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映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

湖の見知らぬ男(2013年)

2025-03-30 | 【み】

作品情報⇒https://eiga.com/movie/80277/


以下、アラン・ギロディ特集公式HPからあらすじのコピペです。

=====ここから。

 夏、美しくブルーに輝く湖。ここは男性同士が出会うためのクルージングスポットになっている。

 ヴァカンス中に訪れた若い青年フランクは魅力的なミシェルと出会い恋に落ちる。ある夕方、フランクは湖で喧嘩する2人を目撃する。

 その数日後、ミシェルの恋人だった男性が溺死体で発見された。捜査の手が入った男たちの楽園は一転して不穏な空気が立ち込める。情熱が恐怖を上回る瞬間、自らの欲望に身を任せてゆく——

=====ここまで。

 イメージフォーラムでの<特集上映>アラン・ギロディ特集にて鑑賞。今回初めての劇場一般公開。


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 この特集の告知を見てから、ちょっと興味があったので、ほぼ予備知識なく見に行ったのでありました。

 私、あんましゲイ映画は得意じゃなく、本作は、無修正な上にかなりハードなシーンも多くて、本来なら私の苦手なジャンルのはずなのに、何ということでしょう! ……スゴい映画を見てしまった、、、という感じであります。


◆モザイク無し、フリー○ンのオンパレードで困惑、、、。

 舞台は、フランスのとある湖畔で、いわゆるハッテンバという所だろう。ハッテンバという単語は耳にはすれども、実際どういう場所なのかは分からなかった。本作を見て、こういうもんなのか、、、と勉強(?)になった。

 もう、いきなり男の全裸がモザイク無しでこれでもかとスクリーン上に溢れかえり、正直、目のやり場に困るシーン多々。演技を超えていると思われるセックスシーンもあり、すんません、半目or薄目で、ところどころは目を閉じておりました(正視に耐えない)。男女のセックスシーンもあんまし見たいものじゃないけど、男同士のハードプレイは、申し訳ないけど見たくない。ここまでこんなシーンが多い作品とは思っていなかった、、、ごーん。

 けれども、中盤からサスペンス度がググッと上がり、さらには終盤にかけて、それらのシーンが(量の多寡はともかく)本作ではある程度必要だったのだな、、、と納得させられる展開に。見終わってみれば、実に面白い、満足度の高い作品となったのだった。

 ストーリーはシンプル。ハッテンバ湖畔に舞台は固定されていて、単調になりそうなところを、ユーモアあふれるセリフや、欲望を満たそうとする男たちの本能むき出しな行動、理性と欲望のせめぎ合い等々が見事に調和して、過激シーンだけでなく、見る者を退屈させない。

 過激シーンが必要だったのだなと感じたのは、終盤でフランクがとった行動にある。あのような状況で、フランクがミシェルとの情事を続けたことに説得力が増すからだ。もし、通り一遍の“匂わせ”シーンで誤魔化していたら、やはり、フランクの行動に、見ている者たちは疑問を抱くし、ストレスが溜まると思う。でも、むき出しの欲望の交わるシーンがあったからこそ、嗚呼、、、と見る者は腑に落ちる。……というか、私はそう感じた、ということだけど。


◆“ゲイ”を切り札にしない。

 このブログでも時々書いているけど、ゲイの恋愛モノを見るとき、それが異性愛者であったらメチャメチャ陳腐な話になるような映画(やドラマや小説)ってのは、私は好きではない。ゲイであることの葛藤だけにフォーカスされたゲイの恋愛モノは多いが、ゲイじゃなくても、そもそも恋愛には葛藤は付き物なのであって、ゲイでなければ葛藤がないかのようなストーリーは、安易にゲイをネタにしているだけと感じるからだ。

 そういう意味では、本作は、登場人物たちがゲイであることはあまり重要ではない。女性は一人も出て来ないが、それも問題ではない。

 パンフの監督のインタビューを読むと、監督は「愛」と言っているが、これはただの愛というよりは、「性愛」だろう。愛とはセックスが枯れてからも残る相手を尊重する深い愛情だと思うので。性愛に支配されているとき、人間は理性が吹っ飛ぶものだし、本作はまさにそれを描いている。

 フランクとミシェルのキャラの違いも、男女のラブストーリーによく見られるもの。常に一緒にいてベタベタしたいフランクと、ドライなミシェル。人が溺死した湖で泳ぐことにゼンゼン抵抗がないと言い放つミシェル。恋人が死んで悲しくないの?と聞くフランクに「悲しくはない」とサラッと答えるミシェル。その距離は縮まらないけど、お互い肉体的な欲望はぶつけ合う。

 やはり、恋愛を描くということは、そういうことだろうなと、改めて思う。同性同士であろうが異性同士であろうが、恋愛の持つ物語性に違いはない。ゲイであることは、それだけをフォーカスする要素ではない。

 本作でキーマンとなっているのは、しかし、ミシェルではなく、アンリという中年男。彼は小太りで見た目もイケオジとは言い難いのだが、何とも言えない愛嬌のあるオッサン。ハッテンバに来ても、服も脱がず、泳ぎもせず、ただただゲイたちの戯れや湖畔の自然を眺めているだけ。でも、フランクとの会話は、劇場でも笑いが起きる様なユニークさがあり、フランク自身、アンリを恋の相手とは認識しないまでも、良い友人候補とは思っているふうである。

 男しか出て来ないゲイ映画だけど、相手が同性か異性かが違うだけで、人間の多面性や矛盾を真っ向から描いた恋愛サスペンスとして、素晴らしいシナリオだと感じた次第。


◆その他もろもろ

 本作を面白くしたのは、その秀逸なシナリオだけではなく、俳優陣たちの演技にもあるのは言うまでもない。みなさん、かなり大変だったのでは、、、。

 主演のピエール・ドゥラドンシャン、誰かに似ている気がするが、、、誰だろう?? なかなかキレイで、ゲイのラブシーンも、彼ならば画になる。「私はモーリーン・カーニー 正義を殺すのは誰?」にも出ていたのか、、、。

 ミシェルを演じたクリストフ・パウは、トルコ系(?)なルックスでちょっとワイルド。優男風のフランクが惹かれるのも、何だか分かる気がしてしまう。このミシェルが終盤にかけて見せる豹変ぶりがなかなかに怖ろしい。

 日が変わるのを、駐車場のシーンで分かる様に描いているのが面白い。溺死事件が起きて以降は、溺死した男の赤い車が何日か止まったままになっていて、ある日、その車がなくなって、死体が上がったことが分かるようになっている、、、とか。日によって、止まっている車の数が多かったり少なかったり。ある日は、フランクの車以外見当たらなかったり。

 また、湖畔ハッテンバの、昼間のあけっぴろげな明るさと、夜間の漆黒の闇の対比が良い。同じ場所なのに、これほどの明暗の落差、陰影の濃さは、サスペンスの演出として抜群だと感じた。 

 ラスト、あの終わり方は賛否ありそうだが、私はかなり好きである。あの後、フランクはどうなるのだろう、、、と考えてしまう。私は割と最悪な展開を想像してしまうのだが、、、。

 

 

 

 

 

 

「裸になってもイイ?」「裸は禁止されているんじゃ?」「どこでも禁止だよ(とパンツを脱ぐ)」

……ハハハ。

 

 

 

 

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ミセス・ハリス、パリへ行く(2022年)

2022-12-24 | 【み】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv78089/


以下、Yahoo!映画よりあらすじのコピペです。

=====ここから。
 
 1950年代のイギリス・ロンドン。戦争で夫を失い家政婦として働くミセス・ハリス(レスリー・マンヴィル)は、ある日勤め先でクリスチャン・ディオールのドレスに出会う。その美しさに心を奪われた彼女は、ディオールのドレスを買うことを決意する。

 必死にお金をためてフランス・パリへ向かい、ディオール本店を訪れるも支配人のマダム・コルベール(イザベル・ユペール)に冷たくあしらわれるハリスだったが、夢を諦めない彼女の姿は出会った人々の心を動かしていく。

=====ここまで。

 
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 コロナは第8波だそうで、、、。いつまで続くのか知りませんが、先月末に30人弱の職場で一気に9人も感染者が発生し、こりゃ自分も時間の問題だな、、、と思っていたら、案の定、12月6日に感染判明と相成りました。

 納得いかん、、、あれだけ気を付けていたのに。というか、もうほぼ100%職場でクラスターだったとしか思えないけど、まあ、感染するときはしちゃうんですね。でも、正直なところ、いまだに感染した実感はないんです、、、。

 というのも、最初から最後までほぼ無症状だったのです。症状といえば、感染判明前日から鼻タレだった(でも鼻炎持ちなので年中鼻タレ)くらい。ただ、職場がそんな状況だったのでちょっと心配になり、言われてみれば倦怠感があるような気がしたので、今まで2回しか行ったことのない近所の内科に電話して状況を話したら「ちょうど今部屋(レントゲン室をコロナ診察専用部屋にしてあった)が空いているから、来てください」と言われ、診察してもらったのだけど異常はなく「鼻炎だからね、あなた。でもせっかくだからPCR検査しておこう。抗原検査じゃ分からんから」と先生がおっしゃる。

 世間じゃ、熱が出てもPCR検査に辿り着けずに困っている人が多いというのに、熱もなければ咳もない(喉も痛くない)し頭痛もない状況で、いきなりのPCR検査。ハッキリ言って、検査を受ける時点で覚悟しました。先生も「その状況なら怪しい」と言うし。

 そんなわけで、1週間、外出禁止となったのだけど、体調はゼンゼン普通。検査受けていなければ、間違いなく普通に出勤していたことでしょう。で、知らずにウイルスを撒き散らしていたのでしょう。……怖ろしい。感染自体は、まあまあショックだったけど、知らずに出歩かなくて良かったとホッともしました。

 結局、処方してもらった薬もほとんど飲むことなく、でも医者に「安静にしていろ」と言われたのだからと、連日、平日の真昼間から何時間も罪悪感なく惰眠を貪りました。こんなに寝たのは、もしかすると20代の頃以来か、、、というくらいに、寝倒しました。睡眠貯金ができないのが惜しいくらい。いつ発熱するかと、朝昼晩と熱を測っていたけど、結局36度4分を上回ることなく外出禁止期間が終わりました、、、ごーん。

 まあ、知らずにウイルス媒介者にならずに済んで良かったと思いますが、ワクチン接種後の副反応の方がよっぽどしんどかったのは何だったんだ??と思ったり。後遺症も、今のところ、何もない、、、。ワクチンのおかげで何事もなかったのかも知れませんけど。でも、ワクチンの影響なんて、まだ誰も分からないしね、、、。しかも、再感染の可能性もあるらしいし、インフルも流行って来たそうだし、W杯後のカタールでは新しいMARSウイルスが蔓延し出したとかいう話も聞くし、、、もう何が何だか。

 外出禁止期間中に、舞台のチケットを取っていたので、行けなくなって哀しかったです。チケットは社長(私より若い女性)に譲りました(喜んでもらえたので良かったけど)。あー、でも見たかったのに、悔ぢぃ、、、。

 ……というわけで、前振りが長くなりすぎましたが、ようやく映画の感想です。


◆戦争の影が残る時代、、、

 時代設定から、まだ戦争の後遺症があちこちに見られるものの、こういう安心して見ていられる映画も良いものだな~、としみじみ思える逸品だった。

 ミセス・ハリスがディオールのドレスに一目で心奪われるシーンが、すごくチャーミングで。ドレスがまたすごく素敵。そりゃ、ハリスさんがああなるのも分かるわ~、、、と。

 でも、ハリスさんが普段着ている仕事服もなかなか可愛いのですよ。多分、リバティだと思うけど、可愛い花柄のワンピに、また別の花柄のエプロン(?)が実にマッチしていて、ハリスさん、センスええやん!!と思いました。あのエプロンみたいの、欲しいわ~。あと、髪をまとめていたターバンみたいのもすごく似合っていて、可愛らしかった。

 ドレスに一目ぼれ → ディオールのメゾンへ乗り込み! っていう思考回路はメチャクチャ飛躍があるけど、そのバイタリティが見ていて微笑ましい。

 本作は、終わってみれば可愛いおば様の夢がかなうおとぎ話だけれど、シナリオ的にはちゃんと山あり谷ありが織り込まれて作られており、一直線に夢がかなうわけじゃないところも好印象。

 悪い人は出て来ない、、、けど、それはまあ、ハリスさんがああいう人だから、そういう人たちを呼び込まないというのもあるのだろうな、、、という気がする。

 ランベール・ウィルソン演ずるシャサーニュ侯爵も、根っからのお育ちの良い紳士で、ミセス・ハリスに「あなたが誰かに似ていると思っていたけど、分かりました。私が子どもの頃通っていたイギリスの学校の寮でお掃除していたモップおばさんです」(セリフ正確じゃありません)とか無邪気に言っちゃうところか、あちゃ~~~、、って感じだった。悪い人じゃないけど、育ちの良い苦労知らずも、あそこまで行くとちょっとね、、、。

 メゾンの人たちがどうしてあそこまでハリスさんに協力的なのか、、、と??となるけど、彼女が現金払いだからという理由も一応用意されていた。

 高級メゾンと言えども、そこで働くお針子さんたちは、ハリスさんと同じ「労働者」なのだよね。だから、ハリスさんに共感した、、、というのも、話として上手いな~と。

 原作はポール・ギャリコの小説だとか。Amazonで見たら、ハリスおばさんシリーズがあるみたい、、、。読んでみようかな。


◆ユペールさま~!

 ミセス・ハリスを演じたレスリー・マンヴィルも可愛らしくて素敵だったのだけど、私が一番ツボったのは、何といっても、一人だけイケずだったマダム・コルベールを演じたイザベル・ユペール。

 もう、登場したシーンから吹き出しそうになってしまった。ホントに、彼女は上手いなぁ、、と感動。シレっと、淡々とした役もハマるけど、こういう、ちょっと意地悪だけど、話の分かる面白い人も実にハマる。というか、上手い。

 イギリスとフランスの大女優が共演という、実に贅沢なキャスティングですね、、、。おまけに、ランベール・ウィルソン。やはり彼はカッコイイ。確かに年取ったけど、年取ってあのカッコ良さは、、、少なくとも日本の俳優じゃ思い浮かばない。

 メゾンの会計アンドレを演じていたリュカ・ブラボーくんは、ちょっと、ヒュー・グラントに似ているなぁと思いながら見ていました。フランス人ぽくないというか。アンドレと恋仲になるメゾンのモデル・ナターシャを演じたアルバ・バチスタが可愛かった。

 あとは、何といってもディオールが全面協力したという、衣装の数々の素敵なこと、、、。あのドレスの数々を見るだけでも楽しい。パンフを買ったら、そのドレスの一つ一つが解説されていて、見入ってしまった。ミセス・ハリスが気に入った、2つのドレスは、本作のために特別に作られたものだとか。

 でも、やはりハリスさんにパリ行きを決断させたあの美しいドレスが、私は一番素敵だと思ったなぁ。ディオールのビンテージドレスだそう。実物を見てみたいなぁ。……と思っていたら、何と! 「クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ」展が東京都美術館で開催されるとのこと!! これは行かねば!!!

 

 

 

 

 

 

 


ミセス・ハリスの半地下の自宅もステキだった、、、。

 

 

 

 

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見えない恐怖(1971年)

2022-11-10 | 【み】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv12281/


以下、TSUTAYAの作品紹介ページよりあらすじのコピペです。

=====ここから。
 
 イギリス、バークシャー。盲目の女性サラはある日、叔父一家のもとへ帰ってきた。

 そして翌朝、彼女は久々に厩舎を管理している恋人へ会いに行く。再会を喜び、楽しいひとときを過ごすサラ。こうして彼女は夕方に帰宅したが一家は不在で、先に寝入ってしまう。

 しかし、サラは次の日も外出先から帰ってくると、人の気配がないことに気付く。恐怖に駆られた彼女が家中を回ると、次々と死体に触れ、叔父たちが惨殺されていたことが判明。

 ショックとパニックに陥ったサラは、しばらくすると何者かが家に侵入してくるのを感じ取るのだが…。 

=====ここまで。

 
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 Twitterで時々映画の情報が流れてくるのだけれど、本作もその一つ。ちょっと面白そうかな、、、と思って検索したらTSUTAYAで借りられるので借りて見ました。

~~以下、ネタバレバレです~~


◆ミア・ファローの“見えない”演技

 『ローズマリーの赤ちゃん』(1968)の3年後になる本作。ミア・ファローが“追い詰められヒロイン”を再び演じているが、彼女の表情は、こういうサスペンス映画にハマるなぁ、、、と見ながら終始感心していた。決してセクシーとは言えないのだが、なんかこう、、、庇護欲を搔き立てられるというか。

 今回のヒロイン・サラは盲目という設定で、見えない様をミア・ファローが上手く演じている。見えない設定の役でも“それ見えてるやん、、、”という演技をしてしまう俳優たちは多いが、ミア・ファローはかなり上手い。見える人が見えない人を演じるというのは、実は結構怖い(ぶつかるのが分かっているのに見えない設定だからずんずん歩かなきゃいけないとか、、、)のではないかと思うのだが、そういう点で、彼女は不自然さがほぼ感じられなかったのが凄い。

 だから、丸々一晩、3つの死体と一緒に過ごしてしまった後に、事実を知ったときのサラの驚愕のシーンは、画的には全然グロくないのだが、かなり怖い。ふと手で触れてしまった叔父さんの死体、、、従妹の死体、、、そら怖ろしい。

 本作では、ほとんどグロい映像もシーンもなく、映像の妙で見ているものをドキドキ・ハラハラさせることに成功している。

 冒頭から、犯人の足元だけ映るんだが、それが特徴的で、星のマークの付いたブーツを履いている。このブーツが映ると、ヤツが現れた、というわけだ。しかも、このブーツは、冒頭、ポルノ映画とホラー映画の2本立てを見た劇場から出てくるのだ。なんか、サイコ野郎なのでは、、、?と観客に思わせる仕掛け。

 サラが叔父一家が殺されていることに気付くシーンも、気付く瞬間は映らないのよね。気付いてバスルームからサラが血相を変えて飛び出てくる様を見せて、サラがようやく気付いたことを観客に分からせる。

 こういう、間接的な表現の仕方は割と好きだ。見ている者にジワジワと恐怖を感じさせ、ゾクゾクさせてくれる。


◆オチは普通

 で、犯人は誰か、、、ってのがオチなのは、割と普通な作りである。そこまで観客を引っ張る。最近のサスペンス映画だと、犯人が誰かは見ている側に考えさせるor想像に任せる、みたいなのもあるけど、本作ではキッチリ犯人が分かるようになっている。

 正直言って、なーんだ、、、という感じで、意外性はなく、オチにインパクトはほぼない。惹句にありがちな“衝撃の結末!”などではゼンゼンない。ないけど、観客を裏切ろうとして作っている映画ではないので、これはこれでいいのだ。観客を欺くことばかり考えている映画は見ていて嫌な気持ちになるので、そういう意味では本作は真っ当なサスペンス映画であります。

 ただまあ、動機も不明、ただの行き当たりばったり、、、ってのは、別に犯人に意外性を期待していないにしてもちょっと食い足りない感じはしたかな。ふーん、、、で終わってしまうという、、、。

 それまでの、ミア・ファローの追い詰められ感が凄いので、そっちを楽しむ映画でしょうな、これは。なので、サスペンスというよりは、スリラー系ですかね。


◆リチャード・フライシャー

 冒頭のポルノ&ホラー映画館から星マークブーツが出てくるとか、ジプシー(ロマ?)の男性が犯人と間違われるとか、殺されちゃった叔父さんもまあまあ差別主義者っぽかったりとか、ってのはありがちで差別的ではあるよね。ネットの感想で、“貧乏でホラー映画好きだと犯罪者扱いされる”と書いている人がいて、言い得て妙であります。

 印象的なのがラストシーン。まあ、見てのお楽しみなのだが、主人公が盲目であることを考えると、これはちょっと監督の悪意を感じるのだが、これって私の見方がひねくれすぎなんだろうか。

 監督は、リチャード・フライシャー。『ミクロの決死圏』(1966)『マンディンゴ』(1975)といった秀作を撮っているお方だが、こういうアバン・ギャルドを感じさせるクリエイターは尊敬するわ。彼は多作なので、未見のものがたくさんあるから、これからもぼちぼち見ていきたい。

 あと、どーでも良いのだけど、サラの恋人役の俳優さん、ノーマン・アシュレイ氏という方のようだが、終始イイ人で意外性なしなところが逆に意外という気もするが、顔がDAIGO(メンタリストじゃなくて竹下登の孫の方ね)に時々見えた。というか、かなり似ており、ところどころちょっと笑ってしまった。DAIGOって、よく知らないけど、顔はよく見ると割とキレイ系だよね。竹下さんの孫にしては長身だし。

 

 

 

 

 

 

 

 

泥んこになって逃げまどうミア・ファロー、、、。

 

 

 

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見知らぬ乗客(1951年)

2022-07-17 | 【み】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv8692/


以下、wikiよりあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。
 
 アマチュアのテニス選手ガイ・ヘインズ(ファーリー・グレンジャー)は、浮気を繰り返す妻ミリアム(ケイシー・ロジャース)と離婚したがっていた。そうすれば上院議員の娘であるアンと再婚できる。

 ある日、ガイは列車の中でブルーノ(ロバート・ウォーカー)という男性に出会う。ブルーノはガイがミリアムと別れたがっていることをなぜか知っており、彼の父親を殺してくれるなら自分がミリアムを殺そうと交換殺人を持ちかける。そうすればお互いに動機がないので、捕まる心配もないという訳だ。ガイはブルーノが冗談を言っていると思い、取り合わなかった。

 しかし、ブルーノは勝手にミリアムを殺してしまう。

=====ここまで。

 パトリシア・ハイスミスの同名小説を映画化。レイモンド・チャンドラー脚色、ヒッチコック監督。

 
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 ヒッチ作品は当たり外れがあるし、これまでもあまり積極的には見ていないけど、本作は、大分前にある本で紹介されていたのを読んで、ちょっと気になっておりました。けど、何となく見ないまま時間が経っていて、少し前にBSでオンエアされる際に録画してようやく見た次第。


◆一枚の絵が物語る狂気

 何で本作が気になっていたかというと、紹介文の中で「母と息子の関係が異常」みたいなことが書いてあったから。親子モノはついアンテナが反応してしまう。

 で、この度鑑賞してみて、なるほど、、、と思った次第。

 ブルーノは、もう登場シーンからかなりヤバい人だと分かるのだが、もっとヤバい人がいて、それが彼の母親なんである。母と息子の関係が異常、というより、母親自身がもう壊れちゃっている人に見えた。具体的に彼女が壊れている描写があるわけではないし、もしかすると本作を見た人の多くは、彼女が壊れているとまでは認識しないかも知れない。けれど、あるシーンで私はギョッとなって、壊れている認定をした。

 ブルーノのセラピストに自分の息子がいかにおかしいかを話していて、その段階でも相当ヤバい。が、これくらいのオカシさは映画やドラマならありがちなレベルでしょ、、、と思っていたら、その後が凄かったのだ。

 この母親は油絵を描くことが趣味なのだが、「ブルーノはわたしの描いた絵を見て笑うんです」(セリフ正確じゃありません)と言いいながら、彼女の描いた絵がバーンと映る。その絵が、もう狂気そのものなんである。笑える絵では全くないし、このワンカットで、母親もブルーノも、もう救いようがないレベルであることが分かってしまうという、、、。これは怖ろしい。

 あの絵を描いた人はスゴいとしか言いようがない。だれが描いたのか、、、普通に考えれば小道具さんか、スタッフに依頼された美術家とかだろう。モノクロなのでまだ衝撃は抑え目かも知れないけど、カラーで見たかったなぁ、と思った次第。どんなセリフや行動よりも、破壊力と説得力のある一枚の絵。

 絵がキーになる映画というと、「ドリアン・グレイの肖像」がパッと思い浮かぶのだが、ヘルムート・バーガー版の方が、ベン・バーンズ版のよりも醜くなったドリアン・グレイの肖像画の気持ち悪さが圧倒的だったなぁ。でもあの肖像画の気持ち悪さと、本作のあの絵の異様さはまたゼンゼン別次元。

 こんな母親と、権威主義の塊みたいな父親の間に生まれたブルーノは、ただただ運が悪い。ブルーノのあのサイコパスっぷりは先天的なものなのかどうか分からないけど、あんな環境に居たら、マトモな人間もおかしくなるのは必定だろう、


◆その他もろもろ

 ヤバいブルーノを演じたロバート・ウォーカーだが、彼の来歴をwikiで見ると、ブルーノとはまた違った意味でかなり悲惨である。本作が公開された直後に亡くなっているという。

 ロバート・ウォーカー自身の風貌も相まって、ブルーノのKYっぷりや粘着質なキャラを、実に上手く演じている。絶賛されるのも納得だ。亡くならなければ、きっともっと面白いキャラを演じてくれていたに違いない。

 ファーリー・グレンジャー演ずるガイは、勝手に交換殺人を実行されてしまって気の毒には違いないのだが、どうも色々と間抜けで、あんまし同情できない。生真面目といえばそうなんだが、ちょっとね、、、。テニスの試合を終わらせてから、ブルーノが証拠の工作をするのを止めに行こうとする展開は、ちょっと??である。あれで観客をハラハラさせようってことかもだけど、ムダに長くなっているだけな気がするなぁ。

 ファーリー・グレンジャーといえば、ヒッチ作品では『ロープ』(1948)にも出ているが、本作同様、巻き込まれ加害者。『ロープ』の方が追い詰められた感はあったかなぁ。まあ、『ロープ』は構成がそもそも破綻しているから、映画としては全然良いと思わないが。

 ガイが離婚してまで結婚したがっている相手の女性・アンが、私にはあんまし魅力的に見えなかったのも、ガイに同情できなかった理由の一つ。殺されちゃった奥さんも結構ヘンだけど、眼鏡を外せばかなりの美人な気が、、、。

 疑問なのは、アンの父親(上院議員)が、娘の不倫を全面的にバックアップしてあげているところ。だって、不倫だよ?? いくら、ガイが好青年(とは思わないが)だとしても、親がそんな交際を応援するものかね? まあ、よく分からん設定だった。

 しかも、この女性の妹ってのがいちいち口を挟んでくるのだが、演じているのはヒッチの娘さんだそうで。ハッキリ言って、彼女のために無理やり作った登場人物じゃないのか? いなくても(というかいない方が)いいもんね。

 ……まあ、あの絵のインパクトは強烈だけど、映画自体は普通に面白い、、、という感じでありました。ちなみに、DVDでは米国版と英国版の2種類があって、結末が違うらしいです。知らなかった。私が見たBS放映のはどっちだろう?? もう1個の結末ってどんなだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 


交換殺人ってすぐバレそう。

 

 

 

 

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ミナリ(2020年)

2021-04-10 | 【み】

作品情報⇒https://eiga.com/movie/94385/


以下、公式サイトよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 1980年代、農業で成功することを夢みる韓国系移民のジェイコブは、アメリカはアーカンソー州の高原に、家族と共に引っ越してきた。荒れた土地とボロボロのトレーラーハウスを見た妻のモニカは、いつまでも心は少年の夫の冒険に危険な匂いを感じるが、しっかり者の長女アンと好奇心旺盛な弟のデビッドは、新しい土地に希望を見つけていく。

 まもなく毒舌で破天荒な祖母も加わり、デビッドと一風変わった絆を結ぶ。

 だが、水が干上がり、作物は売れず、追い詰められた一家に、思いもしない事態が立ち上がる──。

=====ここまで。 

 『ノマドランド』と並び、アカデミー賞有力候補だそうです。


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 『ノマドランド』に続いて本作を見たんだけれど、どっちかというと、本作の方が見たかったのです。でも、仕事サボって1本だけ見るのももったいない、もう1本見ておこう、ってことで、本作の前に、ノマドを見たのでした。

 この作品を後に見て良かった、、、。こちらの方が鑑賞後感は良いです。


◆キリスト教が、、、

 移民の国アメリカの、韓国系移民のお話で、監督の生い立ちをベースにした物語とのこと。

 アメリカや韓国では大ヒットらしいけれど、これ、日本じゃあんまりウケないだろうなあ、と思う。何でかって、そりゃ、クリスチャン人口が少ないからです、日本は。本作は、最初こそ移民の苦労話みたいな様相なんだけれども、途中から、キリスト教色が濃くなっていて、ちょっとピンと来ない部分も多いのではないかと思うのだ。

 ただ、移民の家族の物語として見れば、まあ、想定内の展開が続くけれども面白いと思ったし、ちょっとなぁ、、、と白けたところもあるけど(後述)、一応強引にハッピーエンディングに持っていったのも良かったんじゃないかしらん。

 農業で一旗あげたい父ジェイコブ。ネットの感想等を読むと、この父親の評判がかなり悪いんだけど、ありがちな父親像だと思うわ。自分の理想に家族を巻き込む一家の主、ってやつね。でもって、その妻モニカも割と類型的というか、ジェイコブに反発ばかりしている妻、というキャラ設定。何でこの2人、夫婦になったの?と、そっちの方が不思議になるくらい。

 まあ、色々大変ではあるものの、ジェイコブの農業も、どうにか収穫に漕ぎ着ける。デビッドは心臓の病気を持っているけど、自然に回復しつつある。医者は「土地が合っているのかも。今の場所から引っ越さない方が良いんじゃない?」等と言う。モニカは相変わらずだが、まあ、どうにか家族の形は維持している。

 その代りに、おばあちゃんが脳梗塞になって、後遺症で右半身だか左半身だかが不自由になる。この辺になると、かなり宗教色を感じさせ、おばあちゃんはデビッドの病気を引き受けたんじゃないか、という感じに見える。

 というか、序盤でも、一家が引っ越してきたトレーラーハウスが、嵐が来て大雨に流されるかも、、、という事態になるんだが、これも十分“ノアの方舟”を思わせる。

 さらに、ポールという男性が一家の手伝いに来てくれて、ジェイコブの農作業を主に手伝ってくれるんだが、このポールが出てくるあたりから、モロにキリスト教を感じさせる描写になる。大体、このポールおじさん、朝鮮戦争の生き残りで、大きな十字架背負って炎天下を歩いているんだからね。近所でも変人扱いされているけど、これって、モロに迫害される信徒的な描写やん……、と思って見ていたら、後日、町山氏の「映画その他ムダ話」を聞いたら、やっぱりそういうことだったみたい。でもまあ、こんなヘンな人がいたんだよ、というエピソードだと思えばそれはそれで許容範囲な気もする。

 おばあちゃんは脳梗塞になる前は、文字の読めない無教養ぶりを恥じることもなく、花札を孫に教えて、下品な言葉もバンバン言って、、、という豪快なキャラだったんだが、病気後は、家族の負の要素を一身に引き受けたみたいな存在になる。

 ……という具合に、家族のキャラ設定は割と類型的だし(長女の存在感がなさ過ぎるが)、ストーリーも困難がありながらも何とか、、、みたいな起承転結のハッキリした展開で無難。キリスト教描写も、そこまでアレルギー反応を起こすものではなかった。
 
 ~~以下、結末に触れています。~~


◆ちょっと白けてしまったこと2つほど。

 ポールの存在にちょっと違和感があるものの、終盤までは結構面白く見ていたんだけど、いわゆる起承転結の“転”の辺りから、ちょっと引いてしまったのよねぇ。

 ジェイコブよりも、私は、どっちかというとモニカの方が嫌だなぁ、と感じていた。まあ、序盤の彼女の反応は当然とは思う。が、“転”に差し掛かるところの、ジェイコブに離婚を切り出す彼女の言動は、感じ悪かった。ジェイコブが苦労してどうにか収穫に漕ぎ着け、それを買ってくれる人が見つかり、生活のめどが立ちかけたところでの離婚話。

 ……けど、これも、強引なハッピーエンディングに持って行くための伏線だったんだよな、後から考えれば。

 離婚話で険悪になった一家4人は、とりあえずトレーラーハウスに帰って来るんだが、そこでジェイコブとモニカが見たのは、折角売れることが決まった農作物を収めた倉庫の火事。これまでの全てが燃えて行く、、、。ここで、夫婦は呆然とその燃える倉庫を見つめるのではなく、燃えさかる倉庫に入って行って、ついさっきまで農業に大反対していたモニカも必死になって、倉庫から少しでも農作物を運び出そうとする。しかし、火の勢いが強く、ほとんどは燃えてしまう。

 こうして、この火事によって夫婦は再びよりを戻す。直後のシーンでは、トレーラーハウスの中で、一家4人とおばあちゃんが川の字になって寝ている。

 私は、この倉庫が燃えるシーンを見て、『ギルバート・グレイプ』のラストシーンを思い出していた。『ギルバート~』では、敢えて家に火を着けたんだが、火事のシーンに説得力があったし、ある種のカタルシスがあったと思う。けれど、本作の火事のシーンは、どうもこう、、、ご都合主義的な感じを受けてしまった。バラバラになりそうな家族をまとめるために入れた一大事、それが、あの倉庫の火事、、、という風に、私には見えてしまったのよね。

 家族がまとまる、、、んなら、別に、ジェイコブの野菜が売れることになって良かったね、、、でいいじゃん、と思うのよ。だって、モニカはとにかく“この地で農業”がイヤだから、野菜が売れることになっても「離婚」を言っていたわけで、火事の後にコロッと“この地で農業”を受け入れるってヘンじゃない?

 でもまあ、町山氏の「映画その他ムダ話」を聞くと、人生には予期しないことが起きるもの、、、ということを描いている映画だそうだから、あの火事もそういうことなんでしょう、きっと。

 そのことが一番よく分かるのが、ジェイコブの変化を描いているシーン。地下水を探すときに、序盤ではダウジングで探そうとする近所のオジサンを小ばかにしていたジェイコブが、終盤では、何とダウジングで探すのだ。非科学的なことを拒絶していた彼も、いろんなことを経験して、世の中には人知を超えるものがあると悟った、、、、ということの表れなんだろうけど、なんかこれも、ちょっと白けてしまった。

 確かに、人知を超えるものがあるのに異論はないが、それがダウジングって、、、、。あんな水曜スペシャル(若い人はご存じないと思います、すみません)レベルのインチキにいきなり飛ぶって、それこそ、飛躍が大き過ぎやしませんかね? まあ、別にいいですけど。

 

 

 

 

 

 

 

あれこれケチをつけましたが、良い映画だと思います。

 

 

 

 


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ミッドサマー(2019年)

2021-02-12 | 【み】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv69146/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 不慮の事故で家族を亡くした大学生のダニーは、スウェーデンの奥地で開かれる“90年に一度の祝祭”に、民俗学を研究する恋人や友人たち5人で訪れる。

 そこは太陽が沈まない“白夜”の村で、優しい住人が陽気に歌い、美しい花が咲き乱れる楽園のような場所だった。

 しかし、しだいに不穏な空気が漂い始め、ダニーは想像を絶する悪夢に襲われる。

=====ここまで。

 監督は、『ヘレディタリー/継承』のアリ・アスター。キャッチコピーは、「前代未聞の“フェスティバル・スリラー”」


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 昨年の公開時には「明るいホラー映画」などと言われていたようで、評判も上々みたいだったけど、劇場に行って見る気にまではならなかったのでした。……ま、コロナもありましたが、『ヘレディタリー/継承』が尻すぼみでガッカリしたってのもあって、しかも、また似たような匂いが感じられ、これはもういいや、、、と思ったのでした。

 ……そうはいっても、DVD化されると、やっぱり気になって見てしまい、そしてまた、ガッカリしたのでした、、、、ごーん。

(本作がお好きな方は以下お読みにならないでください。悪意はないけど、悪口になっていますので、、、)


◆“作り物”であることの意味。

 怖い怖いと言われている本作。見終わっての率直な心の声は「……? 怖がれなかった私って鑑賞能力低すぎるのか? がーん、、、」であった。確かに、ちょっとギョッとなるシーンは複数あったけど、怖いわけじゃない。ギョッとなるシーンが突如差し挟まれるってのが『ヘレディタリー~』と同じ。

 この監督は、何か“顔”に特殊な思い入れがあるのだろうか。最初に“ギョッとなるシーン”では、『ヘレディタリー~』でもそうだったけど、人間の顔が潰れるんだよね(比喩じゃなくてまんま)。しかも、本作ではその瞬間がモロに映るし、潰れた後の顔も、少し後のシーンでモロに(しかもかなりアップで)映る。なかなかのグロさではあるけど、ここまでやっちゃうと却って逆効果というか、私はいささか鼻白んだ。他のシーンでも、顔を傷つけるものがかなりあって、監督の思い入れというよりは、コンプレックスなのか、、、と感じてしまうほどだった。

 で、“不可解さ”が通奏低音として流れる中でストーリーは進み、これまた『ヘレディタリー~』同様、残忍な宗教的儀式でクライマックスという構成。その間、あちこちで監督はいろんな“仕掛け”をしており、そういうのをどれだけ鑑賞者が気付いたり見付けたりするか、ってのも鑑賞ポイントの一つになっている。

 見終わった人しか見ちゃいけない「観た人限定 完全解析ページ」なるものが公式HPにはあって、それを読んだけど、全部とは言わないが、その大半は正直なところ「……だから何だよ?」であり、本作がお好きな方には大変申し訳ないけれど、ここまでくるとほとんど制作側の独善だよね、、、と思っちゃう。

 ……いや、まあ、何だかんだ最後まで見たんだから、それは言い過ぎか。こういう、凝りに凝った作り込んだ映画が好きな人もいるだろうから、否定する気はないけど、同じことを2作続けてやるのは、ちょっとね。不可解なシーンのあれこれを、あのシーンのアレはどうだとか何とか、それこそ“解析”するのも楽しいんだろうけど、私が映画に求めるのはソコじゃない。

 言っちゃ悪いが、これまでさんざんホラーやスリラーでネタにされてきた“閉ざされた共同体”で起きる祀りという名目の“連続殺人”を、もったいつけて描いているだけでしょ? てこと。ちょっと知的好奇心をくすぐる作りにしてある辺りが、2作目ともなると鼻につく。『哭声/コクソン』(2016)みたいに、手垢のついた不可解さ満載でも、それをはるかに凌駕する破壊的なパワーで見る者を圧倒してくれるのであれば、それはそれで見て良かったと思えるのだけど、、、。

 日本じゃ、リアルで、しかも25年以上も前にオウム事件が起きているわけで、今さらこんな作り物見せられてもね、、、って感じだった。強いて新鮮さを感じたことと言えば、こういうジャンルなのに終始画面が明るいってことくらい。白夜を舞台にしていることで、時間の感覚が狂うってのは面白い、、、かな。

~~以下、結末に触れています。~~

 
◆この監督って、、、

 主人公のダニーは、この共同体の新しい女王になり、一緒に来た恋人クリスチャンを生け贄に差し出しちゃうわけだが、その理由は明確に説明されていないけど、まあ、彼に邪険にされたり裏切られたりしたから、、、ってことだろう。

 でも、、、大学生くらいの男子なんてあんなもんじゃないの? と思うんですけど。彼女が自分に依存的で、しょっちゅう電話してくれば「ウザいなぁ」と友人と話すことだって、そりゃあるだろう。好みの女性がいれば、「あのコとヤリたい」くらい言うだろう。彼女に言わずに、仲間と旅行に行く計画だって、そりゃ立てるだろう。

 しかし、アリ・アスター監督からすると、これらはダニーにとっては致命的な“裏切り”になるらしい。しかも、監督のインタビューによると、本作の脚本を書いたきっかけは、監督自身が恋人に振られたことがきっかけだったとか。それも、かなり監督にとっては辛いお別れだった様で、、、。自身の投影がダニーだそうだが、この話を読んで、ますます私はこの監督のことが嫌いになった。自分を裏切った相手を、“焼き殺す”んだからね。しかも、それを見ながら、ラストでダニーは満足そうな笑顔を見せるのだ。ダニーはあっち側に行っちゃった、ってことで、そうやってダニーにも制裁を加えてはいるものの、あの終盤のクリスチャンの殺し方はヒドすぎる。

 まあ、創造の世界は何でもアリだと思うから、こういうことをやるのは良しとして、それを臆面もなく世界に向けて公表するっていうその性質が嫌い。ソコは黙ってろよ、と思う。

 大体、クリスチャンは、ダニーが家族を亡くして悲嘆に暮れているときは、ひたすら抱きしめて側にいてくれたわけだし、旅行(地獄行きだったけど)にも一緒に連れて行ってくれたし、旅行中もとかくダニーを気には掛けてくれていたし、裏切ったのも、この狂った共同体でクスリ飲まされて強引にセックスさせられた、、、という成り行きなんだし、あんな殺し方されるようなロクデナシではないし、ロクデナシだとしてもあんな殺された方はあり得ない。

 フィクション、妄想、、、、だから、目くじらを立てるようなことじゃない。そーですよ、そりゃ。でも、私は、仮に自分の元カレが自分と別れた直後にこんな映画を作ったら、人間性を疑うね。そして、別れを選んだ自分を誉めるでしょう。

 

 

 

 

 


3作目も同じだったら、、、いや、その可能性高そう。
 

 

 


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ミセス・ノイズィ(2019年)

2021-01-02 | 【み】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv69937/

 

以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 小説家であり、母親でもある主人公・吉岡真紀(36)。スランプ中の彼女の前に、ある日突如立ちはだかったのは、隣の住人・若田美和子(52)による、けたたましい騒音、そして嫌がらせの数々だった。それは日に日に激しくなり、真紀のストレスは溜まる一方。執筆は一向に進まず、おかげで家族ともギクシャクし、心の平穏を奪われていく。

 そんな日々が続く中、真紀は、美和子を小説のネタに書くことで反撃に出る。だがそれが予想外の事態を巻き起こしてしまう。

 2人のケンカは日増しに激しくなり、家族や世間を巻き込んでいき、やがてマスコミを騒がす大事件へと発展……。果たして、この不条理なバトルに決着はつくのかーー?!

=====ここまで。


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 2021年になりましたね。今年はどんな年になるのやら、、、。年明け早々、東京は緊急事態宣言発出がありそうな感じですが、また映画を劇場で見るのもしばらくお預けになるんですかね。

 本作は、昨年末に最後に劇場で見た映画なんだけれど、感想文を書くのが遅れて年をまたいでしまいました、、、。


◆実話の映画化ではありません。

 チラシを見て、地味な感じながらちょっと面白そうかな、と気になったんだけど、これ、原作があったんだね、、、。知らなかった。

 元ネタは大分前にメディアでも取り上げられていた(今は亡き塩爺の問題発言もあった)“引っ越しオバサン”と呼ばれる女性が、お隣に騒音で訴えられた一件。この話、私はよく知らないのだが、たまたま塩爺が問題発言した番組は見ていて、引っ越しオバサンよりも塩爺の方がかなりヤバいと思った記憶がある。

 あと、長州力の「コラコラ問答」(←ご興味ある方は検索してみてください)の動画を、引っ越しオバサンとの問答に編集してパロディー化した動画をたまたま何かの折に目にしたこともあって、この件はぼんやり記憶にあった。

 ……といっても、あくまで元ネタであり、実話の映画化ではないんだが、ネットを見ると、やっぱり“実話の映画化”と勘違いしている人もいるみたいだが、、、。元ネタのことはよく知らないので、そこはあまり興味がなく、予告編を見たときに、主人公の2人の女性がキョーレツだったので、一体どんな、、、? と思って、劇場まで行ったのだった。


◆私は正しい!!

 見る気がしない邦画が多い中で、低予算と思しき作りながらかなり頑張っていると感じた次第。

 小説家の女性・真紀の人物造形は類型的なんだけれども、シナリオは見る者の予想をちょっとずつ良い方に裏切ってくれる展開なので、最後までダレずに見ていられた。ただ、ラストがものすごく甘いので、台無しになった感は否めない。まあ、これは好みの問題かも知れないけれど。SNSでは、「泣けた」と書いている人が結構いらっしゃる様なので、、、。

 映画監督の森達也が、本作のことを「現代版『羅生門』だ」と言っているが、まあ、確かに同じ事象を別視点で描いている。あんな早朝から布団をバシバシ叩くオバサンには、そうするだけの事情があるんだ、ということを見せている。

 私が気になったのは、主人公の真紀が小説家のくせに、あまりにも想像力が乏しく、短絡的であるところ。決め付け、思い込みが激しすぎて、呆れてしまう。物書きなら、もう少し違うモノの見方をする訓練が出来ているはずなのに、……まあ、だから一発屋の売れない作家、というわけなんだろうが、それにしても、、、である。

 隣のオバサンが「私は間違っていない、間違っているのは世間の方」と自分に言い聞かせるシーンが何度があって、これは結構シビアなシーンだなぁと思った。これ、自分は大丈夫か??と自問させられる。本作のテーマはこのセリフに集約されていると言っても良く、こういう考え方が物事を拗らせる原因になっているのでは? という、制作者の問い掛けだろう。

 ネットやメディアのリンチについても描かれてはいるが、ありがちだし、他にもその手の映画はあるが、私が本作で一番心に残ったのは、上記のオバサンのセリフだ。


◆その他もろもろ

 本作は、低予算ながらヒットしているらしく、「カメ止め」を引き合いに出されているようだが、クオリティとしては本作の方が良いのでは。「カメ止め」みたいにアイディアだけの勝負ではなく、ちゃんと人物描写がされているもんね。

 ただまあ、正直言って、真紀とオバサンのバトルシーンなどは、再現ドラマみたいなテイスト。オバサン役の大高洋子さんも、真紀を演じた篠原ゆき子さんも、全体にちょっとオーバーアクションかな。こういう映画だから、あえてそういう演出にしたんだろうが、、、。驚いたのは子役の演技。あの年齢で既にかなりのキャリアを積んでいるらしい。

 笑ってしまったのが、編集者たちの描き方。真紀とオバサンのバトル動画を利用して“売らんかな”の若くてチャラそうな編集者と、真紀に「あなたの書くものは薄っぺらい、もっと本質を描かなきゃダメだ」的な能書きをたれるだけのイヤミなオッサン編集者の対比がね、、、。類型的過ぎ。でも、優秀な編集者ってあんまし画にならない気がするからなぁ。こういう、典型的ダメ編集者の方が面白いもんね。

 しかし、前述の通り、本作はラストが大甘なので、このイヤミな編集者じゃないけど、あのラストのせいで、本作全体の印象が、それこそ“薄っぺらい”ものになった気がするのは、ちょっと皮肉かも。

 ネットの感想を見ると、真紀の夫の評判があんまし良くないみたいだけど、私は、彼の言動は分かるわ~、と思ったクチ。あんな子どもっぽくて頭の悪い妻の言動を間近で見ていたら、ああいう態度になっても不思議じゃない。そもそも夫の言葉を聞こうともしない真紀に、どうせいっていうのか。私があの夫なら、この事案は、間違いなく離婚案件だね。離婚をチラつかせないだけでも、あの夫はまだ人情があると思うわ。むしろ、夫の育児参加を中途半端に描いていて、その辺もイマイチな感じを受けた要因になっている。

 頑張っているとは思うけれど、残念ながら、劇場で見た方が良い!!ってほどでもない。

 

 

 

 

 

 

 

隣人は選べない。

 

 



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蜜蜂と遠雷(2019年)

2019-10-19 | 【み】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv66490/

 

以下、上記サイトよりあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。

 3年に一度開催され、若手ピアニストの登竜門として注目される芳ヶ江国際ピアノコンクール。

 かつて天才少女と言われ、その将来を嘱望されるも、7年前、母親の死をきっかけに表舞台から消えていた栄伝亜夜(松岡茉優)は、再起をかけ、自分の音を探しに、コンクールに挑む。

 そしてそこで、3人のコンテスタントと出会う。岩手の楽器店で働くかたわら、夢を諦めず、“生活者の音楽”を掲げ、年齢制限ギリギリで最後のコンクールに挑むサラリーマン奏者、高島明石(松坂桃李)。幼少の頃、亜夜と共にピアノを学び、いまは名門ジュリアード音楽院に在学し、人気実力を兼ね備えた優勝大本命のマサル・カルロス・レヴィ・アナトール(森崎ウィン)。そして、今は亡き“ピアノの神様”の推薦状を持ち、突如として現れた謎の少年、風間塵(鈴鹿央士)

 国際コンクールの熾烈な戦いを通し、ライバルたちと互いに刺激し合う中で、亜夜は、かつての自分の音楽と向き合うことになる。果たして亜夜は、まだ音楽の神様に愛されているのか。そして、最後に勝つのは誰か?

=====ここまで。

 2017年に史上初の直木賞&本屋大賞をW受賞した恩田陸原作、同名小説を映画化。

 

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 原作も読んでいないし、見に行く予定もなかったのだけど、たまたまEテレの「ららら♪クラシック」を見たら、本作の特集をオンエアしていて、その中で、本作のオリジナル曲「春と修羅」を作曲した藤倉大氏のインタビューがあって(藤倉氏のことは名前くらいしか知らない)、それで興味を持った次第。ちょうど6ポイント鑑賞も溜まっていることだし、タダならいいか、、、と思って劇場へ。

 タダで見ておいて文句言うな、と言われそうだけど、感じたままを書きます、もちろん。

 

◆刈り込み跡が痛々しい、、、。

 まず、これは原作を読めば分かることなんだろうけど、本作を見る限りタイトルの『蜜蜂と遠雷』の意味がさっぱり分からん。遠雷に関しては、ほんの少し遠くに雷が鳴っているシーンがあるが、だから何だ?というレベル。蜜蜂に関しては、風間塵のお祖父さんだかが養蜂家かなんかで、、、というエピソードがセリフで出てくるだけなので、ますます謎。

 原作ありきの映画化なので、タイトルを変えられないんだろうけど、だったらもう少しタイトルを感じる描写があっても良くない? と、ちょこっと思った。

 ……とまぁ、それはともかく、これはかなり原作を大幅にカットしたんだろうなぁ、、、、ということがもの凄くよく分かる映画でありました。一番それを感じたのは、二次審査の後にすぐ本戦の話に飛んだから。そんな大きなコンクールで、予選が二次までしかないのはあり得ないし、原作では当然三次の描写があったに違いなく、ということは三次は本当はあったけど、ストーリーとしてはカットしたんだろうな、、、と。

 あとは、主要4人のエピソードがブツ切りで、絡ませ方が強引かな、と。亜夜とマサル、亜夜と塵、それぞれがコンクールで顔を合わせるシーンがあるけど、コンテスタントって誰が出るかなんて絶対把握しているはずなので、「あれ、いたの?」的な会い方はヘンだよね、かなり。多分、この辺は原作にはきちんと背景から微妙な関係性まできちんと描写があるに違いない、と思わせる。

 原作モノの場合、別に映画は映画で独立した作品なので、原作に忠実である必要はないのだけれど、「あー、苦労してカットしたね、、、」と観客に感じさせる、ってのは映画のシナリオとしてはイマイチだろう、とは思う。難しいのは分かるけど、映像化はムリだと言われていた小説に手を出した以上、もう少し何とかならなかったのかな、と。

 敢えてモノローグを入れなかったのは正解だと思うが、オープニングを始め度々出てくる雨の中を疾走する馬のスローモーションのイメージ映像は、アレはナニ??状態。これも原作にはそれを創造させる描写があるのだろう。しかし、本作内ではゼンッゼン話に絡んでいなくて、かなり違和感。スローモーションを多用するのはダサいと思っている者としては、ああいう意味不明なイメージ映像はちょっと見ていて萎える。

 ……などなど、原作を刈りまくったんだろうなという痕跡があちこちに感じられて、ちょっと音楽を堪能する気分になれなかった。

 

◆ピアノ曲「春と修羅」

 で、私が一番本作で興味があったのは、本作内での架空の課題曲「春と修羅」でありました。この映画のために藤倉氏が書き下ろしたというピアノ曲だそうで。

 「ららら♪クラシック」の番組内でも河村尚子さんが弾いていたんだけど、なかなかステキな曲だった。主要4人のために、それぞれカデンツァも書き下ろしたということだったので、それも聴きたかった。

 そのタイトルどおり宮沢賢治の詩から連想する曲ということになっている。いかんせん、私は音楽の感想を書くのが恐ろしく下手クソなので控えておくけれど、水の流れをイメージするような全体像の中に、4つのカデンツァが4人の音楽性の違いを際立たせるようになっている。私が一番いいなぁ、、、と思ったのは、明石版カデンツァ。音も明石の音が私は一番好きだな。ちなみに、明石のピアノを弾いているのは福間洸太朗氏。彼のライブ演奏を聴いたことはないけど、クリアで美しい音だった。

 多分、カデンツァを弾かせるコンクールってあんましないのではないかしらん。本作では、コンテスタント自身に作曲させるようになっていて、亜夜などは直前まで「全く白紙」などと言っていた。もちろん世界レベルのピアニストが即興で弾けるのは不思議でも何でもないことだし、コンクールでカデンツァを課題にするのって、なかなか面白いなぁ~と思って見ていた。

 「春と修羅」面白い曲だった。CDも出ているみたいだから、買っちゃおうかしらん、明石版を。

 ただ、本戦の演奏は皆さん熱演だったけど、明石は二次で落ちちゃったから、一番聴きたかった人の本戦が聴けなかった、、、、というわけ。残念。

 役者さんたちは皆、相当ピアノの演奏の訓練をしたのだろう。手の動きや指の運び方など、決して付け焼き刃的な印象はなく、皆さん素晴らしかった。本物のピアニストっぽく見えたよ。

 

◆天才と秀才

 松岡茉優は、『万引き家族』でも絶賛されていたが、本作でも、この亜夜という人物の感情表現は難しかっただろうなぁと思う(モノローグがないからね)。ただ、本戦の前に、亜夜がコンクールから逃げ出そうとする描写があるんだが、こういうのが私はもの凄くキライで、逃げ出したくなるほど追い詰められるのは分かるが、そこで葛藤して立ち向かうからこそ一流なんだろうが、、、と思っちゃうんだよね。

 コンクールのドキュメンタリーはいくつか見たことあるが、どれも本戦に進むような人たちは、もの凄いプレッシャーと自分との闘いに立ち向かっており、地獄に引きずり込まれそうな不安と、強烈なプライドのせめぎ合いなのだ。亜夜みたいな根性なしのヘタレでは上位入賞は難しいと思う。本戦の試合時間に遅れそうになるなんて展開いらんから、胃がキリキリするような神経戦の描写を入れて欲しかったな~。それでこそ、世界有数のコンクールの舞台裏ってもんでしょ。

 出色は、明石を演じた松坂桃李でしょう、やっぱり。二次で落ちたところの独白シーンは、彼の演技力の高さを発揮する、本作での白眉です。本戦シーンよりも、私はこちらの方が遙かに印象深かったし、泣けた。明石自身は淡々としていたのにね。彼は、本当にこれからが楽しみな素晴らしい俳優だと思う。

 森崎ウィンくんと鈴鹿央士くんは、正直、あんまし印象に残らなかった。塵が練習に使っている木で出来た音の出ない鍵盤だけど、あれで本当に世界に通用するピアニストになれるのか、、、??とものすごーーーく引きました。

 3人の天才と、1人の秀才(明石ね)の物語なんだけど、天才たちの苦しみって、こんなもんじゃないだろうな、というのが率直な感想。峰高ければ、それだけ谷が深いのが道理。秀才は秀才の悩みがあるけれど、天才とは根本的に違うのよ。それを明石が実感する浜辺のシーンなどは印象深いが、亜夜と明石の苦悩は伝わってきても、あとの2人のはゼンゼン分からない。天才と秀才の対比、ということであれば、亜夜と明石の2人に主要人物を絞った方が良かったのかも知れない、と感じた次第。

 そして、何気に存在感を発揮していたのは、ここでもやっぱり平田満氏でありました。さすが、、、。   

 

 

 

 

 

つい、“ハチミツと遠雷”と思っちゃうんだよね、、、。

 

 

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ミクロの決死圏(1966年)

2019-08-21 | 【み】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv8680/

 

 以下、wikiよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 物質をミクロ化する技術が研究されていたが、ミクロ化は1時間が限界でそれを越えると元に戻ってしまう。アメリカはこの限界を克服する技術を開発した東側の科学者を亡命させるが、敵側の襲撃を受け科学者は脳内出血を起こし意識不明となる。

 科学者の命を救うには、医療チームを乗せた潜航艇をミクロ化して体内に注入し、脳の内部から治療するしかない。はたして1時間のタイムリミット内で、チームは任務を遂行し体内から脱出できるのか。

=====ここまで。

 SF映画の名作。リメイク話もあるとか。

 

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 先日BSでオンエアしていたのを録画。懐かしい~。私が子供の頃はしょっちゅうTVでオンエアしていたが、何十年ぶりかで再見。さすがに今見ると色々と稚拙だが、人間がミクロレベルのサイズになって人間の体内に入って治療する、というアイデアは抜群に面白い。

 ……と思っていたが、我らが手塚治虫が生み出したネタのパクリ疑惑もあるらしく、、、。手塚のパクリといえば、今公開中の『ライオン・キング』も、、、と言われているよねぇ。まあ、真相は知らんけど、手塚治虫の描き残した膨大な作品数を思えば、その中に多くの元ネタがあると考えても全く不思議はない。

 ここからは、本作が非常に画期的で素晴らしい映画だという前提で、敢えてヤボな突っ込みを少々。

 私が一番、えぇ~、、、と思ったのは、この人類初であろう最先端プロジェクトの実施にもかかわらず、その実行部隊のメンバーは泥縄式に決められ、たった1時間しか潜入できる時間がないというのに一度もシミュレーションもなく、当然、メンバーにもその認識の共有はされず、、、とまあ、とにかくぶっつけ本番なところが、すげぇ、、、!!と感嘆させられた。

 たしかに、そんな事前準備の話は、あんまし面白くないかも知れないが、いくらなんでもねぇ、、、。ワンシーンでもいいから、ちょっと入念な準備をしたんだよ的な描写を入れた方が、それっぽくなったんじゃないのか? ……なーんてことを思ってしまった。

 でも、人間自身が、人間の体内では異物とみなされる、、、人間が人体の仕組みに攻撃されるという話のロジックが面白い。実際、メンバーの一人は人体内で白血球に殺されるんだもんね。

 そしてまた、ミクロ化したメンバーが体内から脱出してくるところもユニーク。実際、あんなこと可能なのか分からないけど(無理っぽい気がするが)、涙に混じって目から出て来た3人を、待ち受けていた男がルーペをかざして涙の中で泳ぐ3人の姿を確認しながら採取する、、、なんて面白すぎ。あんなしょぼいルーペであんなにクリアに見えるのかねぇ、、、?

 とまぁ、しょーもないツッコミを書いてしまったけれど、そんなことは基本的にはどーでも良いのです。

 ストーリー的には、いろいろトラブルが発生する割には、ほとんど全部すんなり切り抜けていたり、割と予想どおりに話が展開したりと、意外に山ナシ。ハラハラ・ドキドキもほんのちょっとで、全体的にはアッサリ系。

 とにかく、本作はただただ“アイデア勝ち”な作品なのだ。

 メンバーのうち、ただ一人死んでしまうマイケルズ博士を演じていたのは、あのドナルド・プレザンス。やっぱし、彼は悪役向きだよねぇ。「刑事コロンボ」での名演が印象的な彼だけれども、本作でもインパクトある存在だった。最後、白血球に飲み込まれちゃうのはちょっと可哀想だったけど。結局、彼がレーザーの機械も壊していた、ってことなのかな?

 本作こそ、リメイクされても良さそうなものだけど、制作から50年以上経って一度もされていないことがむしろ不思議。一応、リメイク企画はあるようだけれども、どれだけ実現性のあるものなのかもよく分からないし。今ならきっと、もっとリアルでスリリングで面白い映画にできそう。もちろん、それも脚本や監督次第だけど。せっかくの古典名作をリメイクするのなら、是非とも真面目にクオリティの高いものを作っていただきたい。それがオリジナルへの敬意というものでしょう。

 あと、この邦題は秀逸。原題『Fantastic Voyage』よりも、緊張感があって、見る者に期待を持たせてくれる。邦題の方が良い、稀なる作品だと思う。

 

 

 

 

 

潜入メンバーの中にグラマー女性一人ってのが時代だね。

 

 

 

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ミモザの島に消えた母(2015年)

2018-12-30 | 【み】



以下、公式サイトよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 西フランスの大西洋に浮かぶノワールムティエ島は、冬に咲くミモザの花から『ミモザの島』と呼ばれている。30年前、この島の海である若い女性が謎の死を遂げた。

 その女性の息子であるアントワンは、40歳になってもなお喪失感を抱き続けていた。母の死の真相を追い始めるが、父と祖母は口を閉ざしてしまう。家族が何か隠していると察したアントワンは、恋人のアンジェルや妹アガッタの協力を得て、ミモザの島に向かった。

 そこで彼は、母の別の顔や衝撃の事実を次々に知っていく……。
 
=====ここまで。
 
 あの『サラの鍵』の原作者タチアナ・ド・ロネのベストセラー小説を映画化。

 
☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜


 公開当時、劇場に行きたかったのだけれど、なんやかやで先延ばしにしていたら終映してしまったのでした、、、。まぁ、劇場で見ても後悔しないけど、DVDでも良かったかな、という感じ。(上記のあらすじではアントワン、アガッタとなっているけど、字幕ではアントワーヌ、アガットだった気がするので、アントワーヌ、アガットで表記します。)


◆家族の秘密を暴いたら、、、

 アントワーヌは離婚したばかりで、娘2人を引き取った妻に未練があるみたいだけど、彼にはどこか翳がある。あんまり笑顔がないしね。まぁ、離婚したばっかだから仕方がないとはいえ、、、。仕事もクビになるし、何だか人生上手く行かない様子。そして、それがどうやら、30年前の母親の死に原因がありそうだ、、、。

 という出だしで始まり、母親の死の真相を明らかにしていく物語である。

 アントワーヌが真相を探ろうとして働き掛けても、アガットは乗ってこない。むしろ、鬱陶しそう。アガットは恐らく、母親は本当にただの事故で亡くなったんだと信じているから、アントワーヌがそこまで拘ることが理解できないみたいだった。

 母親が亡くなったとき、アントワーヌが10歳、妹のアガット5歳。この5歳差は大きいよなぁ。10歳と言えば、小学5年生くらい? 5年生ともなれば、イロイロ覚えているから、あんまり記憶のない5歳だった妹と、母親の死に対する受け止め方が違うのはムリもない。

 しかし、少しずつアントワーヌは核心に迫っていき、その展開はムダがなく、かといって真相究明だけの単調なものでもなく、人物描写も丁寧で、なかなか素晴らしい脚本だと思う。

 以下、ネタバレです。

 母親の事故は、もちろん、事故に違いなかったのだが、そこに至る過程に非常に哀しい事実があった。

 アントワーヌの父親の家は名家らしく、非常に裕福で、今も父親は裕福な老後を送っている。そんな父親が若い頃に選んだ妻は、その名家には歓迎されない嫁だった。父親の母、つまりアントワーヌの祖母は、その嫁に辛く当たり(というか、ほとんど嫁いびり)、父親は仕事で不在がち、、、とくれば、若い母親が陥るのは、不倫である。

 ここまではありがちだが、その母親の不倫相手が、芸術家の女性だったのだ。今でこそ同性愛は市民権を得つつあるけれども、30年前では世間の反応は推して知るべし。アントワーヌの祖母に知られることとなり、「家の恥!」と罵られ、不倫相手と子どもと共に駆け落ちしようとしていた母親は、姑に力尽くで駆け落ちを阻止されそうになる。けれども、母親は意を決し、姑の力尽くの阻止を払いのけようと行動に出た結果、事故に遭った、、、という次第。

 まぁ、さほど驚くような“真相”ではないけれども、ここで鍵になっていたのは、真相究明に興味がなかった妹アガットの記憶である。アガットは、それまで完全に忘れていたあるシーンを、ふとしたことから思い出すのである。これがアントワーヌが真相に近付いた直接のきっかけにはなっていないが、観客には、そのシーンが見せられる。

 アントワーヌが真相を知り、それを30年間ひた隠しにしてきた父親と祖母に突き付け、迫るシーンが、本作の最大の見どころでしょう。クリスマスで、親戚一同が集まり、皆が楽しそうにプレゼントを開けている、その真っ最中に、アントワーヌが爆弾を落とすのだから。その場は一気に凍り付き、荒れ、修羅場と化す。もともと心臓が弱いと言っている祖母は、ショックのあまりか倒れてしまうが、アントワーヌはそんな祖母に対しても「都合が悪くなったら発作か!!」と、容赦ない。彼の怒りは、それくらい凄まじく、その場にいる人々にはその怒りが理解できないが、観客たちには分かる。このシーンは、見ていて辛い。

 蓋を開けてみれば、祖母が原因であった、、、ということだが、終始、クールだったアガットが、祖母の葬儀で父親に見せる怒りが、また哀しい。父親も、自分を正当化するのに必死なのが醜さを超えて哀れでしかない。

 どんなに幸せな嘘よりも、どんなに悲惨な内容であっても真実のみが人を救うことになる、、、ということは、当然ある。嘘も方便は、やはり、軽い嘘だろう。真相が重大であればあるほど、隠す(あるいは嘘をつく)ことは、より重大な結果を招きかねない。本作は、そういう、「致命的な嘘」による悲劇を描いているのだ。


◆その他もろもろ

 実は、本作の原作がタチアナ・ド・ロネの小説だとは、知らずに見て、見終わってからネットで検索して初めて知った次第。でも、知ってみて納得だった。『サラの鍵』と、非常に話の雰囲気が似ている。

 どちらの作品も、家族の秘密がテーマであり、その秘密が暴かれていく。秘密の内容は、どちらも悲惨だが、真相を知った後の、真相を知った人々は決して不幸ではないし、むしろ、ようやく心置きなく現実に向き合うことが出来るという意味では、幸せになっている。

 『サラの鍵』も原作本を買ったまま、積ん読状態なので、早く読まねば、、、。

 アントワーヌを演じていたのは、 ローラン・ラフィットで、終始“どこかで見た顔だなぁ、、、”と思っていたんだけど、見終わってからふと気付いた! そうだ、あの『エル ELLE』で、イザベル・ユペールを襲う男を演じていたあの人だ! と。かなり雰囲気が違うので分からなかったけど、私は『エル ELLE』の方が、何となく好きかなぁ。

 アガットは、メラニー・ロラン。彼女はすっかりフランスを代表する女優さんになりましたねぇ。相変わらず美しいです。

 実はラスボスだった祖母は、終盤まで、割と存在感が薄い。ただ、要所要所で出てくるので、終盤、真相が明かされてみれば、“ああ、なるほど、、、”という感じではある。演じていたのは、ビュル・オジエという方で、あの『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』に出ていたとのこと。え、、、ゼンゼン分からない。そもそも、作品自体、記憶があやしいし、、、。いつか再見してみよう。

 印象的だったのは、途中からアントワーヌと親密になる女性アンジェルを演じていたオドレイ・ダナ。何か強そうな女性という印象だけど、嫌みがなく美しい。アントワーヌの実の母親を演じていたアンヌ・スアレスも、出番がものすごく短いんだけど、なかなかインパクトがあってステキだったな。

 



 




タイトルが素敵だ、、、。




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皆殺しの天使(1962年)

2018-01-17 | 【み】



以下、イメージフォーラムHPよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 オペラ観劇後に晩餐会が催された邸宅。20人のブルジョアが宴を楽しんでいる。夜が更け、やがて明け方になっても、誰も帰ろうとしない。次の夜が来ても、誰もが帰らない。皆、帰る方法を忘れたか、その気力も失われたかのように客間を出ることができないのだ。

 召使いも去り、食料も水も底をつく。何日間にもわたる幽閉状態が続き、人々の道徳や倫理が崩壊していく。突如現れる羊や、歩き回る熊の姿。

 事態は異常な展開を見せていく・・・。

=====ここまで。

 不条理映画は大好きだけど、これは想像の斜め上を行く展開で、ボーゼン、、、。

   
☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜


 イメージフォーラムでのブニュエル特集にて。平日だったのに結構な人。先週いっぱいで終わりの予定が、「好評につき上映延長」なんだとか。スクリーンで見ることができる機会はそうそうないので、分かる気がする。


◆これはサバイバルの話よ、多分。

 冒頭から、同じシーンが繰り返されて、映写機のトラブルかと思ったよ、、、。まあ、もちろんトラブルなんかじゃない。上記にストーリーをコピペしたけど、見ているとストーリーと呼べるストーリーはないと言っても良い。

 本作は一般的には、“ブルジョワ批判”と言われていて、まあ確かにそうだと思うけれど、なんかもう、それ以前の問題という気もする。つまり、ブルジョワ批判というより、人間批判、みたいな。人間のおかしさをこれでもか、と描いていると思うのだよね。屋敷に閉じ込められて(というか、勝手に閉じこもって)数日過ぎて、水が無くなってきた辺りから、もう、ブルジョワもクソもない、遭難した人々のサバイバルみたいな様相を呈してくるのだから。

 挙げ句の果てには、熊やら羊やら、動物たちが屋敷内を闊歩し、人間たちを嘲笑うかのよう。羊の内の1匹は、人間たちにおびき出されて(喰うために)殺されてしまうんだけれど。

 そもそも、屋敷から、どういうわけか出られなくなる、、、、なんてのは、不可抗力、神の見えざる手による仕業。ブルジョワだって逆らえない。しかも、彼らは、必死で屋敷を出ようとはしていない。

 この、何だか分からなさ、、、が、本作のミソだけれど、閉じこもっている間に、自殺者も出るし、病気で瀕死の状態になる人もいるし、まさしく屋敷内はカオスと化していて、『ビリディアナ』の乞食たちの宴会と同じく、またしても“滅茶苦茶”なのよ、、、。ブニュエルさんは、こういう混沌とか、滅茶苦茶、グチャグチャがお好きなのね。見ている方の頭の中も、ウニ状になります。


◆皆殺しの天使

 で、このタイトルですよ。ブニュエルは、親しい作家が将来の作品のために用意していたタイトルを拝借して、本作に付けた、ってことなんだけど。

 この、意図せずに閉じ込められて、屋敷から出ない限り死を待つのみ、つまり、自分の命運を神の見えざる手に委ねるしかない状態が、まあ、まさに“皆殺しの(鍵を握る)天使”という風にも言えなくもないかな、と。

 まあ、究極的には、人間というのは自分の寿命は自分で決められない、何か見えざる力に動かされている要素が多分にある、と考えれば、世界中の人々は、皆殺しの天使に操られている、とも言えるんじゃない? とか。

 閉じ込められていた人たちは、一旦、屋敷を出ることが出来るんだけれど、その後、教会にぞろぞろと入っていき、そこでふたたび閉じ込められることが暗示されてエンドマークとなるんだけど、なんか、こうして閉じ込めが繰り返されること自体、人生のメタファーなのかもね、とか。だって、生きていれば、どうにもならなくて足掻いたりもがいたりするだけの事態に直面すること、誰にだってあるじゃない? ある意味、人生のブラックボックスに閉じ込められた感じよね。

 屋敷から一旦出る過程が、実にふざけていて笑っちゃう。ワルキューレ(じゃじゃ馬の処女という意味)と呼ばれているレティシアという女性が、いきなり「今、私たち、あの時(閉じ込めが始まったとき)と同じ位置にいるわ!」とか言って、皆がその時の会話や行動を再現してみると、難なく部屋からも屋敷からも出ることができたのです! っていうことなんだけど、、、見ていて思わず噴き出しました。そりゃないでしょ、ブニュエルさん、、、。

 屋敷から出ると、屋敷の異変に気付きながらも屋敷に突入できずにいた警察が待ち構えていたり、晩餐会が始まったときに出て行ってしまった使用人が戻ってきたり、、、。なんか、狐に化かされて元に道に戻ってきた迷い人のような感じです。あらら、、、。

 まぁ、とにかく、本作はブニュエルさんのやりたい放題に翻弄された挙げ句に、最後はあっけなく放り出されてぽか~ん、、、て感じでした。

 

 




あと、5回くらい見たら、もう少しマシな感想が書けるかも。




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未来よ こんにちは(2016年)

2017-04-20 | 【み】



 高校の哲学教師、ナタリー(イザベル・ユペール)は、時間を問わずに電話してくる老母の通い介護をしているとはいえ、家庭にも仕事にも恵まれ、そこそこ幸せな日々を過ごしていた。

 が、ある日、夫は「好きな人ができた」と言って家を出て行く。仕事では、手がけていた哲学書が廃版になることが決まるし、家庭では子どもは独立、老母は遂に亡くなる。

 そして、気がつけば、ナタリーは独りになっていた、、、。


 
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◆哲学者ならではの熟年離婚

 熟年離婚、、、て言葉、一時流行りましたよねぇ。渡哲也&松坂慶子のその名もまんまの「熟年離婚」なんてドラマも作られたりして、、、。正直なところ、夫がサラリーマンの専業主婦で熟年離婚に踏み切るなんて、ものすごく無謀だなぁ、という気がしたものです。そして、熟年離婚ブームで離婚を切り出すのは、大抵妻側だったような。今まで無神経で横暴な夫にガマンしてきたのよ、アタシ!! みたいな感じでしょーか。

 離婚ってのは、ものすごくエネルギーがいるもので、私の様に、実態のまったくない結婚生活がたった半年足らずだったケースでさえ、離婚はかなり消耗したわけで、何十年も一緒に暮らして子どもまでいる夫婦が離婚、なんて、考えただけでも卒倒しそうなくらいのパワーが要求されるはず。それでも敢えて離婚しようという妻は、ある意味、スゴイ。生きることに貪欲というか。夫は夫、アタシはアタシで、老後はそれぞれの生活を楽しめば良いじゃん、離婚なんかしなくてもさ~、、、という選択肢がない、ってことでしょ? どんだけ消耗しようが、アタシは自分の幸せを追求するのよ!! というのは、むしろ、夫に対してそこまでのある種の情熱があるからこそできることなんじゃない? 夫婦なんて何十年もやってりゃ、情熱の熱なんて自然冷却していて、情という欠片が残っているモンじゃない?

 ……というのはさておき。

 本作のナタリーは、しかし、夫に別れを告げられるのです。「好きな人ができた」という理由で。

 そして、この事態に直面したナタリーが冷静に対処することが、特筆事項の様に本作の紹介でも感想でも書かれているものが多くて、私はそれが結構意外でした。

 なぜか。

 前述したとおり、情はあれども、もめるだけの熱は残っていないのが長年一緒にいた夫婦だと思うから。情があるからこそもめる、というのは、……そうでもないと思う。私がナタリーなら、やっぱり、いろんな感情が湧いては来るだろうけど、「あ、そう。さよなら」だろうな、と思う。もちろん、哀しいし、寂しいし、オイオイ泣くとは思うけれども、「ほかに好きな人がいる」に勝る別れの理由はないもんね。今さら、また私を好きになって、なんていう熱が私自身に残っていない。

 それに、ナタリーくらいの歳になると、現代人は若いとは言え、やっぱり嫌でも“死”を考える。残された時間を思えば、情のある男と泥沼を演じているのはもったいない、という気もするし、そもそも人は最期は独りで死んでいくのだ、とも思う。そうすると、何十年と連れ添った夫とは言え、所詮は他人、お互い好きな様に生きましょう、、、という選択は、私にはとっても共感できる。

 人の心は、本来自由なわけで、夫が他に誰かを好きになるのも、自分が夫以外の誰かを好きになるのも、自由なのよね。ナタリーが、ああいう対応になったのは、彼女が哲学者であることも大きいと思う。
 
 ナタリーが終盤、授業で朗読するルソーの一節が、本作のテーマでもあると思う。長いけれど引用しておく。

「欲望する限り、幸福でなくても済ませられます。幸福になるという期待があるから。幸福が来なければ希望は延び、幻想の魅力はその原因である情熱と同じだけ続きます。こうしてこの状態はそれだけで自足し、それがもたらす不安は現実を補う一種の享楽となります。現実以上の価値を持つかも知れません。もう何も欲望すべきもののない人は不幸ですよ。持っているものをいわば全て失っているのです。手に入れたものより期待するものの方が楽しく、幸福になる前だけが幸福なのです」


◆気になるシーンあれこれ

 印象的だったのは、ナタリーや、娘のクロエが、突然、泣き出すシーンがあったこと。どちらも、どうして急に涙したのか、直接的には描かれていない。

 でも、ナタリーの場合は、きっと、どこか寂しさやむなしさを感じたからだろうと、想像できる。猫アレルギーだったはずなのに、母親の可愛がっていた黒猫・パンドラを抱きながら号泣するのである。

 一方のクロエは、、、ナタリーが別れた夫、つまりクロエの父親のことを冗談でけなしたからだろうか。ナタリーは、クロエが突然泣き出したことに狼狽して、「冗談よ」と言って詫びていたけれど、、、。私には、あのクロエの涙の理由が今一つよく分からなかった。

 また、ナタリーと、元教え子のファビアン(ロマン・コリンカ)のやりとりもスパイスになっている。ナタリーは、元教え子という以上の感情をファビアンに抱いていたようだけど、そのファビアンに「あなたたちのやり方は甘かった」などと批判される。この後、ナタリーは理由をつけて自宅に帰ったりして、ちょっと我に返った感じになったように思ったが、どうだろうか、、、。

 確か、ナタリーの母親の葬儀が終わって、バスに乗っているとき、ナタリーは車窓から、元夫が若い現妻と歩いているところを目撃するシーンがあったんだけど、そのとき、ナタリーは笑うのね。こんなときに、こんなもん目撃するのかよ! みたいな感じだったのが、妙にリアルだったなぁ。


◆イザベル・ユペール

 それにしても、イザベル・ユペールはイイ歳の取り方をしている女優です。アンチエイジングなんてくそ食らえ、がごとく、しかし醜くなっておらず、経年変化を受け入れながらもカッコイイ。60代になっても、これだけ精力的に仕事をしているからこそ、なせる業なのかも知れないけれど、こんな風に凛として歳を重ねられたら理想的だなぁ、、、と溜息。

 ファビアンの山荘を訪れたときに、散策していたナタリーのワンピースがステキだった。かなり派手な感じなのに、彼女が着るとゼンゼン違和感がない。川で水遊びするシーンでも、水着になって岩場で寝転んでいたけど、あれも画になっていたなぁ、、、。

 彼女が途中でストーカーされることになる男の隣で見ていた映画は、多分、キアロスタミの『トスカーナの贋作』だと思う。一瞬だったから確証はないけど、多分間違いない。あの映画は私はイマイチだったけれど、なんだか、それをナタリーが独りで見ていたのがイイなぁ、、、と思った次第。何故イイなぁ、と思ったのか、自分でもよく分からないけど、、、。

 ミア・ハンセン=ラブ監督作品は、これが初めてだけど、30代で、こういう熟年女性の話を書いて撮れるってのが驚き。彼女の両親も哲学教師で、少なからず、ナタリーには彼女の母親像が投影されているそうだし、作中にも哲学者の名前がふんだんに登場するのは、そういう彼女の生育環境が大きく影響しているわけですね。末恐ろしいお方です。






黒猫に助演賞!!




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水の中のナイフ(1962年)

2015-10-05 | 【み】



 小金持ちっぽい中年夫婦アンジェイとクリスティーナは、週末を湖上のヨットで過ごすべく車で向かっていた。すると、ヒッチハイクの若い青年が現れ、夫婦は青年を車に乗せ、挙句、アンジェイはヨットにまで青年を乗せて、いざクルーズへ。

 なんだかギクシャクする雰囲気。これと言ったトラブルも起きずに一夜を明かし、翌日、ヨットハーバーへ戻ろうとしたその途中、アンジェイと青年は、青年が持っていたナイフが原因で諍いに。そして、青年は湖に落ちて姿が見えなくなる、、、。果たして彼は溺れてしまったのか?

 ポランスキーの長編デビュー作。う~~ん、微妙な三角関係を描いた意味深な映画。

 
☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜


 この夫婦、夫は36歳らしい(リンク先のあらすじにそうある)。結婚して何年目かは分からないけれど、ラブラブ期はとうに過ぎ、子どもはいないみたいで、そこそこ恵まれた環境であることが分かる。そこへ、恐らく20代前半の若さが眩しい青年が闖入することで、夫婦の間の微妙なバランスがどんどん崩れていく。

 これはかなり厳しいシチュエーションです。男2:女1。しかも女は美人、ってのがミソですね。これが並以下のルックスならば、残念ながら、男同士が仲良く盛り上がるというオハナシになるんじゃないかしらん。そう、なんだかんだ言っても、女が美しくないと、オトナな話は始まらんのです。

 これが逆パターンでもそう。ヒッチハイカーが若く美しい女性だったら、、、? これは本作以上にタイヘンで下世話なものになるかも。・・・しかし、若くても残念なルックスの女性だったら、、、、まぁ、ホラーにすることはできるか。

 とにかく、美女を間に男2人が牽制し合います。日頃は倦怠ムードが漂っているくせに、夫は青年に居丈高に接することで妻に自分を大きく見せようとするし、青年はそんな夫の態度に反発し、「ヨットは勝手に流されて進んで行くが、オレは地上を自分の足でナイフで藪を切り開きながら歩いて行くんだ」と気を吐きます。美女はそれをクールを装いながらもしっかり聞いていて、内心ジャッジしているのね。

 ポランスキーは、こういう、じわじわ心理戦を描くのが最初から上手かったのですね。後の『反撥』や『ローズマリーの赤ちゃん』にもつながる描写です。

 終盤、青年が湖に落ち、夫婦は彼が溺れたと思い込んで、ヨットの上で激しい口論となります。ここが本作の見どころの一つでしょうか。互いに罵り合い、クリスティーナは「見栄っ張りの俗物!」と夫を詰り、アンジェイは「もううんざりだ!」と怒鳴る。お互いの日頃の鬱憤がここで図らずもぶちまけられる、、、。

 青年が湖に落ちたのは、アンジェイが青年のナイフをわざと湖に落としたからですが、これはオヤジの若さに対する嫉妬でしょう。ナイフはある意味、若さや向こう見ずな危険さの象徴であり、オヤジのアンジェイにはもう失われたものです。どうやったって取り戻すことは出来ないけれど、せめてそれを湖に落とすことで、自分と同じ土俵に青年を引きずり下ろしたい、という醜い足掻きです。この幼稚な夫の行動に、妻が幻滅しないはずはないのに、なぜ、そんな単純なことが分からないのだろうか、彼は。

 口論の後、アンジェイは、自分のしてしまったこと(青年を溺れさせた)の罪の意識からか、ヨットから泳いで行ってしまいます。甲板に一人になったクリスティーナの下へ、青年は湖から上がってきて、そして二人は引き寄せられるかのように抱き合う。、、、うーーん、正直、この妻の心理、分かってしまう! そうだよね、こうなったらそうするよ、女なら。

 ヨットハーバーに戻るまでに青年は姿を消し、クリスティーナ一人がヨットに乗って戻ってきます。アンジェイは先に泳ぎ着いていて、そのヨットを黙って迎える。ヨットを降りるための作業をする夫婦に会話はなく、淡々と阿吽の呼吸でヨットを降りて行きます。なんか、この描写も寒々しいというか、宴の後の妙な虚脱感が漂う、、、。

 夫がヨットに乗っているときから途切れ途切れにしていた船乗りの話も、ストーリーと微妙にリンクしています。

 帰りの車の中、青年を溺死させたと思い込んでいるアンジェイは警察へ行こうかと、分かれ道の所で車を止める。するとクリスティーナは「彼は溺れていなかった。戻って来て私を抱いたの」と事実を話すが、アンジェイは信じない。妻の優しい嘘だと思い込む(思い込もうとしているのかも)。そして、例の船乗りの話の続きを妻に話すのですが、そのオチは、夫の自省を込めたものにも聞こえます。

 そして、「警察へ」の看板が出ている分かれ道に車を止めたまま、ジ・エンド。 

 う~~ん、なんとも胸の痛くなる映画です。思いがけない闖入者のおかげで、夫婦が互いに見ないようにしてきた部分を直視させられてしまったのですよね。この後、この夫婦はどうやって生きていくのでしょう。今までと同じ、何事もなかったように過ごすのでしょうか。それとも、、、。

 私がクリスティーナだったら、形はこれまでどおりでも、夫に対する侮蔑感と自己嫌悪がないまぜになって夫との間に流れる空気は完全に変わってしまうと思うなぁ。それが何年もすればまた元通りになるのかも知れないけれど。

 アンジェイを演じたレオン・ニェムチックという俳優さんが、ときどきニコラス・ケイジっぽく見えてしまって、どうもダメでした。美しい妻クリスティーナを演じたヨランタ・ウメッカという女優さんは、その後は女優業は続けていないとか。彫りの深い個性的な美人で素敵です。ヒッチハイカーの青年は、うーーん、個人的にあまり好みじゃないというか、あまりイケメンには見えなかった。悪くはないけど、私がクリスティーナだったらときめかないな。、、、って、さっきと書いていることが矛盾しているケド。

 ところどころで流れるジャズ調の音楽が、不穏な空気と絶妙にマッチしていて、見ている者の心をザワつかせます。特に何が起きる訳じゃないけれど、常に緊張感が漂う映画。この独特の不穏さと緊張感は、その後のポランスキー作品にも通じるものではないでしょうか。

 


 




長編デビュー作がこれってことは、やはり天才ですね、ポランスキー。




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みんなのアムステルダム国立美術館へ(2014年)

2015-01-26 | 【み】



 5(4かな)年後に再開するはずで閉館し、改修工事に入ったアムステルダム国立美術館(ライクス)であったけれども、エントランスの構造の問題で計画は右往左往・・・。

 果たして、予定よりはるかに遅れて、ようやく2013年4月、オープンにこぎつけました。

 閉館期間、なんと10年! その間のあれこれを記録したドキュメンタリー映画。


☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜

 
 前作『ようこそ、アムステルダム国立美術館へ』は見ていない(というか、前作があったことも知らなかった)のだけれど、本作だけでも十分、改修工事の成り行きが分かる、なかなか面白い作品です。

 ライクスといえば、なんつってもあの「夜警」が思い浮かぶんだけれど、「夜警」と言えばグリーナウェイの映画『夜警』だけれど、内容をほとんど思い出せない、、、がーん。ま、あんまし面白くなかったしな、、、。今度気が向いたら再見してみようかな。

 で、ここまで改修工事が長引いた最大の理由は、建物のエントランスの構造を、現状を無視して変更しようとしたことにある、ということが分かりました。もともと、エントランスは自転車が通れる道路が突っ切っていたのですが、それを美術館としてはオシャレな通路兼広場的なものにしようとした結果、自転車愛好家たちの団体(サイクリスト協会)の猛烈抗議運動を受けて、計画が頓挫したのでした。

 美術館側の人々は、サイクリスト協会のことを「民主主義をふりかざし」と言って頭を抱えていました。、、、が、正直、これって、やっぱりそもそもの計画が無謀だったんじゃないのか、としか思えませんでした。だって、大勢の利用者がいたわけですよ、自転車でその通路を通っていた人々が、、、。市民の美術館なのに、市民の生活を妨害する、となったら、そもそもあり方が問われても仕方ないでしょ、って思っちゃうんですけれど。

 でも、日本だったら、ここまで反対派と妥協するなんてこと、ないだろうなぁ、と思いました。どんなに抗議運動があっても、強硬に計画を実行するか、裁判沙汰になるか、ってとこでしょう。裁判になったら、まあ、市民は負けますよね。

 行政が市民の頭上からおっ被せるように何事かを計画するのは、やはり混乱の最大の原因です。対話重視の姿勢を見せないとね、最初から。

 、、、そのほか、内装面でも問題が続々噴出。壁の色の問題などは、興味深く見ました。フランスの内装会社の社員は、もはや呆れ顔、というか、投げ出したい、という感じを隠さないし。閉館期間が長引いたことで、思いがけず所蔵品の見直しや修復に時間と力を入れることができ、学芸員や修復師たちの働きぶりもまた、面白いです。

 10年の間に、館長が交代しちゃっていたのですね。前館長は、サイクリスト協会との闘いに疲れ果て、それこそ、館長職を「投げ出した」格好で描かれていました。ま、気持ちは分かるけれども、、、。

 日本の金剛力士像(今は廃寺となった島根県奥出雲町の岩屋寺の山門にあったものだそうです)を、学芸員が入手するところも出てきます。そして、それを公開するに当たり、京都市の大覚寺から僧侶らを招いて供養が行われたとのことで、その厳かな供養の様子もかなり詳細に撮られていまして、見入ってしまいました。作者不詳の仁王さんの表情も、素晴らしいです。日本の美術の海外流出など懸念する向きもあるかも知れないけれど、こうやって海外の方々に広く見ていただくのは、日本の廃寺に放置されて忘れられているより、よほど価値があると思います。

 ちなみに、本作は、改修後の館内の案内がほとんどありません。チラッと展示状態が紹介される程度、、、。件のエントランスについても、同様です。つまり、本作は、あくまでも改修工事の過程が主眼の映画なわけですね。

 しかし、今年は美術館がらみのドキュメンタリー映画目白押しですね。ナショナルギャラリーのも見たいなぁ、と思っているところです。

 普段はまあほぼ見ることがかなわない、美術館の裏側、一杯見られます。
 



女王臨席の再オープン式がド派手でびっくり




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密告(1943年)

2014-07-28 | 【み】

★★★★★★★☆☆☆

 アンリ・ジョルジュ・クルーゾーって人は、登場人物を驚くほど冷たく突き放すことのできる、少数派の監督じゃないでしょうかね。これ、名監督と言われる人の中でもできない人が多い(と思う)中で、だからこそ、時が経ってもその作品たちが輝きを放っているんじゃないでしょうか。

 本作は、ミステリーなので、一応、見る人は犯人捜しをしながら見ると思います。私も、もちろんそうでした。しかし、そこはクルーゾー監督で、「そんな単純なハナシじゃねーんだよ、アホめが!」というお叱りをfinマークとともに突きつけられたような気がしました。そう、このハナシの犯人は、見る人によって見解が分かれると思われます(ちなみにリンク先のあらすじには断定的に書いてありますが、これは鵜呑みにしない方が良いと、私は思います)。

 匿名の「カラス」を名乗る怪文書が小さな町中を飛び交います。手紙で主に槍玉に上がるのが医者のジェルマンですが、その周辺にも矛先は容赦なく向かい、だんだん町の中は疑心暗鬼の雰囲気に包まれるという、、、。いかにもクルーゾーっぽい展開でしょ? じわじわ恐怖がやってくるぅ~。こわっ!

 序盤で、ある女性が犯人だと思わせるように話が展開します。さすがの鈍い私も、これには引っ掛かりませんが、彼女は実際、逮捕されてしまい、町中の人々から追い回される時の恐ろしさが、中盤までの一つのヤマです。そこからラストに向けて、カラスの正体が暴かれるべく、二転三転、ジェルマンの過去が明かされ、ああなってこうなって、、、、えええ~っ、って思っている間に、謎のラストシーンで幕。そう、あの老女が歩いて行くラストシーン、これが、犯人探しという視点で言えばキモだと思いました。思えば、この老女は序盤にも出てきていて、そもそも逮捕された女性が疑われるきっかけとなる事件の原因を作っていたのです、、、。

 でもまあ、真犯人は、見る人の解釈に委ねているのでしょう、監督は。そういう作りです。

 監督が真に描きたかったことは、やはり、「密告社会」の恐ろしさ、だと思います。本作がナチ占領下で作られていたこと、これがクルーゾーの怒りを静かに表したものとなったのだと、嫌でも思わざるを得ません。結局のところ、「カラス」は一人じゃなかったということも考えられ、「カラス」こそが、匿名で密告する、噂が噂を呼ぶ、推測が真実であるかのように独り歩きする「チクリ社会」の象徴と言ってよいと思います。よくぞ占領下でこんな作品を撮ったものだと、その気概に敬服します。

 あれほど、従順そうで、ジェルマンも心を奪われそうになったローラを容赦なく精神病院送りにさせ、友人でローラの夫であるヴォルゼも殺しちゃう、ジェルマンにとって散々なラストを提示するなんて、クルーゾーは、どうしてこんな残酷な話が描けるのか。優れた作品を生み出す人、ってのは、その登場人物を時に信じられないような突き放し方をして、見たり読んだりしているこっちが胸をえぐられる、ってことが往々にしてあるんだけれど、本作もまさにその一つだと思います。監督自身が登場人物に入り過ぎちゃう作品もママ見られる中、こういう作品こそ恐ろしく、また、優れた作品なのだと思うのです。

 いつもクルーゾー作品を見るたび思うけれど、やっぱり本作を見ても思いました。「クルーゾー、恐るべし」
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