こんばんは。
朝、いつものことですけれど滅茶苦茶、寒かった、というより冷え込んでおりました。
皆様の辺りは如何でしたでしょうか。
ともかく冷えてるねぇ;、と感じつつおりましたけれど、そんな日でも当たり前に世の中動いております。
8時を過ぎると既に上の砂防ダムへ向かうダンプを通すのに警備員さんの無線の大きな声が響いておられました。
いやぁ、こんな朝は一段と大変だなぁと感じておりましたけれど、日中は大分暖かくなってきたようで何よりと思えた日でもありましたね。
とは言え、お天気の移り変わりは早いようで明日はまた崩れるとか。
このところ乾燥してきておるようですし、湿り気という意味では降らないといけませんね。
そんな日の朝は、こんな感じで放射冷却のせいか霧が出ているところもあったようでした。
今日また所用にて出掛けて来たのですけれど(ええ、出ベソで御座いますですよ;)いつもは街中で用を済ませるのですけれど、少し別の所へ
行って来ようと広島の駅前まで行って参りました。
出掛けた先でもう一度駅行きのバスに乗ろうとした所、ちょうどあるご高齢の女性が乗られるところでした。
どうやらお足が悪いようで、ちょっと高めのバスのステップに乗りにくそうにしておられました。
大丈夫ですかと声をかけさせて頂き、お手を取りながらご一緒にバスへ乗り込みました。
このバスはこの後どこへも立ち寄らず駅へと向かいます。
降りるのも当然一緒となるわけですので他の乗客の方が降りられてから、もう一度その方のお手を取りながらバスを降りました。
この後どうされるのか伺うと、JRで帰宅されるとのこと。
自分は降りた所の建物に用があるくらいで、さして急ぐわけでもありません。
そこで足元のおぼつかないその方の腕に手を回して、二人してゆっくりと駅へと向かうことにしました。
この方ご自身恐縮しておられましたけれど、お話を聞けば遠方からお越しでもあり電車に乗るのは不慣れだとおっしゃいますので、尚のこと
駅の改札までお連れさせて頂こうと考えたのでした。
実際、駅の改札口も以前と変わり二階からが乗降口となるようですので、あまり利用されない方ですとお分かりにならないかと思えたのもあります。
今日、広島へお越しになる際はどうやらバスで来られたとかで、余計わからないご様子でした。
ご不自由な足元をかばいながら歩かれますので二人してゆっくりゆっくり、まるで親子みたいにしてお連れさせて頂きました。
改札口を通られ、ホームへのエスカレータで下りられるところまでをお見送り致しました。
はっきり申して全くの自己満足にしか過ぎません。
ですけれど、あの時のあのバスに間に合うように自分自身が、おまえ、ちょっと行って参れと神様だかいつも一緒についているであろう?龍だかが
そのように仕向けたように感じたのでもありました。
申すように別にそこまで行かずとも済むような野暮用ですし;、あの時にどうしても行かねば、みたいな気になったのは案外そのようなことを
して来い、という上からの指示だったのかな、とも感じた次第です。
こいつ、これ位しか今のところ使い道無いしなぁ、と、お、そうだ、ちょうどこの時間にあの人間があの場所へ行くようだから使わせるか、と
そのようなことだったのでは、とつい思ってしまった出来事でした。
立ってる者は親でも使え、そんな言葉がありますけれど、そのように使わせて頂けた?のかもしれません。
ま、どうでもいい話、なんですけれどね;。
続いてはいつもお馴染みの;上からの言葉と感じた光景を書かせて頂きますね。
祝詞奏上後、見えてきた光景
かなり下へ 雲に覆われた大地
その上の真っ青い空を 風を切りながら悠々と翔る龍 (付いている白龍か?)
見晴るかすような大地
〝 我と 参れ 〟
飛びながら見えてくる景色 緑なす大地 先ほどより高度は低いけれど まだかなり上空かららしい
〝 これが 我が(吾が?) 国土
この大地を 守れ
美しい処もあれば (より上空から見た中国沿岸部辺りか?)
汚れた 穢れた 場所もある
だが まだ 間に合う
美しき地球を 取り戻せ (このままではいけないという意味か) 〟
木花咲耶姫
“ 大国主(大神)は父性の心 大らかでありながらも
厳しい 険しい(とは違うがそのような意味合いのこと)気概を持ちし心
吾が 心は 母の心
その二つ持て (持ちて) そなた 参るべし ”
‘ 我 使うべし (龍か?) ’
頭の上 いつも以上に ぐわんぐわんとする感じ
下から突き抜けつつも 頭頂は尚も感じている
‘ エネルギー 力を廻すべし
そなたなら 出来る ’
これまたいつもの如く、空翔る龍が冒頭に出て参りました。
いつかも申しましたけれど、この時に見えてくるおそらく龍の視点からの光景、本当に気持ちよいのですよ。
胸すくような、抜けるような青い空の下を、風を切るその音までもが聞こえてきそうな勢いで翔けて行きます。
しかしながらその様は、やはりどこか悠々とまた堂々として空を翔けていくようでもあります。
3DだとかCGだとかで再現出来るのならば皆様にも是非とも見て頂きたい、そのような光景です。
眼下には緑に覆われた大地が見えております。
これはどうやら自分達の住まう日本の国土らしいですね。
しかし少し目を転じると、そこは荒れ果てた土地も見て取れ、流れるその川の色も汚く濁り空気までもが薄汚れております。
日本でも東京近辺はうっすらとスモッグがかかりお世辞にも綺麗とは言い難い光景が見られる時もありましたけれど、他の国のそれは比較に
ならないほど汚染されておるようです。
ただしこれはあくまでも自分の想念の中のことですので、事実であるかどうかは存じません。
ですけれど概ねこのようなのでは、とも思います。
その光景を見ながら龍は、美しい地球を取り戻せと言っておりますけれど、これは龍自身の願望?でもあるのではとも感じます。
かつて彼らが空行く時は、その空はあくまでも青く澄み切っており大地は緑に覆われ、流れる川の煌きは喩えようもなく美しかったのでしょう。
それが今や地球のあちこちは人間の手により切り崩され、あるいは焼き払われ、無残なその姿を晒され始めておるのでは、とも思います。
龍は人間達のするそのような行いに悲しみを感じておるのかもしれません。
今ならまだ間に合う、これはもうこれ以上、この美しい大地を汚すことなく貶めることなく、そのままの美しい姿を保っておられるよう努めて
ほしい、そのように言っているかのようにも感じられました。
本当にそのように申したのかどうか、これは判りかねますけれど今回はそのように思えたのでした。
続いて木花咲耶姫の言葉のようでした。
言われるように大国主大神は大らかでありながら、厳しく険しい面もお持ちの神ではと感じております。
これもまた自分が感じたことですけれど、以前ある方のことでお伺いを致したことがありました。
その際、お顔の表情は見えぬまでもその形相は憤怒の様であったのを覚えております。
憤怒の表情といえばよく不動明王が挙げられますけれど、その折に感じたのは我々が良くそれと認識しておるようなみずらを結った男性の顔が
想念の中に出てきたのでした。
普段、大神の言葉は伺って降りますけれど、その顔やましてや表情までは感じたことはありません。
憤怒の表情を感じられたということは、それだけ神として怒りの念があられたということだったのかもしれません。
神様が怒るのかと聞かれそうですけれど、時と場合によってはそのようになさることもあります。
少し話が脱線しましたけれども、咲耶姫がいわれるように大国主大神はそのような両面をお持ちの神様であるというのは確かにそうであるな、
と感じております。
また姫自身については、それこそこのつい最近のお付き合い;?ですので、そうであられるのかなぁと思う次第です。
大らかでありながらも時に厳しく、且つ母性の心を持ってこれからも歩んで行きなさいということなのでしょうか。
そのように思えました。
龍は我使うべし、とのことですけれど、どっちかというと自分の方が使われているでもない気がしますけれど;。
しかしながら祝詞を奏上致す際なども、ふと自分の背後に、その身体を同じような大きさにして浮かんでおる龍を感じたりも致します。
付かず離れず、いつも傍に居てくれているような、そんな感じですね。
有難いことだと思っております。
そんな龍に恥じぬよう、まだまだこれから自分自身を使わせて頂きたい、本当にそう考えておる次第です。
エネルギー、廻さねばなりませんね;。
ところで帰りのバスでは、ベビーカーごと乗ってこられた若いお母さん、どのようにして乗られたのかはわかりませんでしたけれど、下りる際
には別の女性と共にそのベビーカーを車外へ下ろすのを手伝い、その後自分が下車の後には歩いて帰る道すがらルームランプを消し忘れた車を見
かけ、知らないお宅でしたけれどチャイムを鳴らして消し忘れをお知らせ致しました。
全くの取るに足らぬ出来事ではありましたけれど、何にもしてない自分をして神様だか龍だかが使わせて下さったのであろうよ、とこれもまた
感じたのでした。
視点を変えれば、小さなところから自分を使わせて頂けということなのかもしれませんね。
こんな自分でもほんのわずかでもお役に立てさせて頂けましたこと、有難いことでした。
相も変わらぬオバサンの徒然日記で御座いました;。
多少なりとも感じ取って頂けますものがありましたら、幸いに存じます。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
朝、いつものことですけれど滅茶苦茶、寒かった、というより冷え込んでおりました。
皆様の辺りは如何でしたでしょうか。
ともかく冷えてるねぇ;、と感じつつおりましたけれど、そんな日でも当たり前に世の中動いております。
8時を過ぎると既に上の砂防ダムへ向かうダンプを通すのに警備員さんの無線の大きな声が響いておられました。
いやぁ、こんな朝は一段と大変だなぁと感じておりましたけれど、日中は大分暖かくなってきたようで何よりと思えた日でもありましたね。
とは言え、お天気の移り変わりは早いようで明日はまた崩れるとか。
このところ乾燥してきておるようですし、湿り気という意味では降らないといけませんね。
そんな日の朝は、こんな感じで放射冷却のせいか霧が出ているところもあったようでした。
今日また所用にて出掛けて来たのですけれど(ええ、出ベソで御座いますですよ;)いつもは街中で用を済ませるのですけれど、少し別の所へ
行って来ようと広島の駅前まで行って参りました。
出掛けた先でもう一度駅行きのバスに乗ろうとした所、ちょうどあるご高齢の女性が乗られるところでした。
どうやらお足が悪いようで、ちょっと高めのバスのステップに乗りにくそうにしておられました。
大丈夫ですかと声をかけさせて頂き、お手を取りながらご一緒にバスへ乗り込みました。
このバスはこの後どこへも立ち寄らず駅へと向かいます。
降りるのも当然一緒となるわけですので他の乗客の方が降りられてから、もう一度その方のお手を取りながらバスを降りました。
この後どうされるのか伺うと、JRで帰宅されるとのこと。
自分は降りた所の建物に用があるくらいで、さして急ぐわけでもありません。
そこで足元のおぼつかないその方の腕に手を回して、二人してゆっくりと駅へと向かうことにしました。
この方ご自身恐縮しておられましたけれど、お話を聞けば遠方からお越しでもあり電車に乗るのは不慣れだとおっしゃいますので、尚のこと
駅の改札までお連れさせて頂こうと考えたのでした。
実際、駅の改札口も以前と変わり二階からが乗降口となるようですので、あまり利用されない方ですとお分かりにならないかと思えたのもあります。
今日、広島へお越しになる際はどうやらバスで来られたとかで、余計わからないご様子でした。
ご不自由な足元をかばいながら歩かれますので二人してゆっくりゆっくり、まるで親子みたいにしてお連れさせて頂きました。
改札口を通られ、ホームへのエスカレータで下りられるところまでをお見送り致しました。
はっきり申して全くの自己満足にしか過ぎません。
ですけれど、あの時のあのバスに間に合うように自分自身が、おまえ、ちょっと行って参れと神様だかいつも一緒についているであろう?龍だかが
そのように仕向けたように感じたのでもありました。
申すように別にそこまで行かずとも済むような野暮用ですし;、あの時にどうしても行かねば、みたいな気になったのは案外そのようなことを
して来い、という上からの指示だったのかな、とも感じた次第です。
こいつ、これ位しか今のところ使い道無いしなぁ、と、お、そうだ、ちょうどこの時間にあの人間があの場所へ行くようだから使わせるか、と
そのようなことだったのでは、とつい思ってしまった出来事でした。
立ってる者は親でも使え、そんな言葉がありますけれど、そのように使わせて頂けた?のかもしれません。
ま、どうでもいい話、なんですけれどね;。
続いてはいつもお馴染みの;上からの言葉と感じた光景を書かせて頂きますね。
祝詞奏上後、見えてきた光景
かなり下へ 雲に覆われた大地
その上の真っ青い空を 風を切りながら悠々と翔る龍 (付いている白龍か?)
見晴るかすような大地
〝 我と 参れ 〟
飛びながら見えてくる景色 緑なす大地 先ほどより高度は低いけれど まだかなり上空かららしい
〝 これが 我が(吾が?) 国土
この大地を 守れ
美しい処もあれば (より上空から見た中国沿岸部辺りか?)
汚れた 穢れた 場所もある
だが まだ 間に合う
美しき地球を 取り戻せ (このままではいけないという意味か) 〟
木花咲耶姫
“ 大国主(大神)は父性の心 大らかでありながらも
厳しい 険しい(とは違うがそのような意味合いのこと)気概を持ちし心
吾が 心は 母の心
その二つ持て (持ちて) そなた 参るべし ”
‘ 我 使うべし (龍か?) ’
頭の上 いつも以上に ぐわんぐわんとする感じ
下から突き抜けつつも 頭頂は尚も感じている
‘ エネルギー 力を廻すべし
そなたなら 出来る ’
これまたいつもの如く、空翔る龍が冒頭に出て参りました。
いつかも申しましたけれど、この時に見えてくるおそらく龍の視点からの光景、本当に気持ちよいのですよ。
胸すくような、抜けるような青い空の下を、風を切るその音までもが聞こえてきそうな勢いで翔けて行きます。
しかしながらその様は、やはりどこか悠々とまた堂々として空を翔けていくようでもあります。
3DだとかCGだとかで再現出来るのならば皆様にも是非とも見て頂きたい、そのような光景です。
眼下には緑に覆われた大地が見えております。
これはどうやら自分達の住まう日本の国土らしいですね。
しかし少し目を転じると、そこは荒れ果てた土地も見て取れ、流れるその川の色も汚く濁り空気までもが薄汚れております。
日本でも東京近辺はうっすらとスモッグがかかりお世辞にも綺麗とは言い難い光景が見られる時もありましたけれど、他の国のそれは比較に
ならないほど汚染されておるようです。
ただしこれはあくまでも自分の想念の中のことですので、事実であるかどうかは存じません。
ですけれど概ねこのようなのでは、とも思います。
その光景を見ながら龍は、美しい地球を取り戻せと言っておりますけれど、これは龍自身の願望?でもあるのではとも感じます。
かつて彼らが空行く時は、その空はあくまでも青く澄み切っており大地は緑に覆われ、流れる川の煌きは喩えようもなく美しかったのでしょう。
それが今や地球のあちこちは人間の手により切り崩され、あるいは焼き払われ、無残なその姿を晒され始めておるのでは、とも思います。
龍は人間達のするそのような行いに悲しみを感じておるのかもしれません。
今ならまだ間に合う、これはもうこれ以上、この美しい大地を汚すことなく貶めることなく、そのままの美しい姿を保っておられるよう努めて
ほしい、そのように言っているかのようにも感じられました。
本当にそのように申したのかどうか、これは判りかねますけれど今回はそのように思えたのでした。
続いて木花咲耶姫の言葉のようでした。
言われるように大国主大神は大らかでありながら、厳しく険しい面もお持ちの神ではと感じております。
これもまた自分が感じたことですけれど、以前ある方のことでお伺いを致したことがありました。
その際、お顔の表情は見えぬまでもその形相は憤怒の様であったのを覚えております。
憤怒の表情といえばよく不動明王が挙げられますけれど、その折に感じたのは我々が良くそれと認識しておるようなみずらを結った男性の顔が
想念の中に出てきたのでした。
普段、大神の言葉は伺って降りますけれど、その顔やましてや表情までは感じたことはありません。
憤怒の表情を感じられたということは、それだけ神として怒りの念があられたということだったのかもしれません。
神様が怒るのかと聞かれそうですけれど、時と場合によってはそのようになさることもあります。
少し話が脱線しましたけれども、咲耶姫がいわれるように大国主大神はそのような両面をお持ちの神様であるというのは確かにそうであるな、
と感じております。
また姫自身については、それこそこのつい最近のお付き合い;?ですので、そうであられるのかなぁと思う次第です。
大らかでありながらも時に厳しく、且つ母性の心を持ってこれからも歩んで行きなさいということなのでしょうか。
そのように思えました。
龍は我使うべし、とのことですけれど、どっちかというと自分の方が使われているでもない気がしますけれど;。
しかしながら祝詞を奏上致す際なども、ふと自分の背後に、その身体を同じような大きさにして浮かんでおる龍を感じたりも致します。
付かず離れず、いつも傍に居てくれているような、そんな感じですね。
有難いことだと思っております。
そんな龍に恥じぬよう、まだまだこれから自分自身を使わせて頂きたい、本当にそう考えておる次第です。
エネルギー、廻さねばなりませんね;。
ところで帰りのバスでは、ベビーカーごと乗ってこられた若いお母さん、どのようにして乗られたのかはわかりませんでしたけれど、下りる際
には別の女性と共にそのベビーカーを車外へ下ろすのを手伝い、その後自分が下車の後には歩いて帰る道すがらルームランプを消し忘れた車を見
かけ、知らないお宅でしたけれどチャイムを鳴らして消し忘れをお知らせ致しました。
全くの取るに足らぬ出来事ではありましたけれど、何にもしてない自分をして神様だか龍だかが使わせて下さったのであろうよ、とこれもまた
感じたのでした。
視点を変えれば、小さなところから自分を使わせて頂けということなのかもしれませんね。
こんな自分でもほんのわずかでもお役に立てさせて頂けましたこと、有難いことでした。
相も変わらぬオバサンの徒然日記で御座いました;。
多少なりとも感じ取って頂けますものがありましたら、幸いに存じます。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。