日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

聖夜

2017-12-24 21:32:20 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
ここ、3、4日割と暖かく感じる日が続いておりますね。
とはいえ今日の雨の後、また寒くなるという予報もあるようですし体調管理に気をつけたいところです。
そんな日の朝はやはり曇っておりました。




                                   




                                   




今日はクリスマス・イヴ。
お子さんのおられるご家庭ではケーキを購入されたり、パパサンタさん、或いはママサンタさんが活躍されるのかもしれませんね。
我が家もそんな時期がありましたけれど。

昨日も少し書いておりましたけれど、神道ではありますけれど息子はマリア様の像がある幼稚園へ通っておりました。
他にも色々幼稚園はありましたけれど、本人をこの園にある日たまたま連れて行くと、園庭に入るやとても楽しそうに遊具で遊び始めたのが
きっかけだったのもあります。
(時間的に園児さんたちは帰宅したあとの時間だったようでした)
その頃は今ほど外部の人を締め切る感じでもなかったように記憶しております。
ちょうどおられた先生とみられる方に声を掛けさせて頂き、此処へ入るのってやはりクリスチャンでないと駄目なんですかと尋ねると、そんなこと
ないですよ、どなたでも大丈夫です、殆どのお子さんは仏教徒さんですよ、という会話をしたことがありました。
此方の園はその頃、結構人気のある処で募集人数以上の応募があり、抽選となっておりました。
自分としては此処なら息子も楽しそうだなと感じ、それこそ我が家の神様、大国主大神にどうぞ息子が通りますように、とお願いしたのでした;。
後に幼稚園へ通るように拝んだと主人に話すと大笑いしてましたけどね;。(祝詞あげたのではなく、手を合わせて必死に拝んだという感じでした)
とにかくも、そうしてまさに神様を拝み倒して(苦笑;)お蔭様で幼稚園には無事入園させて頂くことが出来ました。
その入園の前に園に隣接しておられる教会の神父さん?と園の先生のお二人の前で親の面接があり、我が家のことを聞かれたのですけれど仕事
自体がお宮という扱いになりますし、そこをどう説明しようかと考えつつ出雲大社の云々を話すと、神父さんが前の赴任先が出雲であられた
とかで、案外すんなりとおわかり頂けたようでした。
ともあれそんな経緯を経て、無事に通えることとなったのでした。
毎朝、園に着くとまずは先にもあげましたマリア様の像のところで「おはようございます」のご挨拶をし手を合わせるのが日課となっておりました。
うちの息子、最初は殊勝にもきちんとこのご挨拶もしておったようですけれど、年齢が上がるにつれ、園バスを下りるや否や、マリア様の前を手を
合わせるかどうかで通り過ぎておったようです;;。
先生方の中にはシスターもおられ、かなりご高齢の方もおられたりもし、皆さんから慕われておられました。
そのシスターの先生に向かい年上の友達と息子はだんだんと覚え立てのワルイ言葉を使い、散々その先生をはやし立てておったようでもあります;。
三歳からの三年保育でしたけれど、この三年間で相当な悪いことを覚えて来ていたようです。
可愛いけれど、悪いのも覚えてくる、そんな時期ですよね。
それでもやはり子供は子供、純粋にサンタクロースはいる、そう信じ切っていたようです。
通う幼稚園がキリスト教なのですから、当然な話ではあります。
が、彼のその純真な心は無残にも打ち砕かれたのでした;。
何故かって?
あるクリスマスが近い頃だったのか、息子が嬉しそうにサンタさんの話をしていたのだと思います。(この話、自分ではあんまり覚えておりません
ので、すみません;;)
あんまりサンタさん、サンタさんというのがどうもその時に虫の居所が悪かったのか、こともあろうか年端のいかぬ息子に向かい父親である主人が
「そんなものはおらん(いない)、買ってくるんは父ちゃんじゃ!!」と言い放ったようなんですよ;;。
全くなんちゅうことを言ってくれるんだ;;と多分自分も感じたと思うのですけれど、その時のことが記憶に殆ど無く;、後で息子はかなり泣き
じゃくったのではと思います。
しばらくして主人も悪かったと感じていたようですけれど、後の祭り、あんまりですよね;。
いくら自分が神道の神主だからとはいえ、息子は園の教会で厳かなミサをして来ているのですから、そこのところは大人としてダブルスタンダード
でいてほしかった、そう思っております;。
まぁ今や笑い話ですけれど、その時はかなりショックだったと息子が悔しそうに時折話しておりました;。
とはいえ、これもまたクリスマスにはちゃんとケーキを買い、親子して頬張りながら「今だけキリスト教徒」なぞと申しておったのも主人です;。
結構いい加減なオジサンであったのは、否めませんかねぇ;。
いやはや厳粛なクリスマス・イブの話題としては如何なものか、な話題となりました、申し訳御座いません。




                                    


先にも書いたように今日はイヴ、その日に不思議と出てこられたのはどうやらキリストと思しき方でした。

 
   〝    いつもあなたと 共に居ます

        すぐそばにいるのです  忘れないで下さい 心配しなくてもよいのですよ

        あなたは 大国主大神の下へ おられますね

        いつも大神は 太い光の柱の中に あります (だから怖れることはないのです)

        安心して下さい

        他の存在からの(声は) そこの場所の また違った精妙なエネルギーの違いを

        感じて欲しくて 呼んでいるのです

        山の奥の 深い緑に囲まれた地での エネルギー
      
        湖のそば 又 富士の山の近くにある エネルギー  
 
        陽光煌めく(ハワイ)の エネルギー

        そのどれもが 少しずつ 違います

        その違うエネルギーに 触れて欲しいのです   〟


    〝   先日 あなたは 炎を取り囲む人の絵を 描きましたね

        あの絵は あなたを 現したものでも あります

        炎自体が あなたで 周りを取り囲むのは

        多くの存在達です

        物が燃えるとき それは光を放ちます

        とても明るく 煌めいていきます

        その炎を 見つめていると 心が 落ち着くはずです

        あなた自身が 周りを照らす炎となり

        人々を 照らして下さい

        あなたなら 必ず 出来ます   〟




                                      



実際にキリストと言われる方がこのような話をするだろうかというと甚だ疑問には感じますけれどね。
しかしながら口調というのか話し方はキリスト特有な穏やかな、かつ厳かな雰囲気を感じられました。
大国主大神が太い光の柱であるということ、これは自分でも納得出来る思いです。
神様を感じる時、それは目を閉じていても眩いと感じるほどの光を覚えます。
その光に包まれるような感覚、それこそが神であるのではとも思います。
それを伝えて下さっているこのキリストという存在も、やはりそのような光の存在であることには違いありません。
自分達人間が、あの存在とこの存在ではその立場は全く違うのではないかと勝手に解釈しているだけで、上の方の存在としてはそのような分け
隔てというもの自体、既に無いのかもしれません。
そう考えると、これ等の言葉も確かになるほどなと思えることばかりです。
彼方此方で精妙に違うエネルギーを感じて欲しい、そう言われるのも、これも今まで別の存在からも言われていることです。
伝えて下さる口調で、内容は同じでも此方側の受け取り方が少しずつ違うようにも思います。
その違いに思いを馳せながらこれらの言葉を大事にしたいと感じております。
         
先日の絵というのは、加藤さんの講座で描かせて頂いたあの絵ですね。
焚き火の炎を囲んで人々が話をしているという絵です。
はじめにこの絵の元となった言葉は、『キャンプファイヤーを囲んで若い人々の集団が霊的な交渉を保ちながら座っている』というもので、そこ
から連想される絵を描いて下さいというものでした。
自分の中で考えた時に、絵としてはこのようになったのでした。
今回、キリストはこのように語っておりますけれど、実際にはもう少し言葉がありました。
いつも申しますように、言葉として受け取った際にどうしても後で書き起こす形ですので全てを書けておるというわけではありません。
ですので、もう少し言葉があったというよりは二通りの解釈があるという風に伝えられたというのが正しいかと思います。
一つは此処へ書いておりますように、自分自身が周りを照らすような明かりになりなさい、ということです。
もう一つは、自分を取り囲む数多の様々な存在がいるんだよ、それはあなたにこの言葉で言われているように霊的な部分をサポートしているのだよ
ということを伝えているんだ、ということでした。
自分が明かりになりながらもその自分もまた周りからサポートされている、お互いにお互いを必要としている、ということでしょうか。
概ね皆そのような関係なのだとは思うのですけれど、より自分自身が明るくありなさい、ということなのかもしれませんね。
自分の描いた絵にそんな意味があったとは驚きですが、なんとも嬉しくも感じられた今回の言葉でした。



                              
                                     
        


昼頃から降っておりました雨は今のところ止んでいるようです。
明日はあまり寒くないのでしょうか、まだわかりませんけれど、このような時に今日の続きとして片付けをして行きたいと考えております。
だんだんと年末の感じが迫って来ましたね、やはりどことなく焦りを感じておるところです;。


本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
                                                
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする