映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ペイン・アンド・グローリー(2019年)

2021-08-28 | 【へ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv70635/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 脊椎の痛みから創作意欲も果て、生きがいを見出せなくなった世界的映画監督サルバドール(アントニオ・バンデラス)。心も体も疲れ果て、引退同然の毎日を過ごすなか、サルバドールは自身の記憶をたどっていく……。

 子供時代と母親、その頃移り住んだバレンシアの村での出来事、マドリッドでの恋と破局。その痛みは、サルバドールの中に今も消えることなく残っていた。

 そんな折、32年前に撮影し、長らく封印されていた作品の上映依頼が彼のもとに届く。思わぬ再会が心を閉ざしていたサルバドールを過去へと翻らせ、彼の心にもう一度生きる力を呼び覚ましてゆく……。

=====ここまで。

 アルモドバル版『ニュー・シネマ・パラダイス』だそーです。


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 これも、昨年公開時に見に行きそびれたのでした。コロナがなければ見に行っていたと思うけど。昨年からそんなんばっか、、、。それでも敢えて見たい!! というほどの映画もないといえばないんだよな~。

 アルモドバル監督作は、初めて見たのが『トーク・トゥ・ハー』(2002)だったと思うが、これがもうホントにダメで、、、。どうしてダメだったかも思い出せないくらい“とにかくダメ!!!”で、私にしては珍しく、途中で見るのを止めた数少ない映画の一つ。なのに、その後、なぜか『ボルベール/帰郷』(2006)をまたまたレンタルして見たら、これが結構良かった! とはいえ、アルモドバル作品はあんまし見たいと思えず、、、。本作は、何となく“枯れた感”があるような印象だったのと、スチール画像が結構いいな、、、と思ったので見てみようと思った次第。

 見終わってからネットを検索したら、アルモドバル版『ニュー・シネマ・パラダイス』とか書いてあったけど、私は映画好きを自称していながら『ニュー・シネマ・パラダイス』未見なんで、へぇー、としか、、、。

 老いて、あちこち身体にガタが来て、心まで弱って行く、、、、そして、再生の兆しが見える、ってのはよくある話だけど、最後まで退屈することなく見ました。アルモドバル自身とも言えるであろう、サルバドールを演じるアントニオ・バンデラスが良い感じに枯れていたのとか、サルバドールの部屋のインテリアがメチャメチャ素敵とか、ヘロインにハマって行くところがリアルでイタいのとか、、、。

 でも、私が心惹かれたのは、サルバドールの少年期のシーンの数々。母親ハシンタ(ペネロペ・クルス)と、父親が見つけた洞窟の家にやって来るサルバ少年。ハシンタが洞窟の家にかなり抵抗を見せるのだけど、すぐに切り替えて「住みやすくするわ」と夫に言うシーンとか、結構好きかも。

 この洞窟の家でのシーンが印象的なのが多いのよ。近所の字が読めない青年にサルバ少年が字や四則演算を教えてあげるんだけど、教え方がなかなか上手い。たかだか小学3年生か4年生くらいの少年で、あれだけちゃんと教えられるって凄いわ~と感心。

 本作の冒頭で、「刺激が強いので一部映像を加工しています」みたいなお断り文言が(もちろん日本語で)出るんだけど、どこでそれが現れるのかと思って見ていたら、終盤、サルバ少年に字を教えてもらっていた青年が全裸になるシーンだった。サルバ少年の家の壁にタイルを貼る作業をした青年は体が汚れたので、全裸になって水浴びをするんだが、これを隣室から見てしまったサルバ少年は発熱してぶっ倒れる、、、。別に、お兄さんの全裸を見たから発熱したわけじゃないんだが、そんな風に思わせる描写になっているのが笑えた。

 で、この青年は絵を描くのが好きで、サルバ少年の絵を描くシーンもある。この絵が、ラストに向けて鍵になるのだけれど、まあ詳細は敢えて書かないでおきます。この絵がステキで、絵にまつわるシーンも良いシーンだった。

 ……などなどの少年時代のシーンは実は、、、というのがラストシーンで明らかになるのだけど、これも見てのお楽しみということで。老いたサルバドールが再生したことも分かる、面白いラストだと思うわ。

 まあ、ストーリー的にはどうということはないのだが、私自身が歳を重ねて、こういう映画をちゃんと見ることが出来るようになったのかな~、と感じる次第。若い頃見ても、多分、あんましピンと来なかっただろうなと。そんな映画はいっぱいあるけど。大体、映画とか文学とか、もちろん若い頃に接することも大事だが、ある程度の人生経験を積まないと見たり読んだりしても分からないことが多いと思う。そういう意味では、歳をとることは良いことだと思う。まあ、同時に若い頃の自分があまりにも愚かで馬鹿であったと恥ずかしくなるばかりでもあるんだけれど。そして、懲りずに今も恥を上塗りして生きているわけだけど、、、ごーん。

 相変わらず、色彩豊かな画面がアルモドバル映画だな~、と思って見ていました。衣装のコーディネートとか、ホント、素晴らしい。ああいうセンス、私にもちょっとだけでイイから欲しいわ、、、。

 

 

 

 

 

 

 

 

『ニュー・シネマ・パラダイス』を見てみよう、、、かな。
  

 

 

 

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グッド・ワイフ(2018年)

2021-08-20 | 【く】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv71218/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 1982年、メキシコシティの高級地区ラスロマス。実業家の夫を持つソフィアは、3人の子どもにも恵まれ、高級住宅街にある美しい豪邸で満ち足りた生活を送っていた。セレブ妻たちのコミュニティに女王のごとく君臨する彼女は、証券会社の社長を夫に持つ垢抜けない“新入り”アナ・パウラの出現が気に入らない。

 そんな時、メキシコを襲った歴史的な経済危機が、富裕層を直撃。突如として、ソフィアの完璧な世界は崩壊し始める……。

=====ここまで。

 日本でもリメイクされたアメリカのドラマではありません。メキシコ映画です。


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 昨年公開されていたときに、見に行こうかなぁ、、、とちょっと思ったものの、コロナ禍をおしてまで……というほどの引力も感じず、結局行かずじまいになったので、DVDで見てみました。まあ、わざわざ行かなくて正解だったかな、とは思うけど、面白くないというほどでもなかったかな、、、。まあ、そんな感じです。


◆カネと結婚する女たち

 一昨年話題になった『ROMA/ローマ』(未見)の10年後、1982年が舞台のお話。この年、メキシコは歴史的な経済危機に遭っているらしい。そんな社会情勢を背景にして、お金持ちの有閑マダム・ソフィアが、お金持ちじゃなくなる(?)過程を描いている。

 まあ、大したストーリーはなく、奥様連中の見栄の張り合い、夫との関係の悪化、財産を失う、、、ってのが割と淡々と描かれる。豪華なお屋敷の内装や、奥様連中の衣装などなどを見ているだけでも割と楽しい。

 冒頭から、ソフィアさんは“自分自身の誕生パーティ”を開く。使用人に髪を洗わせ、化粧をさせ、服を着せてもらい、、、家の中はあれやこれやと飾り立てて、料理にも精一杯見栄を張る(タコをやわらかくするのがこだわり)。

 そのパーティに夫が遅れると、ものすごく不機嫌な顔をして出迎えるソフィアさんだが、夫が「ほら!!」といって家の前に止めてある高級外車をプレゼントすると、豹変する。突然、夫の首にまとわりついて「もう~~、なんてステキなの!!」(セリフ違ったと思う)みたいになって、車の中に2人で乗ってみて、ついでに(家の中には客がいっぱいいるのに)カーセックスまでしちゃうという、、、。文字通り、“現金な”奥様であらせられます。

 ……というような感じで、成金的な生活の描写があれやこれやと続き、そこでは当然、奥様連中同士の見栄の張り合い等々もあり、一応、ドラマがないわけじゃないけど、「お金持ちもタイヘンなんだね」くらいにしか思えない。

 夫の会社がいよいよヤバい、となったときの夫の振る舞いがなんとも、、、。ソフィアが「親に勧められてあなたと結婚したのよね、、、」みたいにぼやくと、突如泣き出した夫は「お前、○○(ソフィアの元彼の名前)と結婚していたら良かったと思ってるのか! お前、処女じゃなかっただろ!! 俺が気付いてないとでも思ってるのか。気付いてないフリをしてやってただけだ!!」みたいに罵るのよ。で、ソフィアが煙草をふかしながら白けた顔をして聞いているのを見て、今度は、ソフィアに取りすがって号泣するんだよね、、、。

 どうもこの夫もお坊ちゃん(に見えないが)らしく、苦労知らずの社長で、なすすべなく経済危機に巻き込まれたっぽいんだけど、ゼンゼン魅力的な男性に見えなかったのがツラいとこ。

 私は若い頃、親に何回も見合いさせられて、中にはお金持ちっぽい人もいたんだが、まあこんなことを言うと顰蹙なのは百も承知だけど「仮にこの人が1億円プレーヤーでも、この人と寝るのは絶対イヤだ、、、」な人ばかり(ルックスとか、中身とか、理由はイロイロ……)で、私にはつくづく“条件から入る出会い”が向いていないと思い知ったのだったが、ソフィアと夫を見ていて、何となく過去のそんな出来事をうっすら思い出していた。ソフィアの夫は、見た目は悪くはないが平凡で、頭もあんまし良さそうじゃないし、お金持ちでなければソフィアにとってアウト・オブ・眼中だったんじゃないかしらん。そんな気がした。


◆カネの切れ目で露わになる綻び

 で、豪邸を始め全てを差し押さえられたらしい(セリフにあるだけでハッキリした描写はない)後、終盤、ソフィアはあれほど見下して嫌っていたアナ・パウラとその夫と、自身の夫と4人で食事をするシーンがある。

 そのときにソフィアの夫が着ているシャツのカフスボタンは、差押えに遭う少し前にアナ・パウラの自宅にパーティに招かれていった際に、アナ・パウラの夫婦の寝室からソフィアが盗んだものなのである。当然、アナ・パウラの夫はそのカフスに気付くが、追及はしない。もしかすると、ソフィアはすっかりそんなことを忘れているのかも知れない。ソフィアの夫はもちろん知らないのだろう。

 とにかく、その4人の食事のシーンが異様。恐らく、身ぐるみ剥がれたソフィアの夫は、アナ・パウラの夫に助けてもらってどうにか食いつなぐことができたと思われる。それで、4人で食事などするようになったのだろう。

 しかもそのレストランに、経済危機を招いて国民を路頭に迷わせた張本人の大統領ロペスが入ってくると、客たちが犬の鳴き声を真似してロペスを追い出そうとする。そのときに、アナ・パウラ夫妻とソフィアも一緒になって犬の鳴き真似をしているんだが、ソフィアの夫がそんなソフィアを嫌悪するように見ているんだよね。このシーンが割と意味深なんではないかと感じた。

 ソフィアの夫は、そういう妻の行動がとても“品性下劣”だと感じたのではないか。あれほど嫌って見下していたアナ・パウラ夫妻と同じことをしてヘラヘラ笑っている妻が、精神的にもそこまで堕ちたのか、、、と。貧すれば鈍するというのか、、、。

 でもさ、それはソフィアの夫の買被りなんじゃないの? と見ている私は思ったなー。こう言っちゃナンだけど、カネ(だけ)で結婚相手を選ぶ人って、そういう思考回路なのであって、カネになびきやすいと思う。ソフィアの夫は育ちが良いので、拝金主義とはちょっと違うのかも知れないが、そういう夫自身もそういう品性の持ち主に選ばれたってことを自覚すべきじゃない? 夫婦なんて破れ鍋に綴蓋なんだからさ~。

 カネの切れ目が縁の切れ目にならなかっただけ、ソフィアは人として情がある方だと思う。むしろ夫は、そんな蔑んだように目で見ている場合じゃなく、こうなっても見捨てなかった妻に感謝すべきかもね。まあ、どんなに美しい妻でも、あんな犬の鳴き真似している姿見たら、夫として興醒めする気持ちも分かるが、、、。


◆懐かしのファッションとかもろもろ

 面白かったのが、当時のファッションなんだけど、象徴的に使われていたのが“肩パッド”。80年代に流行ったのを知っている身としては苦笑してしまった。

 ソフィアにとって、肩パッドがバリバリに入っている衣装は、まさしく戦闘服なのだ。「さあ、行くぞ!」みたいなときは肩パッドを入れ、「もうヤだ、疲れた、、、、」みたいなときは肩パッドを外す。

 当時は、ホント、何にでも肩パッド入ってたもんなぁ~。ブラウスにもカットソーにも肩パッド、上着にも肩パッド、コートにも肩パッド、ヘタすりゃ肩パッド3連!! アメフト選手も顔負けないかつい肩でみんな風切って歩いてたんだよねぇ。日本はまだまだバブル真っ盛りでござんした。

 見終わってから知ったんだけど、アナ・パウラを演じていたのは『闇の列車、光の旅』(2009)のパウリーナ・ガイタン。どこかで見たような、、、とは思ったけど。ソフィアを演じていたイルセ・サラスはちょっとクセがあるけど美人。お高そうな衣装がどれも良く似合っていて素敵だった。

 今住んでいる所からちょっと行くと都内有数の高級住宅街があって(わが家はごくごく普通の住宅街)、ビックリするような豪邸がいっぱい建っているんだけど、そこに出入りしている住民の方々は、いたって庶民な雰囲気の方々ばかりです。ソフィアさんみたいな奥様は、都内でも別の高級住宅街にいらっしゃるんですかね? シロガネーゼ??

 

 

 

 

 

 

 

あんなステキなお屋敷、1週間くらいなら生活してみたいわ~。
  

 

 

 

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生きていた男(1958年)

2021-08-17 | 【い】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv705/

 

以下、スターチャンネルHPよりあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。

 大富豪の父親の遺産を相続したキンバリー(キム)・プレスコット(アン・バクスター)はスペインのバルセロナにある広大な屋敷で優雅に暮らしていた。

 ある晩、見知らぬ男(リチャード・トッド)が彼女を訪ねて屋敷にやって来る。男はキンバリーの兄だと言い張るが、彼女の兄は1年前に死んでいた。拒絶しても屋敷に居座ろうとする男に困惑したキンバリーは警察署長パルガス(ハーバート・ロム)を呼ぶが、男は警察署長を前に次々と自分が彼女の兄だという証拠を見せる。

 次第に周りの者も男の言っていることを信じ始め…。

=====ここまで。

 「製作から半世紀を経た今もミステリーファンの間で高い評価を受ける幻の作品」だそうです。


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 大昔にリストに入れておいたらしいDVDが今頃送られてきました~。「え?ナニこれ??」状態で見始めたのですが、90分弱という短さもあって、面白く見ることが出来ました。

 見終わってから知ったのだけど、本作は、知る人ぞ知るサスペンスの秀作らしいです。

 たしかに、冒頭から余計な描写は一切抜きで、いきなりサスペンス色全開。死んだはずの兄を名乗る男、手伝いの女、使用人の男、みんな怪しい。頼りの地元警察署長もキンバリーの訴えを聞き入れない、、、。ううむ、これはどういうこと??

 ……なのだが、残念ながら、ものすごく鈍い私なんだけれども、これは中盤でオチが見えてしまいまして、、、。正確に言うと、オチが見えたというよりは「つまりその男は○○以外に考えられんでしょ~」ということになってしまうのだよなぁ。

 本作は、エンドマークの後でプロデューサー(監督かと思ったら違うみたい)と思しき男性が出てきて「結末は誰にも言わないでください」とわざわざ言うのよね。古い映画って、『悪い種子』(1957)もそうだったけど、こういう最後の最後にスタッフとかキャストが素で出てきて何か言う、、、みたいのがよくあるのかしらん? まあ、とにかく、わざわざそこまで固く口止めされているから、結末は書かないけど、どうして、それ以外に考えられん、となるかというと……

 例えば、邸内の兄の写真が全て見知らぬ男のものと変えられていたり、兄の腕にあった刺青がちゃんとあったり、兄の作るカクテルを知っていたり、、、ここまで兄の個人情報を知り尽くしている人と言えば、、、、そりゃ、あの人でしょ、ってならない?

 ただ、そうなっても、本作はラストまでちゃんと緊張感を持続させてみることが出来たのでした。一応、ドキドキ・ハラハラする要素はあります。ダイヤの行方とか、指紋を取れるかとか、、、。

 オチが分かる=サスペンスとしてダメ、とは私は思わないクチで、むしろ、どう面白くそのオチまで見せてくれるか、という方がポイントだと思う。キーマンは、警察署長のパルガスですね。彼が兄を名乗る男の言いなりになっているようであったり、キムの味方であるように見えたり、、、となかなか上手に狂言回しに使っています。最後まで彼の動きが効いている。

 ヒロインのアン・バクスターは美しい。モノクロのハリウッドスター。兄を名乗る怪しい男を演じているのはリチャード・トッド。ときどきユアン・マクレガーに似ている??と思ったけど、こちらの方がキリッとしているかな。パルガスのハーバート・ロムは、『ドリアン・グレイ 美しき肖像』(1972)でヘンリー役だったと知ってビックリ。どこかで見たかも、、、?とは思ったけど、あの映画でのヘンリーだったとは。

 本作は、ヒッチ作品や、クルーゾー作品と比較されることも多いみたい。たしかに、小粒でピリリだとは思うけど、ちょっと食い足りないかな~。あ、でも、結末を知っていてももう一度見ても良いと思える秀作であることは間違いないです。


 

 

 

 

 


ヒロインの住んでいるお屋敷がステキ、、、。
  

 

 

 

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シャイニング(1980年/北米公開版)

2021-08-07 | 【し】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv11219/

 

以下、午前十時の映画祭11公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 元・教師のジャック・トランス(ジャック・ニコルソン)は、妻のウェンディ(シェリー・デュヴァル)、幼い息子のダニーを連れ、ロッキー山中の豪華ホテルにやってきた。豪雪のため冬場は閉鎖されるこのホテルの管理人に就いたジャックは、静かな環境の中で、かねてから構想していた小説を執筆しようと考えていたのだった。

 平穏な日々が続いたある日、ダニーは館内通路で突然の怪異現象を目撃し、ショックで気を失ってしまう―。

=====ここまで。

 日本で公開されたのは119分のコンチネンタル版といわれるものだそう。はて、日本公開版とはどこが違うでしょう、、、?


☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 キューブリック映画は、あんまし得意じゃないんですが、本作は何度見ても面白いと思うのです。「ホラー映画の金字塔」などと言われますが、正直なところ、本作は“ホラー”と言っていいのかちょっとビミョーな感じがしますね。まあ、オカルト要素もあるし、スリラーってのもちょっと違う気がするし、、、うぅむ。

 本作のことを、怖くねー、つまんねー、と評している感想はいっぱい目にしますが、まあ、感じ方は人それぞれなのでアレですが、「つまんねー」はあり得ない。というか、ネタバレしたホラーで何度見にも耐えられる映画ってのは、そのこと自体が作品の良さを物語っていると思いますね。

 昔、みんシネに感想(読み返したらすごいテキトーでびっくり)は書いたので、思い付いたことをつらつら書きます。


◆本当に怖ろしいのは人間。

 本作のことを「つまらない」と評している人々の感想をみんシネで見てみると、多くは「意味が分からん」とか「何でそーなるの?」とか「何でもっと○○しないんだよ?」といったロジカルな面でダメだった様子。確かに、そういう視点で見れば、いろいろ瑕疵があるように見えるかも。だけど、この映画は、そもそも理解する映画ではなく、“感じる”映画なのよ。
 
 象徴的なのは、本作の構成というか展開。最近の展開の早いホラー映画を基準にすると、本作はなかなか“核心”に至らないように見える。しかも、この中盤までに手の内を色々見せちゃっているとか。ダニーが惨事を予測してしまっていたり、サブリミナルみたいに双子姉妹の血みどろ画像を入れたり。何より、ジャックが面接する時点で、ホテルで過去に起きた惨劇をセリフで説明してしまっており先の展開が読めてしまう。

 その読み通りにほぼ展開していくものだから、本作をつまらんと感じる人は、ホラーとしてなっとらん!と思うのではないかしらん。

 私が本作を初めて見たときに感じたのは、人間がちょっとずつおかしくなっていく怖さだった。ジャックの場合は、この雪に閉ざされたホテルに取憑かれたことなっていたけれども、現実でもいろんな要因で人間はおかしくなっていくことがある。本作のように環境によるものもあれば、精神的なストレスやらショッキングな出来事やらで、精神のバランスを崩すことは大いにあり得る。

 そういう意味ではなくても、例えば、何かの新興宗教にハマってしまったりとか、誰かに洗脳されたりだとか、それで人が変わってしまうこともある。もっと卑近な例で言えば、恋愛によって相手に影響されて変わるということだって、その変わり方次第では身近な人にとって“おかしくなった”と感じるだろう。

 本作の趣旨はそこにあると、私は感じた。だから、怖いなと。映画自体の怖さはそれほどでもないかも知れないが、人間の怖さは十二分に描いていると思う。

 だからこそジェットコースター的な展開にはなり得ない。人間が徐々に変化していく様を描くには、じわじわ、あれ??という描写が続いていく。そして、それこそが怖いのよ。それを怖がれるかどうかが、本作を楽しめるか否かの分かれ目といえるのではないか。

 ボディースナッチャーものだと分かりやすいからホラーとしても受け入れられやすいだろうが、本作のように虚実が曖昧で、オカルト要素もあるとなれば、見ている方としてはその曖昧さがストレスになるのも分かる。

 でも、世の中には、よく分からないことの方が分かりやすいことより圧倒的に多く、人間がちょっとずつ変化することなどは、最も分かりにくいことの一つだろう。本作の良さは、それを悪魔とか“信仰”に落とし込んでいないところ(『ヘレディタリー/継承』のアリ・アスター監督みたいに)。キューブリック自身がどういう信仰を持っていたのかとかゼンゼン知らないが、アメリカのホラーにありがちな悪魔等のキリスト教的要素が背景にあるっていうのは、信仰を持たない人間からするともの凄く興醒めなのだが、本作はそっち方向に行っていないのも、私的には面白いと感じられる所以だと思う。


◆北米公開版

 今回、本作を初めてスクリーンで見たのだけど、冒頭書いたとおり、今回午前十時の映画祭でかかったのは「北米公開版」というもので、144分もある。でも、ゼンゼン長さは感じなかった。

 私がこれまで見ていたのは多分「コンチネンタル版」で、「北米公開版」をかなりカットしたものとのこと。確かに、見ていて「こんなシーンあったっけ?」というのは所々あったが(当然だけど)、実は結構ショッキングなシーンがあった。……いや、映像がショッキングとかグロいという意味ではなく、本作の価値を根底から覆してしまいかねない、蛇足に近いシーンがあって、かなり衝撃を受けた。

 ……どんなシーンか? うぅむ、正直なところ、ここにはあんまし書きたくない。終盤の、ラストに近いところで「それはねーだろ、、、」というシーンだった。ま、ご覧になっていない方には訳が分からないと思うけれど、ご勘弁願いたい。

 というか、こんなシーンが入っていて、アメリカ人はガクッと来なかったんだろうか? いや、もっと言うと、何でキューブリックほどの人がこんなシーンを撮って、しかも入れちゃったの??というような、お粗末なシーンだと、私は思うのだが、、、。
 
 「コンチネンタル版」と「北米公開版」の違いについては、詳細を記したサイトがあるので、ご興味のおありの方は検索してみてください。

 「北米公開版」で良かったシーンとしては、狂ったジャックを食糧庫に閉じ込めた後、ウェンディが逃げる手段を考えているときにダニーが発作を起こし、ウェンディがダニーを抱きかかえると、トニーが現れて「ダニーは遠くへ行ってしまいました」と不気味な声音で喋るシーンですね。このときのウェンディの絶望を思うと、これは怖ろしい。

 後半のジャック・ニコルソンは見ていて笑えるレベルにイッちゃっている。それはもちろん、展開を知っているから見ていて余裕があるからこそなのだが、、、。少しずつおかしくなる怖ろしさを描くのに、元々狂ってるように見えるニコルソンをキャスティングしたのは間違っている、という感想もみんシネにあったけど、私はニコルソンで大正解だと思うわ~。あの終盤の狂気は、ニコルソンだからこそのシーンでしょ。

 スクリーンで見ることができて良かったです。

 

 

 

 

 

 

 

この映画のせいで、ホテルで一人で寝るときはTVつけっぱなんです。
  

 

 

 

 

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プロミシング・ヤング・ウーマン(2020年)

2021-08-01 | 【ふ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv72951/

 

以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 30歳を目前にしたキャシー(キャリー・マリガン)は、ある事件によって医大を中退し、今やカフェの店員として平凡な毎日を送っている。その一方、夜ごとバーで泥酔したフリをして、お持ち帰りオトコたちに裁きを下していた。

 ある日、大学時代のクラスメートで現在は小児科医となったライアン(ボー・バーナム)がカフェを訪れる。この偶然の再会こそが、キャシーに恋ごころを目覚めさせ、同時に地獄のような悪夢へと連れ戻すことになる……。

=====ここまで。


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 無症状感染者が、きっと街中にたくさんいるんだろうなぁ、、、と、映画を劇場に見に行くのも気が引ける昨今。とりあえず、新宿・渋谷は行く気がしないけれども、平日の銀座や日本橋なら、まあいいか、、、と、根拠のない予測に基づき、本作と、午前十時の『シャイニング』をハシゴで見て参りました。

 『シャイニング』はまた後日感想を書くとして、まずは本作の感想から。


~~以下ネタバレバレなので、よろしくお願いします。~~


◆キャシーの行動について

 キャリー・マリガンが割と好きなのと、彼女のヘンテコなコスプレ画像に惹かれて見に行った次第。予備知識はほぼなく、彼女が何やら復讐する話らしい、、、程度。

 で、見終わった直後は、正直なところ、頭の中が混沌とした感じだった。内容がかなりヘヴィなのに、語り口は軽やか、色合いもポップ。実際、笑えるシーンも多く、思わず“ぷっ”となってしまったのは1度や2度ではなかった。この内容と見た目のギャップについて、私の場合、脳内補正するのにかなり時間を要したのだと思う。

 上記あらすじにある「ある事件」とは、キャリー・マリガン演ずるキャシーの大親友ニーナが泥酔してしまい周囲の男子学生たちに暴行された事件のことで、ニーナは事件後の学校の対応やら周囲の反応やらに絶望し、自殺してしまい、キャシーは10年経ってもそれらのことを引きずっている。それ故、キャシーは、夜な夜な泥酔した振りをして、下心の塊と化した男を釣り、男がいざコトを起こそうという段になって、素面になって男を萎えさせる、という実に危険かつみみっちい復讐劇に身を投じているのだ。

 私が一番引っ掛かったのは、キャシーのこの行動。いくら大親友を亡くしたとはいえ、自身を危険にさらしてまで10年経ってもそんなことをするなんて、、、と思ったのだよ。

 でも、見終わって時間が経つにつれ、私がキャシーでも、大親友がそんな目に遭い、社会から二次被害を受け、自死してしまったとしたら、その後、平然と事件以前の環境に戻っていくのは難しいかも知れないと思うに至った。ニーナに乱暴した男たちは、同じ大学の学生たちで、ニーナを絶望させたのはその大学のお偉方や同級生たちなのだ。加害者たちがウヨウヨしている環境に、被害者の大親友であった自分の身を置くことの難しさは、想像を絶する。

 本作を見ているときから感じたが、キャシーは復讐をしている自覚はあったろうが、それと同時に、釣った男にまかり間違って殺されても仕方がない=最悪死んでもイイ、、、くらいに思っていたのではないか。危険でみみっちい復讐の真似事を繰り返すことで、10年前にニーナを救えなかった自分に継続的に制裁を加えていたんじゃないかね。だから、死という結果を恐れていなかったのではないか。

 けれど、ライアンという存在が現れたことで、キャシーは生きることに意味が出来てしまう。だから、ライアンときちんと付き合い始めると、復讐の真似事はしなくなる。その代わり、もっと直截的な、真の復讐行為に出るのだ。

 真の復讐とは、ニーナを直截的に傷つけた人々をちょっと脅して抗議し、「忘れてないぞ」と印象づけることと、キャシー自身の気持ちに区切りをつけることだった。一人、また一人と復讐を成し遂げ(といっても、まあ実害はほぼないものばかりなんだが)、第三の復讐まで終えたところで、キャシー自身は「もう終わりにしてもいいか、、、」と思った様子だった。

~~以下、結末に触れています~~

 が、キャシーに生きる意味を与えてくれたライアン自身が、ニーナを男たちが乱暴した現場にいたことが分かり、再び、死んでもイイに思考回路が戻ってしまったのだ、多分。でなければ、終盤の怒濤の展開はちょっとあり得ない。

 そして、そのように(キャシーが死んでもイイと思っていたこと)考えれば、本作は非常に腑に落ちるものとなる。これをシリアス一辺倒で描いたら、重すぎて見ていられないが、ポップな見た目にすることで、エンタメとして仕上がっているし、多くの人が見ることとなる映画になった。

 監督のエメラルド・フェネルは、長編は初めてというが、デビュー作でこれだけの意欲作を撮ったというのは驚き。脚本でオスカーをゲットしたというのも納得。次作が期待されるが、プレッシャーも大きくなりそう。まあ、そんなものを軽々と超えちゃいそうな感じもあるけれど。


◆キーワードは“朦朧”

 で。本作の大事な主旨だけれども、「泥酔した女をヤッてイイ」or「泥酔した女はヤラれてもしょーがない」という万国共通(?)の不文律である。

 日本でも、デートレイプドラッグによる性犯罪が問題になっているが、クスリだろうが酒だろうが、それで意識が朦朧としている女性を犯して、犯す方は気持ちイイんですかね?? って前から疑問に思っていたんだが、本作を見て少し分かった気がする。朦朧としているからこそヤリ甲斐があるんだな、と。完全に意識がないのではなく、“朦朧”がミソなんだと。

 完全に意識がなければ人形とヤッているのと同じでつまらんし、素面では激しく抵抗されるからメンドクサイけど、“朦朧”だとフニャフニャしてるけど動いているし抵抗もむしろ合意と受け取れるくらいの「イヤよイヤよも好きのうち」と脳内変換できるレベルであるから、断然ヤリ甲斐があるのだね。 

 それが証拠に、キャシーが突然素面に戻ると、釣られた男たちの顔には一様に恐怖が浮かぶのだ。「酔ってなかったの??」「酔ってたんじゃないの??」と言って。

 ネットの感想を拾い読みすると、案の定「大人の女性が泥酔すればレイプされるかもと想像するのは大人として当然。それができないで被害女性には問題がないと決め付けるのはおかしい」とか、これに似た感想を書いている人はいるんだよね。

 まあ、これについては書き出すと長くなるからやめておくけど、極端な話、裸同然の格好で泥酔してそこに寝ている女性がいても、レイプしちゃあかんのですよ。人権侵害で犯罪なんです、それは。レイプした方が悪いんです、100%。どんな格好で泥酔していようと、レイプされてもしょうがない人間なんていないんですよ、ってこと。分からないのかな、ホントに。


◆ラストとかもろもろ、、、

 また、本作は、傍観者を厳しく批判する映画でもある。ライアンは実行者ではなく、傍観者だった。キャシーにその証拠を突き付けられたとき、ライアンは奇しくも「僕は何もやってない!」と言う。それを聞いたキャシーの絶望感は察するに余りある。だからこその、あのラストの展開になるのだよね。

 結局、あのラストは、キャシーの「死んでもイイ」が、「もう死んでやる」になった、ってことなんじゃないか。ライアンの件が致命的だったのだと思う。これからの人生に希望を見出しかけたところでの奈落。そりゃ、生きていたくなくなるだろう、という気がする。あのラストには賛否あるようで、否定派は「死んじゃった、、、」という受け止めなんだが、「死んでやった」んだよ、キャシーの真意は。

 キャリー・マリガンは、人生を半分放棄したやつれた感じがよく出ていて、それでいて可愛いという、不思議な雰囲気をうまく出していた。途中、ライアンとラブラブな感じになるところはまたガラッと雰囲気が変わり、そして、ラストへ向けて、、、、と、コロコロと変わるのが演じるのも大変だったろう。

 ライアンも、ずーーっと面白くてイイ人で素敵だったのに、傍観者であったとバレた後は豹変、まったくの卑劣漢に見えるという、演じたボー・バーナムが素晴らしい。コメディ出身と聞いて納得。

 何かの感想で「復讐劇は嫌い」と書いたが、やっぱり、復讐は虚しいよ。キャシーが事件のことを引きずって、忘れないのは、自分の意思でもあるし、忘れようとする必要はない。けれど、陳腐なのは百も承知だが、ニーナの母親が言っていたように、キャシーには彼女自身の人生を生きて欲しかった。キャシーの両親の気持ちを思うと、いたたまれない。

 最後の最後でちゃぶ台返しなことを書いてしまいましたが、まあ、偽らざる本音です。

 

 

 

 

 

 

 

タイトルは、プロミシング・ヤング・マンとして無罪放免された加害者に対するアンチテーゼです。
  

 

 

 

 

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