映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

レザボア・ドッグス(1991年)

2024-06-29 | 【れ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv10341/


以下、wikiからあらすじのコピペです。

=====ここから。

 ロサンゼルスを拠点とする裏社会の大物ジョーは宝石強盗を計画し、息子エディと共に6名の実行メンバーを集める。互いの素性を隠すためにコードネームで呼び合い、いよいよ強盗計画が実行される。

 現場から逃走したメンバーが集合場所の倉庫に集まり始めるが、計画通りに運ばなかった事態の中で、情報が警察側に漏れていた疑いが生じる。

 彼らは互いに不信の念を抱き、拳銃を突き付け合う

=====ここまで。

 デジタルリマスター版。


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 タランティーノ作品で見たことがあるのって、本作だけなんだが、本作は、その後のタランティーノ作品について私の見る気を失わせた記念すべき映画。何故か? 面白くなかったわけではなく(面白かったわけでもないが)、暴力描写が性に合わないな、、、、という直感的なもの。

 暴力描写って、もちろんどれもそんなに見ていてイイ気持ちはしないものだが、本作の場合、生理的にちょっとイヤだな、という感じかしらね、、、(後述)。

 なので、別に好きな映画というわけではないのだが、スクリーンで見たことなかったし、音楽はまあまあ好き(なぜかサントラを持っている)なのもあり、早稲田松竹に見に行った次第。

 本作は、みんシネでも平均点が7.49点(6月29日現在)という、なかなかの高得点だし、世間での評価も高いっぽい(知らんけど)。タランティーノのデビュー作で、早稲田松竹のHPでも「現代の映画は“ここ”から始まった。」とか「史上最高のインディペンデント映画」とか、とにかく大絶賛である。

 私がこの映画を初めて見たのは、多分、公開から10年以上経っていた2000年以降(DVDで)だったと思うが、正直、ピンと来なかった。話もアレだけど、全体に流れる雰囲気が、私には下品に感じた。……けれど、スタイリッシュだとか、オシャレだとか言われている節もあり、どうも自分の感性と世間の評価が大きくズレている。そんな映画は他にもいっぱいあるけど。

 それで、ウン十年ぶりに再見したわけだが、スクリーンで見ても、あんまし印象は変わらなかった。

 話題の、冒頭の会話シーンだが、、、。アレ、面白いの? 初見時にも感じたけど、オヤジ感丸出しの超絶お下劣会話で、オッサンたちには面白いのかも知らんが、女の私にとっては聞くに堪えない上に、中身も全く面白さが分からん。

 その直後のオープニングは、「Gメン'75」みたいに(ちょっと違うけど)登場人物が横に並んで一人一人ストップモーションになるってのなんだけど、これを、すげぇカッコイイとかみんシネでも書いている人が散見されたんだが、、、、私はテレビドラマみたいやなー、、、としか。音楽は良い。

 で、いきなり、オレンジが血塗れになっているシーンになるのだけど、私が本作のバイオレンス描写で一番イヤだったのが、このオレンジの血塗れが結局ラストまでず~~~~っと続くことなのよね。しかも、どんどん血糊の量が増えて、終盤なんか、まさに文字通り「血の海」。しかも、その状況で、オレンジは虫の息で生きているわけよ。やめてくれ、、、と言いたくなる。見ているだけで、何か精神的に削られる。見なきゃいいじゃん、、、といわれても、見ないと本作の半分くらいは見られないことになってしまう。

 ストーリーとしても、あまり意外性はなく(それは別に構わないが)、かと言って面白いわけでもなく、、、。いや、まあ面白くないとまでは言わないが、面白いとまではなぁ、、、。人に「面白かった?」と聞かれれば、「うぅ、、、まあ、面白くないってほどでもないかな」という答えになる。

 だって、本作のストーリーって、裏切り者は誰だ?の一言だし。こういう単純なストーリーの場合、いかに人物描写に奥行きを出すかが大事だと思うけど、タランティーノは、そういうことにはあんまし興味ない監督に感じた(本作に限って言えば、ってことです。他は見ていないので分かりません)。

 ラストの3人が銃を向け合って、、、ってのはなかなかユニークではある。結局、ブシェミのピンクは飄々と生き残り、それがまた良かったのだけど。

 とはいえ、タランティーノ作品のみんシネでの評価は結構高得点のものが多く、監督として映画ファンを楽しませる良作をコンスタントに、しかも長期にわたって発表し続けているってのは、純粋にスゴいことだと思う。そのスゴいことをしている監督のデビュー作ということで、ちょっと世間では過大評価されている気もしないではないが、コアなファンがいるのも分かる気がする。

 スクリーンで見て印象がガラリと変わる映画も多いけど、本作は、ゼンゼン変わりませんでした、、、ごーん。

 

 

 

 

 


他のタランティーノ作品も見てみようかな、、、。

 

 

 

 

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Red(2020年)

2021-01-05 | 【れ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv68619/

 

以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 誰もがうらやむ夫、かわいい娘、“何も問題のない生活”を過ごしていた、はずだった塔子。10年ぶりに、かつて愛した男・鞍田に再会する。鞍田は、ずっと行き場のなかった塔子の気持ちを、少しずつ、少しずつほどいていく…。

 しかし、鞍田には“秘密”があった。

 現在と過去が交錯しながら向かう先の、誰も想像しなかった塔子の“決断”とは――。

=====ここまで。


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 昨年、ちょっと話題になっていた本作。でも、劇場に行くほどもそそられず。DVDでいっか、、、と思った私の判断は正しかったのでした。


◆これホントに不倫モノ?

 冒頭のあらすじを読んでも、イマドキこれ??みたいな話なんだが、原作は島本理生の同名小説だそうで、島本理生作品は一つも読んだことないのだけれども、女性の性愛を得意としている作家さんのようだし、直木賞も獲っているくらいだから、きっと、本作の原作もただの不倫小説じゃあないんでしょう。

 でも、映画版を見る限りでは、ただの不倫話、、、、でさえない、というか。不倫が描けていないと感じてしまった。

 映画でも文学でも“不倫モノ”は一ジャンルであるけれど、それは“不倫”が、恋愛における枷になっているから成立しているようなもんであって、枷がない物語など、見ても読んでもツマンナイわけよ。

 本作の場合、原作がどうなのかは知らんが、少なくとも夏帆演ずるところの塔子を見ていて、不倫における枷をまったく感じなかったのよね。既婚者である<のに>、夫とは別の男とセックスしちゃうという場面は、私の目にはフツーの濡れ場にしか見えず、別にこれ、普通の何のしがらみもない男女の恋愛のそれと違わなくないか??と。

 ……いや、どういう演技なら不倫の枷を感じるセックスシーンに見えるのかと聞かれると、それは何とも言葉に出来ないのだが。不倫モノ映画といって思い浮かぶのが、『隣の女』とか『ダメージ』とかなんだが、これらの映画でのセックスシーンは、やっぱり見ていてヒリヒリする“痛さ”“ヤバさ”があったんだよなぁ。でも、夏帆とぶっきーの絡みを見ていてもヒリヒリしない。むしろ、早送りしたくなるくらい、無味乾燥。濡れ場なのに……ごーん、、、。

 見ていて思ったんだが、演技で一番難しいのって、やっぱりラブシーン(セックスシーン含む)ではなかろうか。あんまりセリフがない場合が多いから、身体の動きとか表情とかで表現しなきゃいけないわけで。……ぶっきーはしかし、何かコトの最中でやたらと喋ってたっけ、、、。なんかああいうのって、アダルトっぽくなって逆効果じゃない? 演出としては、ちょっと下品な感じがするが。まあ、これは好みかな。

 既婚者だから、罪の意識を感じさせるシーンにしろよ、と言いたいわけじゃなく、やっぱり所詮は“破滅前提の関係”であるという切迫感めいたものがないと、不倫モノ特有の枷にはならんわね。そこが、本作には決定的に欠けていた要素だと感じた次第。これは、演出も良くないけど、演じた2人も良くないと思った。


◆塔子という女性、その他もろもろ。
 
 なんか、濡れ場の話ばっかし書いてしまったが、それ以外のところでは不倫モノとしてどう感じたか、というと、何かそれもピンとこなかったんだよねぇ。

 そもそも塔子という女性が、同じ女性として私は好きじゃないなー、と。

~以下ネタバレしています~

 監督が言うには、「それまで自分の欲求を押さえつけていた塔子が初めて自分の人生を生き始めた瞬間を撮りたい」ということだそうだが、塔子さんて、“自分の欲求を押さえつけていた”のかね?? 柄本佑演ずるウザ男のあしらいとか、ああいう家の息子と結婚したこととか、鞍田とのアレコレとか見ていると、結構、自分の欲求に正直に動いている女に見えるんだが。

 私が好きじゃないのは、本当はそうなのに、そうじゃない風を装っているのがミエミエ、つまりぶっちゃけて言えば“カマトト”なのに、「私って、抑圧されてて可哀想、、、」みたいに生きているからなんだよね。被害者ぶってんじゃねーよ、と。人のせいにするな、ってね。好きでカマトトやってんでしょ。

 本作のラストは、監督に言わせれば“塔子が自分の意思で初めて人生の選択をした”ということなんだろうが、ううむ、、、相手は死んでいるからなぁ。生きていれば、駆け落ちはアリだと思うけど。死んでしまった男の思い出を抱いて生きる、、、、お好きにどーぞ、ではあるが、映画としてはちょっとね。少女趣味というか。イマドキの少女はそんなことしないか。

 カマトトを一皮剥いたら、天然が出て来た、、、ってとこかな。大人の恋愛話としては、オチが馬鹿っぽい気はするが、カマトトの先行きとしてはふさわしい気もする(本作で感動した方orお好きな方、ごめんなさい)。

 あと、冒頭のあらすじにある「鞍田には“秘密”があった。」という思わせぶりな一文だが、秘密って、鞍田が癌だってこと? あれって秘密なの?? ううむ。秘密なのかー。私は、病気とか妊娠とかを物語の“転”にするの、生理的に好きじゃないんだよなぁ。登場人物が病気になったり妊娠したりしても良いけど、それを転にするって、、、現実ではそういうことは一杯あるけど、フィクションではちょっとな。しかも、“秘密”って(これも好みの問題です)。

 本作では、夏帆が「大胆なシーンに臨んだ」などと話題になっていたが、、、、え゛、、、どこが?? だったんだけど。こういう映画で脱ぎ惜しみする女優って、何なんだ?? だったら出るな、役を受けるな、と言いたいんだが。脱ぎたくないのか、脱がしてもらえないのか知らんが、本当に邦画のこういうところは幼稚で鼻白む。彼女の他の演技も、さして上手いと思えず。

 ぶっきーは、童顔で、悪い男を“頑張って”演じている感が滲み出ていて、見ていてキツかった。ううむ、彼の演技は上手いのか? 分からん。

 性愛を描いても、およそ韓国映画には及ばず、、、って感じやね。邦画界の根深い病理のようなものを感じる。

 

 

 

 

 

 


原作を読んでみようかな。

 

 

 


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LETO -レト-(2018年)

2020-08-02 | 【れ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv71035/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 1980年代前半。西側諸国の文化が禁忌とされていたレニングラードでは、西側のロックの影響を受けたアンダーグラウンド・ロックのムーブメントが起き始めていた。

 ロックスターを夢見るヴィクトルは、その最前線で活躍するバンド「ズーパーク」のリーダーであるマイクを訪ねると、彼に才能を見いだされ、ともに活動することに。音楽活動が軌道に乗りだす一方、ヴィクトルとマイクの妻ナターシャとの間に恋心が芽生え始める。

=====ここまで。

 
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 7月に『ドヴラートフ』を見に行ったんだけれど、終映後に、島田雅彦氏と沼野充義氏の対談があって、これがまあまあ面白かったんだが、その際に、沼野氏が『ドヴラートフ』の音楽について触れた際に、「来月『LETO』という面白い映画が公開されるので、是非見て下さい」みたいなことを言っていて、ロックとかゼンゼン知識ないけど、80年代のレニングラード(サンクトペテルブルク)が舞台の映画だと知って、ちょっとロシアづいている身としては見たくなってしまい、劇場に行った次第。

 ちなみに、『ドヴラートフ』については、島田&沼野対談の感想を含めて、いずれ書くつもり、、、。

 で、本作。予備知識はほぼないまま見に行ったんだけれど、もっと、PV的な映像が盛りだくさんのロック映画だと思っていたら、ロックを背景にしたラブストーリー&人間ドラマだったので、なんか意外だった。

 基本的には、ヴィクトルとマイクとナターシャの関係性を軸に描かれており、当時のソ連でロック界を開拓していく成功譚的なエピソードはほとんどなかったように思う。もちろん、彼ら独自のロックを産み出すための葛藤が描かれたシーンは差し挟まれるものの、見終わった印象は、共産主義下で抑圧されながらアングラで戦ったロックミュージシャンたちの映画、ではない。

 ただ、たくさん音楽が使用されており、私でも知っているT・REXも流れていた。私が何となく知っている“洋楽”は、メインは80年代(といっても詳しくはない)とはいえ米英の音楽ばかりだから、ソ連のロックなんて全く知らなかったけれど、それでも音楽シーンは十分楽しめた。

 特に私が本作に期待していた“ロック映画”っぽかったのが、前半に出てくる列車内でのミュージカル風シーン。基本的に本作はモノクロなんだが、印象的に“色”が使われていて、またこのシーンでは映像も凝っていて面白かった。こういうシーンがもっと一杯あるんだと思っていたんだよなぁ。

 しかし、いくら忌まわしい“西側音楽”だからって、ロックを座って聴かなきゃいけないとか、意味が分からん。会場に共産党が監視に来ているとか、歌詞は検閲されるとかってのは、まあ分かるけど。スタンディングでノリノリで踊るとどーだっていうのかね? 横断幕を掲げただけで、監視員が注意しに来るし、立ち上がると「座れ、座れ!」ってしつこく言いに来る。

 ラストは、ヴィクトルがバンド「kino」を立ち上げて成功を予感させるライヴシーンで終わるのだが、ストーリー的には思っていたより、ずっと大人しく、スタンディング禁止以外は共産党の気の狂った抑圧とかもほとんど出て来なくて、拍子抜けする感じだった。

 それに、何といっても私が一番楽しみにしていたのは、当時のレニングラードの街並み。……だったんだけど、街並みのシーンはほとんどなく、ちょっと歩いているシーンとか、窓から街を見渡すシーンが少しあったくらいで、ガックシ、、、。まあ、前述の島田&沼野対談で、島田氏が言うには、「ロシア革命前と(島田氏が滞在していた)80年代、現在とで、レニングラード(サンクトペテルブルク)はあんまし変わっていない」とのことだったので、街並みのシーンはさほど意味がないってことなのかも知れないが、、、。

 ヴィクトルをユ・テオという、アジア系の俳優が演じていたので、??と思ったんだが、後でパンフを見たら、「朝鮮人の父とロシア人の母を持ち、レニングラードで生まれ育」った人だと知って納得。人気絶頂期に28歳で事故死しているらしい。T・REXも、確かヴォーカルが事故死していたのでは、、、?

 

 

 

 

 

 

 

タイトルの「LETO」は、ズーパークの音楽の曲名

 

 



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レ・ミゼラブル(1998年)

2020-05-28 | 【れ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv30890/

 

 「レ・ミゼラブル」と言えば、ジャン・バルジャンとジャベール。そんな原作のメインテーマにフォーカスした映画。ミュージカルではありません。


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 レミゼ鑑賞、続いております。ネットを見たら、やはり、何作も映像化されているレミゼを見比べている方が結構いらっしゃる様子。ミュージカルからハマって本作に辿りつくパターンが多いみたいだが、ミュージカル版がお好きな方には、本作はちょっと肩すかしかも知れませぬ。なぜなら、ミュージカル版ではなくてはならないものが、本作には“ナイ”からです。


◆2人のオッサンの物語。

 本作は、公開時に劇場で見ていて、割と印象に残っているのだが、忘れていることも多いので、今回改めてDVDを見直してみた。

 一番印象に残っていたのは、ジェフリー・ラッシュのジャベールで、今回もやっぱりジャベールの存在感が一番だった。私の中にあるジャベール像に一番近い。子どもの頃「あゝ、無情」を「少年少女 世界の名作文学」(小学館)で読んだときのジャベールは、まさにジェフリー・ラッシュが演じたみたいな見た目とキャラだった様な気がする。その本には挿絵があって、ジャベールは黒ずくめのコートを着ていた記憶があり、だから劇場で見たときも、「うわ~、あのジャベールだ!」と思ったのだった。

 ……で、本作は、ミュージカル版のように「愛が全て!!」という感じではなく、飽くまで“ジャン・バルジャン VS ジャベール”がメインストーリーであり、それがほぼ全てと言っても良い作りになっている。オッサン対決の映画なのである。

 だから、それ以外のストーリーに絡む人物は、バッサリとカットされている。つまり、エポニーヌもアンジョルラスも出てこない。マリウスとコゼットのロマンスも、ほんの味付け程度に描かれるのみ。テナルディエ夫婦もチョイ出でほとんど存在感がない。ミュージカル版のキモと言っても良いくらいのエポニーヌがいないのだから、ミュージカル版LOVEの人にとっては本作は、気の抜けたビールといったところかも。

 しかし、私が長年抱いてきたレミゼは、本作と同じ“ジャン・バルジャン VS ジャベール”の物語なので、エポニーヌがいなくても、マリウスとコゼットのロマンスがチョロッとでも、ゼンゼンOK。むしろ、その方が面白い。

 本作では、ジャン・バルジャンは決して“改心した善なる人”として描かれているのでなく、飽くまでも“悪の誘惑と葛藤する人”として描かれている。そして、私はこういうジャン・バルジャンの方が好きだ。NHKで放映していたBBCドラマ版のジャン・バルジャンも、やはり葛藤する人で、だからこそ魅力があったと思う。内なる悪に誘惑されると、彼は、司教にもらった銀の燭台を手にして自らと向き合う。そして、苦しみながらも、善の道を選んで行く。ここが人間臭くて、ドラマになるのだと思う。ミュージカル版は、その辺の葛藤が薄いよね、ちょっと。

 そして、そんな葛藤するジャン・バルジャンを常に脅かすのがジャベールなのである。ジャベールに対するジャン・バルジャンは“善なる人”であり続けることは出来ない。そらそーでしょう。今の穏やかな生活を壊しに来る存在なんだから。つまり、ジャベールは、ジャン・バルジャンが必死に封印している“内なる悪”を呼び覚ます存在として本作では位置づけられている。

 だから、最後の最後まで緊迫したオッサンの対決劇が描かれ、見ている方は手に汗握りっぱなしなのである。


◆ラストのジャン・バルジャンの表情をどう見るか。

 で、本作で物議を醸しているのがラストシーンなのだが、、、。

 ジャベールは、原作どおり、セーヌ川に身を投げる。ただ、これが、ジャン・バルジャンの目の前で、、、なのである。しかも、その後のジャン・バルジャンの表情が、清々して笑っているように見えるのだ。

 これが、ネットでの感想を見ると、かなり不評の様で、「ガッカリした」とか「ジャン・バルジャンが偽善者ってことになる」とか「川に飛び込んで助けろよ」とか、、、。まあ、それも分からんではないけど、この場合はちょっと違う気がする。

 この感想を読んで、私は『戦場のピアニスト』で、主人公のシュピルマンが自分を助けてくれたドイツ人将校を助けようと奔走しなかったことを批判する感想の数々が頭をよぎったのだが(史実ではシュピルマン氏はドイツ人将校を探し、救出しようと活動しているが)、映画でそこまで主人公を筋の通った高潔な人物として描かなければならないのだろうか?

 ジャン・バルジャンは、決して完璧な善人ではない、というのが本作の前提であり、ジャベールは常に彼の善人としての人生を脅かす存在だった。一瞬の出来事とは言え、あっという間にジャベールは自らセーヌ川に身を投げてしまった、、、それを呆然と見ているしかなかったジャン・バルジャンとしては、ようやくこれで、内なる悪を呼び覚まされることがなくなったという“安堵感”が最初に込み上げるのは当然だと思うのよ。自分の“内なる悪”に自覚的だからこそ、もう、悪に戻らなくても良いとホッとする感覚、、、なんじゃないかなぁ。自覚していることの方が、人としては上等な気がするんだけどね。

 それまでの葛藤の数々と、人生を懸けて善の道を選んできた苦悩を思えば、その原因である存在がこの世から、しかも自ら消えてくれたのだよ? 何で、汚い川に飛び込んでそれをまた助け上げなきゃいけないのさ。そんな分かりやすさ、いらんと思う。

 ジャベールは飽くまでも正義を貫かんとして生きてきたわけだけど、正義ってのは立場が変わればその中身も変わるという、非常に攻撃的でありながらも脆いもの。ジャベールにとっての正義は法を守ることだったのだが、法は万能ではなく、自らが信じて来たことが脆くも崩れたことでジャン・バルジャンを放免するに至ったわけだ。しかしそれは、自らが法に背いたこととなり、だからこそセーヌ川に身を投じる前に自らに手錠を掛けて、自らを罰した形になったのだろう。彼なりに自己完結したのであって、助けてもいいけど、助けるには及ばないとも思う。

 そして、そこでバッサリと終わっているのが良い、、、と思う。その後のジャン・バルジャンなど描いても、それは本作の場合、蛇足だろう。オッサン対決に終止符が打たれたのだから。


◆その他もろもろ

 リーアム・ニーソンは、あんまし好きじゃないけど、まあまあ良かったと思う。本作では、ジャン・バルジャンとファンテーヌの間に愛があった、、、という設定になっていて、ファンテーヌの悲惨な末路が比較的丁寧に描かれている。ファンテーヌを演じたユマ・サーマンは大熱演。

 ジェフリー・ラッシュは、やはり素晴らしい俳優だと改めて思った次第。撮影時は40代後半で、まだ若い。ジャン・バルジャンに殺されるか、、、というシーンでの演技は、本作の白眉と言っても良いのでは。

 マリウスは、アンジョルラスのキャラと融合させたキャラになっており、何だか中途半端な感じだった。コゼットは、BBCドラマ版では可愛いだけの箱入り娘だったが、本作では割と自己主張をする強さも持ち合わせたキャラになっていて、こっちのコゼットの方が私は好きかな。

 ジャン・バルジャンがコゼットに自分の過去を洗いざらい打ち明けるという改変もされているが、まあ、これらもメインストーリーを重視して2時間半の尺に収めるための技だと思えば、あまり気にならない。

 本作の監督はビレ・アウグスト。『リスボンに誘われて』の感想では、本作について「良い作品だけど、ちょっと食い足りないというか、グッと来なかった」と書いたけど、今回見直してみて、グッとは確かに来なかったけど、決して食い足りないなどということはなく、十分オッサン対決のドラマを堪能させていただきました。ミュージカル版よりは、ゼンゼン見応えあると思います。

 


 
 

 

 

“Jean Valjean”の発音だけがやけにフランス語っぽく聞こえたのは気のせいか、、、。

 

 

 

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レディ・マエストロ(2018年)

2019-10-06 | 【れ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv68259/

 

 以下、上記サイトよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 1926年、ニューヨーク。オランダからの移民アントニア(クリスタン・デ・ブラーン)は、指揮者を目指していた。

 女性は指揮者になれないと言われながらも、誰にも負けない音楽への情熱を持ち続けたアントニアは、ナイトクラブでピアノを弾いて学費を稼いで音楽学校に通うが、ある事件から退学を余儀なくされる。

 引き留める恋人を置いて、アムステルダムからベルリンに渡り、ついに女性に指揮を教えてくれる師と出会う。レッスンに没頭するアントニア。

 そんな彼女に、出生の秘密や恋人の裏切り、女性指揮者への激しいバッシングなど、次々に壁が立ちはだかる。

=====ここまで。

 1902年生まれの女性指揮者のパイオニア、アントニア・ブリコの物語。1989年没。

 

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 クラシック音楽を扱った映画は、大抵ハズレなので見ない方が良いと分かっているんだけど、割と見ちゃうんだよなぁ。だから、本作もゼンゼン期待しないで、むしろドン引きするのを恐れながら(じゃあ、見に行かなきゃええやん、と自分でも思う)見てみたんだけど、これが意外にも良い映画で掘り出し物に会った気分。

 ホントに、忘れた頃にこういうステキな出会いがやって来るから、映画ってやめられないんだわ~。

 

◆男ばっかの指揮者の世界。

 指揮者って、ホントに男ばっか。日本で今、若手女性指揮者というと、西本智実三ツ橋敬子、、、くらいしか名前が浮かんでこない。お二方ともライブで聴いたことがあるが、西本さんはまぁ、、、正直なところ話題先行で(ルックスがカッコイイからか?)特別個性を感じなかったが、三ツ橋さんは小柄ながらもの凄いエネルギッシュでキレッキレの悲愴(チャイコ)にビックリした記憶がある。

 ……が、つい最近、ブザンソンで久々に日本人女性が優勝したというニュースが。沖沢のどかさん、31歳だとか。これはスゴい快挙だろう。久々に、というのは、82年にも日本人女性の松尾葉子さんが優勝しているから。

 実は、松尾葉子さんは、私が学生時代にいたオケを何度も振ってくれていた。私が在籍中は残念ながら巡り合わせがなかったけど、数年違いの先輩・後輩たちは松尾さんの指揮を受けている。裏山のしーたけだ、、、。

 それはともかく。いまだに女性が優勝するとニュースになるのが指揮者のコンクールなのである。松尾さんが優勝したときは、女性初というのもあったが、それ以前に小澤征爾が優勝したことがあるとは言え、まだまだアジア人のハンディが今以上に大きかった頃だから、それはそれは大変な出来事だったはずだ。

 新聞記事によれば「沖沢さんは観客が選ぶ「観客賞」と演奏したオーケストラが選ぶ「オーケストラ賞」にも輝いた」とあるから、実力は相当のモノだろう。プロのオケに評価されるというのは、そんなに簡単なことではない。クライバーの死後、彼の生前の活躍がDVDになったが、そこで彼の縁の人が言っていた。

 「指揮者なんてのは、ピラニアの水槽に飛び込むような仕事。私は絶対やりたくない」

 オケの演奏者たちも、一流オケになれば皆一流揃いでプライドは高いし一筋縄ではいかない奏者ばかりだ。本作でも、アントニアの指揮に従わないコンサートマスターが描かれている。ただでさえプライドの高い当時のコンマス、新人の、ましてや女の指揮者なんかに従えるか!って、実際にセリフで言っている!! ……まぁ、これが現実だったんだろうなぁ、と容易に想像がつくが。

 そこでアントニアはどうしたか。コンマスのストラディバリウスを取り上げると「あなたには楽器がある。でも私にはオケがいなければ音楽を演奏できない! 指揮者にはチャンスが少ない。人間は皆失敗しながら成長するが、指揮者に失敗は許されない。私のチャンスを潰すな!!」(セリフ正確じゃありません。もっと賢い言い回しでした)と魂の叫びを発していた。このシーンが本作の白眉だろう。

 

◆構成が素晴らしい。

 私が、ドン引きするかも、、、と危惧していたのは、こういう映画では、主人公の情熱が過剰に描かれる半面、挫折の理由を全て“女であること”に落とし込む単純化がありがちだからだ。そういうパターンのシナリオだと、見ていて小っ恥ずかしくなってくるからイヤだなぁ、、、と思っていたのだ。

 で、本作のシナリオも、確かに、“情熱とジェンダー”がストーリーの縦糸には違いなかったのだが、それをマイルドにしてくれていたサイドストーリーの横糸がしっかり効いていたので、見ていてそれほど苦にならなかったのだと思う。

 主なサイドストーリーは3つ。1つは、アントニアの出自だ。彼女がNYで暮らしている両親は、養父母で、実母は別にいると、途中で明かされる。それまで、アントニアはウィリーと呼ばれている。自分が養子と知った後のアントニアの葛藤と、自分のルーツを辿る旅も描かれる。この過程は見ていてちょっと感動モノである。

 2つめは、アントニアのラブロマンス。冒頭で彼女が働いていたコンサートホールのオーナーの息子フランクと、最初は最悪な出会いながらも身分違いの恋に落ちるというベタな展開ながら、フランク君がなかなかのイケメンかつ好青年なので、許せる。好青年というか、紳士なんだよね。捻くれていないし、カワイイのだ。こんな青年なら、アントニアが惹かれるのも当然、と思える。アントニアがオランダに自分のルーツ探しに出て、そのまま指揮の修行にドイツに行ってしまうと、フランクはドイツまで追い掛けてくる。どうしてもアントニアと一緒になりたい、と。……で、アントニアの答えは、もちろんNOなんだが、その後もちょっと一悶着ある辺りが面白い。

 3つめは、今で言うLGBTだ。アントニアの指揮者への情熱を陰で支えてくれるロビンというジャズバーの男がいるのだが、このロビン、実は女性だったのである。性同一性障害で、一件男性だが、本作の終盤、アントニアが女性オケを作ったときに、ベース奏者として女性の姿で現れたのがロビン。この後、ロビンの胸の内をアントニアが聞くシーンがあるが、ここも結構感動的。ロビンを演じているのは、スコット・ターナー・スコフィールドというトランスジェンダーを公言しているお方。どこかで見た気がするのだが、ちょっと分からない。

 ……と言う具合に、かなり盛りだくさんな内容で、上映時間も2時間20分と長めだがゼンゼン長さを感じない作りで、むしろ、よくこれだけの内容をこれだけの尺でまとめたなぁと感心する。きちんと伏線も全てラストまでに回収しているし、一つ一つエピソードのさばき方は素晴らしい。

 私の斜め前に座っていた女性の方は、終盤、号泣されていた。、、、私は涙こそ出なかったけど、かなり胸に迫るモノがあった。こんな感覚になれたのは久しぶりかも。

 

◆その他もろもろ

 アントニアを演じたクリスタン・デ・ブラーンという女優さん、魅力的な美人。オランダでメインに活躍しているのかな? でも、英語もキレイに話していたように思う。ネイティブと言われても違和感がないくらい。彼女は背も高くて見栄えがし、指揮っぷりもカッコ良く、さぞや特訓したのだろうと推察する。

 アントニアは努力して、NYの音楽学校に入って指揮を習うのだが、そこで師事した男性教授に、案の定、セクハラを受けて退学となる。……まぁ、お約束な展開だけど、非常にムカつくシーンで、アントニアに抵抗された教授は、ピアノの蓋に手を挟まれて指を骨折するんだが、内心、ざまぁ、、、であった。そのセクハラシーンも下品そのもので、妻子ある身のくせに「女が指揮棒を振り回しているのはみっともない、女は子供を産め、女は底辺にいれば良いんだ」とかほざいて、アントニアの下半身を触ろうとするのである。まったく、こういう男たちは早く絶滅してほしいものだ。

 好青年フランクを演じていたのは、ベンジャミン・ウェインライト。イギリス人俳優で、『静かなる情熱 エミリ・ディキンソン』にも出演していたとか。え、、、何の役だったんだろ?? エミリの兄の若い頃かな、、、? まぁ、とにかく、フランク青年のおかげで、本作の質もいくらか上がっているのは間違いない。品もあるし、これから活躍するのでは?

 アントニアが開拓した女性指揮者の道は、まだまだ開拓途上だ。男性指揮者たちだって、おいそれと既得権益を明け渡すようなことはしないだろうし、だいたいウィーンフィルやらベルリンフィルなんてのは、いまだにアジア系蔑視が根強いと聞くし、ウィーンフィルが女性団員を入れるようになったのなんてここ数年の話、ましてや女性指揮者なんて、、、という段階だろう。そもそも、まだまだ指揮者は男がやるモノ、という固定観念が聴衆側にも根強い。沖沢のどかさんのような新星が、そんな分厚いクラシック界の壁をぶち破ってくれることを願っている。

 

 

 

 

 

もっとたくさんの劇場で上映して欲しいんですけど。

 

 

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