日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

祈るということ

2017-12-14 20:54:32 | 神様等について
こんばんは。
雪こそ降りませんが、寒い毎日です。
今朝、神殿で一体何度くらいなんだろうと室温測ると3.9度;。
そりゃあ寒いわな、と感じた次第。
暖房位入れなさいよと言われそうですけれどね。
いや、ストーブはあるのですけれど、いつも殆ど自分一人ですので拝礼する間だけ付けてもなぁと思い、そのまま拝んでおります。
もちろん人がお越しになればちゃんと部屋は暖かくしておりますのでご安心の程を。
そんな日の朝はこんな感じ、曇っていた空が綺麗な朝焼けに変わりました。



                                



                                




                                




                                



ふたご座流星群というのが見られるとニュース等でも言われておりましたね。
それでかどうか、昨夜わずか1個だけですけれど、スーッと流れて行くのをたまたま見上げた空に見つけました。
3,4日前にも、これは相当に大きな光と感じられた流れ星が垂直に落ちるように流れるのを見ました。
ああいうのを見ると思わず、おおっと感じますね。
昨夜のそれは、本当にたまたま心の中であることが良くなればいいと思っていたところへ流れたので、余計うわっすごい、と思ってしまいました。
よく流れ星が流れる最中に願い事をすれば叶うと言いますけれど、見たときには遅いですよね;。
タイミング良く流れるというのは、そうしてみるとかなりの確率なのかもしれませんね。




                                



そんな昨夜の星に願いを、な事は実は身内のことでして;。
身内ネタって、どうよ;な思いではあるのですけれど。
先だってから話しておりますけれど、息子がどうにもお腹の調子が直らず、未だに下痢が続くようです(尾篭な話題ですみません;;)
大丈夫よ、と仰って下さる方もおられるのですけれど、あの辛さはどうにもねぇ;と感じております。
自分自身、主人が倒れた後、夏場にそのような酷い下痢の症状がふた月程も続いたことがあり、忙しいのに力が入らず暑いのにお腹だけ冷えると
いう何とも情けない状態だったことがあります。
いつも行くホームドクターに診てもらってもあまり変わらず、セカンドオピニオンではありませんが他の病院へ行き薬を飲みつつ仕事していた
時期がありました。
息子も今回話しておりましたが、朝お腹が痛くて目が覚める状況で、常に痛さを感じておりました。
お腹は空くんだけれど、食べると下すので思いっきり食べられないし、かと言って食べねば体力持たないし、とで相当しんどかったのを覚えて
おります。
自分の場合は、病名付けるとすれば過敏性腸症候群だろうね、ということでしたけれど。
息子が昨夜も、まだ直らん;;とかなり辛そうに連絡して来ましたので、今朝は息子に病気平癒の御祈願を致しました。
普通は御祈願と言いますとご本人なりがお越しにならなければ致さないのですが、こと病気に関しましては代理の方なりがお越しになられ代わりに
ご祈祷させて頂くという場合も結構ございます。
今回は実の息子でもありますので、僭越ながら自分がさせて頂きました。 
大げさと思われるかもしれませんけれど、離れておる分だけどのようなのかわかりませんし、申すようにあの痛みや辛さが分かるだけに自分が
出来ることだけでもしてやろうと考えたからでした。
いつもは簡易に烏帽子(えぼし)と杓(しゃく)、それに上に格衣(かくい)という衣装を羽織る格好で祝詞をあげておりますけれど、今回は
きちんと正式な衣装を身に着け拝ませて頂きました。
実際、この病気平癒のようなご祈祷などですと、自分にも結構身体に堪えることが無きにしも非ずで、心して拝ませて頂いた次第です。
とはいえ今回は息子のことですので、自分に来ても息子が楽になるならそれでも構わないがな、とも考えておりました。
拝み終えて奉幣(ほうへい)を振りながら、治りますように、と一心に唱えておりました。
御祈願後、頭の中で大神との対話を致しました。


 病気でしょうかと問うと

    〝   病には 非ず  心配致すな  そちが子であろう

        足元からの冷えに 気をつけさせよ    〟 

 このような言葉が響いてきた

 続いて 木花咲耶姫

    “   お待ちしておりますよ  お越しになるのを
 
        今(すぐに)とは 申しません   ”


    “   子には 青龍がついておりますよ 大丈夫です   ”




 次には大神の声か

    〝   一人で行くも良し  人と共に参るも良し

        人々といけば それだけ 多くのことも 出てこよう    〟



                                    



このような感じで今日は頭の中に入って来ました。
病気平癒のご祈祷というのは、祝詞奏上の中でもとりわけきつい部類に属するかと思います。
先にも述べたように生半可な思いで奏上致せば、自分に跳ね返るほどのものだと考えております。
それ故、出雲大社の御本社におきましても、信者さんなどがすがるような思いでこの御祈願を申し出てこられた際には、受ける側の神主もそれ
相応の覚悟で祝詞奏上致しておると伺っております。
自分は今回、身内、息子でもありつい余計になんとかしてやらねばという思いが強かったのかもしれません。
ですがそれ故に、これもまたお伺いさせて頂いた言葉が本当にそうであるのか、自分よりになっておらないか、自分で自分に懸念致すところもある
次第です。
身内が身内にこのようなことをしてはいけないと言われる所以でもあるでしょうね。
確かにそうであったとしても今回、このように酷い病ではないと言葉を頂戴出来たのは嬉しく、また非常に安心する思いでした。
後は本人が少しでも早く回復してくれることを願うばかりです。




                                     




病気平癒のご祈祷、これは自分自身も主人が倒れた折にやはり相当な覚悟を持って出雲大社へ参り、御本社にてご祈祷して頂いたことがあります。
自分でも日々自宅の神殿で拝みながら、やはり参らねばという焦るような思いに駆られて、参拝致したのを覚えております。
ご祈祷の前には当然どのような病気であるのか伝えねばなりませんが、その際大社側もよく存じておるうちの主人のことですので、余計に向こうと
しても考えられたのでしょう。
神楽殿にて待つのはゆうに一時間を越えていたかと思います。
夏の暑い盛りだったかとも思いますけれど、かなり記憶の彼方であり、拝まれる側もさぞかし大変であられただろうな、とその時に感じたのを今
思い出しました。
一時期はその生命すら危ぶまれた状態の頃でもありましたけれど、なんとかそのような状況も脱せられたのは、その折のお蔭様と言えるかもしれ
ません。
ここいら辺を話すと、これまた多くが出てきますけれど、その話はまたに譲ると致します。


大神の言葉の後にほんの少し、常連(と申しますとバチあたりそうですけどね;)とでもいうような木花咲耶姫が登場されました。
ずっと待っておられるようですね。
有難いことです。
参らせて頂けるよう精進せねば、ですね。 
またこの神様からも、息子の事を案じて下さったのかこのようなお言葉を頂戴したようです。
真であるのかどうか、これもまたわかりませんけれど、心配することはないと念押しされたようでもありますね。
有難いことと感じます。
さぁて、どうやって参らせて頂くか考えないと、ということろですね;。



                                     



書いてみますと、どうやら病気平癒の御祈願についての話題が専らとなったようです。
苦しい時の神頼みと申しますけれど、祝詞の中にはその全てを神様に委ねなさいとは書かれておりません。
確かにどうしようもなく参り越したのであろうとも記されておりますけれど、やはり信頼出来る医師(くすし)の手技(てわざ)持ちて、この
病を治さしめよとも書かれております。
神に祈念致しつつも、人間の叡智を結集したその手法にも信頼を置きなさいということなのかもしれません。
とは言えこうして御祈願したからといって、それが必ず、あるいは全てが治るとは言い切れないのも事実ではあります。
しなしながら古より人々は祈ることの大事さに重きを置き、その力を信じてやまなかったのではとも考えます。


こうして書かせて頂きながら、祈ることの大切さを改めて感じさせて頂くことが出来たように思えます。
不甲斐無い自分ではありますけれど、一層努めて参りたいとこれもまた改めて感じておる次第です。




                                     




本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
                                       

                                      
                                   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする