映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ(2023年)

2024-10-19 | 【ほ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv85331/


以下、上記リンクからあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。

 生真面目で融通の利かない性格で、生徒や同僚から嫌われている教師ポール(ポール・ジアマッティ)は、クリスマス休暇に家に帰れない学生たちの監督役に任命される。

 学校に残ったのは、勉強はできるが家族関係に問題を抱えるアンガス(ドミニク・セッサ)と、一人息子を亡くしたばかりの料理長メアリー(ダヴァイン・ジョイ・ランドルフ)

 クリスマスの夜、アンガスがボストンに行きたいと言いだす。当初反対したポールだったが、メアリーに説得され、「社会科見学」と称してアンガスとともにボストンに向かう。

=====ここまで。


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 劇場公開中に見に行きそびれてしまった本作。多分、早稲田に来るだろう、、、と映画友と話していたんだけれど、早稲田に来るまで待てずにDVDを借りて見てしまいました。

 見て良かった、、、と思うと同時に、やっぱし劇場に行くべきだったなぁ、、、と。早稲田に来たら見に行くと思います。スクリーンで見たいので。


◆嫌われキャラを演じるポール

 ポールは古代史の先生だけど、私の高校時代の世界史の先生もなかなかの曲者だったことを思い出していた。その先生は、当時定年間近と言われていて、グレーヘアーはいつもモシャモシャで、ワイシャツがズボンからベロン、、、と飛び出ていることもしばしば。でも、板書の字は怖ろしく几帳面だった。そのギャップが何とも言えず、彼の授業は結構面白かった。ポールは身だしなみはちゃんとしているけど、なんとなく、雰囲気が被っている気がした。

 で、ポールは生徒からだけでなく、教師間でも嫌われているのだが、よく見ていると、彼は確かに偏屈だけど、心根は優しく誠実な人である。曲がったことが嫌いで、いい加減なことが許せないタチなので、他人にも厳しくなるのが煙たがられる要因といった感じか。現実に身近にいたら、確かにちょっと、、、かも知れないが、これ、本人が敢えて嫌われキャラを演じているのね。

 多分、彼はそうやって自分を演出することで、どうにか今の自分と折り合いを付けていられるのだろう。素の自分を出すことが怖いのだ、多分。

 生徒へのテストの評価が、最高がアンガスのB+で、他は軒並み、DとかE、中にはFとかも複数。卒業が掛かっていても容赦なく落第点を付けるポール。そら、嫌われるわ。

 それを思うと、B+ってのは普通の先生のAなんじゃない? アンガスはやっぱりよく出来る子なのだ。終盤で、ポールもアンガスのことを「彼はとても頭の良い子だ」と両親に言っていたもんな。アンガスだったから、ポールも心を開く気になれた、ってのはあるかもね。自分の授業をちゃんと理解している生徒は、教師からしてみれば嬉しい存在に違いない。


◆アンガスとポール、、とメアリー

 アンガスは、終盤まで両親との関係がイマイチはっきり分からないのだが、お母さんは再婚した夫と新婚旅行に行くために、アンガスにクリスマスの帰省を止めさせるような人である。しかも、アンガスは、母親が再婚した継父なんかより、実父のことが大好きなのだ。どうやら、クリスマスにはその実父の居るところへ母親と行く約束をしていたらしく、これも反故にされ、怒り心頭、、、というより、ショックが大きかった様子。

 ……まあ、そらそーだろう。図体はデカいが、精神的にはまだ少年に毛が生えただけのアンガスにしてみれば、これは結構辛い。

 おまけに、一緒に居残り組だったほかの少年たちは、そのうちの一人の少年の親が自家用ヘリで迎えに来たため、一緒にそのヘリに乗って少年の別荘とやらへ向かってしまう。アンガスも行きたかったのに、新婚旅行中の母親に連絡がつかずに、たった一人取り残されるのだ。弱り目に祟り目とはこのこと。

 これら一連のアンガスの不運を目の当たりにして、嫌われキャラのポールは、地の優しさが顔を覗かせてしまう。
 
 料理長のメアリーに対してもそう。一緒に夕食を食べよう、と気軽に声を掛ける。その様子を見て「使用人と一緒に食事するなんて!」と呆れる生徒に向かって激高するポールを見ていると、やっぱりこの人、良い人なんだよな、、、と分かる。

 このメアリーも要所要所でイイ味を出している。アンガスがボストンに行きたがっていて、それを学校の決まりだからダメ!というポールをさりげなく説得する。彼女の作った手料理でのクリスマスを、アンガスは喜んでいる。「こんな料理でクリスマス祝ったことない。お母さんはいつもケータリングだから」(セリフ確かじゃありません)と言うアンガス。アンガスの家庭状況がここでも垣間見えるが、そんなアンガスにウィンク一つで返すメアリー。恩着せがましくなったり、家庭のことを詮索したりしないのが良い。

 ボストンでのポールとアンガスの2人旅の様子も良い。アンガスがなぜボストンに来たがっていたか、、、それを知ったポールは、父親との対面にショックを受けているアンガスを「君とお父さんは違う人間だ」と言って慰め励ますシーンが胸に迫る。

 その後、このボストン行きが問題になって、アンガスは退学の危機に陥るが、ポールによってそれはどうにか免れる。やはり、ポールは道理の分かる真っ当な人間なのだ。

 結局、ポールは学校を去るが、彼の今後を思うとちょっと切ない。あの歳で、これまでより恵まれた新天地が待っているとも思えない。本作は良い映画だと思うけど、を7つにしたのは、このラストにもの悲しさを感じたから。アンガスは良かったんだけどね。若者の未来の方が、老人の未来より大事、、、みたいな印象がなきにしもあらずで、あー、良かった良かった、、、と思えない。

 とはいえ、ポールにはしたたかに生きて、古代史の本でも出してベストセラーになって欲しいけど。


◆その他もろもろ

 ポール・ジアマッティは斜視ではないけど、役のポールは斜視で、どうやって斜視に見せているのだろうと不思議だった。さすがに、演技で出来ることではないだろうし。

 クセ強な古代史の教師が実にハマっていた。アンガスと博物館に行って、生き生きと説明しているポールは嫌われキャラどころか愛嬌たっぷり。アンガスに「授業でもそんな風に話してくれればよいのに。みんなが先生を嫌ってるの、知ってるでしょ?」などと言われてしまう。しょんぼりするポールだけど、分かっているんだよね、自分でも。

 あと、アンガスが肩を脱臼するシーンで、上半身裸になったアンガスの方がホントに脱臼していて(しているように見えて)、これもスゴいなぁ、、、と思った。斜視といい、脱臼といい、何でも出来てしまう技術、恐るべし。

 アンガスを演じたドミニク・セッサは新人だそうだが、なかなか堂々としたものだった。見た目は大人だけど、中身はまだまだ少年で、お父さん恋しさに泣くシーンは、思わずもらい泣き。

 ポールとアンガス、メアリーの3人がレストランで、デザートにチェリー・ジュビリーを食べたい!というアンガスのリクエストに応えて、ポールが注文すると、店員が「未成年には(アルコールを使っているので)出せない」の一点張り。呆れたポールは、アイスとチェリーと酒をテイクアウトで注文して、店の外で、チェリー・ジュビリーを作る、、、というシーンも、前半の規則でガチガチなポールと対照的で良いシーンだった。

 アメリカ映画とは思えない、地味で味わい深い作品。イギリス映画みたい。

 

 

 

 


 

 


オープニングのレトロなロゴにビックリ(70年代の演出?)

 

 

 

 

 

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リトル・ダンサー デジタルリマスター版(2024年)

2024-10-14 | ★10個の作品

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv31905/


 1984年、イギリス北部、炭鉱の町ダーラムで暮らす11歳の少年ビリー・エリオット(ジェイミー・ベル)。

 大好きな母を病気で亡くし、炭鉱夫の父と兄、認知症気味の祖母と4人で暮らすが、男所帯で家の中は殺伐としている。炭鉱閉鎖の危機に組合が決行したストライキは長期化しており、父と兄は仕事ができず収入が絶たれ、家計は火の車だ。

 ある日、ボクシング教室に行ったビリーは、隣のバレエ教室のウィルキンソン先生に部屋の鍵を返しに行ったことがきっかけで、バレエに興味を持つ。

 以来、ボクシング教室に通う振りをして、父親に内緒でバレエ教室に通い始めるビリー。けれど、あっけなく父親に見つかってしまう。

 「男がバレエなんて!!」と激怒する父親と衝突したビリーは、ウィルキンソン先生の自宅にバレエ教室を辞めると伝えに行くのだが、、、。


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 私にとっての大切な大切な映画。大好きなベスト5、、、いや、大好きな映画はいくつもあるけど、本作はちょっとそれらとも違う、、、最愛の1本です。奇跡のような映画とはこの映画のこと。映画としてもだし、ここまで愛せる映画に出会えたことも。

 今年、本邦公開以来、23年ぶりにデジタルリマスターされて、劇場リバイバル公開となりました。

 DVDもBlu-rayも持っているけど、Blu-rayで見たのは購入直後、以来10年ずっと見るのは封印して来たし、スクリーンで見るのは公開時以来なので、23年ぶりにスクリーンの中のジェイミー演ずるビリーに会ってきました。嗚呼、ビリー、、、!!!

~~以下、本作への愛を垂れ流しているだけで、お読みいただければ嬉しいですが、すごくウザいと思いますので悪しからず、、、。また、盛大にネタバレしておりますので、よろしくお願いします。~~


◆改めて本作の素晴らしさを実感

 23年ぶりに会ったスクリーンの中のジェイミー演じるビリーは、記憶の中のビリーよりも100倍くらいカワイくて、愛しかった。オープニングのシーンから、もう涙目、、、。 

 01年の公開当時、劇場に5回見に行き、その後、DVDを何回も見たのだけど、今回、改めて素晴らしいと感じたことは3つ。①シナリオ、②演出、③主演のジェイミー、、、一見当たり前なことだけど、過去の名作と言われる数々の映画でも、この当たり前を全て兼ね備えている映画は、そんなに多くはないだろう。

 ①のシナリオについては、とにかく過不足がない。すべてのセリフ、シーン、映像の全部に意味がある。これ、すごいことだと思う。ビリーはもちろん、家族、友人、バレエの先生、、、等々、主要キャラの描写が一面的でなく、実に短いセリフとやり取りなのに、人物描写の奥行きがある。セリフで説明するところは全くない。本当にこれは奇跡的に素晴らしい。登場人物はみんな基本的にはイイ人たちだが、ただのイイ人ではない。そこをきちんとこの尺で描いている。圧巻である。

 ②の演出について、私は演出の方法論や技術的なことを学んでいないから、専門的なことは分からないが、ジェイミーやマイケル、デビーら子供たちの表情や動きがとても生き生きとしているのがとにかく魅力的。炭鉱の町らしく坂の多い場所を活かした画や、本作のキモであるダンスの振付と音楽の選曲、シーンの的確な切り替え等々、、、挙げればイロイロあるけど、ヘンに小細工していないのに、工夫があちこちに感じられるのが良い。何より、役者たちの演技が皆素晴らしい。これは、監督の演出力の為せる業だろう。長編初監督とは思えない凄技である。

 ③のジェイミーは、、、もうね、全部イイ!! 表情、仕草、セリフ、ダンス、ぜ~~んぶ素晴らしい。必死でピルエットの練習をしているときに、どうしてもできなくて頭を抱えるビリーの、自分へのいら立ちを表すかのように髪の毛をぐしゃぐしゃに掴むのとか、もう、、、カワイすぎるだろ、ジェイミー!と、スクリーンに向かって叫びそうになる。もう幼い子供ではない、でも大人でもない、大人になる前の声変わりしていないほんの一瞬の少年の輝きで目が眩みそう。嗚呼、、、もうサイコー!!!

 ……あとね、本作の魅力は、人を不快にさせない映画であること、、、なんだよね。嫌味がない。何かを伝えるために何かを貶めるようなシナリオになっていない。メッセージはもの凄く素直でストレート。でも深く奥行きがある。

 それと普遍性があることも名作の必要条件。本作の時代設定は、84年だけど、社会背景はその時代を映すものであっても、描かれている人間ドラマは普遍的そのものである。


◆好きなシーン6選

① こっそりバレエ教室に通っていたのがお父さんにバレるシーン……チュチュを着た女子たちに交じって、ランニングに紺の短パンをはいたビリーが一生懸命踊っているところへ、ボクシング教室に来ていないと知らされたお父さんが様子を見にやって来る。ターンしてビリーが顔を上げた瞬間、そこに怒りで赤鬼みたいになったお父さんがっ!!! ビリー、、、どうする?!

……って、この後、父と息子の取っ組み合いの喧嘩になるんだけど、お父さんに「お父さんはクソ野郎だ!!」というビリーの顔がめっちゃ憎たらしくてカワイイ。

② キッチンでミルクを飲むビリーが亡きお母さんの幻を見るシーン……ストが続いてフラストレーションの溜まるお兄ちゃんをお父さんが殴り付けて、家の空気は最悪な中、ビリーは練習不足をウィルキンソン先生に見抜かれる。でも、素直になれずに反抗し、先生に暴言を吐いてしまう、、、というなかなかシビアなシーン等が続いた後、ふと夜中にビリーがお母さんの幻を見る。お母さんに会えて嬉しそうなビリー、「ミルク瓶を冷蔵庫に戻して」とお母さんに言われて、戻して冷蔵庫を閉め、再び振り向くと、、、幻のお母さんは消えている。

……お母さんの不在を改めて実感したときのビリーの表情の切なさ、、、。息子を持つお母さんが見たら、これは号泣必至のシーンなのでは。私には子はいないが、号泣。

③ クリスマスの夜に初めてお父さんの前でビリーがダンスを披露するシーン……これは、本作の白眉だけど、何が好きって、ビリーのエネルギーほとばしる渾身のダンスである。怒り、フラストレーション、、、などがない交ぜになって爆発する。いかにもバレエっぽくないダンスがまた生命力を感じさせて素晴らしい。あんなダンスを見せられて、お父さんが心動かされない訳はないわな、、、と、誰もが納得させられる圧巻のシーン。

……DVDを購入した直後、このシーンを何度も繰り返し見たっけ、、、。ホールの暗めの照明といい、外からの雪に反射された白い光といい、映像がまたとても美しい。

④ オーディション結果を待つビリーの家族たちのシーン……結果の知らせがエリオット家に郵便で届く。おばあちゃんが、配達人が届けに来たのを家族に知らせ、お父さんが封書を郵便受けから取り「来た!」と、ダイニングテーブルの目立つところに立てかける。そこへ、ビリーが帰宅。一斉にダイニングテーブルに集まる父・兄・祖母。テーブルに置かれた封書にすぐに気づいたビリーが、一瞬ためらった後に、隣のおばあちゃんの部屋に一人籠って封書を開ける、、、。なかなか部屋から出て来ないビリーを待つ3人だが、諦めて吹っ切ったようにお父さんが立ち上がってドアを開けると、、、「受かった」と涙目のビリー。

……この、家族たちの一つ一つの反応がね、、、家族愛を感じさせる実に巧い描写になっていて、しかもユーモアもあり、劇場で必ず笑いが起きるシーン。初めて見たときは、すごくドキドキしたよなぁ。もしかしたら、不合格かも、、、などと思ってしまった。

⑤ 故郷からビリーが旅立つシーン……いよいよバレエ学校へ入学するため、自宅を離れるビリー。出発前にバレエ教室に行ってウィルキンソン先生に挨拶。「これからあなたの人生が始まる」とサラリとしたお別れ。自宅に戻り、おばあちゃんと固くハグをし、近所のマイケルにもお別れのキスをして、いざバスターミナルへ。お父さんが吹っ切る様にビリーをバスに乗せる。バスの中のビリーに、外にいるお兄ちゃんが“I'll miss you.”と言う。それまで強面だったお兄ちゃんの言葉が、しかしビリーには聞こえない。バスは無情に発車して遠ざかる。

……思い出すだけで涙目になりそうなシーン。ウィルキンソン先生のベタベタしない感じが実に良い。あと、お兄ちゃんがね、、、それまでずっと強面だったので、ここへきての“I'll miss you.”は破壊力抜群、見ている者の心を一気に鷲掴み。この声がビリーには聞こえない、、、ってのがまたイイ。この後、父と兄は再び炭鉱夫として坑道へと降りて行き、ウィルキンソン先生は一人バレエ教室に佇む、、、というワンショットが挟まれるのだが、たったそれだけの画で、現実のシビアさを描いてしまうところも良い。

⑥ ラストシーン……主演を務める大人になったビリーが、舞台へ飛び出して行って高く舞う!

……アダム・クーパーの鍛えられた背中の筋肉が印象的で、しかも高くジャンプしてフェイドアウト、、、エンドマークという鮮やかなエンディングは、余計な描写がない分、感動的。大人になったマイケルも出て来て、ココでも劇場がざわつくのがお約束。

 他にもいっぱいあるけど、キリがないので厳選しました。


◆デジタルリマスター版劇場公開

 このリバイバル上映を知ったのは7月で、前売りのムビチケを買うと、4種類のポスカのうちランダムで購入枚数分がもらえる!ってことで、発売日に映画友の分と2枚買ったら、4種類のうち、私が是非とも欲しかった絵柄の2枚のポスカが送られて来ました。ヤッター!!

チラシは2種類

 

 公開されたのは10月4日。この連休中、映画友と恵比寿ガーデンシネマに見に行ってまいりました。12:45の回は何と満席、、、。

 行ったら、前売りでもらったのとは別の特典ポスカをもらい、ラッキー! カワイイ。

 リバイバル上映なのに、パンフも作成されて、もちろんゲット。また、Tabioとのコラボでビリーの刺しゅう入りソックスが発売されたというので、こちらはネットで予約販売されており、購入。色違いで2足。ちなみに、注文したのが2日、届くまで2週間とのことで、まだ手元には届いておりません。待ち遠しい。

 パンフは、画像がいっぱいで嬉しい。23年前の公開時にももちろんパンフはゲットしたけど。

 終映未定とのこと。終映までにもう一度見に行くかどうか、、、悩み中です。今度いつスクリーンで見られるか分からないので、多分、行くと思う、、、。

 

 

 

 

 

 

ビリー、抱きしめたいっ!!

 

 

 

 

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オッペンハイマー(2023年)

2024-10-06 | 【お】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv84909/


以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 第二次世界大戦下、アメリカで立ち上げられた極秘プロジェクト「マンハッタン計画」。これに参加した J・ロバート・オッペンハイマーは優秀な科学者たちを率いて世界で初となる原子爆弾の開発に成功する。

 しかし原爆が実戦で投下されると、その惨状を聞いたオッペンハイマーは深く苦悩するようになる。冷戦、赤狩り―激動の時代の波に、オッペンハイマーはのまれてゆくのだった―。

 世界の運命を握ったオッペンハイマーの栄光と没落、その生涯とは。今を生きる私たちに、物語は問いかける。

=====ここまで。


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 日本での公開が遅れて、あれこれ憶測を呼んだようですが、オスカーをいっぱい受賞した直後の公開となり、興行的なタイミングとしてはバッチリだったようです。

 あんまし気が進まなかったけど、TSUTAYAの新作に上がっていたのでポチってしまいました。

~~以下、ノーラン監督ファンの方はお読みにならない方が良いかもです。悪意はありませんが、若干悪口になっているので。~~


◆イメージ最悪なオッペンハイマー

 オッペンハイマーについては、NHKのBS番組「フランケンシュタインの誘惑」で取り上げられており、何度か再放送されたこともあって、おおまかな背景は知っていた。この番組での彼の位置付けは、番組タイトルからも分かる様に、端的に言えば“悪魔に魂を売った科学者”で、人間的には非常に向上心の強い策士で野心家、科学者としても超秀才ではあるが天才と言うには独創性に欠ける、、、といったものだったように記憶している。

 また、NHKのBSドキュメントでも「“悪魔の兵器”はこうして誕生した~原爆 科学者たちの心の闇~」という番組が放映されており、こちらは録画してあったので、本作を見る前に再見した(ちなみに、映画を見た後にもまた見た)。このドキュメントはNHKが1年にわたり関係者に取材を行い制作された2時間番組。オッペンハイマーだけでなく、本作でもチラッと登場していたヴァニーヴァー・ブッシュレオ・シラードにも焦点を当てており、オッペンハイマーについては「フランケン~」よりもさらに辛辣な描写であった(後述)。

 なので、私の中では、本作を見る前の彼のイメージはハッキリ言ってかなり悪いものだった。名誉欲に取りつかれたマッドサイエンティストか、、、みたいな。

 で、本作を見た後、その印象が変わったか、、、、と言うと、正直なところ、ほぼ変わらなかった。まあ、マッドサイエンティストってのは言い過ぎかもだけど、悪魔に魂売ったには違いないね、という感じ。

 ドキュメントと映画は根本的に違うので、比べてどう、、、と言うつもりはないが、やっぱし本作はオッペンハイマーにかなり甘い作りになっているという印象は強く抱いた。監督はイギリス出身(アメリカとの二重国籍らしい)だが、所詮は戦勝国側の人間であり、オッペンハイマーを主役に据える時点で、これは既定路線だったのだろう。

 広島・長崎への原爆投下映像がないことに賛否あったけれど、むしろなくて良かったんじゃないか。そう思ったのは、トリニティ実験の描写を見たときだった。実験とは言え、まさにあれはエンタメ映像。こんなのの延長に、実戦投下した映像を入れられたんじゃ被害者は浮かばれない、、、と、感じた。原爆をエンタメにされたのでは堪らない。監督もその辺はかなり意識していたのだろう。実験とは言え、衝撃波の影響はもっと凄まじかったというし、何か爆発を美しく撮り過ぎていて、やっぱしそういう意味でも映画の限界を感じる。


◆ヒールに正論を言わせる

 私が一番(日本人だからであると思うが)不快に感じたのは、当初の目的である“ナチスより早く原爆を開発する”が瓦解していたのに開発を続け、、、たのは仕方ないにしても、それを、実戦で使ったことについての道義的責任を追及する役割を、本作のヒールであるストローズとロッブに負わせているところだ。

 これでは、本作を見た多くの一般アメリカ人は、イヤなヤツらが偉大なことを成し遂げたオッペンハイマーを、身勝手な敵意や嫉妬心から追い詰めているだけ、にしか見えないんじゃないかね。

 多分、監督としては、これは本作の本質として、重大な問い掛けとして描いているのだと思うが、それをヒールに言わせることでアメリカ人の感情とのバランスを取ったというのは邪推に過ぎるか。

 いずれにしても、私はオッペンハイマーに悔いてほしかったとは思わないし、科学者って、結局、新しい発見や発明に対する好奇心が倫理観を凌駕する生き物だと思うので、ヘンにキリアン・マーフィーが悔いる言葉を口にするシーンなんか見たら吐き気を催したと思うから、本作の作りとしてはこれで正解かも知れない。

 でも、ストローズとロッブに言わせるかね、、、っていう不快感は消えないけどね。ちなみに、史実ではあのようなやりとりはなく、ノーラン監督の創作らしい。

 クリストファー・ノーラン監督の作品は、私はほとんど見ておらず(興味が湧かない)、唯一見たのは長編デビュー作といわれる「フォロウィング」のみである。彼の作品は、時系列を組み替えるのが特徴だそうだが、「フォロウィング」もそうだった。時系列をいじる監督は基本的に好みではないし、この「フォロウィング」も、まあ、面白くないとは言わないが、別にグッとも来なかった。

 本作も、時系列は組み替えられており、ただ、私の嫌いな“組み替える意図がよく分からん”のではなかったので、その点は印象としてマイナスになることはなかった。組み替えてはいるものの、基本的には回想形式で、関連する過去のある時点へ飛ぶだけなので、見る者を惑わせる意図は全く感じない。

 オッペンハイマーという人物名をそのままタイトルにしているので、私は、てっきり、彼の科学者としての曲折の人生をなぞる映画かと予想していたのだが、蓋を開ければそれはゼンゼン見当違いだった。これは、ある科学者の話ではなく、オッペンハイマーという人物を通して原爆ができるまでの政治的いきさつを描いた映画だった。伝記映画ではなく、政治映画だ。


◆ダークヒーローにすれば良かったのに、、、

 本作を見ても、オッペンハイマーへの悪いイメージは変わらなかったし、キリアン・マーフィーがこれでオスカーをゲットしたのもあんましピンと来なかった。彼はもっと良い演技をしている映画がたくさんある。

 そもそも、本作でオッペンハイマーの人間性ってちゃんと描かれていただろうか。若い頃に鬱っぽくなり、上司を毒殺しようとし、いくつかの不倫をし、マンハッタン計画の責任者になって、原爆を実戦で使うように仕向けて、終戦後は失脚した、、、という出来事をなぞっていただけでは?

 実際の彼は、猛烈に頭が良かったからか、人を見下し、出来の良くない人間に容赦のない侮辱をし、ノーベル賞を獲れなかったという強烈なコンプレックスを克服するために、マンハッタン計画の責任者になるよう自分をグローヴスに売り込んで、原爆が実戦で使われなくなりそうになったらあの手この手で使うように工作し、、、という、かなり闇の深い人物である。その一端でもこの映画で描かれていただろうか??

 同計画に参加していたフリーマン・ダイソンが前述のBSドキュメントで言っている。

 “オッペンハイマーは、グローヴスや陸軍と手を組み、原爆を作るための莫大な資金と、非常に多くの人材を手にした。それは間違いなく悪魔に魂を売り、引き換えに力を得るファウスト的契約の典型だった。オッペンハイマーは完全に目がくらみ、この兵器を作り上げるという非常に激烈な情熱になった。”

 本作では、グローヴスに請われて責任者になっているし、ノーベル賞コンプレックスは全く触れられていない。むしろ、自分の能力の限界を悟って達観した、ある種謙虚な人物、、、くらいの描かれようである。史実と違っていても良いけど、なぜ彼がマンハッタン計画の責任者になったかは重要なファクターで、彼はノーベル賞を獲っていないからこそ、最初は、この原爆計画にお声さえ掛かっていなかったのだ。それについて焦り、妬み、どうしようもなくなって、グローヴスに自ら売り込んだ、、、ってのは、ちゃんと描いた方が、映画として面白くなったと思う。

 キリアン・マーフィー演ずるオッペンハイマーは途中までは危なっかしい中途半端なヒーロー、後半は赤狩りのとばっちりを受けた不運な男、、、みたいで、人間的にはまったく魅力を感じなかった。どうせなら、もっとダークヒーローにしても良かったのではないか。実際そうだったんだから。アク抜きしたのが仇になった感がある。

 ちなみに、原爆開発の資金20億ドルは、議会を通さずルーズベルトの承認だけで調達されていたため、不正流用ではないかと追及していたのは、当時は下院議員だったトルーマンだった。が、その後、副大統領になっていたトルーマンは、ルーズベルトが急死したことにより大統領となり、20億ドルの使い道を知らされてからは、その責任を戦後追及されないよう、何としてでも実戦での原爆使用に拘ったという、、、歴史の皮肉である。

 広島・長崎は、20億ドルのメンツのために犠牲にされたと言っても過言ではない。

 あと、本作はとにかくセリフが多い。最初は字幕で見ていたが、途中で吹き替えに変えた。吹き替えで見た方が圧倒的に理解がしやすい映画ってあるけど、本作もそうだと思う。字幕至上主義の人も多いけど、字幕追ってるだけで俳優の演技が見られないのはもったいない。

 ノーラン監督作のファンには、本作はおおむね高評価の様だけど、前述のとおり、私はこの監督に何の思い入れもないので、こういう感想になりました。

 

 

 

 

 


フローレンス・ピューは全裸になる必要あったのか?

 

 

 

 

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