「ペトラ・フォン・カントの苦い涙」を見て、映画自体にはさほどグッと来なかったんだけど、こんな風に女性を描く監督に興味を抱いて、タイミングよくこの特集企画があると知り、見に行くことに。
とはいえ、あまりにも連日暑くて外出したくない、、、。けどどうにか、仕事帰りとかに何とか勢いで3本コンプリートしました。見た順に感想書きます。あらすじは、いずれも特集HPからのコピペです。
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◆天使の影(1976年)
作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv81958/
《あらすじ》 とある都会の片隅に立つ娼婦リリーは、その繊細な性格から仲間内では浮いた存在。家に帰ればヒモ男ラウールに金をせびられる日々。そんなある日リリーは闇社会の大物であるユダヤ人に見初められるが、次第に破滅願望が強くなっていく。反ユダヤ的とされ非難を浴びながらも、今なお世界中で繰り返し上演されるファスビンダーの戯曲「ゴミ、都市そして死」を、親友でもある『ラ・パロマ』(74)、『ヘカテ』(82)のシュミット監督が映画化。主演はファスビンダーと一時期結婚していたイングリット・カーフェン。露骨な台詞が散りばめられ、絶望に満ちた物語ながら、名キャメラマン、レナート・ベルタが描き出す退廃美に溢れた映像は限りなく素晴らしく、全編に夢のような心地がたゆたう。
~ここまで~
本作は、ファスビンダー監督作品ではない。3作の中で一番“ヘン”な映画だった。
で、このダニエル・シュミット監督が、『ヘカテ』の監督と見た後に知って、何となく納得。確かにちょっと雰囲気似ているかも。
ファスビンダーが上記あらすじにある“ヒモ男”を演じているのだが、これがタダのヒモではなく、もう筋金入りのヒモである。ヒモもここまで開き直れば立派なもんだ。女に売春しろってどやしつけて、稼いで帰って来たらその金を即巻き上げて散財。元ネタの戯曲タイトルの「ゴミ」ってこの男のことかもね。
冒頭から不快なシーン。娼婦たちが橋の下で客待ちをしているのだが、最後の1人になったリリーは、なんとその場にいた猫を川に捨てるのである。客が付かないからか、八つ当たりされた猫はたまったもんじゃない。そんな気分で家に帰れば、ヒモ男がラジコンで無気力に車を床に走らせている。……なんかもう、この出だしだけで、ウンザリしてしまった。
その後の展開は、終始、絶望感が漂い、どうにもこうにも救いがない。これって、やはりまだドイツも“戦後”だったから、ってことなんですかね? リリーを見初めたのが地上げ屋みたいなユダヤ人だからか、反ユダヤ的と批判されたそうだけど、どっちかというと、むしろ、反ユダヤを揶揄している描写だったのではないか、、、と感じたのだが。
いずれにしても??なところが多く、セリフも戯曲ベースだから当然と言えば当然だが芝居じみていて、正直、退屈だった。
本作を見終わった直後の率直な感覚としては、“あとの2本はもういいかなぁ、、、”であった。
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◆マリア・ブラウンの結婚(1978年)
作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv11157/
《あらすじ》 ファスビンダーの名を世界に轟かせた大ブレイク作にして究極の<女性映画>。第二次世界大戦の真っ只中、マリアは恋人のヘルマンと結婚式を挙げるが、ヘルマンはすぐに戦線に戻り行方不明になってしまう。新たなパートナーとともに戦後の混乱を乗り越えていこうとするマリアだったが……。鳴り響く銃声や爆撃音とウエディング・ドレスのコントラストが衝撃的なオープニングに始まり、鮮烈なイメージが怒涛のごとく押し寄せる究極のメロドラマ。戦争末期からドイツがめざましい復興を遂げる1950年代半ばまでの約10年間にわたるヒロインの生き様が活き活きと描かれる。波乱万丈な運命を辿るマリアを艶やかに演じたのはファスビンダー映画常連のハンナ・シグラ。本作で第29回ベルリン映画祭銀熊賞を受賞した。
~ここまで~
2本目。
期待していなかったけど、ファスビンダーの出世作とのことなので、一応見ておこうと思って渋々行った。ら、これが意外に良かったのだった。
上記のリンクとは別に、eiga.comでの本作の紹介文には「運命に翻弄されるヒロインの悲劇を描いた」とあるのだけれど、ちょっと違うだろう。それよりは、公式HPの惹句「運命に翻弄されながらも逞しく生き抜く女性」の方が、まだマシだ。どちらも「運命に翻弄され」とあるけど、私にはあまりそうは見えなかった。
本作で、確かに、マリアの身の上にはいろんなことが起きるのだが、それはマリアに限らず、この世に生きている人間に例外のない話である。ましてや本作の舞台は戦争下でもあるし、そら色々トンデモなことが起きて当たり前だろう。この時期に生きていた人々の中で、マリアが特別「運命に翻弄され」ていたわけじゃないのだ。
マリアは、いろんなことが起きる度に、自らの意志に忠実に生きることを選択していくのであり、翻弄などされていない。混乱する社会にあって、むしろ主体的に生きている。しかも、ブレないところがスゴい。つまり「愛する男は夫だけ」という一点でブレないのである。潔いくらいで、ある意味、こんな風に生きることができる人を尊敬する。私はブレブレ人間なので。
本作を見て、ファスビンダーという人は一体どんな人なんだ??と不思議になった。あんまし男だ女だと言うのもどうかと思うが、女性をこういう風に描く男性監督ってのは、今でも少数派ではないか? これは、彼のセクシャリティにも起因するのかしらね?
……という風に、私は本作を見たのだが、鑑賞後にネットの感想を拾い読みしていたら、ゼンゼン違う受け止めをしている方がいて、目から鱗であった。それはラストの展開(詳細は書きませんが、マリアは亡くなったと思われます)からの読み解きになるのだが、その方は、あのようなラストを描いているということは、マリアは確かに夫一途に生きているように見えるが、実は、自身が生き延びるために男に身を任せることも厭わない浮草みたいな女だ、というもの。だから、夫が戻って来てある事実が判明したことで衝撃を受け、失望してしまったのだというのである。ブレずに主体的に生きる芯の強い女性なら、あんなラストにはならんだろう、、、ということらしい。
んまぁ、、、確かにそれは言えるのかも知れん。けれど、私はあのラストは、飽くまで“事故”だと見ていたので、それはどうかと感じるのだが、元々ファスビンダーは、ラストはマリアが自殺するというシナリオを書いていたのをハンナ・シグラの抗議により書き換えた、とその方が書いており、ますます目から鱗どころか、仰天してしまった。
うぅむ、そのエピソードが本当ならば、私はハンナ・シグラが抗議した気持ちが分かる。分かるし、そりゃそーだろ、と思う。ファスビンダーも、やっぱしミソジニー入ってるマッチョおじさんだったんかなぁ。
マリアを演じたハンナ・シグラが七変化で、実に美しい。魅了されてしまった。
そんなわけで、これは3本目も見たいかも、、、と思ったのであった。
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◆不安は魂を食いつくす(1974年)
作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv81957/
《あらすじ》 ある雨の夜、未亡人の掃除婦エミは近所の酒場で年下の移民労働者の男、アリに出会う。愛し合い、あっという間に結婚を決める彼らだったが、エミの子供たちや仕事仲間からは冷ややかな視線を向けられる。年齢や文化、肌の色、何もかもが異なる二人の愛の行方は。ダグラス・サーク監督作『天はすべて許し給う』(55)の物語を下敷きに、愛に起因する苦悩や残酷さを鮮やかに描き出した不朽の傑作。ベテラン女優、ブリギッテ・ミラとファスビンダーの愛人であったエル・ヘディ・ベン・サレム(本作の公開直前に事件を起こし服役、後に獄中で死亡。ファスビンダーの遺作『ケレル』は彼に捧げられている)による名演が圧倒的で、アキ・カウリスマキ監督らに影響を与えたとされる。第27回カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞。
~ここまで~
3本目。これが一番キツかった。
本作は、劇場初公開らしいが、既に何年か前にアテネ・フランセで特集上映はあったらしい。
上記あらすじ以外は何も予備知識なく見に行って、恋に落ちる未亡人のエミという女性が、ホントにどこにでもいる感じの“ザ・おばさん”で、へぇーと思ったけど、それが良かった。大雨でふらりと入った店が、移民が集うカフェだった、、、という幕開け。
そこに、アリがいるのだが、このアリ、いきなり冒頭シーンでカウンターのセリフ炸裂。お仲間女性に「今夜どう?」みたいに誘われて返した言葉が「チ〇コ故障」、、、。字幕で「チ〇コ」(もちろん、伏字ではありませんでしたヨ)なんて語を見ようとは思いもしていなかったのでオドロキ。しかも「故障」って、、、。まあ、それは大した問題ではないのだが。
エミは、子どもたちも独立し、寂しいと自覚していて、独りを楽しむ、、、という感じではない。アリに「仕事は何しているの?」と聞かれて「答えたくない」って答えるのが、また何とも、、、。エミとアリは互いに被差別者同士で惹かれ合った、、、みたいな解説をしているのをネット上で見たが、まあ、そういう側面もあったかもだが、私には、エミの寂しさがアリに吸い寄せられた原因かな、という風に見えた。それくらい、カフェに迷い込んできたように入って来たエミの表情は暗かった。
でも、アリと出会って恋仲になるのはあっという間で、そこから結婚までもかなりあっという間である。結婚に至ったのには、明らかにアリが被差別者であることが理由なんだが、エミ自身はいたって本気であり、その辺のいきさつは、時間経過とは裏腹にかなりリアルだと感じた次第。
当然、周囲には白い目で見られるのだが、それに耐えられなくなったエミは、アリの故郷モロッコに行くことを提案し、二人は旅に出る。で、2週間くらいして戻ってくると、周囲がびっくりするぐらいに2人に寛容になっている。これがまた、何ともリアルというか、人間の勝手さ、自分の都合や利益が差別意識を上回ると急に相手に寛容になるという、実に厭らしいけれど人間的な描写で苦笑してしまう。
しかし、皮肉なことに、周囲が2人を受け入れると、2人の関係が反対にぎくしゃくし出すというのもまた、あるあるだなぁ、と思って見ていた。反対されると盛り上がるカップル、、、みたいな感じ。急にその枷が外れたら、2人は互いの関係の本質に向き合うことを余儀なくされて、あっという間に破綻するというね。
まあ、話としては実に普遍的であり、元ネタ映画『天はすべて許し給う』が1955年に制作され、本作以降もリメイクが繰り返されているようだが、現代に翻案しても十分通用する。差別は残念ながらなくならないだろうしね。ただまあ、なかなかにシビアな内容で、見ていて辛いシーンも多かった。
が。見終わった後に、アリを演じたエル・ヘディ・ベン・サレムについてのネット情報を見て、映画よりもさらに衝撃だった。
「マリア~」同様、女性の描き方にファスビンダーの個性を見た気がしていたのだけれども、どうやらそれはちょっと違うかもしれない、、、と、イロイロ考えさせられる事後情報である。このブログでも何度か書いていることだけど、作品と監督の人間性は切り離して考えるべきだと思うけれども、切り離せない部分があるとも思うわけで、、、まあ、結論は出ない。
ファスビンダーという人、まだまだようわからん、、、というのが3作を見たところでの率直な感想かな。好き嫌いで言えば、まあ、嫌いじゃない、、、、といったところか。好きと手放しで言えないのは確か。
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