映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

チャイコフスキーの妻(2022年)

2024-09-23 | 【ち】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv79198/


以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 ロシアの天才作曲家ピョートル・チャイコフスキー。

 かねてから同性愛者だという噂が絶えなかった彼は、恋文で熱烈求愛する地方貴族の娘アントニーナと、世間体から結婚する。

 しかし女性への愛情を抱いたことがないチャイコフスキーの結婚生活はすぐに破綻し、夫から拒絶されるアントニーナは、孤独な日々の中で狂気の淵へと堕ちていく…。

=====ここまで。

 監督は、あの「インフル病みのペトロフ家」のキリル・セレブレンニコフ。


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 チラシを入手してから、早く見たい~~、と思っておりました。というのも、昨年、DVDでだけれど「インフル病みのペトロフ家」を見て、一気にセレブレンニコフのファンになってしまったからです。

 セレブレンニコフ、「LETO -レト-」も監督だったのよね。「LETO -レト-」より、「インフル病み~」の方が断然面白いと思ったけど、「~レト」ももう一度見たいな~。


◆悪妻の隣に悪夫アリ。

 ロシアでは、アントニーナは「悪妻」で有名らしい。悪妻ねぇ、、、。男が作った言葉なのがバレバレなこの言葉。アントニーナが悪妻なら「チャイコは悪夫」やろ、、、と誰かちゃんと言ってやれ。

 と、元々チャイコ(の音楽)があまり好きではない私は前々からずーーーっと思っていたわけだが、本作は、まさに「チャイコもオカシイ」ということを真面目に描いてくれている映画なのであります。

 確かに、アントニーナという女性、かなりヤバい。ヤバいけど、そもそもチャイコが彼女にプロポーズなんかしなきゃ、彼女は精神病院送りにされることはなかったかも知れないし、死後、自分のあずかり知らない所で悪妻だのなんだの言われることもなかった。しかも、チャイコは彼女がヤバいことをよく分かっていたのだ。チャイコの罪は重い。

 そうはいってもチャイコは天才なんだから、まぁまぁ、、、と言う感じで、ロシアはこれまでチャイコの偉業に“だけ”スポットライトを当てて都合の良いように利用してきたのだよね。そら、ロシアにしてみりゃ、国の至宝である作曲家・チャイコフスキーが“人でなしのゲイ”だなんて、口が裂けても言えないもの。

 妻じゃないけど、天才を相手に精神に異常を来してしまったカミーユ・クローデルとか、ストーカー的な妄執を見せて病んでしまったアデル・ユーゴーとか、、、を思い出しちゃうのだが、これ、映画ではどっちもアジャーニ様が演じていらっしゃるってのもスゴい。

 ロシア人で悪妻というと、あのトルストイの妻は三大悪妻の一人にされており、映画ではヘレン・ミレンが演じていたけど、あんな頑固で自己中な夫相手にしてたら、そら妻もイイ妻やってらんないだろ、、、って話で、やはり、悪妻という言葉、男が都合よく使っているとしか思えん。

 セレブレンニコフ監督がインタビューで「彼女は本当に世間で言われているような愚か者なのかと疑問に思い、さらに掘り下げて知りたくなりました。」と語っているだけに、本作はアントニーナの視点で終始描かれており、本作の感想をネットで見ると、割とアントニーナに同情的なものも散見された。もちろん、チャイコに同情的なものもいっぱいあったけど。こういう映画(女が男に執着する話)の場合、女怖ぇ、、って感想に偏りがちなので、監督の狙いはイイ線行っていると言えるかも。


◆歪む時空とか、、、

 全体に暗い画が多く、明るいのは、アントニーナとチャイコが初めて2人で会うシーンや、2人が結婚式を挙げるシーン、チャイコの代理人がアントニーナに離婚を突き付けに来るシーンくらい。

 特に、中盤以降、チャイコがアントニーナの下を去ってしまってからは、ピカソの青の時代を彷彿する青っぽい画が多くなり、アントニーナの心情を表すように、そこにぼんやり光が差したり、一筋の光が現れたりと、実に幻想的な映像が続く。

 印象的なのがハエの飛ぶ音。ハエの姿は見えないが、音がしつこく流れるシーンがある。いずれもチャイコ不在のシーンで、アントニーナがハエを手で追い払う仕草を見せる。もちろんメタファーなんだろうが、イロイロ解釈はありそうだけど、私は、アントニーナのチャイコへの執着がハエの音になっているのではないかと感じた。特に、チャイコの代理人に離婚話をされているときに執拗にハエが飛び回り、それをアントニーナが度々手で追い払うのを見てそう感じたのだけど、、、。

 グサッと来たのが、中盤、アントニーナとチャイコが結婚した直後、2人で腕を組んで歩いているシーン。アントニーナは、赤いネックレスをしており、チャイコが「それは本物のサンゴ?」と聞く。アントニーナは「本物じゃないけど、半分本物。本物のサンゴを砕いて成形したものだから」(セリフ正確ではありません)と言うのだが、これはなかなか残酷なシーンだと感じた。まさに、チャイコから見たアントニーナそのものではないか。

 また、男性の全裸がいっぱい出て来るのがビックリだった。特に、終盤のダンスシーンは、まあ、アントニーナの心情を描いているのだろうが、うぅむ、、、。男の裸なんか、正直言ってあんまし見たくない。あ、出て来るのは、皆さん、キレイな裸体でしたけど。

 他にも、セレブレンニコフ監督独特の時空の歪みが所々にあり、長回しの間に時間が経過していたり、死んだはずのチャイコがむっくり起き上がったり、、、。とはいえ、時系列を意図的にぐちゃぐちゃにするのとは違って、「インフル病み~」でもそうだったが、登場人物の心象風景的な演出である。時系列を不必要にイジるのは好きじゃないけど、この独特の時空の歪みは結構好きだ。歪んではいるが、冒頭以外は、時系列どおりに話は進んでいる。


◆“リアル地獄”の世界

 冒頭と言えば、この時代のロシアでは、女性は夫の付属物であり、パスポートも夫に付随したものしかなかった、、、的な説明が字幕で入る。……まあ、日本でも似たようなモンだったわけだが、やはり、女性が生きていくために“結婚”するしかないというのは地獄以外の何でもない。

 アントニーナは、何度か「彼は天才で、彼がそんな卑劣なことをするはずがない」というようなことを言う。アントニーナはチャイコにほぼ一目惚れであり、もう、チャイコを神みたいに崇めてしまっているのだ。もはや、恋というより、信仰に近い。アントニーナはベッドでチャイコに猛然と襲い掛かり、逆に反撃されて首を絞められる、、、なんていうシーンもある。それでも彼女はチャイコを崇め奉るのだ。

 この“信仰”には、この結婚が破綻したら生きていけない!……みたいな追い詰められた気持ちもあったに違いない。これが地獄でなくて何なんだ。

 本作内ではもっとチャイコの名曲がバンバン流れるかと思っていたが、馴染み深いのは「フランチェスカ・ダ・リミニ」と「白鳥の湖」くらいか。

 チャイコの作品年表を見ると、この悲惨な結婚をしたころに、あのバイオリン協奏曲を作曲している、、、すげぇ。こんな精神状態で、あの名曲を作ったってのは信じられん。

 チャイコの曲は苦手なのが多いが、バイオリン協奏曲はまあまあ、バレエ音楽は割と好きなのもある。彼が人でなしのゲイだったとしても、それらの美しい曲は永遠に残るのだよな。一方アントニーナの苦悩は多分、歴史の藻屑として消えていくのだろうな。ホント、不条理。

 

 

 

 

 

 

 

主演のアリョーナ・ミハイロワが美しい。

 

 

 

 

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デッドマン・ウォーキング(1995年)

2024-09-15 | 【て】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv10459/


以下、上記リンクよりあらすじの(長いので)要約です。

=====ここから。

 ルイジアナ州ニュー・オーリンズ。セント・トマスの希望の家で働くシスター・ヘレン(スーザン・サランドン)は死刑囚、マシュー・ポンスレット(ショーン・ペン)から何度か手紙を受け取る。マシューは相棒と二人でカップルを惨殺し、州立刑務所に収監されていた。ヘレンはマシューの求めに応じ刑務所を訪れ、彼と面会する。傲慢で冷酷そうなマシューは印象こそ悪かったが、共犯者が無期懲役なのに、不利な証拠が重なって彼だけ死刑が確定したという事実に彼女は疑問を持つ。

 執行の日が近づく中、ヘレンはマシューの精神アドヴァイザーとして、彼と毎日数時間をすごし、彼の心に少しでも近づこうと努力を続ける。マシューは犯行否認を相変わらず繰り返していたが、ヘレンには心を開きはじめていた。

 死刑当日。結局、上訴審は却下。死にゆくマシューに勇気を与えられんことを……と、ヘレンは神にひとり祈る。最後の面会。マシューはヘレンに、犯行の事実を告白した。「ウォルターを撃って殺したのは自分だ。レイプは自分もしたが、ホープを刺したのは相棒だ。今は二人の死に責任を感じる。昨夜は二人のために祈った」と。

 処刑台に縛られたマシューの最後の言葉は、処刑に立ちあった被害者の遺族への謝罪だった。マシューの葬儀。彼はヘレンらの教会の墓地に葬られた。

=====ここまで。


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 タイトルは知っていたものの、スーザン・サランドンが苦手なのでスルーしてきたのですが、私の好きなメゾソプラノ歌手ジョイス・ディドナートが本作を下敷きにした同タイトルのMETライブビューイングで見られる(アンコール上映)ので、予習のために見ました。

 ちなみに、この映画、長らくゾンビ映画だと思っていました、、、ごーん。


◆死刑制度の是非を問うているらしいが、、、

 上記あらすじにあるとおり、最終的にマシューは、自身がカップルの男性を殺したことを認めて、冤罪ではないことが明らかにされる。とはいえ、共犯者も同じことをしていながら(どっちかというと共犯者の方が主犯っぽく描かれていた)死刑を免れているわけだから、マシューだけ死刑が執行されるのは不条理である。

 見ていて終始、空しかった。冤罪であればもちろん死刑は許されないし、冤罪でなかったとしても死刑で被害者が報われるわけではないし、どっちに転んでも誰一人救われないのだからね。

 本作は、死刑制度の是非を問うという趣旨もあるらしいのだが、そういう意味で言うと、あまり成功していない気がするね。だって、結果的にマシューは真犯人だったわけで、死刑制度賛成派の人にしてみりゃ「そら見たことか」じゃない? 賛成派の人に死刑制度について考えてもらいたいってことでしょ? 反対派の人が本作を見て賛成派になるとも思えないもんね。

 それに、マシューが罪を認めたのも刑が執行される直前で、それまでは「やってない!冤罪だ!!」と喚いており、死刑執行を目前にして涙ながらに謝罪の言葉を述べたとしても、それは自分の死が現実的になったからこその言葉で、死刑を免れていてその心境に至ったかどうかは甚だ疑問である。

 ただまあ、死刑執行(薬物注入)の描写がものすごく微に入り細を穿って描かれており、どっちかというと、賛成派の人にこの描写を見せたかったんかな、、、とも思う。けど、賛成派の人は、あれくらいでは考えは変わらないと思うわ。人を殺したんだから、それくらいアタリマエ、、、で変化なしじゃない?

 ……と、こんなことを書いている私は、死刑賛成派だろうと思われるだろうが、私は明確に死刑には反対である。理由などは「白い牛のバラッド」(2020)に書いたとおりだが、この考えはこの先も変わらないだろう。私が死刑に反対なのは、他にも理由があり、これは感情論になるが、結局、死んでしまった時点で犯人は罪から逃れられてしまう、、、という要素が大きい。

 ネット上で、「(犯人は)生きていられれば笑うこと(良いこと)もあるだろうが、殺された者はもう笑うことは出来ないのだから、死を以て償うしかない。死刑には賛成だ」みたいな書き込みを複数見たけど、まあ、それは一理あるのだけど、逆に、拘禁されて生きていると苦痛も結構あると思うんだよね。特に、殺人などの重罪犯の場合は。

 マシューが終身刑だったらどうだっただろうか。罪と向き合い真摯に反省しただろうか。しなかったかも知れないけど、したかも知れない。だけど、死刑で死んじゃったら、その時点でマシューはあらゆる苦しみから解放される。私が遺族だったら、それも何だか許し難い気がする。こっちは苦しみながら生き続けていかなきゃいけないのに!ってね。

 犯人には「死ぬ方がマシだと思い知るような状況で苦しみ続けて欲しい」というのが、私の本音かな。それがどんな状況なのかは、具体的には分からないが。犯人の人権を考えると、それもなかなか難しいのだろうが、だからと言って、この世から葬って解放してしまって良いのか。「死刑になりたかった」などと嘯く凶悪犯に、意味のある刑罰なのかね。……正解は分からない。


◆主役の2人とか、METとか、、、

 スーザン・サランドンの演技は、正直、暑苦しくて見ているのがシンドイ。本作もそうだった。何でそう感じるのか、、、。別に、彼女の演技がもの凄いオーバーアクションだとか、頑張り過ぎている感じとかではないのだけど、あの大きな目が見開かれると、どうもなぁ、、、と思ってしまう。

 で、本作の彼女を見ながら思い出したのが、竹中直人。彼のあの目を見開いた演技が私はダメなのだが、、、。あのダメな感じと似ているかも。

 ショーン・ペンは巧いと思うが、元々あんまし好きな俳優ではないし、マシューもなんだかなぁ、なキャラだし、、、ってことで、主演2人が苦手だったのが致命的かも。

 映画自体も真摯に作られた良作に違いないが、好きか嫌いかで言えば、好きではない。

 監督を、スーザン・サランドンの当時の夫(結婚してない?)ティム・ロビンスが務めている。ティム・ロビンス、最近見ないなー、と思っていたら、「ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男」(2019)で激変していてビックリしたのを覚えている。

 本作をオペラ化した舞台映像をMETライブビューイングで見たんだけど、ストーリーはほぼ映画と同じで、ビックリだったのは、死刑の描写が映画と同じくらい詳細だったこと。舞台でここまでやるか、、、と衝撃だった。というのも、このオペラの演出は、舞台上にスクリーンを配して映像を巧みに取り入れており、そのスクリーンに注射針を刺す瞬間や、薬剤が注入されるところもじっくり映され、映画とほとんど同じだったのだ。ここまでするのは、やはり、この手法が本当に人道的な刑罰と言えるかを問いたいのではないか、と改めて感じた次第。

 とはいえ、本作をオペラ化する意義は「めぐりあう時間たち」(2002)ほどには感じられず、ただただジョイス・ディドナートの美しい歌声を堪能した、と言う感じだった。もちろん、本作で予習した段階でオペラ自体にも期待はしていなかったので、それで十分だったんだけど。

 

 

 

 

 

 

“Dead Man Walking”とは、死刑囚が刑場へ歩いて行くこと。

 

 

 

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最近見た映画あれこれ⑦

2024-09-14 | 映画雑感

 9月も中盤というのに、この残暑、、、。こうも暑いと、映画館にもあんまし行く気にならないのだけれど、それでもちょこちょこは行っております。せっかく見ても、感想書くのに時間が掛かるのが情けない。

 時間が掛かる理由は、「怠慢」が一番大きいんですが、この2本は、面白くなくはないけどあんましピンと来なかった、、、という感じです。


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◆Shirley シャーリイ(2019年)

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv85714/

 《あらすじ》 1948年、短編小説「くじ」で一大センセーションを巻き起こしたシャーリイは、女子大生行方不明事件を題材にした新作長編に取り組むもスランプに陥っていた。大学教授の夫スタンリーは引きこもって寝てばかりいるシャーリイを執筆へ向かわせようとするが上手くいかず、移住を計画している若い夫妻フレッドとローズを自宅に居候させて彼女の世話や家事を任せることに。当初は他人との共同生活を嫌がるシャーリイだったが、懲りずに自分の世話を焼くローズの姿から執筆のインスピレーションを得るようになる。一方、ローズはシャーリイの魔女的なカリスマ性にひかれ、2人の間には奇妙な絆が芽生え始める。

映画.comよりコピペ~

 Twitterに「面白かった」みたいな感想がいくつか流れて来たので、見に行ってみた。

 シャーリイ・ジャクスンは、その小説が映画化された「たたり」(1963)は見たけど、ゴシックホラーのはずだが、主人公の女性が病んでいる“メンヘラ”映画で、怖いというよりヤバい映画だった。みんシネにも、随分酷いこと書いてしまっている、、、。原作は面白いのかしらん??

 余談だけど、「サウンド・オブ・ミュージック」って、ロバート・ワイズ監督は「たたり」の次作で2年後に撮っているのだね、、、。あんなヘンな(すみません)映画撮った後に、ジュリー・アンドリュース!ってすごい切り替え早っ!!

 で。本作は、そのシャーリイ・ジャクスンが小説を書くために若い夫婦を同居させて生態観察しつつ、、、という話。

 これ、後で気付いたんだけど、内容的にはポランスキー監督の「告白小説、その結末」(2017)とネタ的に同じなんだよね。……というか、私はそうだと解釈した、ということだけど。

 つまり、このフレッドとローズ夫妻はシャーリィの脳内キャラ、若しくは“妄想”とも言うが。「告白小説~」はその辺りを後半で徐々に解禁していくのだが、本作は、割と終盤までリアル感がある。

 シャーリィのキャラがなかなか強烈でその夫はかなりヤなヤツ。ローズが徐々に感化されて変わっていくのが見どころではあるのだけど、、、んー、なんかあんまし印象に残らないというか。

 こういう映画、ときどきあるんだよな。別に悪口言うこともないけど、ココが良かったなーってのもなくて、感想書きようがない気分になるの。

 でも、ネットの評価は割と良いのが多いみたいだし、もう一回見たら印象変わるかな。一応ちゃんと集中して見ていたつもりだけど。配信かDVDがレンタルされれば、もう一度見るかも。

 
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◆越境者たち(2022年)

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv86537/

 《あらすじ》 妻を事故で亡くし、失意の淵にあったフランス人サミュエルは、娘を友人に預けてイタリアの国境を越えたアルプスにある別荘の山小屋で週末を静かに過ごそうと考えていた。しかし、その山小屋には亡命のためフランス側にある難民施設へ向かうアフガニスタン人女性チェレーが避難していた。翌朝、山を越えてフランスへ向かうというチェレーを放っておけずに道案内を引き受けたサミュエルだったが彼らを襲うのは雪山の脅威だけではなかった……。

公式HPよりコピペ~

 最近よく見るなー、ドゥニ・メノーシェ。しかも、女性の方の主役は、「聖地には蜘蛛が巣を張る」のザーラ・アミール・エブラヒミで、HPには、サスペンススリラーと書いてあるので、ひょっとして面白いかも? と劇場まで行った次第。

 んー、、、まぁ、見ている間は、“ほんでこの後どーなるん?”という好奇心で見られたんだけど、終わってみれば、なんかよく分からんなぁ、、、と。

 よく分からんというのは、「あれはどういう意味だったんだろう?」とかいうことではなく、そもそも論として、何でサミュエルはあそこまでして通りすがりの女性チェレーを助けたのか?ということ。

 助ける端緒となったのは、サミュエルの山小屋にチェレーが不法侵入して避難していたからだけど、チェレーが小屋から逃げ出した後を追ったサミュエルは、ものすごい軽装で、最初は「関わりたくない」などとチェレーに道案内を請われても断っていたのに、なぜだか途中から助けるモードになって、軽装のまま雪山をズンズン進んでいく辺りは、さすがに“ちょっとちょっと、おじさん、それいくら何でも無謀すぎやない??”と言いたくなるほど。

 その後も、密入国者を取り締まる国境監視員(?)3人組に追い回されるんだけど、いくら乗り掛かった船とはいえ、彼らと死闘を演じるサミュエルは、もしかして妻亡き後で、自分も死んでもええわ!と思っているとか?

 でも、終盤、娘と電話で話して号泣して、、、みたいなシーンもあり、うぅむ、、、という感じだった。

 まあ、フランスに限らずEUが抱える移民問題が背景にあるのは分かるけれども、いろいろ説得力に欠ける(フランス人が見れば分かることなのかも知れないけどね)構成な気がした。

 劇場を出た後、背景など知りたいと思ってパンフの見本を見ようとしたら、パンフ作ってないんだよね、この映画。あまり当たらないと最初から踏んでたということ? 実際、あまり話題にもなっていなかったような、、、。

 「ジュリアン」では怖ろしいDV男を演じていて悪人そのものだったドゥニ・メノーシェなのに、本作では、ちょっと人生に疲れた、根は優しい強面のイイ人に見えるんだから、役者って演じる役によってガラッとイメージが変わるスゴい職人だよなぁ、、、と感心。

 本作は、配信されてもまた見ようとは思わないかな、、、。

 

 

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