こんばんは。
予報では、時たま時雨れるように出ておりましたがそのようなこともなく、空気は冷たいものの日中は陽射しもあり割と過しやすい一日の
ようでした。
山陰辺りはそれでも雨が降っていたようですね。
これからはだんだんとこのような天候になっていくのだと感じます。
冬の訪れはいつになく早いようにも思えますね。
そんな日の朝はこんな感じで、まだ雲が多い空でした。
午前中は下界;まで買出しに。
往復8キロ強、こう書くと結構な距離に感じられますよね、歩くにしては。
これを以前?の単位に換算すると4キロが1里ということですね、つまりは2里の距離。
昔の人達はどこへ行くにも歩くしかなかったといいますし、これくらいの距離なら十分歩いておられたと思います。
都会の方でもこれくらいは歩くよ、とおっしゃる方もおられるかもしれませんね。
聞く話ですと、車しか交通手段のない地方(このあたりもそうですけれど)田舎ですとどこへ行くのにも車で出かけてしまうため、あまり
歩かないのだとか。
とはいえ、車で出かけないと途中何にもないような処も結構ありますし、わざわざ歩くこともないのだと思います。
この辺りはさすがに家も多く人口もそこそこですけれど、なんせ申すように坂、です;。
行きはよいよい、帰りはなんちゃら;な処でして戻るとそれだけで一仕事終わった気になってしまいます。
ただ、これも話しておりましたけれど途中の景色、花や景色を見て行くのには楽しいものではありますね。
歩いて戻った分、どうやら右脚、ちょっと冷えたのかまた痛みが少し出てきたようです;。
これこそ年寄りの冷や水にならぬよう、気をつけたいと思います;。
今日の祝詞奏上の後、見えてきた事柄です。
最初は大神の言葉
〝 いつも歩いておるのか 〟
はい
〝 車というものは どうした? 〟
ありますが 動きません
〝 何故? 〟
(お金)ないですので
〝 ならば 金が入るようにし 動かせるように致そう 〟
有難うございます
続いてシリウスの存在
“ 輝いていますか? いつも輝いていて下さい
輝くからこそ 人から見つけられるのです
暗ければ 探さないと 分かりません
だからといって 闇が悪いというのでは ありません
闇も 必要なのです
太陽の光の下では 我々が出ていたとしても
あなた方の目からは 見つけることが出来ません
暗さも 必要な時があるのです ”
日が照って 後ろから暖かい
“ このような陽の光は 有難いですね
あなた方にとって 必要なものです
でも暑い時もあれば 寒い時もあります
過ぎては 暮らしにくいですね
でも いつも温暖でばかりだと それに慣れ切ってしまいます
少しだけ負荷が掛かると それに対して どうしようと努める
それがあなた方(地球人)に 必要なのです
しかし 鍛えることと 身体を酷使して
痛めつけることは 違います
労わって下さい
私たちは いつもあなた方を 見守っています ”
次には木花咲耶姫?
‘ お越しになられますか? ’
割とよく聞いてこられる;;
‘ 貴女を待っております ’
清らかな木漏れ日の手水舎の様子が浮かぶ
前半は此方を見透かしたような?大神との対話になっておりますけども;。
分かっておられるなら、この身体使わせて頂いてジャンジャンお仕事、回して頂ければと思っておりますのですが;。
まぁ、おおよそ神様という存在の尺度が人間とかなりずれておるところもあるようでして、ならば直ぐに、といって即そのようにならないことは
普通のようですね;。
この頃はどなたも、いや直ぐ結果出ますよとおっしゃる方も多いのは存じておりますけれど、ことうちの神様;?はのんびり構えておられるよう
でして、果たしていつそうなるのか、なってみないとわからない;、そんな感じです。
此処のところは人間である自分の努力というところかもしれませんねぇ;。
精進致します、はい。
続いてこれはシリウスの存在らしく感じられました。
『虹色の空に金色の風』のブログを書かれておられるTomokatsuさん、折りしも今日は貴ブログでもシリウスの存在について書かれておりました
けれど、このTomokatsuさんによりますとシリウスの星は「冷静沈着」「論理思考」という特徴があり、心は温かく、頭は冷たく冷静にいられる
存在なのだそうです。
また、イルカやクジラはシリウスのエネルギーをもっているとも話して下さいました。
なるほどですね。
今回は、上記のような事をそのシリウスの存在は話してくれました。
輝いていて下さい、というのはこれは当然全ての方に向けたメッセージだと感じます。
あなた自身が輝かなければ、誰にも見つけられないというのは確かにそうですよね。
星空でも明るい星は容易に見つけられますが、暗い星はかなり努力しないと見つけることが出来ませんね。
それと同じように自分達もいつも明るく輝いていれば、いつでも見つけてもらえるということなのではと思います。
ただし、これも誰しもが賑やかにしていればいいということでもなく、一人静かに佇んでいたとしても、そこへ何か光るものが備わっていたならば
自ずと内側から仄かに輝きは出ているのでは、とこれもまた思います。
賑やかにワイワイすることが好きな人もいれば、静かに本を読んだり絵を見たり、あるいは音楽を聴くことが好きな方もおられるでしょうし、そこ
は千差万別かと考えます。
要するに自分自身に対して卑屈になることなく、ありのままの自分を受け入れていること、そういうことなのではとも思います。
自分自身がイキイキとしているということなのかもしれません。
バシャール風にいえば、ワクワクしていること、でしょうか。
午前中はお話しましたように出掛けておりましたので、今日の祝詞奏上は午後から致しました。
そのような折に、ちょうど南側の窓から陽の光が射し込み、とても暖かく感じられたのでした。
この体感を捉えて、シリウスの存在が話をして下さったようです。
これらの言葉を自分で読み返しても、はい確かにそうです、と感じることですね。
理路整然といわれるのも、然りと思います。
暑過ぎても寒すぎても難しいけれど、丁度よいのもその環境に慣れてしまい、努力をしなくなるということでしょうか。
確かに快適だと心地よいですけれど、そのことに慣れてしまうと動きたくなくなりますしね。
ほんの少し、そこから抜け出せるように努力することこそ大事だよということでしょうね。
けれど無理は禁物、これもまるで今日の自分に言われたような言葉ですけれど、鍛えるのと酷使するのは違うのですよということ。
やはり自分の技量にあったように物事しないと過ぎたるは及ばざるが如し、となるのかもしれません;。
最後はまたもや木花咲耶姫のお出ましだったようです。
どうも催促なのでしょうか。
それほどお伝えになりたい事がおありなのかしら、とも思いますけれど。
やはりこのオバサン、頑張らにゃならんようです;。
脚が痛いのどうの、といいつつもやはり夕方は空が見たくて歩いてきました;。
空気が一層冷たさを増して来ておりました。
今夜は冷え込みそうです。
どうぞ、どなた様も温かくしてお休みくださいね。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
予報では、時たま時雨れるように出ておりましたがそのようなこともなく、空気は冷たいものの日中は陽射しもあり割と過しやすい一日の
ようでした。
山陰辺りはそれでも雨が降っていたようですね。
これからはだんだんとこのような天候になっていくのだと感じます。
冬の訪れはいつになく早いようにも思えますね。
そんな日の朝はこんな感じで、まだ雲が多い空でした。
午前中は下界;まで買出しに。
往復8キロ強、こう書くと結構な距離に感じられますよね、歩くにしては。
これを以前?の単位に換算すると4キロが1里ということですね、つまりは2里の距離。
昔の人達はどこへ行くにも歩くしかなかったといいますし、これくらいの距離なら十分歩いておられたと思います。
都会の方でもこれくらいは歩くよ、とおっしゃる方もおられるかもしれませんね。
聞く話ですと、車しか交通手段のない地方(このあたりもそうですけれど)田舎ですとどこへ行くのにも車で出かけてしまうため、あまり
歩かないのだとか。
とはいえ、車で出かけないと途中何にもないような処も結構ありますし、わざわざ歩くこともないのだと思います。
この辺りはさすがに家も多く人口もそこそこですけれど、なんせ申すように坂、です;。
行きはよいよい、帰りはなんちゃら;な処でして戻るとそれだけで一仕事終わった気になってしまいます。
ただ、これも話しておりましたけれど途中の景色、花や景色を見て行くのには楽しいものではありますね。
歩いて戻った分、どうやら右脚、ちょっと冷えたのかまた痛みが少し出てきたようです;。
これこそ年寄りの冷や水にならぬよう、気をつけたいと思います;。
今日の祝詞奏上の後、見えてきた事柄です。
最初は大神の言葉
〝 いつも歩いておるのか 〟
はい
〝 車というものは どうした? 〟
ありますが 動きません
〝 何故? 〟
(お金)ないですので
〝 ならば 金が入るようにし 動かせるように致そう 〟
有難うございます
続いてシリウスの存在
“ 輝いていますか? いつも輝いていて下さい
輝くからこそ 人から見つけられるのです
暗ければ 探さないと 分かりません
だからといって 闇が悪いというのでは ありません
闇も 必要なのです
太陽の光の下では 我々が出ていたとしても
あなた方の目からは 見つけることが出来ません
暗さも 必要な時があるのです ”
日が照って 後ろから暖かい
“ このような陽の光は 有難いですね
あなた方にとって 必要なものです
でも暑い時もあれば 寒い時もあります
過ぎては 暮らしにくいですね
でも いつも温暖でばかりだと それに慣れ切ってしまいます
少しだけ負荷が掛かると それに対して どうしようと努める
それがあなた方(地球人)に 必要なのです
しかし 鍛えることと 身体を酷使して
痛めつけることは 違います
労わって下さい
私たちは いつもあなた方を 見守っています ”
次には木花咲耶姫?
‘ お越しになられますか? ’
割とよく聞いてこられる;;
‘ 貴女を待っております ’
清らかな木漏れ日の手水舎の様子が浮かぶ
前半は此方を見透かしたような?大神との対話になっておりますけども;。
分かっておられるなら、この身体使わせて頂いてジャンジャンお仕事、回して頂ければと思っておりますのですが;。
まぁ、おおよそ神様という存在の尺度が人間とかなりずれておるところもあるようでして、ならば直ぐに、といって即そのようにならないことは
普通のようですね;。
この頃はどなたも、いや直ぐ結果出ますよとおっしゃる方も多いのは存じておりますけれど、ことうちの神様;?はのんびり構えておられるよう
でして、果たしていつそうなるのか、なってみないとわからない;、そんな感じです。
此処のところは人間である自分の努力というところかもしれませんねぇ;。
精進致します、はい。
続いてこれはシリウスの存在らしく感じられました。
『虹色の空に金色の風』のブログを書かれておられるTomokatsuさん、折りしも今日は貴ブログでもシリウスの存在について書かれておりました
けれど、このTomokatsuさんによりますとシリウスの星は「冷静沈着」「論理思考」という特徴があり、心は温かく、頭は冷たく冷静にいられる
存在なのだそうです。
また、イルカやクジラはシリウスのエネルギーをもっているとも話して下さいました。
なるほどですね。
今回は、上記のような事をそのシリウスの存在は話してくれました。
輝いていて下さい、というのはこれは当然全ての方に向けたメッセージだと感じます。
あなた自身が輝かなければ、誰にも見つけられないというのは確かにそうですよね。
星空でも明るい星は容易に見つけられますが、暗い星はかなり努力しないと見つけることが出来ませんね。
それと同じように自分達もいつも明るく輝いていれば、いつでも見つけてもらえるということなのではと思います。
ただし、これも誰しもが賑やかにしていればいいということでもなく、一人静かに佇んでいたとしても、そこへ何か光るものが備わっていたならば
自ずと内側から仄かに輝きは出ているのでは、とこれもまた思います。
賑やかにワイワイすることが好きな人もいれば、静かに本を読んだり絵を見たり、あるいは音楽を聴くことが好きな方もおられるでしょうし、そこ
は千差万別かと考えます。
要するに自分自身に対して卑屈になることなく、ありのままの自分を受け入れていること、そういうことなのではとも思います。
自分自身がイキイキとしているということなのかもしれません。
バシャール風にいえば、ワクワクしていること、でしょうか。
午前中はお話しましたように出掛けておりましたので、今日の祝詞奏上は午後から致しました。
そのような折に、ちょうど南側の窓から陽の光が射し込み、とても暖かく感じられたのでした。
この体感を捉えて、シリウスの存在が話をして下さったようです。
これらの言葉を自分で読み返しても、はい確かにそうです、と感じることですね。
理路整然といわれるのも、然りと思います。
暑過ぎても寒すぎても難しいけれど、丁度よいのもその環境に慣れてしまい、努力をしなくなるということでしょうか。
確かに快適だと心地よいですけれど、そのことに慣れてしまうと動きたくなくなりますしね。
ほんの少し、そこから抜け出せるように努力することこそ大事だよということでしょうね。
けれど無理は禁物、これもまるで今日の自分に言われたような言葉ですけれど、鍛えるのと酷使するのは違うのですよということ。
やはり自分の技量にあったように物事しないと過ぎたるは及ばざるが如し、となるのかもしれません;。
最後はまたもや木花咲耶姫のお出ましだったようです。
どうも催促なのでしょうか。
それほどお伝えになりたい事がおありなのかしら、とも思いますけれど。
やはりこのオバサン、頑張らにゃならんようです;。
脚が痛いのどうの、といいつつもやはり夕方は空が見たくて歩いてきました;。
空気が一層冷たさを増して来ておりました。
今夜は冷え込みそうです。
どうぞ、どなた様も温かくしてお休みくださいね。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。