





13歳の少女エヴは、うつ病(?)の母親と二人で暮らしていたが、母親が薬物中毒で意識不明となり入院することに。そこで、エヴは、母親と離婚し、フランス北部の街カレーで既に別の家庭を築いている父親・トマ(マチュー・カソヴィッツ)の家に引き取られる。
その家・ロラン家は建設業を営むブルジョワの富豪で、父とその妻、生まれたばかりの子ども、父の姉・アンヌ(イザベル・ユペール)、父の父親・ジョルジュ(ジャン=ルイ・トランティニャン)が一緒に暮らしていた。建設業を興したのは祖父のジョルジュだが、今は高齢で引退しており、トマは家業を継ぐことなく医師となり、継いだのはアンヌであった。
エヴが加わったロラン家の食卓は、どこか冷たくよそよそしく、ロラン家の人々の会話はまるで噛み合っておらず、でもそれは決して、エヴが加わったからではないらしい。果たしてこのブルジョワ一家は一体、、、??
『愛、アムール』ではヒューマンドラマを描いたハネケの5年ぶり新作。待ってました!!
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ハネケの新作、その名も『ハッピーエンド』だなんて、見ないわけにはいかないでしょ。
……てなわけで、ようやく見てまいりました、、、。ちなみに、主演のはずのイザベル・ユペールだが、本作ではいたって影が薄い。相変わらずエキセントリック・マザーを演じておられるけれど、やはり本作のキーマンは、ジョルジュとエヴであって、彼女ではないんだよね。
◆5年ぶりだってのに、私のM気を満足させてはくれなかった、、、。
『愛、アムール』では、らしからぬ作風にショックを受け、これが遺作だなんて絶対イヤだ! と思っていたら、案の定、やってくれました。そう、ハネケ節が戻ってきたのだ。それ自体は嬉しい、、、というよりは、ホッとしたんだけれども、これまで見てきたどのハネケ作品よりも、ある意味、衝撃度が低く、それが何とも寂しく感じてしまった。
なんか普通、、、みたいな。これがハネケではない人の監督作であれば、別の感想を抱いたと思うけれど、『セブンス・コンチネント』とか『タイム・オブ・ザ・ウルフ』とかを撮っている人の作品だと思うと、かなり普通だよなぁ、と思っちゃう。毒が薄い(もちろん、ないわけじゃない)というか。私がハネケ作品を見るのに期待するのは、やはりその毒性の強さなわけで、強力な毒気に当てられたいのヨ。そういう意味ではかなり本作はスカされた、というのが正直な感覚。
だって、ブルジョワ一家の崩壊(というか、すでに崩壊しているんだけど)なんて、その辺に転がっているネタ。そんな壊れた家族は自分の半径1メートル以内のことにしか興味がなく、当然、移民等の社会で問題になっていることなんぞどーでもよくて、おまけに、精神的に病んでいて自殺を繰り返す爺さんとか、人を殺しちゃう子どもとか、別に、素材としては驚かないレベル。もちろん、奇をてらった素材を期待しているわけじゃないけど、本作は描写も、あんましギリギリ来なかった。ハネケ作品は見ていると、心臓を抉られるようなギリギリ来るものがあるけれど、それがないのが不満なわけ。……あたしゃMか? まあ、ハネケ作品鑑賞に当たっては大いにMだと思いますね。
……でもまあ、『白いリボン』辺りから毒性が弱くなってきたのは感じていたので、これもハネケの加齢によるモノなのか、、、と信じたくはないけど、思わざるを得ないかも。彼も丸くなっちまったのかなぁ、、、。
とはいえ、世間の評価は、やっぱりハネケだね! って感じだし、藤原帰一氏は、「なんとも禍々しい映画」「表面をなでまわすのでなく虚ろな心のなかに入り込む力があるので、陳腐にならない」などと絶賛している。やっぱし私が受けた感覚は、私の期待が大きすぎたが故のものなんだな、きっと。……嗚呼、でも寂しい。
◆老人と少女
……そんなわけで、あんまし色々書く気が起きないんだけれども、これまでのハネケ作品になくて本作でフォーカスされていたのが、ネット社会&SNS。例えば、エヴは、自分が母親を殺す過程を詳細にスマホで画像に記録している、とか。トマは、再婚した妻以外の女性とチャットセックスに耽っている、とか。
でもまあ、映像にフォーカスした作品なら『隠された記憶』みたいに、監視カメラ映像がカギになる作品が既にあって、それがネットになっただけ、とも言えるわけで、さほどの特筆事項でもないような。
エヴが母親を毒殺する、というネタについては、どうやら日本で実際に起きた事件からインスピレーションを得たらしいけれど、親殺しってそんなに珍しいネタではない。本作の場合、それが特に若干13歳の可愛らしい少女によるもので、なおかつスマホで撮影しながらチャットで中継している画は衝撃的かも知れないが。スマホ画面というフィルターを通すことで、エヴにとっては遠い出来事になるという、その視点の置き方、移動が特色かも。
もう一人のキーマンは年老いたジョルジュで、老人と少女、という視点が対になっているのも面白いと言えば面白い。未来ある子どもと、人生の黄昏時である老人が、現役世代の有象無象のあれこれを眺めている。しかも、この少女も老人も自殺未遂を起こすのよね。2人とも、人生を儚んでいる。良くも悪くも足掻いているのは現役世代だけ、、、。
おまけに、2人とも大切な(はずの)人を手に掛けている。ジョルジュは、介護していた妻を。ジョルジュがそのいきさつをエヴに話すシーンを見ていて、誰もが『愛、アムール』の続きか、と思うかも知れないし、私も一瞬そう思った(けれど、まあ、多分それは違うんだろう)。しかも、この夫はそのことを微塵も後悔していない(エヴも母親殺しを悔いている様子がない)。長く連れ添った夫婦の行き着く先が「どちらかがどちらかの人生を強制終了させる」。そして、それは現実にもたくさん起きている。そして、会話の噛み合わない家族の中で、この老人と少女の会話だけが噛み合っている、、、。
、、、ううむ、こうして書いていると、やっぱりこの辺りの描写は強烈なアイロニーが効いているのかも、という気もしてくる。ただ、見ている間、スクリーンからはそれを感じ取ることが私には出来なかったわけだけれど、、、。
◆これで終わりなんですかねぇ……?(by観客の男性)
少女と老人の究極のシーンは、ラストにやってくる。ここからは結末に触れますので、本作を未見の方はご注意を。
自殺願望に取り憑かれているジョルジュは、アンヌと恋人の婚約披露パーティを、エヴに車椅子を押させて抜け出す。そして、パーティ会場のそばにある海の方へ行き、埠頭からそのまま車椅子をエヴに押させ、入水自殺を図ろうとする。エヴは、ジョルジュが腰辺りまで水に浸かったところで、車椅子から離れ、ジョルジュが海に入っていく様を、これまたスマホで撮影し始める。……なんとシュールな、、、。
……とそこへ、慌てた様子で駆けて行くアンヌとトマが、エヴの方を一瞬振り返って、暗転。ジ・エンド。
ゲゲ~ッ、これで終わりなんて、なんてイジワル。……と思っていたら後方から初老の男性の声が。
「これで終わりなんですかねぇ……?」
うんうん、そうそう、そう思うよね、そう思うよ! と、私は心の中で思わず大きく頷いていましたよ!! その一方で、やっぱしハネケだよなぁ、とも思っていました。これは、ものすごくイジワルなんですよ、とにかく。
その後どうなるかってことは、結局観客に考えておくれ、っていう、いつものハネケのパターン。考えたくねーよ!! と言いたくなるけど、考えちゃう作りになっているところが憎ったらしいというか。
思うに、少女と老人には共通項が多いが、決定的な違いが一つある(と思う)。
それは、エヴは、あくまで自己本位な視点でしか物事を見ていない。対してジョルジュも自己チューっぽいけど、一応、他者視点を持っている。ジョルジュがここまで死にたがっているのは、自分がもう“用済みの人間”だからと勝手に思っているからでもあるけれど、私は、自分が手に掛けた妻のことを思ってのことだという気がする。後悔はないと言っていて、後悔は本当にしていないんだろうけど、『愛、アムール』のラストで、亡き妻が、ジョルジュに「コート着ないの?」と言うシーンが、私にはダブるのだ。それが、彼を自殺に駆り立てているとしか思えない。つまり、彼の他者視点は、亡き妻の視点ということ。エヴにそんな他者はいない。
……というのが、私なりの感想。本作を見た方々は、一体どんな感想を抱いたんだろうか、、、?
次作こそ、毒大盛りでお願いします、ハネケ様

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