以下、公式HPよりストーリーのコピペです。
=====ここから。
国家の最高機密文書<ペンタゴン・ペーパーズ>。なぜ、アメリカ政府は、4代にわたる歴代大統領は、30年もの間、それをひた隠しにしなければならなかったのか―。
1971年、ベトナム戦争が泥沼化し、アメリカ国内には反戦の気運が高まっていた。国防総省はベトナム戦争について客観的に調査・分析する文書を作成していたが、戦争の長期化により、それは7000枚に及ぶ膨大な量に膨れあがっていた。
ある日、その文書が流出し、ニューヨーク・タイムズが内容の一部をスクープした。
ライバル紙のニューヨーク・タイムズに先を越され、ワシントン・ポストのトップでアメリカ主要新聞社史上初の女性発行人キャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)と編集主幹ベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)は、残りの文書を独自に入手し、全貌を公表しようと奔走する。真実を伝えたいという気持ちが彼らを駆り立てていた。
しかし、ニクソン大統領があらゆる手段で記事を差し止めようとするのは明らかだった。政府を敵に回してまで、本当に記事にするのか…報道の自由、信念を懸けた“決断”の時は近づいていた。
=====ここまで。
何やらもったいぶったあらすじですが、、、。やっぱし、スピルバーグはツボを心得ていらっしゃるねぇ。イヤミなくらい。
スピルバーグ&メリル・ストリープにトム・ハンクス、、、と聞いただけで、あんまし見たくなかったんだけど、昨今の(日本の)政治問題に絡めて、あちこちで取り上げられているのを見聞きして、何となく見てみようかなぁ、と思って劇場まで行ってしまいました。
◆肝心なことが描かれていない、、、と思う。
なかなか面白かったです。色々と、へぇー、と思いながら見ていました。
このペンタゴン文書を最初にすっぱ抜いたのはNYタイムズだったんですね。それを、ニクソンに潰されそうになって、ワシントンポストが引き継いだ格好になったと。
ニクソン、、、って、もしかして一番映画化されている大統領じゃないですか? ケネディの方が多いのかな。調べてないので分からないけど、あんまりどれも良い描かれ方はされていない印象。まあ、辞め方がああだから致し方ないのかも知れないが、、、。『大統領の陰謀』でもそうだったし、ある意味、歴史に残る大統領には違いないわけで。
本作でももちろん、ニクソン=悪人、みたいな感じです。たまに出てくるのはホワイトハウスで電話をしている後ろ姿だけなんだけど、それがまた、何となくよく似ている感じなのよ。
まあ、あれがあってこれがあって、結果的に、ポスト紙が文書の内容の多くを暴露した、ということになり、メリル・ストリープとトム・ハンクスにとってはメデタシメデタシのハッピーエンディング。よござんした。
私が一番不満に感じたのは、メリル・ストリープ演じるグラハムが、並み居る役員たちの反対を押し切ってまで社運を懸けてペンタゴン文書を掲載することを決意する過程。何が彼女を決意させたのかがこのストーリーでは一番キモになるはずなのに、そこが分からない。というか、ちゃんと描かれていない気がする。
最初から、彼女には掲載する意思はあったように見えるし、確かに社運が懸かっているけど、そのことに対する怖れとか、さらにまた、極秘文書を載せることが起こす影響に対する畏れとか、あんまし感じられないんだよねぇ。役員たちに「掲載するわ!」と毅然と言い放つだけで、それで“彼女は歴史的偉大な決断をしたんだ!!”と言われても、、、。
そもそも、このグラハムをイイ人に描きすぎなんだよね。人としてイヤらしいところがゼンゼンない。重要人物なんだから、もっと多面体で描いて欲しい。彼女は素人だけど色々頑張って、大きい決断したんだよ、偉いでしょ~。と言っているだけの映画な気がする。きっと、現実には綺麗事じゃすまない諸々のがあったはず。そういう汚い部分はぜ~んぶニクソンに押し付けて、ポスト紙の人々は皆善人で正義でございますよ、って言われても、私みたいなひねくれ者は、素直に感動できまへん。
トム・ハンクス演じるベン・ブラッドリーが、「我々(メディア)は国民に奉仕しなくてはならない」みたいなセリフを言うんだけど、なんか、これもクサいというか。どっちかというと、反ニクソンだったんじゃないかね? 別にそれが悪いと思わないし、あまりにも正義の味方みたいな描き方もいかがなものか、と。
まあ、とにかく、ちょっと食い足りない感は否めませんでした。
◆残念ながら、イマドキは文書くらいじゃ権力者は脅かせない。
本作は、スピルバーグが、(現政権批判の意味合いを込めて)急いで作った映画らしいけれども、大体、自分に都合の悪いことはぜーんぶ“フェイクニュースだ!!”で済ませちゃうような人を相手に、いくら映画で批判したって、あんまし効き目なさそうだよね。そういう人種は、ある意味、無敵なわけで。真実を畏れるという感性は、やっぱりそれなりに知性と品性を持ち合わせていないと生まれてこないでしょ。バカは怖いモノなしってのは、世の常です。
日本でもタイムリー、なんて言ったり書いたりされているけど、どうなのかね? 有名人のコメントとか、もろにそういうのもあるけど、正直、なんだかなぁ、、、と思う。だいたい、そう感じてもらいたい当の本人は、ゼンゼンそんなこと意に介してなさそうだし。蛙のツラに小便じゃない?
昨今の文書関連の問題を見ていてつくづく思うのは、どんなに(権力者にとって)ヤバい文書が出て来たって、当人たちが「知らぬ存ぜぬ」を通せば、何だかんだ有耶無耶になってしまう、っていう素晴らしい前例が出来たなぁ、ってこと。のらりくらりかわせば、99.9%クロな出来事もなかったことにできる。これ、マジで、フェイクニュースだって喚いている人たちより、よっぽど質が悪いし、怖ろしいと思うねぇ。ウソも100回言えば、真実になることを証明して見せられたんだから。
文書は、もはや印籠にはならない。だから、本作で描かれていることは、もう、今の日本じゃ通じないワケよ。文書くらいじゃダメってこと。
じゃあ、何なら印籠になるのかね? 音声データ? それだって、「自分の声かどうか分からない」って言っちゃえば、有耶無耶になる。今時、動画だって簡単に捏造できる時代ですよ? もはや、権力者に突き付けて崩せる印籠なんて、あるんでしょーか?
こんな映画作って“権力者に一矢報いた”などと少しでも制作陣たちが思っていたら、それは、大きな勘違い。……と思うが、それでも、アメリカは大手がこういう映画を作るだけ、まだ健全さが残っており、それはメチャクチャ羨ましい。日本では、大手は絶対手を出さないはずだからね。そもそも、日本のプロダクションは、日本人を信用しなさすぎだと思う。権力批判モノを作って、叩かれることばかり怖がる。しかし、市民は意外に冷静に受け止めるんじゃないかねぇ。それくらいにはこの社会も成熟していると思うよ? 自主規制ばっかしてバカみたい。
そんなだから、権力者に舐められるんだよ。少し前なら、恥ずかしくてとっくに表舞台から降りていたはずの人々が、堂々と大手を振って歩いている。
ノー天気映画ばっかり国民に見せているから、国民も総白痴化しているんだろうね、多分。何が思考力だよ、何が英語力だよ、バカバカしい。
もし、今回の文書問題が日本で映画化されたら、今なら、かなりの確率でヒットするはず。儲かりまっせ。
◆その他もろもろ
メリル・ストリープは、正直、もう見飽きた。他に優秀な役者さんはたくさんいるはずなんだから、もっと違う人を使って欲しいなぁ。トム・ハンクスは、『ブリッジ・オブ・スパイ』のドノバンと似た印象。このお二人、意外にも初共演だとか。
個人的に印象的だったのは、バクディキアンを演じた、ボブ・オデンカーク。とても渋くてカッコ良かった。必死で文書を手に入れ、記事化することに心血を注いだ人。ベン・ブラッドリーよりも彼の役割の方がかなり大きかったような。
スピルバーグ作品は、やはりちゃんとエンタメとしてツボを押さえているし、こういう政治ドラマにしてはとても分かりやすいし、盛り上げ方も音楽など効果的に使っていて巧みだし、、、、。
スピルバーグ&トム・ハンクスの『ブリッジ・オブ・スパイ』と同じで、どの要素もオールAだけど、A+が1個もない、という印象。ラストが、『大統領の陰謀』のオープニングにつながる演出は良かったけど。
いえ、良い映画だと思いますよ、もちろん。見て損はないと思います。
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