作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv80389/
以下、公式HPよりあらすじのコピペです。
=====ここから。
花き農家の息子のレオと幼馴染のレミ。昼は花畑や田園を走り回り、夜は寄り添って寝そべる。24時間365日ともに時間を過ごしてきた2人は親友以上で兄弟のような関係だった。
13歳になる2人は同じ中学校に入学する。入学初日、ぴったりとくっついて座る2人をみたクラスメイトは「付き合ってるの?」と質問を投げかける。「親友だから当然だ」とむきになるレオ。その後もいじられるレオは、徐々にレミから距離を置くようになる。
ある朝、レミを避けるように一人で登校するレオ。毎日一緒に登下校をしていたにも関わらず、自分を置いて先に登校したことに傷つくレミ。二人はその場で大喧嘩に。その後、レミを気にかけるレオだったが、仲直りすることができず時間だけが過ぎていったある日、課外授業にレミの姿はなかった。心ここにあらずのレオは、授業の終わりに衝撃的な事実を告げられる。それは、レミとの突然の別れだった。
移ろいゆく季節のなか、自責の念にかられるレオは、誰にも打ち明けられない想いを抱えていた…。
=====ここまで。
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先日、『aftersun/アフターサン』との2本立てで早稲田松竹まで見に行ったのですが、『aftersun/アフターサン』はちょっともう一度見てみたいというのがありまして、感想は再見してから書こうと思います。
で、本作は、公開前に予告編を何度か見ていて、あんまし食指は動かなかったんだけど2本立てなので、まあ見てみるか、、、という感じで見た次第なんですが。うぅむ、これはちょっと、、、、という感じの感想になりますので、本作がお好きな方、ここから先は自己責任でお願いします。
~~以下、ネタバレバレです。~~
◆フィクションにおける“自死”
上記のあらすじにある「レミとの突然の別れ」というのは、レミが自殺で亡くなってしまった、、、ということ。
このブログでも何度か書いているが、私はどうも、自殺というファクターが苦手というか、正直言うと好きじゃない。もちろん、展開に必然性が感じられればよいのだけど、唐突な感じで、話の大転換に“自殺”が入ると、どうも引いてしまう。
本作もそうで、予告編では仲良し少年の一人が自殺でいなくなってしまうという感じでもなかったので(まあ、真剣に予告編を見ていなかったから、見抜けていなかっただけかも知れんが)、これは完全に不意打ちを喰らった。そして、レミを自殺させる展開が、私にはどうも違和感バリバリで終始してしまったのだった。
自殺の原因は人それぞれであり、第三者が納得できるものばかりじゃないし、納得できる必要はない。本人が死を選んだ、それが全て。現実世界ではそうだけど、フィクションの世界でそれをやったら、“展開に困ったら自死”という安易な使われ方にもなりかねず(実際そういう安易さを感じるシナリオはあるしね)、私としてはかなり抵抗を覚えるのである。
レミは、レオとのそれまでの関係が変化していくことを受け入れられなかったわけだが、子供でも大人でも人間関係で距離感に変化が起きるのは当然の現象であり、もっと言えば、人間関係なんて程度の差はあれ、全てが「片想い」であると言っても過言じゃないのでは。お互いの思いの重みに全く差がない関係なんて極めてレアだろう。レミ少年は、レオに冷たくされたり素っ気なくされたりして、それまでの濃密だった関係が壊れていくことに絶望し(?)、結果“自死”を選ぶというのは、、、どうなんだろうねぇ、ということである。レミの性質がそういうものだった、と言われればそれ以上反論の余地はないのだけど、、、。そうなると、詰まるところ、本作は何を描きたかったのか、、、という根本的な問いになってしまうのである。
本作を最後まで見て、私にはそれがイマイチ胸に届いてこなかったんだよね。何を描きたいか、、、なんてのがそもそも非常に陳腐な問いなんだが、未来ある少年を一人、フィクションとは言え物語の中で殺しておいて、結局、見終わって何かピンと来ないというのは、私としては腑に落ちないのである。
直近で『戦場のピアニスト』を見たのもあるかもね。あれは、いつ死んでもおかしくない状況で、ひたすら生きる主人公を描いているので。
本作の主題は、多分、“取り返しのつかない喪失からの再生”であると思うのだが、それを描くのなら、別にレミを死に至らしめる必然性はないと思ってしまう。とはいえ、現実世界では、自死は確かに起きていることであり、それで遺された者が苦しむことも多々あるのであり、それを映画にして描くことに意味がないはずはない。この辺は、私の感性の問題だと思うので、あんましグチグチ書き連ねるのはこの辺でやめておく。
◆あなたたち付き合ってるの?
結果的に、レオは、レミの母親に、レミの自殺の原因が自身の言動にあった、と打ち明け、レミの母親がそんなレオを抱きとめる、、、という終盤の展開になるのだが、見ていてただただやるせなかった。
たかだか13歳かそこらで、こういう経験をしたレオの今後を思うと、私がレオの母親だったら、レミをこそ恨むかも。レミの母親は、レオの言葉を聞いた後、一旦責める様な態度をとるが、思い直して抱きしめる、、、んだが、レミの母親にレオを責める資格は、ハッキリ言ってないと思うね。気持ちとしては仕方がないと思うけど。レオは、レミをいじめたり辛く当たったりしたわけではなく、ただレミとの距離感をちょっと変えようと試みただけだ。
そのきっかけが、これまたありがちなんだが、クラスの女子生徒に「あなたたち付き合ってるの?」と言われたこと。自然過ぎる身体的な接触も多いレオとレミを見ていて、第三者がそう感じるのも、まあ別に不思議ではないだろう。それを言葉で本人に言っちゃうのはよろしくはないが、子供同士なら十分あり得るシチュエーションだ。そう言われて、レミは何とも感じなかったが、レオは気にするようになる。でも、気にするレオを責められないでしょ。ましてや、レオはその後、クラスメイトから「女みたい」などとからかわれもするのだ。
気にしないレミからすれば、そんなことくらいスルーできないレオが情けないってことかも知れん。でも、何をどう気にするかのポイントは、人によって全然違うのだから仕方がない。
レオはゲイと思われることを気にして大親友との距離を取ろうとした。レミはゲイと思われたって平気だけど、レオに距離をとられることに死ぬほど傷ついた、、、。これぞ、悲劇である。何も死ななくても、、、と、それなりに人生の修羅場をくぐって来たオバサンとしては、やっぱり思ってしまうのだよ。嗚呼。
◆その他もろもろ
レオを演じたエデン・ダンブリンは、本作がデビュー作とのこと。本作は、終始彼の姿を見続ける映画でもある。とにかく、最初から最後まで出ずっぱり。彼の居ないシーンがほとんどない。演技も自然で、演出が良かったのだろう。ちなみに、ルーカス・ドン監督自身はゲイであることを公表しており、本作はしかし、自身の経験が基になっているとかではないとのこと。
レオの母親は、『ジュリアン』でジュリアンの母親役だったレア・ドリュッケール。あんまし出番はなかったのが残念。レミの死後、レオとの関係が描かれるレミの母親はエミリー・ドゥケンヌ。どっかで見たなぁ、、、と思いながら見ていたのだが、『天国でまた会おう』で主人公のお姉さんを演じていたお方だった。『ロゼッタ』(未見)や『ジェヴォーダンの獣』にも出ていたのか、、、。『天国でまた会おう』もまた見たくなってきた、、、。
……そんなわけで、本作の感想はあんましまともに書けなかったのだが、作品自体を貶す気は毛頭ないし、本作を好きという感想を否定する気ももちろんありません。
近過ぎる人間関係は破綻する、、、ってことかもね。