬至、一年で一番昼の時間が短いとされておりますけれど、明日からは日一日ごとに日脚が伸びて行くようになります。
日本ではそこまでこの冬至を重要視していないようですけれど、国によっては長く暗い時期から抜け出せる日となるのを祝う風習もあると
聞きます。
それだけ重要な日と捉えられているということでしょうね。
翻って、我が家(といっても一人だけですけれど;)では今夜かぼちゃでも炊こうかな、と考えております。
皆様のお宅ではどなさいますか。
そんな日の朝はこんな感じ、昨日同様朝焼けが綺麗でした。


その後、10時頃に撮ったお日様が此方。
何故か今日の太陽は殊のほか有難いような気がして、まさ先にも書いたように暖かい空気が嬉しくて家の外で撮ってみました。
あまり景色が良いとはお世辞にも言えませんけれど;。

この冬至の日に自分の願うことを思うと良いと、今日は多くの方が書かれておられるようですね。
どこか希望が持てる、そんな日なのかもしれません。
そうであるならば、これもよく言われますように決してネガティブな事を考えるのではなく、明るい方向へ向けての願いを思うこと、これに尽きる
かと思います。
冬来たりなば春遠からじ。
この言葉が一体いつ頃の事を指すのか、ネットでみてみると、なんとこの言葉、自分はてっきり日本のことわざのように考えておりましたけれど、
さにあらず。
イギリスの詩人シェリーの「西風に寄せる歌」の一節、ということらしいです、知りませんでした;。
とはいえ、とうに冬は来ておりますので冬来たりなば、はもう少し前の時期かも知れないかもとも思います。
冬至は東洋的に考えてみると、これまで段々と暗くなる一方であった陽射しが少しずつ伸びていくという風に捉えると陰が極まった状態であった
ものが、ここからまた陽へと転じていくものだとされるのかな、とも思います。
易の中に「一陽来復」という卦(け)がありますが、これがまさにそれを表しているとされますね。
ほんの少しだけ専門的(でもないですけれど;)に申しますと、卦は内卦と外卦というものに分けられます。
元々、卦をあらわすのはこの内卦と外卦の組み合わせによるのですが、陽を表すのは長い線、陰を表すのは真ん中が断線した破線となっております。
その線を上下共に三本ずつを使い様々に表現していきます。
これを下の卦である内卦と上の卦である外卦をそれぞれ組み合わせて表現されたものが易であり、その種類は64通りあります。
その中の一つにこの「一陽来復」という卦があるということですね。
この卦は、下の卦、内卦が陽の線が一番下に一本と後の二本はその上に陰の線が乗っている状態、上の卦、外卦は三本共に陰の線がある状態です。
これを上下で組み合わせると、一番下の部分だけが陽であり、あとは全て陰であるといえます。
これまで卦の全ての線が陰で表されていた状態から、やっと陽の気が下から立ち昇って来た、そのような状態を表現している卦とされております。
自分自身、64種類ある卦の中で最も好きな卦です。
「一陽来復」
これまでしんどかったけれどようやっと明るい兆しが見え始めた、これからだぞ、と思わせてくれる、そんな卦のように感じております。
今日の冬至、今一度心してかみ締めながら、炊いたカボチャ、頂きたいと思います。(最後はやはり食い気ですかね;;)

そんな冬至の日の今日、やはり神殿にて祝詞奏上させて頂き、頭に浮かんだ事がありました。
祝詞奏上の最中から背後に より太めになった龍 ひしひしと感じる
奉幣を振ると尚一層(そう感じる)
窓の外には 様々な龍がひしめいている?
どうもあまり素性のよろしくないものもいるみたい;?
やさぐれているのか?
〝 救いに参れ! あちこちへ行け 〟
黒い大きな龍?
天河? まさか ちょっと皆さんの(ブログ)を見すぎている;
〝 水分(みくまり) 然る後に 天河へ参れ
それなら 文句はあるまい? 〟
本当かいな;
〝 そこの龍が 待っておる 九頭龍もじゃが
行くことにより 底に溜まっておる(奥の)お金のエネルギーも まき上げられ
(経済としての)エネルギーが 廻り出す 〟
行く費用は?
〝 必ず なる 〟
地球の外 白龍 地球を見下ろしながら 悠々といる
思考の中で 一番に自分が波動の低いことを考えている
そうではなく これからしたいこと
ありたい姿を 思い描くこと
祝詞をあげながら、ふと背後に気をやるとどうもやはりかなり胴回りが逞しくなったような白龍を感じます。
どうしてそのようになったのか、とんとわかりませんがもしかして此方も我が家のネコ同様、冬太りではあるまいに;と思うのですけれど。
何か理由があるのでしょうけれど、それも後にわかるのかも知れません。
そのもう一つ向こう、窓の向こう側にはこれは先だっての立派とも感じられた金龍とは違い、どこか素性の知れぬやさぐれたような龍の顔が
幾つも此方を覗いているようです。
やさぐれたってまさか龍にそんなのいるんですか、と突っ込みたくなるような感じなのですけれど、本当にそのような感じを受けました。
先日の古井戸の龍もかなりくすんでいたようでしたけれど、今日の龍達は、それとはまた違い、というのかそれが嵩じて相当に性格まで悪くなり
そうなくらい、裏を返せばそこまで酷くなるような仕打ちを受けてきた、そんな彼らなのかもしれません。
しかし一体、どこから来たものやら、とんとわかりません;。
今後それも明らかになっていくということなのでしょうか。
いずれにしても此等の龍が今この時を待っているのなら、どうやってでも行かなければならないのかもしれませんね。
うむむ、頑張らねば;;。

そのお力添えを頂戴出来るのが、此処へ出てきております奈良県のあの天河神社、天河弁財天社といわれておるところなのでしょうか。
此の神社、最近様々な方のブログへも登場しておりますけれど、実際奈良県のかなり奥まった場所に鎮座されております。
まず水分(みくまり)へ行け、といわれておりますのは、これは吉野にあります以前にも書かせて頂いた吉野水分神社のことのようです。
神様なのか、此処へまた登場した黒い龍が声を掛けてきたのか、いずれにしても行けだの参れだのと、さも簡単げにオーダー、もしくはコマンド
して下さいますけれど、それでは、はいそうですか、と行けませんって;。
しかし、それでも尚行かねばならないようですね;。
参らせて頂くことにより、底に滞っている停滞しているお金の動きが、まるで下に溜まったワインの澱(おり)を舞い上がらせるかのように浮上
してくるのかもしれません。
これがそれこそ澱であるならば、綺麗に取り除かなければならないのでしょうし(ワインの場合は、よく存じませんので悪しからず;)そうする
事により、滞っていたお金のエネルギーが今一度動き出すならば、そのように致すべきなのだろうと考えます。
果たして龍に会いに行くのか、自分の事で行かねばならないのか、もはやわからなくなっておりますけれど;。
九頭龍神社もそうですけれど、どうででも脚を運ばねばならない案件のようです。
お相手が神様やら龍では、どうででもそうせねばならないのでしょう。
年が明けると動けるよう、そのような動きになれるよう、本当に精進せねば、です;;。
あ~、出来るんかいなぁ;。

そんな自分の思惑はまるで知らぬように、宇宙を行く虹を纏ったあの巨大な白龍は様々なものが混在する地球の様子を悠々と飛びながら眺めておる
ようです。
あれこれあるようでも、それも流れの一つ、そんな風に捉えておるのかもしれません。
最後にあの煌くような光を身に纏う白龍を久々に感じられたのは、とても嬉しいことでした。
自分自身が感じずとも、どこかでこのように見守ってくれているのかもしれないですね。
そんな風に感じられる自分でありたい、そのようにも思えました。

新年はまだ少し先ですけれど、早や春の足音はすぐそこまで来ておるようにも感じられます。
とはいえ、寒さもこれからが本番、お正月も間近です。
どうぞ体調を崩さぬよう、皆様お気をつけてお過ごし下さいね。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
今朝は放射冷却もあってか、相当に冷え込んでおりましたけれど、日中はこのところの寒さが少し緩んだようで割りと暖かく過ごせました。
ただ日が陰るとやはり寒さを覚えますね。
そうして今日は冬至、一年で一番昼の時間が短いとされておりますけれど、明日からは日一日ごとに日脚が伸びて行くようになります。
日本ではそこまでこの冬至を重要視していないようですけれど、国によっては長く暗い時期から抜け出せる日となるのを祝う風習もあると
聞きます。
それだけ重要な日と捉えられているということでしょうね。
翻って、我が家(といっても一人だけですけれど;)では今夜かぼちゃでも炊こうかな、と考えております。
皆様のお宅ではどなさいますか。
そんな日の朝はこんな感じ、昨日同様朝焼けが綺麗でした。


その後、10時頃に撮ったお日様が此方。
何故か今日の太陽は殊のほか有難いような気がして、まさ先にも書いたように暖かい空気が嬉しくて家の外で撮ってみました。
あまり景色が良いとはお世辞にも言えませんけれど;。

この冬至の日に自分の願うことを思うと良いと、今日は多くの方が書かれておられるようですね。
どこか希望が持てる、そんな日なのかもしれません。
そうであるならば、これもよく言われますように決してネガティブな事を考えるのではなく、明るい方向へ向けての願いを思うこと、これに尽きる
かと思います。
冬来たりなば春遠からじ。
この言葉が一体いつ頃の事を指すのか、ネットでみてみると、なんとこの言葉、自分はてっきり日本のことわざのように考えておりましたけれど、
さにあらず。
イギリスの詩人シェリーの「西風に寄せる歌」の一節、ということらしいです、知りませんでした;。
とはいえ、とうに冬は来ておりますので冬来たりなば、はもう少し前の時期かも知れないかもとも思います。
冬至は東洋的に考えてみると、これまで段々と暗くなる一方であった陽射しが少しずつ伸びていくという風に捉えると陰が極まった状態であった
ものが、ここからまた陽へと転じていくものだとされるのかな、とも思います。
易の中に「一陽来復」という卦(け)がありますが、これがまさにそれを表しているとされますね。
ほんの少しだけ専門的(でもないですけれど;)に申しますと、卦は内卦と外卦というものに分けられます。
元々、卦をあらわすのはこの内卦と外卦の組み合わせによるのですが、陽を表すのは長い線、陰を表すのは真ん中が断線した破線となっております。
その線を上下共に三本ずつを使い様々に表現していきます。
これを下の卦である内卦と上の卦である外卦をそれぞれ組み合わせて表現されたものが易であり、その種類は64通りあります。
その中の一つにこの「一陽来復」という卦があるということですね。
この卦は、下の卦、内卦が陽の線が一番下に一本と後の二本はその上に陰の線が乗っている状態、上の卦、外卦は三本共に陰の線がある状態です。
これを上下で組み合わせると、一番下の部分だけが陽であり、あとは全て陰であるといえます。
これまで卦の全ての線が陰で表されていた状態から、やっと陽の気が下から立ち昇って来た、そのような状態を表現している卦とされております。
自分自身、64種類ある卦の中で最も好きな卦です。
「一陽来復」
これまでしんどかったけれどようやっと明るい兆しが見え始めた、これからだぞ、と思わせてくれる、そんな卦のように感じております。
今日の冬至、今一度心してかみ締めながら、炊いたカボチャ、頂きたいと思います。(最後はやはり食い気ですかね;;)

そんな冬至の日の今日、やはり神殿にて祝詞奏上させて頂き、頭に浮かんだ事がありました。
祝詞奏上の最中から背後に より太めになった龍 ひしひしと感じる
奉幣を振ると尚一層(そう感じる)
窓の外には 様々な龍がひしめいている?
どうもあまり素性のよろしくないものもいるみたい;?
やさぐれているのか?
〝 救いに参れ! あちこちへ行け 〟
黒い大きな龍?
天河? まさか ちょっと皆さんの(ブログ)を見すぎている;
〝 水分(みくまり) 然る後に 天河へ参れ
それなら 文句はあるまい? 〟
本当かいな;
〝 そこの龍が 待っておる 九頭龍もじゃが
行くことにより 底に溜まっておる(奥の)お金のエネルギーも まき上げられ
(経済としての)エネルギーが 廻り出す 〟
行く費用は?
〝 必ず なる 〟
地球の外 白龍 地球を見下ろしながら 悠々といる
思考の中で 一番に自分が波動の低いことを考えている
そうではなく これからしたいこと
ありたい姿を 思い描くこと

祝詞をあげながら、ふと背後に気をやるとどうもやはりかなり胴回りが逞しくなったような白龍を感じます。
どうしてそのようになったのか、とんとわかりませんがもしかして此方も我が家のネコ同様、冬太りではあるまいに;と思うのですけれど。
何か理由があるのでしょうけれど、それも後にわかるのかも知れません。
そのもう一つ向こう、窓の向こう側にはこれは先だっての立派とも感じられた金龍とは違い、どこか素性の知れぬやさぐれたような龍の顔が
幾つも此方を覗いているようです。
やさぐれたってまさか龍にそんなのいるんですか、と突っ込みたくなるような感じなのですけれど、本当にそのような感じを受けました。
先日の古井戸の龍もかなりくすんでいたようでしたけれど、今日の龍達は、それとはまた違い、というのかそれが嵩じて相当に性格まで悪くなり
そうなくらい、裏を返せばそこまで酷くなるような仕打ちを受けてきた、そんな彼らなのかもしれません。
しかし一体、どこから来たものやら、とんとわかりません;。
今後それも明らかになっていくということなのでしょうか。
いずれにしても此等の龍が今この時を待っているのなら、どうやってでも行かなければならないのかもしれませんね。
うむむ、頑張らねば;;。

そのお力添えを頂戴出来るのが、此処へ出てきております奈良県のあの天河神社、天河弁財天社といわれておるところなのでしょうか。
此の神社、最近様々な方のブログへも登場しておりますけれど、実際奈良県のかなり奥まった場所に鎮座されております。
まず水分(みくまり)へ行け、といわれておりますのは、これは吉野にあります以前にも書かせて頂いた吉野水分神社のことのようです。
神様なのか、此処へまた登場した黒い龍が声を掛けてきたのか、いずれにしても行けだの参れだのと、さも簡単げにオーダー、もしくはコマンド
して下さいますけれど、それでは、はいそうですか、と行けませんって;。
しかし、それでも尚行かねばならないようですね;。
参らせて頂くことにより、底に滞っている停滞しているお金の動きが、まるで下に溜まったワインの澱(おり)を舞い上がらせるかのように浮上
してくるのかもしれません。
これがそれこそ澱であるならば、綺麗に取り除かなければならないのでしょうし(ワインの場合は、よく存じませんので悪しからず;)そうする
事により、滞っていたお金のエネルギーが今一度動き出すならば、そのように致すべきなのだろうと考えます。
果たして龍に会いに行くのか、自分の事で行かねばならないのか、もはやわからなくなっておりますけれど;。
九頭龍神社もそうですけれど、どうででも脚を運ばねばならない案件のようです。
お相手が神様やら龍では、どうででもそうせねばならないのでしょう。
年が明けると動けるよう、そのような動きになれるよう、本当に精進せねば、です;;。
あ~、出来るんかいなぁ;。

そんな自分の思惑はまるで知らぬように、宇宙を行く虹を纏ったあの巨大な白龍は様々なものが混在する地球の様子を悠々と飛びながら眺めておる
ようです。
あれこれあるようでも、それも流れの一つ、そんな風に捉えておるのかもしれません。
最後にあの煌くような光を身に纏う白龍を久々に感じられたのは、とても嬉しいことでした。
自分自身が感じずとも、どこかでこのように見守ってくれているのかもしれないですね。
そんな風に感じられる自分でありたい、そのようにも思えました。

新年はまだ少し先ですけれど、早や春の足音はすぐそこまで来ておるようにも感じられます。
とはいえ、寒さもこれからが本番、お正月も間近です。
どうぞ体調を崩さぬよう、皆様お気をつけてお過ごし下さいね。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。