以下、公式サイトよりストーリーのコピペです。
=====ここから。
新鋭ゲーム会社の社長を務めるミシェルは、一人暮らしの瀟洒な自宅で覆面の男に襲われる。
その後も、送り主不明の嫌がらせのメールが届き、誰かが留守中に侵入した形跡が残される。自分の生活リズムを把握しているかのような犯行に、周囲を怪しむミシェル。父親にまつわる過去の衝撃的な事件から、警察に関わりたくない彼女は、自ら犯人を探し始める。
だが、次第に明かされていくのは、事件の真相よりも恐ろしいミシェルの本性だった──。
=====ここまで。
ミシェルが怖ろしいと思わなかった私は、怖ろしいオンナなんでしょーか???
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ヴァーホーヴェン&ユペールと聞いただけで、一体どんな映画? と、映画好きならイヤでも興味津々になりますわね。
公開翌日の初回に行ったのだけど、ほぼ満席、その次の回は満席札止めになっていた。観客は、思ったよりもゼンゼン男性が多く、しかもオジサンが多い。若い人もいたけど少数派。きっと、ヴァーホーヴェン好きか、ユペール好きな人たちが見に来ていたんだろうなぁ。私も、ユペール主演じゃなければ見なかったと思うし。
ヴァーホーヴェン監督作は、『氷の微笑』『インビジブル』をTVでながら見したくらいで、マトモに見たことないんだけど、イメージ(というか先入観)はあって、おまけに、さんざん前評判で“ユペール演ずる女は狂っている”と聞かされていたので、見終わった時の率直な感想は、“ミシェル、狂ってなんかないやん、、、”だったんだけど。
とはいえ、ガッカリしたのではなく、息つく間もなくスクリーンに釘付けで面白かった!!
◆映画にポリティカルコレクトネスを求めるバカ
本作を見に行く前日、某全国紙の夕刊にヴァーホーヴェンのインタビューが載っていたのね。そこに、本作はレイプを肯定するかのようなものだという批判があることについて
「ポリティカルコレクトネスは気にならないのか?」という問いに対し、ヴァーホーヴェンはこう答えている。
「気にしたことは今まで一度もない。芸術家は自分の頭に浮かんだイメージを信じねばならない。ポリティカルコレクトネスのフィルターを通すことは、自らを検閲するようなもの。当たるかどうかを気にするのと同じくらい、自作の価値を下げる」
これを読んで、私は、ヴァーホーヴェンへの尊敬の念がググッと湧いたと同時に、大分前に、なかにし礼が、(記憶が定かじゃないけど、確か)創造とは
「公序良俗に泥を塗ることだ」と言っていたのを思い出した。
映画にポリティカルコレクトネスを求めること自体が噴飯モノという気がする。もちろん、レイプは描きようによっては非常に不快極まりないものになる(例えば、邦画
『重力ピエロ』とか)のだが、本作が別に“レイプを肯定している”ようには、私には見えなかったし、本作の主眼はそんなところにはゼンゼンないと思った。
こういう作品を見て、「レイプを肯定しているのか?」と問うメディアは絶対的に存在するが、正直言って、頭が悪いと思う。それを言うなら、『重力ピエロ』の方がよほど肯定しているだろうよ、と思う。ああいう、表面的には家族愛を描いた作品には、そういう問題を見いだせないくせに、本作みたいな露骨な描写だと安易にポリティカルコレクトネスを口にする。
ハネケの映画を、暴力的だから嫌い、という映画記者がいるとする。嫌い、というのは構わない。その人の好みに合わないのだから。しかし、もし、その人が、暴力的な映画だから暴力を肯定していてけしからん、と言うのであれば、それは勘違いも甚だしい、ということになる。その違いを、映画をネタに飯を食っている記者でありながら履き違えているというのは、やっぱり気が狂っているとしか思えない。
本作は、だから、ゼンゼン「無問題」なのである。
◆レイプか、プレイか。
と、前置きが長くなったけれども、冒頭のあらすじにあるように、ミシェルはそんなに恐ろしい本性の持ち主だろうか、、、? 自分を襲った男と、自分が好意を抱いていた男が、同一人物だった、、、という場合。そこでどんな反応を示すかは、ハッキリ言って人による。だから、ミシェルのような行動を取ったからと言って、別に恐ろしいとは思わない。
自分だったらどうかなぁ、、、と考えてみた。それまでなんとも思っていなかった男に、レイプされたことをきっかけに好意を抱く、ということはあり得ないと断言できる。けれども、ミシェルの様に彼の姿を見て自慰行為にまで及ぶほど“寝たい”と思っていた男性ならば、ショックはショックだろうが、それでその男をいきなり嫌悪し即座に大嫌いになるということもないのではないか。 ……なんてことを書くと、またぞろ、レイプを肯定しているのか、と言われるんだろうねぇ。
そうじゃなくて、混乱する、ってこと。冷静を装っていたけど、ミシェルも混乱したのだと思う。ましてや、その男は、暴力プレイでないと起たないことが分かり、ミシェルとしては複雑だったんじゃないかね。だったら、そういう“プレイ”もアリなのか?? みたいなね。でも、やっぱり、レイプはただの暴力であり、相手の人格無視の身勝手な犯罪なわけで、一周回ってようやく冷静に思考が定まったところで、あの結末なんだろうと思う。
混乱を整理するためには、行動まで取り乱してはダメなのよ。行動を制御することで、思考も落ち着いてくる、冷静になってくる。ミシェルは、壮絶な過去(父親の大量殺人)を経験しているだけに、そういうことも分かっているのだ、きっと。
◆ミシェルの恐ろしい本性って……??
ミシェルを恐ろしいとは思わないが、厄介な人であることは間違いない。母親としても、娘としても、家族を支配したがる。元夫の恋人のことも、すぐにチェックする。親友の夫と平気で寝る。こんな人、身近にいて欲しくないわぁ。
ただ、本作では、ミシェルがどうやって凄惨な過去を乗り越えて現在までに至ったのかが、一切描かれていない。普通に考えれば、あんな父親がいれば、その後の人生苦難の連続、到底、社長になんかなれそうもないという気がする。一体、ミシェルはどうやって修羅場をくぐり抜けてきたのか。彼女の母親も、良い家に住み、かなりの財産を持っている様に見える。大量殺人者の家族の未来としては、あまりにも恵まれすぎているのではないか。
でも、それが本作のミソだと思う。そこを敢えて描かない。見ている者に疑問に思わせ、彼女の人格形成を想像させる。彼女の強さの理由がそこにある、ということだ。ミシェルが、自宅で開いたパーティで、パトリックに自身の過去を話すシーンなんかは、ほとんどブラックコメディである。もちろん、ここではまだ、パトリックがレイプ犯だとは知らなかったわけだけど。
前評判では、ミシェルがレイプ犯に復讐する、みたいなことが言われていたけれど、果たしてそうなのか? まるで、ミシェルが計画的かつ計算ずくで動いているかのような宣伝だったけど、むしろ、私には
全てが成り行きの結果ではないかと思われた。
“罠を仕掛けた”とか、“彼女こそが、犯人よりも遥かに危ない存在”とか、そうかなぁ?? ミシェルは犯人捜しをしたし、パトリックとプレイもしたし、その後はパトリックをおびき出すかの様に関係を終わらせ警察に話すと宣言したけれど、別に、罠を仕掛けたというほどのこともなく、犯人よりも危ない存在でもないと思う。ミシェルは、本能と葛藤しながらとりあえず理性を優先させたけれど、計画的に仕組んだ行動は何一つなく、ただただ成り行きに対処した結果がああなった、ということだと思うのだけれど、どうだろうか、、、?
それに、とかくレイプされたことに焦点が当たりがちだけれど、本作は、むしろ、ミシェルと彼女をとりまく人間関係を描いた、映画としては割と真っ当なものだとも思う。家族にイロイロ問題を抱え、仕事でも敵が多く問題を抱え、その他の人間関係もイロイロあって、、、っていうオハナシじゃない? これだけちょっとぶっ飛んだ人間関係を抱えている人は珍しいのかも知れないけど、人間なんて複雑なもので、決して綺麗事じゃすまない、人には見せられない様なビックリなことは誰にでも絶対にある。それをためらうことなく描いちゃったのが本作なのだと思うのだけど?
パンフには、解説者が、本作のことを「モラルハザードを描いた作品」と書いていたが、申し訳ないけどそれには首肯しかねる。人間なんて、そもそもがモラルハザードなのだよ、と思うから。
◆その他もろもろ
それにしても、ユペールは美しいなぁ。どうしたらこんな風に素敵に歳を取れるのか。仕事を続けているから、ってだけじゃないだろう。かといって、別にムリしてアンチエイジングなどしているようにはゼンゼン見えないし。自然体でありながら美しく歳を重ねる、、、、なかなかできることじゃないような気がする。
本作の主演を、ハリウッドの大物女優にオファーしたけど蹴られたというのは有名な話らしいが、その中には、オスカー女優もいたそうな。そんなに非道徳的な映画だろうか、これ、、、。もちろん、インモラルには違いないけど、くどいようだけど、映画ってそもそもそういうもんなわけで。
息子役のジョナ・ブロケが可愛かった。ちょっとバカっぽい男をうまく演じていたと思う。その妻を演じていたアリス・イザーズは、いかにもビッチな感じで、どっちかというとハリウッド系女優っぽい感じ。でも凄く可愛い。ミシェルの元夫・リシャール役のシャルル・ベルリンクがなかなか渋くてカッコ良かった。
親友を演じたアンヌ・コンシニも素敵だったなぁ。ミシェルと、過去に同性愛の関係になりそうになった、、、みたいな描写もあり、ラストシーンはミシェルと不倫していた夫と別れたと、ミシェルに笑顔で報告している辺りが、いかにもおフランスな感じ。アメリカ映画じゃあり得ない。
エンドクレジットが流れ始めると同時に席を立つ人が多かったのが印象的だった。しかも、オジサンたちね。これ、確かに、男性と女性では受け止め方が違いそうな気がする作品だよなぁ。
ユペールは、本作を
「現実として受け止めるべき物語ではない。ファンタジーとしてとらえるべき」と、そして、自身のことを
「ポスト・フェミニスト(新世代のフェミニスト)」と言っている。まあ、ファンタジーかどうかは分からないけど、フェミニストを自称する人たちにこそ、見ていただきたい作品であることは間違いない。コレを見て、怒り出す様な人は、ある意味、プレ・フェミニストなのかもね。
ミシェルの住む家が素敵
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