以下、上記リンクよりストーリーのコピペです。
=====ここから。
近未来。
独身者は身柄を確保され、送られたホテルで45日以内にパートナーを見つけなければ、自分で選んだ動物に変えられて森に放たれることになる。独り身になったデヴィッド(コリン・ファレル)もホテルに送られるが、そこには狂気の日常が潜んでいた。
しばらくして、“独り者たち”が暮らす森へ逃げ出したデヴィッドは、そこで恋に落ちるが、それは“独り者たち”のルールに反していた……。
=====ここまで。
現代日本の婚活狂時代のカリカチュア映画、、、と言っても良いのでは?
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婚活婚活って、バカじゃないの? と日頃から思っているので、本作も序盤はコメディとして見ていたんだけど、そういえば、私自身がこういう状況に20年前くらいまで置かれていたことを思い出して、一気に身につまされてしまいました。
◆動物にされる方がまだマシ……かも。現実世界では“名誉殺人”
45日間で相手を見つけなきゃ動物にされるけれども、その動物は自分の好きなものを選べるのであれば、好きでもない相手と嫌々くっつくより、好きな動物になって別世界を生きた方が良いかもね、、、と思ってしまった。こんな風に思うのは私だけかもなぁ。
これまでも時たま書いてきたけれども、私は、24歳から30歳で形ばかりの結婚をするまで、母親に見合い攻勢を掛けられ、それはそれは死ぬほど苦しみました。……何で? と思うでしょう? たかが親の持ってきた見合い話くらいで、と。……まぁ、普通はそうでしょうが、ウチの場合はちょっとその辺が普通からかなり外れていまして、私の意思はかなりどーでも良い扱いをされていたのです。
つまり、(相手の)学歴と職業と生育環境が良いことが全て!! ということ。性格、感性、思考及び嗜好、クセ、容姿、健康状態etc……、全て度外視。なので、釣書だけ見ると、一体どんな素晴らしいお方?? と妄想してしまうような人ばかり。しかし、写真を見て“あり得ない”人も多く、仮に写真が普通でも会ってみて“論外”な人も多く、それはそれは異様な世界でした。キャリア官僚、医者、弁護士、会計士、研究者、エリートサラリーマン等々、世の中でそれなりのご職業の方々とは一通りお目にかかったと思いますねぇ。しかも、割とオウチもおよろしい方々が多く、ヨーロッパのある国に別荘を持っているだの、都心の一等地に○億円のマンションを購入してあげるだの、オプションが着いている方も少なくなかったような。
でも、私にはそういうのはゼンゼン魅力的に見えなかったのです。そもそも養ってもらいたいなんて思ってないし。子どもも産むつもりないし。愛してもいない男と一緒になる意味が分からない。つーか、そんなオプションをパパやママに付けてもらわないと勝負できねぇのかよ、、、と、むしろ減点材料に……。
まあ、それはともかく。……とにかく、条件第一、ではなく、条件だけで結婚しろ! と強要されていたのです。母親に毎日毎日念仏のように「女は若さだけがウリだ」と言われ。「恋愛と結婚は別。セックスなんぞ誰とだって出来る」と言われ。「1日1日とお前の商品価値は下がっているのだ」と言われ。「相手の条件のみにすがって結婚しろ」と言われ。
一体何十人と見合いしたことやら。基本、こちらからは断れない。『裸足の季節』の感想でも書いたけれど、女が断れば「身の程知らず」と罵られ、断られると「価値のない女」と謗られる。そんなの別に構わないけど、相手に気に入られた場合は地獄。「女は望まれて結婚するのが幸せだ」「今はそうでもなくても結婚すればそのうち好きになる」等と親だけでなく仲介人にまで寄って集って言われる始末。条件の良い男ほど、相手女性の意思を踏みにじることが出来るというワガママが効く異様な世界。「お前鏡見ろよ!!」と女なら平気で言われるのに、女が男に言ったら叱られる、極めて不条理な世界。もうね、、、私は発狂寸前でした。
そう、異様な世界、不条理な世界、、、まさに本作の描いている世界と同じではないですか!!!
あの当時の私なら、迷わず動物になることを選んでいたかも。なるのなら、そうだなぁ、、、キリンも柴犬も大好きだけど、なりたいとは思えないなぁ。ミサゴが好きなのでミサゴかなぁ。微生物でも良いかも、煩悩とかなさそうで。
でも、動物にされる方がまだマシな現実は、多分、世界に目を転じればたくさんあるはず。前述の『裸足の季節』もそういう話の映画だった。実際、イスラム圏やインド・パキスタンでは、少女婚が今も行われているし、女性が親の望まない相手と交際すれば“名誉殺人”という名目で焼き殺されるという風習が残っている地域もある。それなら、動物にしてくれる方が遙かに優しいではないか。
だから本作をブラックコメディと言って笑えるのは、幸せな証拠だと思った方が良いかも。
◆実は今の日本も、、、
まあ、“名誉殺人”の話は今の日本の現実とは懸け離れているけれど。今の日本では、自由意思で結婚できるとは言え、何かに追い立てられるように“婚活”している人々が多いのでしょ? もう、結婚なんて制度が、現実にそぐわなくなってきているんじゃないの? 男も女も、自分の人生を自由に生きる上で、結婚がかなり枷になっているのでは。つまりそれは、女性の出産年齢があるからだわよね。結婚制度の下での子育てがメジャーだと国が設定しているからそうなるのよ。結婚という制度に縛られることなく、産める間に産みたい人は産みたいときに産める社会であれば、みんなこんなに悲壮感漂わせて婚活なんかしなくてもいいじゃないの。
……なんてことを言うと、トンデモナイ!! と反論する人は必ずいるだろうけど、フランスで出生率が上がっていることを考えると、日本も真面目に考えた方が良いと思うけどね。
要は、結婚や恋愛という極めて私的かつ自由意思に基づく問題を、誰かに強制されることがいかに理不尽か、ということをこの映画は描いているのでしょ。結婚制度の下での子育てがメジャーであると国に設定されていることも、広い意味では、同じでは?
本作では、ホテルではカップルになることを強要され、森ではカップルにならないことを強要される。これって、結婚して子どもを持つことを強要され、結婚せずに子どもを持たないことを(暗に)強要されていることと同じでは?
しかも主人公のデヴィッドは、ホテルでは相手を見つけられなかったのに、森では見つけてしまうという、、、実に皮肉な展開。きっと、ホテルでしっくりくる相手を見つけられる人もいるんだろうけどね。森で見つけたら、ホテルに戻ってカップル生活を楽しむ、という選択肢はない。……何で? 独身が罪なのであれば、どこであれ相手を見つけられたらそれでいいじゃん! どこであれ子を設けたい相手と出会ったら子を作れば良いじゃん! というのは、ダメなんですかね? 少子化に歯止めが掛かると思うけどなぁ、、、。
◆その他もろもろ
本作で解せないのはラスト。(以下ネタバレです)
コリン演じるデヴィッドは、どーしてあんな行為に出たのか? まるで「春琴抄」で、正直、ビックリしてしまった。「春琴抄」の場合は、目を潰す理由があったけど、デヴィッドの場合は、それまでの流れからまるで理解できない行動なんだけれど、、、。愛の証? 意味分からん、、、。2人とも見えなくなってしまったら、これから困るじゃないの、逃亡生活。
でも、実際にデヴィッドがあの後、本当に目を潰したかどうかは分からない(映像がカットされているので)。なので、あのまま実は目を潰すことはしなかった、という展開も考えられるけど……。
まあ、どっちに転んでもとんでもないディストピアだから、もうそんな現実見たくない! ってことかなぁ~、と思ったり。だったら、ロブスターにされちゃった方が良くないか??
あとヘン過ぎるのが、カップルになった後、最終的にヨットで3日間(だったかな?)過ごす、っていうプログラム。なぜヨット?? とりあえずすぐには外と接触できない世界で過ごせ! ってことかな。意味不明すぎて笑えたけれど。
ホテルでは、同じ個性を持つ者同士がくっつくように描かれていたのだけど、これもヘンだと思った。案外、似たもの同士って合わないもんじゃない? デコとボコだから合うとも言える。まあ、共通点がゼンゼンないのも難しいけど、そこに比重を置き過ぎな描写に違和感ありまくり。ラストのデヴィットの行動と言い、これって監督の恋愛観なのかしらん? だとしたら思い込み激し過ぎじゃない?
それにしても、、、。コリンは見事なまでのメタボ体型で、可笑しかった。逃亡中も、「ベルトがきつくてこれ以上速く歩けない」とか言っているし。お兄さんのワンちゃんが可愛かった! あんなヘンな女に殺されちゃって、酷すぎる。あのシーンも意味不明だよね。殺す必要性が感じられない。
とにかく、ヨルゴス・ランティモス監督の映画は、『聖なる鹿殺し~』といい、本作といい、とんでもないディストピア。こういう世界観がお好きなんでしょうか。他の映画を見ていないので分からないけど、、、。とんでもないディストピアなのに、何かこう、、、シニカルな笑いの要素が散りばめられていて、嫌いじゃないけど好きとも言いにくい。でも多分、次作も公開されたら見に行っちゃう気がする。そういう不思議な引力を感じます。
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