日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

お腹痛くて;   シリウス 他のどなたか?

2018-04-15 20:54:33 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
昨日は日中、その殆どが雨降りでしたが夜には大分止んでおりました。
今朝はまだ雲が多い状態で明けたようですが、次第に青空が広がってきておりました。
お天気は良いものの、風が冷たく感じられますね。
季節が混ざっているような感じです。





                                    






                                     






                                   





                                    







                                   





昨日雨で出られず終いでしたので朝から早速ネコの餌を買いに行ってきました。(平和なもんです;)
出掛けからなんとなく胃が気持ち悪いなと感じつつ、それでも歩くうちに収まってきておったのですが買い物を終えて戻る途中くらいから今度は
どうも下腹の方に痛みを覚えてきました。
歩くのには支障がない程でしたのでそのまま家まで戻り、一休みと思いつつお茶を入れて一服し、さて神様を拝ませて頂こうかと思っております
と、先ほどの痛みがだんだんと増してき出しました。
う~ん;と思いつつ、お供え物だけでも換えさせて頂こうと考えるのですが、どうにも痛みが酷くなるばかりで動けません;。
しばらくぐずぐずと過ごしつつ、痛みをやり過ごしておりました。
大体が胃腸が弱い方でして、何かあると、いえ何もなくてもすぐお腹に来たり胃に来たりでした。
実母が胃がんで逝ったこともあり、母親の亡くなった年代、30代辺りは何故か自分もよく胃の痛みを感じることが多く、それでというわけでも
ないのでしょうが、急性胃炎を患ったり等しておりました。
ここ数年は胃に来るような痛みはなくどちらかと言えば下腹ばかりで、それも痛いばかりでしばらくすると収まるような感じですので特に何もして
おりません。
そんなわけで30代には年に一度は必ず検査していた胃カメラも、とんとご無沙汰です;。
胃に来ることが無くなった分?幼い頃もそうであったように下腹へ来るようになったのかもしれません;。
それでもせいぜいが痛みを堪えて先ほどのようにぐずぐずするのがオチな程度です。
そんな感じでなんとか収まった痛みの合間にお昼ご飯を食べられたくらいですので、大丈夫と感じておりました。
けれど食べ終わるとまたもや痛みがぶり返し、どうにも出来ず片付けをした後は神様を拝ませて頂くどころではなく、ひたすら痛みに耐えて目を
閉じておりました。
そうなるといつの間にか眠気も感じしばらく寝てしまっていたようです。
ふと目覚めるとそれでもまた痛みは取れておらず、結局は3時過ぎ頃までウダウダしておりました;。
結局そんなこんなで今日は神様への祝詞奏上はお休みとさせて頂きました;。





                                   


                                  


これって大いなる言い訳以外の、何ものでもありません;。
もうね、自分をどこまで正当化させるか、の極致ですよね。
本っ当にすみませんです;。
まぁこれも、年に何度かの鬼の霍乱ということで?それに免じてお許し頂ければと思います。
申し訳ございません;。

それでも朝は帰宅して拝見したTomokatsuさんのブログで書かれていたシリウスの存在に繋がってみました。



 “ 貴方は 何故 まだなってもいない悪い方の未来を 想像してしまうのでしょうか

   貴方の過去や未来の並行世界は 数多く存在しています

   けれど 今の貴方は 今此処の貴方だけです

   その貴方が思う‘良い方’の過去や未来を選び取ることが出来るのは

   今此処の貴方だけなのです

   良い方の 未来 過去を選んで下さい

   それをすることで 今の貴方も決まってきます

   未来や過去の貴方に引っ張られず 

   今の貴方でいて下さい    ”
                                          



                                     

                            

              

いつも申すように自分の頭へ言葉が入り、それを文章化して今一度思い出しながら書いていくとどこかしら内容に矛盾したような意味合いの
事が出てくる時があります。
今回自分で最後の方は、これはどうなんだろうと感じておりました。
ただ自分で書いた文章を何度か読み返すうちに、これはこれで筋が通っているのかもしれないとも思えてきました。
此処でいわれているようにごまんと存在する自分の並行世界、その中から何もわざわざ悪い方のそれを選び取るのではなく、良い方の世界を選ぶ
ことで今此処へいる自分もそのようであると定義付けられるのではということです。
そうすることで、自分が感じていた悪い方の過去には光が当たることはなくなり良い方への過去に光が当たるようになります。
いわばこの時点で自分の過去そのものが書き換えられたと同じようなこととなるのだと思います。
それと同様に悪しき未来を想像すればそちらの世界を選択したこととなり、自分の歩む道も自ずと決まってくるようになるのでしょう。
ならば自分の思い描く良い方の未来を選択することで、これもまた其方の道へと歩みを進めるようになるのだと思います。
未来や過去の貴方に引っ張られず、というのは、そんな悪しき方の世界へ自分を置くのではなく在りたい自分でいて下さいという事なのではと
感じました。
なかなか説明が難しい話ですけれど、お分かり頂けると嬉しいですね。





                                     




その後に今度はまた別の声?が頭に響いてきました。


 〝 身体 それにこの世界も色々な事が変わってきている最中 端境期なのです

   こんな時は どうにも不調になりがちです

   天気も荒れることが 多くなるでしょう

   身体に関しては 自愛なさい 労りなさい

   無理をしないことです

   無理をしなければ出来ないと それ以上を行うから

   どこかへ歪が来るのです

   そういう時は休んで下さい 

   無理をしてはいけません    〟
                                       





                                      






                                     






                                     




何処のどなたかはわかりませんでした;。
言われることはもっともな事とわかるのですけれど、そうは言っても休んでいられないことの方が多いのも事実ですよね。
それでも無理をしていれば、どこかへ歪みが出ますよとも言われます。
正に然り、です。
歪みという言葉で思い出したのが、先日の島根県の地震です。
今回のこの地震は断層の横ずれが起こったため、そこに歪みが生じて地震が起こったと聞きました。
無理をすれば生じるものが歪み、ということなのでしょうか。
身体も自然もどちらも無理をせず歪みを生じさせないようにすることが大事なのかもしれませんが、どちらも溜まっていくもののようにも思えます。
ならば、少しずつ小出しに出来ていればその歪みも小さく済むのかもしれませんけれど、これもやはり難しい課題ですね。
どちらもあまり溜め込まないようにするのが大事なのかもしれません。

それにしてもお腹の痛み、未だに収まらず;です。






                                       





同じような写真を何枚も揚げさせて頂きましたが、空を行く大きな龍の胴体のようにも感じておりました。
波々に見える部分はさながら鱗でしょうか。
雲を通してみえる太陽の周りには虹色に見える時もあり、とても綺麗でした。






                                     






                                      



どうにもお腹痛いと力が入らず文章を綴っておりましても、我ながらいつにも増して今ひとつ説得力に欠けるものになったようですね;。
申し訳ございません;。

そんなグダグダブログ、今日も変わらずお付き合い頂きまして真に有難うございます。
感謝申し上げます。
コメント (2)
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龍 バシャールの言葉(引用)

2018-04-14 19:15:26 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
午前中から降り出すとの予報でしたが、早いうちはそれほどでもなく昼前位から雨が落ち始めたようです。
ところによると雨量の多い場所もあるようで、先だっての地震の被災地、また土砂崩れのあった大分の方など酷くならぬことを願うばかりです。
そんな日の朝は太陽も厚い雲の向こう側へぼんやりと見えておりました。


                                  


                                    






                                    





                                    




そんなどっちつかずのお天気に我が家のおネコ様;のご飯、餌が少なくなっているのに気づき買ってこなくてはと考えておりました。
昨日の時点で買って来るつもりだったのですけれどど忘れしており;残りを見るとあらら無いですね、となったのでした。
この餌、実は昨年あたりまではネットで注文して届けてもらっていたのですが、同じ餌を与えておりますと、どうもこのネコという種族;は飽
きるようでして。
仕方なくその後はペットショップに足を運び、あれかこれかと悩みつつ本人ならぬ本ニャンに与えてみるも、気に食わなければ人間からすれば
かなり高価なものでも見向きもしません;。
まさにオーマイガッ;;な気分になるところです。
それ高かったんだから食べてよと伝えたところで一瞥を与えるまでもなく;プイッと横を向き踵を返してしまいます。
じゃあ食べなくていいよと言えば本当に丸一日でも食べずに過ごす我が家のネコ;。
結局は母ちゃんが根負けして、またもや別の物を買ってくるという始末です。
そんなこんなで最近はペットショップの高い餌も馬鹿らしくなりホームセンターへ置いてあるものを買い与えております。
何故かしら此方の方は食べるようでして;。
本当はやはりペットショップや信頼できるメーカーのものを与える方が猫の健康を考えると当然良いのですよ。
しかしそれをしてくれない本ニャンにはほとほと手を焼いております;。
まぁ、明日雨が酷くなければどうででも買ってこようと思っております。
ひと様からすれば、どっちでもいいようなお話では御座います。(苦笑)

                               
 
                                     

                                        




今朝、祝詞奏上の後にいつものように静かに目を閉じておりました。
特に何も考えず、です。


  祝詞奏上後 特に何も考えず 静かに座る 心地よい
  頭頂は もわもわしてる

  見えてきたのはいつか見たように 長い長い廊下が延々と続くような場所?


 龍のテラ

 
  “ 我と 何処へでも参ろうぞ  ”


  神殿にいるとこんな感じ?
  姿は大きい

  白龍 金龍共に 今は列島の地震等で忙しいのか?
  上の方で 他の龍達と共に調整しているよう





                                      

                                       
  

何かと繋がろうとするのではなく、このところ何となくサワサワしていた風な自分でしたので、しばらくぶりに静かに座る思いで特に何を思う
でもなく静かに座っておりました。
ただ意識は自分の場合、大抵眉間に集中させるようにしております。
これは瞑想する際は若い頃からここへ意識を向けるのが習い性となっておるようでして、自然とそうなるようです。
それでも上ばかりへ意識を向けておるのではなくやはり下から上に上げるようにしないとと感じ、下のチャクラへも意識を向けつつ上へ上げてくる
ようにしております。
瞑想の仕方は、それこそ人それぞれかと思いますし自分の場合は我流もよいところですけれど、これが一番落ち着くのでそれで良いかなと思って
おります。
そんな風にして結局は眉間に意識を集中させておりますと、いつか見たような長い廊下が続いているような光景が見えてきました。
どこまでも続くようなそんな光景、これに何か意味があるのかどうか、それは分かりません。
ただ見えていたというだけの事です。
今後何であるのか、理解出来るかもとも思います。
そんな風にして瞑想をしておりますと、我が家の龍、テラがこのように語りかけてきたのでした。
普段は自分と話をする時はまるっきりの関西弁;?のようですけれど神殿、神様の御前ではこのように何故かしら改まったような言葉遣いとなって
おります。
これとて本人(本龍;?)は意識せずそうなっているのでしょうね。
いずれにしてもこれから先彼が言うように彼方此方へ参らせて頂けるようになればな、と思うところです。

また次元の違うところへ居ると感じております白龍と金龍、この二柱の龍は今現在はこれもまた異なる次元へ赴き、別の多くの龍達と共に何事かを
致しておるように感じます。
此処の部分においては人間の与り知らぬ領域においての事柄のようですし、知る由もありません。
書いておりますように、それが地震等に関することであるのかはたまた違う分野の事であるのか、それも分かりかねます。
目に見えない、感知出来ない処での龍の働き、お任せするより他なさそうですね。




                                        





これは一昨日ネットで見かけたバシャールの言葉です。
途中からですけれど、拝見しながら良いなと思った部分を抜粋させて頂きました。
宜しければ参考になさって下さい。


 
 『  どこからどうやって 貴方の望みが叶うかはわからないし 知る必要もないけれど

    “ 絶対に大丈夫 ”と認識する事

    そうすることで“ 大いなるすべて ”の扉を閉じずに

    360度 何処からでも 貴方の望みがやってくるように

    設定出来るというわけなのです

    要は 心配しないでも大丈夫だという事 
   
    をバシャールは 話しています   』
                              



                                      




何か自分がこうありたい、あるいはこのような物が欲しいと感じているのなら、ただシンプルに「絶対に大丈夫」と信じておること、それだけだ
ということですね。
途中の過程を考えるのではなく、既に自分がそうある状態、持っている状況を思い描いて、あとは単に信じて待つだけ、そういうことのようです。
その望みの叶い方は自分が思い描いていた方法とは違うかもしれません。
ですけれど結果的には自分の願っていた望みは自分のものになっているということです。
自分では何もせずに手に入れる至極簡単な方法ですね。
ものは試し、してみられては如何でしょうか。
これ、結構効きますよ。(笑)





                                      





このところ毎日のように一年前の弊ブログがこうでしたよと、このgooブログさんからお知らせがあります。
自分でもそんな一年前のブログを見返してみると、へぇ、こんなこと書いてたんだみたいな事を書いております。
最初はトイレの神様?と称して書かせて頂いていたり、りんごの見え方と題して物の見方を自分なりに感じたことを書いておったりします。
或いは神道の祝詞の中に出てきます「御恩頼」みたまのふゆ という言葉についても書かせて頂いておりました。
お時間があります方、またどうにも暇でしょうがないと感じておられる方(笑)、そのような方はどうぞそれらの稚拙なブログにもお目通し頂け
れば、幸いに存じます。




本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
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千田さんの講座  6回目

2018-04-13 20:40:30 | お出かけ
こんばんは。
このところ夜中にふと目が覚めてしまいます。
え?歳だろうって;?
ま、否定はしませんが;どうも地震から此方なんとなく不安な感じがしておるのかもしれないと自分で自分に思っております。
あの地震後、余震があるかもしれないと言われながら、今のところ音無しの構えですが、また夜中に来たらどうしようと考えるとつい不安になる
のかもしれません。
そんなことを思いつつですけれど、朝はいつものように爽やかに始まりました。




                                   





                                   





                                    




昨日、予告?しておりましたある所、それは毎月開催しておられます千田さんの講座です。
自分自身は6回目となります。(講座自体は9回目の開催です)
今月は牡羊座並びに火星について 火星からあるがままの私 また火星からありのままの自分 このような内容でした。
集まる方は殆ど固定して来たようでして、前回からお越しのNさん、この講座の最初から受講しておられるKさん、またターラさん、そして私、また
主催者の千田さんの計5人で行われました。
女性同士、それも毎回顔を合わせておりますとだんだん気心も知れてきて講師の千田さんがお一人で淡々と会を進めていかれるのではなく、これ
またいつものごとく、一つの話題を取っ掛かりにしてあちらへ話が飛んだり、此方で別の質問が出てきたり、ととても多彩です。
大体ターラさんが向こうの世界のことが良くわかる方ですので、話をしておられても自分達にはわからない分野、次元のあたりから紐解いて下さっ
たりされます。
それがかなり(当然なのですけれど)的確でして、一同ほ~っと頷くこともしばし。
以前はそれこそ彼方此方の神様に呼ばれるようにして神社へ赴かれ、そこでクリスタルボウル(水晶で出来た楽器です)の演奏をしておられた
のだとか。
また今回の島根の地震が起こる直前には、自分の身体の痛みでそうと知れていたとも伺いました。
うろ覚えですけれど、ご自分の身体自体が日本列島のようなもので、この度のものは足にだるさや痛みが来ていたのでおそらくあるだろうなと
思っておられたとのことでした。
それを伺い、そういえば自分も出雲から帰ってきた後くらいからどうにも足のだるさが抜けずに困っております。
これってそうなのか;?とも考えたりしますけれど、自分の場合は定かではありません、悪しからず。
それでも先日の地震の後、しばらくそのだるさも収まっておりましたが、昨日あたりからまたしても痛だるさがあります;。
やはり用心しておく方が良いみたいですね。





                                     



と話がかなり脇道に逸れましたけれど;。
写真は自分のホロスコープから割り出した火星の位置とその時の星座から自分のカラーを見つけて色を着けてみようというものでした。
因みにこの写真の絵は千田さんが思い描いた惑星を毎回女性に見立てて絵にされておられるものです。
今回の絵はその中の火星に当たります。
皆さんそれぞれに火星のある位置は違うのですがこの火星という星、結構シビアというのか内容的にハードなことを含んでおるといわれている
ようですけれど、確かに各人そのようでした。
自分は蠍座と2ハウスという位置に居るとのことですが、自分に関する文章を自分で読み上げてみても、え、それ言われます;?な感じの内容
が書かれておりました。
裏を返せば自分に当たっているからこそ痛い部分をグサリと刺されるようで余計に認めたくなかったのかもしれません、今思えばですが;。
深層心理の部分をついてくるのかもしれない、と感じました。
とはいえ大体が自分が感じる自分と他の人から見た自分というのは案外ギャップがあるようでして、そう考えるとシビアに言われておることこそ
当たっている、むしろ大当たりなのかもしれません。
色々思うところはあっても色から類推したアンシェントメモリオイルを塗っていく作業は毎回ワイワイしながら楽しく塗らせて頂いております。
またこの時ぞとばかりに;千田さんにお持ち頂いている多くのそれらのオイルの香りを嗅がせて頂いてもおる自分です;。
此処でまた話が逸れますけれど、同じような色味のオイルでもその香りは当たり前ではありますが全くどれも違います。
甘かったりすっきりであったり、それこそ千差万別、色々です。
だからこそ毎回のこの色付けが楽しみでもあるという理由の一つともなっております。
お喋りしながら、これ良いねぇとかそれも素敵、などと賑やかにさせて頂いております講座です。





                                      






                                      





今回は少しずれましたけれど桜の時期ということもあり桜の香りのする紅茶、それにこれも桜がほんのり香る美味しいお菓子を出して下さいました。
それを頂きながら今年はあちこちへお花見へ行ったよという方もおられ、そんな話にも花が咲いておりました。
女3人寄るとかしましいとは昔から申すようですけれど、5人も集まればさもありなんというところですが、これもまた話し役、聞き役となんとは
なしに互いに役目がその折々に出来るようで、それもまた楽しいものだと感じておりました。
特に自分など普段はネコと龍のテラ(え、わて?)と神様位しかお相手しておりませんので(何という引きこもりなんだか;;)こういう会、講座は
本当に楽しみの一つです。





                                        





その他、今回は主要な惑星だけではなく小惑星についても少し話をして頂きました。
此方もお話を伺うとそれだけでまた何回かの講座が開けそうな位の内容があり、千田さんご自身、何処かで番外編としてこの小惑星について時間を
設けてみましょうかと話しておられました。
占星術というもの、これに限ったことではなにのでしょうけれど深く知れば知るだけ奥が深いものであるなぁ、と感じた次第です。





                                         




二時間たっぷり内容的にもボリュームも相当であるにも関わらず、すんなり進めていかれる千田さんにはいつも素晴らしいなと感心するばかりです。
この後、前回の講座にご参加出来なかったKさんが午後からお一人だけでもう一度受講されるとのことでしたので、お昼を挟みますしピザを出前で
取るので良かったらシェアしませんかと言われる千田さんのお言葉に甘えて、所用がありお帰りになるターラさんを除いて後の4人でお昼にさせて
頂きました。
この時にもホロスコープの見方のちょっとしたアドバイスやこれはこういうことが言えるんですよといった、自分達からすると、へぇと思うような
ことを教えて頂き、興味津々で聞いていたのでした。
午後1時からは先のKさんが再受講の時間でしたので、自分ともうお一人のNさんはここでお暇させて頂きました。
月に一度のこの講座、自分にはとても貴重且つ楽しみな時間となっております。




                                 
                                     






                                      






                                       







                                        
                                                                             




その後は近くのスーパーで買い物をし、帰り道にある三篠神社さんへ立ち寄り、神様へご挨拶してバスにて帰宅致しました。
午前中の講座の余韻とその復習を兼ねて頂戴した書き物やホロスコープを見ながら、自宅でもしばし思い出しておりました。




                                      
                                 


                           
                                      





月に一度、年代も住まう所も、それこそ仕事もてんでバラバラの方々がこうして集って話が出来るのはなんとも言えず面白いものだと感じて
おります。
その場を作って下さっておられます千田さんにこの場を借りて改めて御礼申し上げます。
ひさちゃん、いつも有難うございます。




今日は「アトリエ虹色つむぎ」の千田ひさこさんの講座についてお伝えさせて頂きました。


本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
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 閑話休題 漆の くまさん

2018-04-12 21:20:27 | お出かけ
こんばんは。
朝、いつものように太陽に向けて撮るとその周りにハロ、日暈(にちうん)、つまり日がさというのが現れていました。
また左右両脇には幻日(げんじつ)と呼ばれるハロよりも濃い虹色が見えておりました。
気象現象のひとつですけれど、これが見えると次の日くらいはお天気が崩れるようですね。
結構良く出ていたりしますが、大抵は気づかず終わるようです。(いちいち空、見上げませんしね;)
たまには皆様も、そんな空、見上げてみて下さい、龍は無理;でも面白い雲等に出会えるかもしれませんよ。





                                      
                                 





                                      






                                      






                                       






                                       







                                        





昨夜、寝る前になんとなく喉の調子が今ひとつだなと思いながら就寝しました。
夢の中で喉に何かが引っ掛かっている場面を見つつ、それを出そうとして咳き込むようにしておりました。
実際にもかなり咳をついていたようで、自分のコンコンという咳き込みで明け方目が覚めたくらいでした。
時たまこんな感じで咳をしていることに気づく時がありますね。
このところの不順な気候のせいか、どうやら鬼の霍乱、風邪になりかけなのかもしれません;。
暑いのか肌寒いのか、なんとも形容しがたいこのところの気候、はやく次の季節へ移行して欲しいものです。





                                     
                                        




そんな少ししんどいなと感じつつも午後から出てこなくてはいけない用があり、またしても出かけて参りました。
終わればさっさと帰ろう、そう思いつつ結局はいつものように同じくらいまで出ておったのですけれど;。
そんな我が身を気遣ってか?テラとエーヴィンからはそれぞれにこんな言葉を掛けてもらっておりました。



 
 “ しんどいんやったら 早めに手当てしとく方がええよ?

   大丈夫いうて無理して歩きに行ったりして しんどうなるんは

   ちょっと止めといた方がええね

   こんところの気温の激変でちょっとばかりしんどうなってんねや 身体も  ”




 ‘ テラさんの言う通りだよ

   無理しちゃってると また後がしんどいでしょ?

   咳つくのも そういうこと

   左手だけ冷たいのも 不調だからだよ

   自分の身体を労わってね   ’




                                       




こんな風に、いわば異口同音に無理するな、身体を大事にしろと労い?の言葉を掛けられたのですけれど。
有難いことと感じつつ、無理も何も殆ど何にもしてないけどな;これはある意味怠惰から来ておるのかもと思えるほどの自分です;。
それでもいつか此処へ書かせて頂いたように思い当たるとすれば、それこそ「春バテ」というものでしょうか。
こうも暑くなったり急に冷え込んだりですと、大丈夫なつもりでも身体は変調をきたすのかもしれませんね。
大体が寒がりな自分、未だに半袖は着る気にもなれず、家の中では余計に羽織るものを毎日とっかえひっかえしてるところです;。
これでまたいきなり暑くなると、またもやだるさに襲われそうですね;。





                                        

                           
                                            

そんな風に二人;?の存在から心配されつつ、また自分でも早よ帰ろ、と思いながらもせっかく街中まで出てきたのならいつも立ち寄る画廊を
覗いてみようかと考え行ってみました。
これが出べそたる所以ですね;。(苦笑)

油絵の展示があったり焼き物(陶器)の作品があったりと様々に賑わっておられました。
そんな大きな部屋の隣にもう一部屋、此方にも別の方の展示作品が飾られておりました。
どうやら漆を用いたもののようです。
拝見すると一番最初に目に飛び込んできたのは「ちんあなご」の作品。
作品といっても漆を塗った器とかでは全くなく、本当に絵のような、はたまたオブジェのようなものばかりです。
一見しただけでは、どこへどのような手を加えておられるのかわかり難いものもありますが、じっと見ておりますと作家さんの方からお声を掛けて
頂き、ついつい技法等についてあれこれと話を伺っておりました。
漆芸というのはご存じの方もおられるでしょうけれど、螺鈿(らでん)といい貝の内側、裏側というのか虹色に光る部分を小さく板状に切り出し
漆地や木地の表面に嵌め込む技法を用いたりします。(使用される貝はアコヤ貝、白蝶貝などです)
非常に緻密な技法の中のひとつです。
その他にも、幾重にも塗り重ねた色の違う漆を上から布でこそぎ落とすのではありませんけれど、下の色が出るように磨いて出しいく方法なども
あります。
その他にも漆芸に使われるそれらの技法を巧みに用いながら、その作風は日本に昔から伝わる漆の作品とは相当にかけ離れた物ばかりが並べられ
ておりました。
蛇口から黒い水が流れ出ているオブジェであったり、全身これ殆どショッキングピンクに塗られた、それこそ現代チックなクマにこれまた様々な
キラキラのモチーフをこれでもかと散りばめた作品など、ひと目見ただけでは、到底漆芸とは似ても似つかぬものも数多く展示しておられました。
先にも書いたように昔ながらの、いわば旧態然としたものを求められる方からすれば、ある意味目を剝くほどの作品かもしれません。
けれどそのような昔ながらの物は今の若い方にはあまり、というよりもほぼ振り向いてくれないものになるつつあるとも言われました。
ならば、そこから抜け出して漆を用いつつも新しい感性で表現してみたいとして始められたのだそうです。
実際、その作品のいくつかは海を渡り海外での評価が高くなされておるようです。
アメリカのミネアポリス美術館にも置かれているとかで
「去年行ってきました。でも行けるんならマカオに行きたいですわ。というてもあそこはほんまにお金もって行かへんと面白うないでしょうね」
と滋賀県出身で現在は京都へお住まいの作家さんはおっしゃっておられました。
マカオといっても、置かれているのは名にし負う、あのホテルオークラ。
「ホテルのどこでしょねぇ、どこかの部屋の隅っこの方かもしれませんけど」
そうおっしゃる作家さんに、いやまさかそんなことはないでしょう、多分ロビーの一番目立つ場所へ、こうドーンと据えておられるんじゃない
ですか、などとまたもやオバサントークを炸裂;して参りました。
普段は静かなはずの画廊でひとしきり大笑いならぬばか笑い;をしながらしばしお話をさせて頂きました。
関西の方は不思議とどの方も笑いを取ろうとしてくださる精神が大いにおありのようで、自分のような者は助けられております;。
この方のお名前は 佐野暁氏。
広島 八丁堀本店7階ギャラリーにて来週18日水曜日まで『URUSHISM 佐野暁 うるし展』として開催されております。
お近くの方はお立ち寄りになられてみては、と存じます。





                                        





                                        




終わってみれば、これまたいつものオバサンのお出かけ日記となったようですね;。
しんどいというのは方便か;?なところですけれど。
つい好きな物には夢中になってしまう自分でありました;。(苦笑)





                                        






                                      




明日も実はあるところへこれまたお出かけとなります;。
え、どこかって?
毎月参っております、あそこ、ですよ。
その様子はその明日にでも。




本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
コメント (2)
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大神の言葉 再び

2018-04-11 21:10:41 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
昨日は良いお天気でしたが今日はまた曇りがちな一日でした。
写真に出していたような巻雲が多く見られると大抵次の日か二日後くらいにはお天気が崩れますね。
そんな予報?が多少は当たったようなお天気の日でした。
朝から太陽は顔を見せておりません。




                                      






                                      






今日未明、大分県の中津市で突然の土砂崩れにて住宅が埋まりお一人の亡くなられ、あと何人かの方が行方不明になっているというニュースを
知りました。
雨が降った後でもなかったとのことですが10日にその近くで多少の落石があったのを見ておられた近所の方もおられたようです。
何もないと思っていたところへ突然起こった今回の土砂崩れ、早く不明者が出てこられることを願うばかりです。
自分達自身、何もないと思っているところへ突然襲う災害にはなす術もありませんが、どのような地域へ住まっているのかという情報は必要なこと
であり、それに備える準備もある程度はいるのかもしれない、とも感じました。
と申しましても今回の件は防ぎようのない事態でもあったのでしょうし、何とも言いようのない思いも致すところです。





                                      
                                       
                                      





昨日、大神からの言葉をうかがい、それを書かせて頂くには少し長すぎましたので今日へと回させて頂きました。
その昨日のものと、今日またおうかがいさせて頂いた言葉を合わせて書かせて頂きますね。



 〝  此度(こたび)の揺れ これは次の段階へ進めためのものでもある

    囚われを 解放していくのじゃ

    我らが 怒っておるのではない

    働きを致すべきときに そうしておる

    それだけのこと

    見誤るでない

    これより多くの(見た目的には)災害が起こるかもしれぬ

    それも ひとつの 通り越しである  〟
                                   




                                      



                                   


先に今日起きた土砂崩れのことを書かせて頂いておりましたが、この言葉を聴いたのは昨日の時点であり、その翌日にまさかこのような事が
起ころうとは考えも致しませんでした。
大神の言葉は時により非情にも感じられます。
何故、何もない人間を襲うような災害をもたらしたのか、それこそ人間である自分には計りかねる事柄です。
この時の言葉は一昨日の島根県西部の地震のことを思い浮かべながらうかがったものであり、それに対する答えのようにして頂戴したものと
考えております。
それであったとしても厳しい内容の大神の言葉、みくじでありますけれど、神という側からすればこのような事になるのかとも感じてしまいました。

その言葉と似たような内容ですけれど、今朝もまた大神からの言葉をうかがいましたので揚げさせて頂きます。




 〝 此度の揺れ 大丈夫である

   数多のもの(神々?)が 守りし大地 

   我等が 此処へおる

   ただし そなたらは 肉体を持ちて此処へ居りし者ら

   この地表にて暮らしておるが この大地 地球とて生きておる

   活動しておるが故に たまには動こう

   地球からすれば ほんの一瞬であっても
  
   そなたらからすれば その者の一生を変えるようなことにも繋がる

   そこで その者がどのように捉えるかだ

   その想いを 次へと繋げて行き その後を如何に過ごすか 

   またこれまでのあり方を どのように考えているのかを

   模索する指針とするのだ

   その者の一生に課せられた時間は ある意味短い

   しかし その一生の中で どのように過ごしていくかが大事だ

   此度の揺れに対して 我等が怒っていると捉える者もおる

   それも一つの見方かも知れぬ

   しかし それは物事の受け取りよう

   その者の考え方の違いからも 異なってくる

   責めるように考えるのか 共に前を向いて行こうと考えるのか

   その者の捉え方にもよる (ポジティブか ネガティブか)

   この国土は 我等が守りし処 在りし処

   大丈夫である   〟

   

   
                                                
 
     


前日の言葉に続いてかなり厳しい内容のようにも感じます。
人によっては何もそこまで言われなくてもいいじゃないか、と思う方もおられるでしょう。
自分自身が大神の言葉を頭の中で翻訳するように受け取り、自分で感じている時、聴いている時には何をどのように言われているのか解釈を
加えずにそのまま受け取ります。
その後、直ぐにノートにまだ頭の中へその言葉があるうち、忘れないうちに書き写します。
書いた言葉を後で読み返すと、この度もそうですけれど結構シビアな内容を言われているのに気づく事も少なくありません。
但し我々人間を責めておる、怒っておるということではもちろんなく、自然の理(ことわり)、その中での自分達人間の対処の仕方を学びなさい
と言われているように感じられました。
とは言え話す側、つまり神の側からすれば至極当然の話であったとしても自分達人間側からすれば、それが本当のことであったにせよ相当にダメ
ージを受けてしまうほどの事なのではと感じます。
しかし自分達人間が大きな痛手を受けても尚、そこから立ち上がり前を向いて進んで行ってほしい、そのように考えておられるのだと思います。
神、また自分達が住まう地球に比べれば我々は遥かに短い時間で人生というひとときを過ごしております。
けれどその限られた時間の人生であるからこそ、次へのステップを踏み出せるよう歩んで参れ、そのように言われておるかと思います。
なかなかに難しい課題です。
でも、だからこそ神が守っておると言われるこの処で前進していくことが大事なのだと感じております。

大神だからこその言葉であり、怒りをもって大地を揺るがしたということでは全く無いということ、それも同時に感じました。
むしろ守って下さっておるという感覚がとても伝わってきておりました。
大きく、大らか、そうして安心感。
それらを感じた言葉でもありました。


そんな大神の言葉に続いて、また別の存在からの言葉を聴いておりました。


 “ 今こそ(被災の)彼の地へ 光の柱を立てて下さい

   白く輝く光の柱です

   被害にあわれた方々は (見た目には)大変です

   けれどそのことにより 多くの気づきももたらされます

   安心して下さい    ”
      




                                       
                                       





                                         



この言葉自体、どちらの存在のものであるかは今回わかりませんでした。
ただしとても柔らかい女性性を感じました。
何ともいえぬ穏やかな波動を持った存在、そのように思えたのは確かです。
易しい言葉で話しておられますが、内容としてはその逆に案外と厳しさも伴っておるように思えました。
光の柱を立てよ、これは被災地に向け自分の想念の中で白い光をイメージし、その光を彼の地へ送りなさいということかと思います。
これは以前書いていたこともありますけれど、自分がそのようにイメージすると白い光はいつの間にか白い龍、白龍となり身体を煌かせながら
彼の地へ舞い降りるようにして光を撒き散らすかのごとくに辺り一帯を白い光で満たして行くのでした。
そのようなことを自分達一人ひとりがしてみなさい、ということを言われておるように感じました。
また被害に会われた方々は大変そうに見えるけれどもそのことにより多くの気づきもある、とも言われておりますけれど、しかしこれは上から
見た視点からの言葉であり、当事者側からすれば辛く悲しい現実でしかありません。
そこの部分を越えて尚学び取れといわれておるようですが、そのような段階に至るまでにはまだかなりの時間を要すものと思われます。
そう考えると今回のこの存在の言葉はこの前半部分をのみ今現在は考えて、そのことにのみ集中すべきかもしれない、そうとも感じました。
しかし、それすら自分の考えです。
この存在の言葉をどのように解釈するかは、それこそ受け取られるご自身次第、そのように感じます。

                                   


白く尾を引く飛行機雲の写真、これ実は昨日のものです;。
載せるのを忘れておりまして;結構綺麗に撮れておりましたので一日遅れですけれど、揚げさせて頂きました。
白い龍、には見えませんけれどね;。(笑)




             
                                        



昨日に引き続き、大神の言葉を揚げさせて頂きました。
何がしかを感じ取って頂けましたら、幸いに存じます。



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