映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ダウト ~あるカトリック学校で~(2008年)

2025-01-11 | 【た】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv37832/


以下、wikiからあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。

 1964年、ニューヨーク。厳格なカトリック学校の校長シスター・アロイシアス(メリル・ストリープ)は、まだ年若い教師であるシスター・ジェイムズ(エイミー・アダムス)に、全ての事に疑惑をもって当たれと厳命していた。

 そんな折、進歩的で生徒達の人気も高いフリン神父(フィリップ・シーモア・ホフマン)が、黒人少年ミラーと性的な行為を行なったという疑いをジェイムズは持ち、アロイシアスに告白する。

 僅かな証拠からその疑いが確信に変わるのを感じたアロイシアスはフリンを問い詰めるが、フリンは単なる勘違いであると具体的に証明し、ジェイムズは疑いを解く。

 しかし「神の意に沿う行為を為すためには、神より遠ざかる手段をとることも辞さない」との信念を持つアロイシアスは、執拗にフリンの「罪」を追及してゆくのだった。

=====ここまで。


☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 昨年末にDVDで鑑賞したのですが、これ、本邦公開が09年だったのですね、、、。15年も経っている! 公開当時、ちょっと見たいかも?、、、と思いつつ、結局行かずに終映していて、その後、DVDをリストに入れっぱなしにしていたら、今頃届きました。いつリストに入れたかさえも覚えていない、、、ごーん。


◆睡魔に襲われる。

 白状すると、1回目見たとき、寝てしまった、、、。何度か巻き戻してどうにか完走、、、したけど、なんかイマイチよく分からなかった。

 でも、ちょっと気になったところもあり(後述)、別の日に、気になるシーンだけザッピングして見ているうちに、結局、もう一度全部見るハメに。2回目を見て、印象が(良い方に)変わったのだった。渋くて考えさせられる映画だった。

 というか、眠くなった理由は明らかで、ものすごーく静かで淡々とした描写のシーンが続くから。これは終始一貫していた。だから、集中して見ていないと、よく分からない、ただのオバサンとオジサンのケンカの映画みたいに思えちゃう。

 1回目見終わって、私が「気になった」のは、フリン神父が性加害行為をしたとシスター・アロイシアスが確信した“何か”を私が見落としたのかな、、、という点。それくらい、アロイシアスを演じるメリル・ストリープが、フリン神父のフィリップ・シーモア・ホフマンを怖ろし気なダミ声で“ド詰め”していからである。

 で、チャプター検索で見直しましたよ。でも、別に“何か”は何もなく、眠い目で見ていたとはいえ、見落としたものはなさそう?? いや、でもどこかにあるのかも、、、などと思い、結局アタマから見たけど、やはりなかった! そう、何の証拠もなくアロイシアスはフリン神父を罵っていたのだ。

 さらに、ラストシーンが思わせぶりというか、これがなければ、私は気になるシーンさえ見直そうとしなかったかも。首尾よくフリン神父を追い出したアロイシアスなのに、なぜかシスター・ジェイムズの前で号泣するのである。“I have doubts. I have such doubts!”と言って。

 本作のタイトルでもある“doubts”である。字幕では、確か「疑い」or「疑惑」とまんま訳されていたように思う。この「疑い」とは何に対する「疑い」なのか、、、。これが見た者たちを悩ませる。


◆疑い、、、

 最初は、単純に、“証拠もないのにあそこまでフリン神父をド詰めしてしまった自分自身”に対する疑いかなぁ、、、と考えた。つまり、フリンを冤罪で追い出してしまったのではないか、、、という迷い。自責の念。

 でも、それってストレート過ぎ?? その前に、同じシーンでアロイシアスはシスター・ジェイムズにこう言っている。「悪に対処するためには時に神から遠ざかることも必要」と。神を遠ざけることはあっても、飽くまでも彼女の支柱は神にあるということだろう。その確固たる信念の前で、彼女が自身を疑うだろうか?? この場合、彼女が自身を疑うということは、フリン神父が無実であるかも知れない、、、という疑いも持ってしまっている、ということになる。

 ラストシーンをよく見ると、アロイシアスが号泣しながらロザリオを握りしめた後、袖の中に隠してしまう。これはもしや、、、彼女の疑いは、自分の信じている“神”へのそれではない? とも考えた。

 そうすると、何となく腑に落ちる気がする。というのも、フリン神父はカトリック学校を辞めたけれども、実質的には栄転だったのだ。辞めることになったのは、アロイシアスが「フリンの前歴を調査した」と教区の責任者に直訴したため(とアロイシアスは言っている)。「前歴を調査した」はアロイシアスの大噓であり、シスター・ジェイムズにも白状している。「前歴がなければキッパリ否定するだろう」というのが彼女の言い分で、フリン神父を辞めさせたことが彼女の言い分の正しさの証だと。けれど、フリン神父は大出世していた。

 彼女が信念を持ってとった行動が、結果的には裏目に出ちゃった、、、ってことじゃない? 彼女はもともとフリンのことが大嫌いだったから、学校からいなくなりさえすれば良かったのであれば、何も泣くほどのことではないのでは。しかし、神の支配する世界で、フリンが以前に増して高い地位についてのさばり続けるのは、彼女にしてみれば神を疑うには十分な状況ではないのか。

 割と、素直に「自分が証拠もなくフリン神父を追い詰めたが、本当にフリン神父はクロだったのだろうか?」という迷いを「疑い」と解釈している人が、ネットでは多いみたい。

 イロイロ考えても結論は出ないけど、私がアロイシアスだったら、彼女と同様、フリン神父は嫌いだろうし、嫌いな奴に係る不確実な悪い情報を得たときに、「絶好のチャンス到来か!!」と色めき立つだろうな、と思う。だって、嫌いなんだもんね。

 でも、行動に移すとなると、小心者の私にはできませんね。自身の倫理観からではなく、自身の保身から。やはり怖いでしょ、行動を起こした後のことが。

 本作は、監督が当時のアメリカの情勢(イラク侵攻)に影響されて戯曲として書いたものを映画化したのだそうだが、そういう背景を考えると、あのラストシーンの“疑い”は素直に「証拠もなく人を陥れたのではないかという迷い」と捉えるのが良いのかも。でもなぁ、、、直球過ぎてつまらん、、、。


◆直感は当たるのか?

 で、フリン神父はクロかシロか、、、だが。私はクロだったと受け止めている。理由? アロイシアスと同じ、私のただの“直感”である。

 上記あらすじにもあるが、フリン神父は、進歩的とされているが、本当? アロイシアスが保守的なのはそのとおりだけど。アロイシアスがフリン神父を嫌うのは、彼が進歩的で脅威に感じたから、、、ってのはちょっと違う気がする。

 彼女は、フリン神父に胡散臭さを感じていたのだと思う。それこそ“直感”として。負の直感は割と当たる。その逆は当たらないことが多い気がするが、、、(良い印象を抱いた人ほどハズレってこと)。初めて誰かと対面したときは、ほとんどの場合、その人に対して抱く感情はニュートラルではなかろうか。よほどのイケメンとか美女なら「キレイだな」くらいは思うだろうが、内面までは分からんもんね。だから、初対面の印象がどちらかにもの凄く振れる、ってのは、あまり良いことではないのだと思う。

 私がフリン神父に胡散臭さを一番感じたのは、シスター・ジェイムズが疑念を抱いた少年とのやりとりのシーンではなく、彼の手がアップになったシーンである。その爪の長さ(といっても、5ミリくらいか)が、私には、何とも言えず気持ち悪く感じたのだ。彼は意図して爪を伸ばしており、それを自慢気に生徒やアロイシアスにも話してもいる。キレイに手入れはされているが、却って、余計に気持ち悪い。

 もちろん、シナリオ的にも敢えてフリン神父を怪しげに描いており、見る者を誘導する。ましてや、演じるのはフィリップ・シーモア・ホフマンとくれば、もう“クロ”と思わせたいのがバレバレである。足りないのは証拠だけ。

 けれども、性犯罪なんてのは証拠がないのが普通で、さらに、被害者が少年であれば、被害者自身が被害者意識を持たない可能性が高いわけで、少年への性加害は表沙汰にならないのが大半だろう。でも、確実に被害者の精神に良くない影響を及ぼすものであり、被害者は成長するにつれて、自分がされた行為の意味を理解することで、被害を自覚するのだ。日本の刑法でも、ようやく“性的グルーミング”が処罰されるようになったことからも、その深刻さは分かる。

 進歩的と言えば聞こえはいいが、進歩的と見せかけた、ただの奔放、快楽主義者という可能性もあり得るし、私は、フリン神父はその類の人間だという印象を持った。まあ、監督の意図にまんまと嵌ったとも言えるが、、、。

 だとすれば、証拠の無い“疑惑”の段階で調査を開始するのは間違いではないはず。

 性加害の被害者とされた少年は、学校初の黒人であり、しかも、少年自身がゲイであるということが、本作の中盤で明かされる。アロイシアスが少年の母親を呼び出し、フリン神父による少年への性加害の疑惑について話した際、母親は涙ながらに「卒業まであと6カ月なんだから放っといて!」と打ち明ける。

 この母親の言動は、アロイシアスにとっては大きな誤算だったはず。アロイシアスにとって、正解はただ一つだから、きっと母親も自分と一緒に大騒ぎして、フリン神父を糾弾してくれると期待していたに違いない。でも、母親は、息子がその性的嗜好により父親に虐待されており、フリン神父が息子にとっての唯一の救いだったと聞かされる。

 このように、フリン神父がクロかシロかを惑わせるネタがあちこちに仕込まれている。なので、見る人によって判断は分かれるだろう。

 ただ、私がクロだと確信したのは、もう一つ理由があり、それはチラッとだけ映るあの押し花である。その映し方が、明らかに意味があるもので、それを大事に持っているのはフリン神父その人。ならば、これで決まりだろう、、、知らんけど。

 メリル・ストリープもフィリップ・シーモア・ホフマンも演技巧者で、実に適役。フリン神父が別の役者だったら、作品自体の印象が大分変わると思うな。

 

 

 

 

 

 


ダウトってゲームあったよなぁ、、、(古い?)。

 

 

 

 

 

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ブラックバード、ブラックベリー、私は私。(2023年)

2025-01-05 | 【ふ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv85651/


以下、公式HPからあらすじのコピペです。

=====ここから。

 ある日、ジョージアの小さな村に住む48歳のエテロは、ブラックベリー摘みの最中、美しい声でさえずるブラッグバード(黒ツグミ)に吸い寄せられるように、崖から足を踏み外し転落してしまう。何とかひとりで崖から這い上がったエテロは臨死体験をした。それは、村人たちが自分の遺体を川から引き揚げるところを目撃する、というもの。

 自分の店に戻り手当てをしていると、いつものように配達員のムルマンが仕入れ品を持ってやって来た。商品を棚に並べるムルマンの首筋、腕、顔…その姿をじっと見つめるエテロ。彼女はそのまま人生で初めて男性と肉体関係を持つ。そして、その時を境に彼女の運命が変わり始める…!

 エテロのもとに訪れた、ささやかで大きな変化…彼女は果たしてどんな将来を選択するのだろうか?

=====ここまで。

 ジョージア映画。


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 毎年、元日は劇場に行くことが多いのだけれど、今年は元日に公開されている映画であんましそそられるものがなく、かといって、9連休ずっと家に籠っているのもカビが生えそうな気がしたので、3日公開の本作を見に行ってまいりました。なんと、満席、、、。


◆ガッカリ・その1

 映画開始早々、中年女性エテロが初老男性ムルマンを誘うようにして始まるセックスシーンが展開されて、戸惑った。セックスシーンだから引いたのではなく、何というか、展開がちょっと唐突な印象を受けたから、、、。

 いやね、、、私、本作の予告編を何度か見て面白そうかな、と思ったのだよね。チラシも見てはいたけど、あらすじは全然読んでいなかったのヨ。予告編だと、独身中年女性が、自律した意思の下に、自身の人生を豊かに生きている、、、みたいな印象だったから、そのつもりで見に行ったわけ。そしたら、いきなりオッサンとのセックスシーンで、ありぃ~~??となった次第。

 しかもさ。コトが終わった後、エテロは自分の性器に触れ、血のついた指先を見て「48歳にして処女を失った、、、」みたいなことを感慨深げに呟くんだよね。……え、、、それって、エテロにとっては、男性経験の有無が重大事案ってことだったの? と感じられて、思いっきり出ばなをくじかれた気分になってしまったのだった、、、ごーん。

 セックス経験の有無については、本作でもエテロがさんざん周囲の女たちから「男に愛されたことないなんて可哀相」といった文脈で揶揄されるのだが、エテロは「私は愛なんて言葉に騙されない!」とバッチリ反撃しており、それは私もまったく同感なので、心の中で拍手していた。

 ただ、一応断っておくと、やはり女性にとって、セックス経験の有無は、残念ながら人格形成に多少なりとも影響はするというのが、私の経験上の持論(偏見ともいう)である。もちろん、ここでいうセックス経験というのは「売春系やワンナイト系のものは除く」で、性加害によるものは論外、という前提での話だが。この話は別の記事でも少し触れた気がするが、ちゃんと書くと長くなるので、ここでは割愛する。

 とはいえ、この歳になって、私はセックスなんか別になくてもよかったな、、、とも正直感じているので、エテロが割と重めに自身の処女性について認識していた様子なのが、ちょっとガッカリだったってのはある。そんなものを超越した所に居てほしかったというか。

 ……結局は性愛ナシで女の人生は語れないってことになるみたいで、何かイヤなんだよな。


◆ガッカリ・その2

 でもまあ、ムルマンとの真面目な不倫恋愛(?)は、不倫ではあっても見ていて微笑ましいし、ムルマンのエテロへの思いはどうやらホンモノっぽい。というか、本作では(というか、エテロにとってはと言っても良いだろう)、相手がムルマンであることの重要度は高くないし、そうであれば、ムルマンの本気度の価値も低くなる。

 エテロはエテロで、ムルマンとの情事に溺れることもなく、それはそれで楽しみつつ自身を保っているので、終盤までは好意的に見ていたのだヨ。

 特に、ムルマンが「誰も知らない所へ行って一緒に暮らそう。オレも働くし、君も掃除婦か何かで働けばいい!」と言って来たときに、「この歳で今さら誰かと一緒に暮らして掃除なんかしたくない! 私は私のやりたいことをやりたいようにやって生きていくんだ!」みたいに宣言したときは、素晴らしい!と思った。

 ただ、あんだけしょっちゅうセックスしていて、避妊もしていなさそうだし、エテロは妊娠しないのか??と心配になっていた。

 その後、パンツに黒い下り物が着いているのを発見して、子宮癌だと察したエテロ。……ここで、ちょっとイヤな予感がしたのだが、多分、杞憂だろうと思って見ていたら、その予感が当たってしまったのだった。

 そう、エテロは、子宮癌ではなく、妊娠していたのであった、、、というオチ。めでたいけど、私は妊娠を話の重要なファクターで使うのは基本的に好きじゃないし、本作の場合、エテロは、女性が古い価値規範から解放された自由を体現する存在として描かれて来たのに、結局は妊娠に帰着って、女は産むか産まないかから解放されないみたいな終い方で消化不良というか、またまたガッカリだったのよね。

 ラスト、胎児の超音波写真を見て号泣するエテロなんだが、この号泣の真意をどう捉えればよいのかが、正直分からない。まあ、私がエテロだったら、将来不安しかないので、不安の号泣になるだろうけど。実際、監督はどういうつもりだったのだろうか、、、。しかも、涙の後に、ちょっと笑みを浮かべる感じもあり、もしやこれは妊娠=ハッピー!ってことなわけ??? と、混乱した。

 ジョージアの国内事情は知らないが、48歳で妊娠、しかもシングルマザーで育てるって、ほとんど無謀だと思うんだけど、どーなの?? それでも、幸せだと捉えなければいけないのか?

 ちなみに、ネットで感想を拾い読みしたら、割とハッピーエンディングで捉えているものが多く、驚愕した。HPやパンフにも有名人のコメントがいくつか載っているが、特にこのオチに対するネガティブなコメントはなく(アタリマエかもだが)、パンフ内の監督インタビューでも言及はないし、コラムなどでも触れていない。

 このラストこそ、本作において大問題だと思うのに、どうしてこうも受け止めが概ね幸せモードなのか? あのラストに違和感を唱えるコメントが一つや二つあっても良さそうなもんだけど。これも、ある種の同調圧力なのかねぇ?

 中年での処女喪失といい、妊娠といい、女の自由な生き方を描くのにそんなにセックスや出産って大事なん???と声を大にして疑問を呈したい! 女自身が男以上に囚われ過ぎなんやないの?? そこからの解放を描いている映画だと思って見に行ったのになぁ。

 

 

 

 

 


ブラックベリージャムを作るシーンをもっと見たかった。

 

 

 

 

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2024年に見た映画あれこれ ~良くも悪くも印象に残った映画セレクション~

2025-01-03 | 映画雑感

 昨年初めて挑戦した年間ベスト的な1年のまとめを書いてみました。メンドクサイものの、自身の振り返りには良いのかな、、、と思いまして、今年もチャレンジすることにしました。

 2024年は元日早々、「ファーストカウ」を見ていたときに揺れを感じ、劇場を出てから初めて能登での地震を知ったという年明けでした。個人的には、仕事でウンザリすること続きだったり、それが影響したのか、夏以降に体調がイマイチだったりもしたものの、、、まあ押し並べて平穏に過ごせたと言えましょう。

 というわけで、2024年中に劇場で見た映画(リバイバル上映含む)のうちから、ベストとワーストを1作品ずつにして、あとはイロイロ理由を付けてちょっと良かったな(orイマイチだったな)、、、というのを(備忘録的に)挙げてみることにしました。あくまで個人的な独断と偏見に基づく勝手な選出ですので、深い意味はありません。

 なお、1年間の鑑賞リストは記事末にあります(リンクがあるものは感想アップ済み)。
 

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 まずは、新作(2024年に本邦公開されていたもの)の中から。いずれも順不同です。

◆BEST
 人間の境界

◆グッときたde賞
 枯れ葉
 異人たち
 時々、私は考える
 ボレロ 永遠の旋律
 チャイコフスキーの妻

◆面白かったde賞
 RHEINGOLD ラインゴールド
 落下の解剖学
 農民

◆身につまされたde賞
 12日の殺人
 ありふれた教室
 どうすればよかったか?

◆ゾッとしたde賞
 関心領域

◆ぶっ飛んだde賞
 №10
 うんこと死体の復権

◆腹が立ったde賞
 エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命

◆勝手に期待して裏切られたde賞
 ファースト・カウ
 フィリップ
 哀れなるものたち
 越境者たち
 Shirley シャーリイ

◆見に行ったことを後悔したde賞
 チャーリー


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 旧作も。初めて見たもののうちから一応セレクト、、、。こちらも順不同です。

◆見て良かったde賞
 ゴーストワールド
 男女残酷物語 サソリ決戦
 窓ぎわのトットちゃん

◆イマイチだったde賞
 君たちはどう生きるか
 バービー 
 兄弟はロベルトという名でバカ野郎
 プリンセス・シシー


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 おまけ。劇場で見ていない(DVD鑑賞)けど、2024年公開の映画としては、

 ◆グッときたde賞ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ
 ◆腹が立ったde賞オッペンハイマー

ですね。「ホールドオーバーズ~」は、早稲田松竹でリバイバルされるのを期待しております。

 


 

◆2024年に劇場で見た映画(タイトル後の*は旧作)

《1月》
 枯れ葉
 ファースト・カウ
 エイジ・オブ・イノセンス
《2月》
 落下の解剖学
《3月》
 ノスタルジア 4K修復版*
 ヴェルグマイスター・ハーモニー*
 FEAST-狂宴-
 12日の殺人
《4月》
 ゴーストワールド
 ゴッドランド/GODLAND
 No.10
 RHEINGOLD ラインゴールド
 異人たち
《5月》
 エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命
 異人たち(2回目)
 人間の境界
 ありふれた教室
 関心領域
 レザボア・ドッグス デジタルリマスター版
《6月》
 ベルリン・天使の詩*
 男女残酷物語 サソリ決戦
 フィリップ
 窓ぎわのトットちゃん
 君たちはどう生きるか
 スモーク
《7月》
 チャーリー
 バービー
 哀れなるものたち
《8月》
 時々、私は考える
 越境者たち
 ある一生
 うんこと死体の復権
 Shirley シャーリイ
 ボレロ 永遠の旋律
 時々、私は考える(2回目)
 美と殺戮のすべて*
《9月》
 エフィ・ブリースト*
 盲獣
 チャイコフスキーの妻(1回目・2回目)
《10月》
 兄弟はロベルトという名でバカ野郎
 リトル・ダンサー デジタルリマスター版
《11月》
 プリンセス・シシー
 リトル・ダンサー デジタルリマスター版(2回目)*
 動物界
 ベルナデット 最強のファーストレディ
 農民(ポーランド映画祭)
《12月》
 山逢いのホテルで
 どうすればよかったか?
 ラブ・アクチュアリー 4Kデジタルリマスター

 

コメント (2)
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