映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ソーシャル・ネットワーク(2010年)

2015-05-29 | 【そ】



 マーク・ザッカーバーグ氏はフェイスブックのシステムを構築し、起業家として成功を収める一方で、かつての仲間らに訴えられる。揉め事の顛末を描きながら、そのきっかけとなった出来事を振り返りつつ、若い起業家の成功に至る数年を巧みな演出で描く。

 フェイスブックが、なぜアメリカで急速に浸透し、世界に広まったのか、その理由の一端を垣間見られる作品。 

 
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 実話モノは基本的に苦手なんですが、BSでオンエアしていたので録画しました。

 このブログをちまちま書くぐらいが関の山で、SNSなんてとんでもない、という身にとって本作はチンプンカンプンかなぁと思ったのですが、フツーに見ることができました。

 しかし、、、あのフェイスブック(以下Fb)も、もとはと言えば、女のコのルックス対決サイトが起源だったとはね・・・。出会いサイトじゃない、クールな自己紹介サイトだとか言いながら、結局、出会いサイトみたいなものと割り切ってどんどん機能を強化させていくあたりの描写とか、なるほど、人間の本質的な欲求を踏まえたものだったからこそ支持されたのだと、その人気の理由が分かりました。

 私の周囲にもFbやっている人そこそこいるんですが、(仕組みを完全に理解しているわけじゃないので勘違いしているかもですが)Fbって、それまでの人生で一点の曇りなき人間関係を築いてきたと確信している人じゃないとできないと思うのですよ。

 例えば、ある日突然、名前と顔が一致するかも怪しい古い知り合いから接触がある可能性もあるわけでしょう? 公開範囲の設定次第では、どこで誰が見るか分からないわけで。私なんか、金輪際顔も見たくないって人が、パッと思い浮かぶだけで10人はいるので、もしそんな人々の目に私なんかの情報が触れたらなんて想像しただけで卒倒しそうです。ハッキングによる個人情報の漏洩なんかより、そっちの方が百倍オソロシイです。

 つーか、接触してきてくれればまだマシ。あくまで傍観しながら、それでいてしっかり状況把握されているかも知れないだなんて、オソロシイというより、メチャメチャ不気味です。

 別に私は人を殺したことも故意に騙したこともありませんが、それでも、もう絶対に関わりたくない人が結構な数いるのです。だから、いくら排他的システムでも、到底登録する気になどなれません。恨まれて刺されるとか、そんな心配しているのではもちろんありません。ただ、関わりたくもない人に、今自分がどこで何をしているか、いやそこまで詳しくなくても、私の気配を感じとられることさえ嫌なのです。もう、それらの人々の脳裏に一瞬でも私のことが思い浮かんでほしくない、永久に絶対に忘れてほしいわけです。でも、Fbでたまたま見てしまったら、完全に忘れていた記憶が呼び起されることもあり得ます。、、、考えただけで鳥肌モノです。しかし、現実に何億人もの人がFbに登録しているのです。すごいですよね、、、。

 余談が続 いてすみません。

 何年も前ですけど、実際、ネットの掲示板で、「もう封印したつもりの交友関係なのに、ある日突然鍵がこじ開けられたようで非常に怖かった」というFbに対する思いの書き込みに対し、「わたしにはそんな交友関係ありません。逆に何年も会ってない人とは連絡をとりたくないという人生を送るあなたが怖い」というようなレスを見た時、何とも言えない気持ちになりました。そこまで屈託なく人間関係を信じられる生き方って、どうすればできるのか、、、。この人は過去に自分が誰かを傷つけたという自覚は一つもないのだろうか。

 でも、そういう方たちに共通しているのは、たとえ封印した関係でも、相手から接触があってもスルーすれば良いだけのこと、という考え方なのです。そう思えるからこそSNSに参加できるのでしょう。私みたいに、接触どころか相手の意識のうちに一瞬でも上ることさえ拒絶反応を示すような輩はそもそもSNSなんぞに参加する資格はないのだと、その掲示板を読んで改めて思いました。同窓会でさえ苦手な私にとって、そりゃそーだよなと。

 もちろん、現在Fbを楽しんでいる方を批判する趣旨ではありません。リアルではなし得ないレベルで人の輪を広げるツールなのは間違いないし、自営業の方や名前を売ってなんぼの職業の方には便利なツールだと思いますし。

 ただ、、、先の掲示板では「堂々と実名登録して公開できるか、実名や居住地を晒せないかの差は、その人がどういう人生を送ってきたかという篩にかけられているということ」とか、「高学歴の人ほど公開している。Fbを効果的に使えない人はそれだけで成功者やコミュニティから疎外される。社会性の観点からも怪しい」とかいうレスもあり、こんな選民意識持っているのも、正直滑稽だと思っちゃいました。たかがSNSで、、、。

 さて、やっとこさ本題です。

 本作を見て、長々余談を書いてきたことについて、納得した部分が結構ありました。それは、Fbがアメリカ生まれであるということと深く関係していると思われます。

 本作に限らず、アメリカの映画やドラマ見ていると、アメリカ人ってものすごくパーティー好きですよね。やたらパーティーシーンが描かれます。パーティーってのは、その目的が恋愛かビジネスか、、、などの違いはあっても、要は人脈づくりの場です。また、あちらはもともと、 自己主張してなんぼの文化、いかに自分をアピールするか、実物より素敵に魅力的に見せるか、ということに皆が血道をあげている社会です。

 そんな文化・社会で、ネットというバーチャルな世界において、自分を、本来の自分と全く別人ではなくてもほんの少し理想とする像に近づけた人間として演じることは可能だし、ある種、楽しいことかも知れません。バーチャルとリアルの境界が曖昧になってくると、ますます中毒になるのでは。もちろん、人の輪が広がることが楽しいというのもあるでしょうが、自己演出の妙にハマる、というのは非常によく分かる気がしました。大げさに言えば、変身願望が叶えられるのに近い感覚ではないかと。

 そして、アメリカでは、いろんなシーンで、もはやFbは名刺代わりだとか。日本でも就活生にとっては必須だと聞きます。となると、先ほどの選民意識バリバリのレスを書いていた人たちみたいな価値観が蔓延していく可能性は十分ありますよね。そういう意識が出てくる理由が分かりました。まあ、私は世の中がそんなんになったら、山に籠るしかないかなぁ、、、。

 ・・・新興IT企業が舞台の映画ってことで、もっと金・カネ・金!!みたいなイメージかと思っていたけれど、そんな金儲けばっかの話ではゼンゼンありませんでした。訴訟ですから、最終的に金で解決ってことになるけど、原因は単純な人間関係のもつれです。それが、アイディアを取(盗)った取(盗)られたになり、果てはビジネス上の契約に及んでしまうという、、、。極端に才能があるザッカーバーグという人をめぐる有象無象の思惑入り乱れるドラマ。新興IT企業という目新しいセットで、極めて普遍的なテーマを描いた作品でした。

 あと、私、早口な喋りが苦手でして、、、。ザッカーバーグを演じたジェシー・アイゼンバーグは、すごい早口。しかも無表情。感じ悪いったらありゃしない。なんか、ザッカーバーグ氏の描写がちょっと悪意を感じますね。頭の良いオタクで、マシンガントークの人の話を聞かない自己中イヤな奴、という・・・。彼が映画というバーチャル世界でこんな描かれ方されているのを見て、リアルに溜飲を下げている人たちがいるのかも、と思うと、なんかイヤですね。





私には一生縁のないフェイスブックのお話。




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コロンビアーナ(2011年)

2015-05-27 | マイケル・ヴァルタン



 両親をマフィア(?)に殺された少女カトレアは、父親が殺される直前に教えてくれた方法でアメリカのシカゴに住む叔父の下へ逃れる。両親を殺された憎しみから、彼女は「殺し屋になる」と叔父に宣言する。

 それから15年。彼女は美しい凄腕殺し屋に成長していた。そして、殺し屋になった本当の目的、復讐のために動き出す、、、。

 RPGサバイバルゲームの方が百倍難しいんじゃないか? ハラハラドキドキの全くない殺し屋映画なんて、ナントカを入れないコーヒーみたいなもん? 、、、ナントカを入れないコーヒーしか飲んでませんが・・・。、、、ごーん。

 
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 こういうバイオレンス系(?)ってあんまり積極的には見ないのですが、ヴァルタンが出ているので見てみました。

 うーん、ちょっと、何もかもスムーズに行き過ぎじゃないですかね、カトレア姉さん。ギリギリ手に汗握るシーンが1コもなかったよ? これって、こういうジャンルの映画としてはダメじゃない?

 強いて言えば、冒頭のシーンだよね、ドキドキできたのは。まだ子どものカトレアちゃんが大の男数人を向こうに回してたった一人で逃げるのですから。この逃走・追跡シーンはカメラワークも冴えていて、なかなかスリリングなんじゃないでしょーか。技術的なことは分かりませんが。

 この子どものカトレアちゃんが、「殺し屋になりたい」って言うんだから、びっくりです。両親を殺されたその恨みを晴らしたい、という思いがあったからみたいだけど、私だったらあんな怖い思いもう二度としたくないから、とっとと両親の死など忘れて安穏と暮らしたい、と叔父さんに泣いて訴えると思うなぁ。でも、そこで「殺し屋になる」というあたり、もうDNAレベルで人間の出来が違うって感じです。

 そうして一気に15年という時間が飛びまして、カトレア姉さんが、念願かなって殺し屋となり、八面六臂の大活躍をなさいます。しかし、カトレア姉さん、ちょっとオツムはイマイチなようです。だって、名乗る殺し屋って、あんなことしたらどうなるか、ちょっと考えれば分かること。案の定、叔父さんやお祖母さんを無残に殺され、それで「ごめんなさい゛~~っ」て号泣したってねぇ、、、 。

 それに、叔父さんやお祖母さんも、カトレアを匿った以上、住処を15年も変えずに生活しているなんて、殺し屋育成している人たちとは思えない呑気ぶり。猫だって子猫育てているときは、住処を時々変えるのに。

 はたして、名乗る殺し屋カトレアは、その狙い通り、仇敵をおびき出すことに成功しますが、その後は、ロケットランチャー&マシンガンで仇敵一味をあっさり一掃。すげぇ。ラスボスはあっさり殺しちゃつまんねぇ、ってことでしょうか、獰猛なワンコ2匹に食い殺させるという趣向を凝らした手口です。

 ここまで何でもかんでもスムーズに事が運ぶと、やっぱし白けますよね、見ている方としては。最終的にカトレア姉さんが復讐を果たすとわかっていても、一度は絶体絶命の危機に陥る状況があってこそ、見ている方はカトレア姉さんに肩入れしたくなるわけで。これじゃ、むしろ、ラスボスに思わぬ仕掛けで逆襲してほしくなっちゃうよ。

 で、私のお気に入りヴァルタンは、カトレア姉さんの恋人という役どころだったんだけれども、残念ながら、この恋人エピソードはなくても良かったんじゃないかと思ってしまいました。もちろん、ヴァルタンの姿を拝めたのは嬉しいですが、作品全体で見た時、カトレアの殺し屋稼業だけにスポットを当てた方が良かったんじゃないかなぁ。カトレアの寝顔の写真を撮らせるためだけにご都合的に置かれた役ですよねぇ、はっきり言っちゃえば。こんな扱い、あんまりよ。

 とはいえ、さすがのヴァルタンの美貌も、40を過ぎて若干衰えが見えるというか、 、、。つーか、髭面は似合わんぞ。いや、十分イイ男だけれども、やはり彼は、美しくあってほしいというか。小汚いその髭は剃ってほしいねぇ。ゲージュツ家ってことで髭面なんでしょーか。ハードな姉さんカトレアに対し、徹底的に美しい優男に描いても良かったのに。その方が、ヴァルタンの魅力を全開にできたと思いますが、、、。

 リュック・ベッソン制作だそーですが、私にとってはそんなことは、ほとんどどーでも良いことでした。よく考えるよね、侵入手口とか、脱出方法とか、殺し方とか。鮫バージョンは結構面白かったかな。あとはまあ、凡庸です。

 ま、ヴァルタン出演なんで、★1個プラスです。





カトレアって、英語で発音しにくそう。




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ゴーストライター(2010年)

2015-05-22 | 【こ】



 イギリスの前首相アダム・ラング(ピアース・ブロスナン)が自叙伝を出すに当たり、そのゴーストライターを依頼された“ゴースト”(ユアン・マクレガー)は、気乗りしなかったが成り行きで引き受けることに。気乗りしなかった理由の一つは、前任のゴーストライターであったマカラが水死体となって海岸に打ち上げられていたからだ。

 アメリカ東海岸の孤島にあるラングの別荘へ到着するやいなや、不穏な空気がゴーストにまとわりつき、彼は気がつけば巨大組織に危険視される存在となってしまっていた、、、。

 ユアンの役名はなく、ただの“ゴースト”。ラストシーンの画が印象的な、なんちゃってサスペンス映画。

 
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 途中??な箇所はあるものの、見ている者を130分飽きさせない引力があり、ポランスキーの演出の妙は相変わらず冴え渡る。しかし、見終わった後にサスペンスにはあってほしいカタルシスはなく、鑑賞後感もかなり悪いです。

 何より不満なのは、タイトルが『ゴーストライター』であるのに、主人公ゴーストはプロのゴーストライターとしての仕事をほとんどしていないってこと。これなら、別に主人公の職業は、秘書でも執事でも良かったんじゃないのかしらん。ゴーストライターとして元首相の半生をいかに書き綴るかをもっと前面に押し出したストーリーにして、なおかつサスペンスに仕立てて欲しかったなぁ。これじゃある種、パッケージと中身がゼンゼン違う偽装表示みたいなもの。

 、、、なんていきなり文句を書いてしまったけど、面白いことは間違いない。出てくる人がみんなクセ者ばかりだし、どうしてゴーストの前任者が水死体になってしまったのか、という鍵になる謎は最後まで引っ張ってくれるし、小道具の出し方も観客の興味を引っ張るのに成功していると思う。やはりポランスキーは観客の心を掴むツボを心得た人です。

 全体にグレー基調の映像で構成され、何かとんでもないことが背景にあると感じさせられる。小出しにされるネタといい、ラスト近くに一気に謎が解明される緊迫感といい、サスペンスの定石は踏まえられているんですよね、、、いるんだけどね、、、。

 見ていて、一番ガクッとなったのは、やはり、政府の要人ともあろう人がゴーストがネット検索ごときでたやすく得た情報を知らなかったことですね。ネットで調べて分かることが重大な秘密にはなり得ないでしょう、、、? ほかにも、前任者が隠した資料を陰謀の首謀者である“あの組織”が見つけることなく放置したままだったり、そもそも前任者の死が殺人だと簡単に見破られる杜撰さだったり、と、国家レベルの陰謀の糸を引く“あの組織”がそんなトンマなことでいいのかよ、と、見ていてドン引きです。謎解きの過程が個人の犯罪レベル並みに非常に軽いのがいただけない。

 とはいえ、“あの組織”も実はそんなに精鋭部隊じゃなくて、リアルにかなりトンマだという話も見聞きしますから、もしかしたら、こういうレベルのミステイクはざらにあるのかもしれませんが、、、。意味深に書いたけど、“あの組織”ってのは、作品によって巨悪にも善にも書かれるCIA。ちょっと、ドラマや映画でCIAに対し、過剰なイメージを持ってしまっているのかもしれません。

 CIA・・・つまりアメリカに操られる首相、というのが、本作の最大の機密事項なわけですが、それってそんなにものすごい爆弾なんですかねぇ。そんなこと、一般人でも想像していそうなことです。「ありそうだ」と「実際にあった」じゃ、天と地ほど違うとは思いますけれども、、、。

 先日もある国のトップが両院議会で歴史的な演説をしたと、ご本人たちは自慢げですが、あれなんかまさしく、、、と思ったのは私だけではないはず。操っているのがCIAかどうか知りませんけど、もっと露骨に操られているのが見え見えです。前から馬鹿だ馬鹿だと思っていましたけど、操る側からすれば馬鹿であればあるほど都合が良いですもんね。

 、、、ま、それはともかく、人殺してまで隠蔽しなければならないことには思えません。

 それに、そんなに隠蔽したいのなら、自叙伝など出さなければ良いわけで。やっぱり「自叙伝+ゴーストライター」という設定が、間違いじゃないでしょーか。

 一説には、ゴーストライターとはユアン・マクレガー演じるゴーストを指すのではない、原作のThe Ghostには違う意味が込められている、というのもあるそうですが、そんな深読みさえ、本作にはあまり意味がない気がします。

 本作は、ポランスキーの屈折したアメリカ観があるのかも知れません。ボンドに首相を演じさせているあたり、なんかそういう気配を感じないではない。なによりピアース・ブロスナンは、どうしても首相に見えない、、、。ボンドがチラついたのではなく、なんつーか、軽いというか、知性が感じられないというか、、、。そう、知性のある首相ではダメだったんです、CIAにとっては。だから、この配役なんだよな、きっと。

 ラスト、原稿が舞い散る画が素晴らしかった。これぞ映画! っていう映像。なんか、雰囲気だけで味はイマイチなコース料理を食べた後に、見た目も美しいデザート皿が出てきて一瞬でコース料理の印象が吹っ飛んだ、みたいな感じでした。、、、ま、エンドロールでまた、料理の中身を思い出すわけですが。

 ラング夫人のルースを演じたオリヴィア・ウィリアムズが素敵でした。カッコイイです、とても。ユアン・マクレガーは、お約束のように全裸になっておられました。また尻かよ、って感じでしたね、残念ながら。





うーん、ポランスキーの監督技にねじ伏せられた感じ。




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シンデレラ(2015年)

2015-05-18 | ヘレナ・ボナム=カーター(H・B・C)



 内容を書くまでもない、メジャーおとぎ話を忠実に映画化。

 優しさと勇気があれば、いつかきっと~~♪ あまりの王道バリバリ乙女路線まっしぐらで、オバサンにとってはほとんど拷問映画。トホホ。 

 
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 ケネス・ブラナー+ディズニー、なんて、本来なら全然食指が動かないパターンなんだけれど、本作は、なんと、我が愛するH・B・Cがご出演とあっては、劇場まで行かないわけにはいきませぬ。、、、というわけで、行ってきましたよ、場違いな所へ。

 なんといいましょうか、この居心地の悪さ。周り一帯、女子ばっか。99%女性。ま、レディースデイだったから仕方ないんですけど、、、。しかも、かなり若い子からご老人まで幅広く、かつ、各層とも結構な数。う~、こういう雰囲気の劇場、初めてかも。しかも、ポップコーンやらホットドックやらジュースのにおいが混ざった何とも言えない臭いが劇場中に充満し、ちょっと気持ち悪い、、、。お隣の若い子2人連れももれなくポップコーン族。うっ、、、。

 それもこれもレディースデイで1100円で見ているのだから仕方ない、と言い聞かせ、ようやく本編開始となって、ちょっとホッとする。

 はて、、、H・B・Cの登場シーンは中盤、多分、5分くらい。短いのは分かっていたけれど、こんだけ? と、かなりガックシ。もうちょっと出てくるかと思っていたんだけれど・・・。

 と、ネガティブなことばかり書いてしまったけれども、さすがケネス・ブラナー、衣装&美術、音楽、そして演出は素晴らしいです。ビジュアル的に飽きません。シンデレラと王子様の出会うシーンで馬上の二人がぐるぐる回っているところとか、なかなか素敵です。ケイト・ブランシェットの真っ赤な口紅が印象的。肝心のガラスの靴もすごく素敵。スワロフスキー制作と聞いて、納得です。そして、あのお城。どうやって撮影したのか。パンフによれば、セット+CGとのこと。

 フェアリーゴットマザーのH・B・Cは、最初は老婆メイクでギョッとしましたが、途中で可愛らしい妖精に変身。アラフィフにしては可愛いヘレナ。衣装もキラキラでなかなか楽しい。キャラもちょっとヘンで、たった5分だけれど存在感はバッチリでした。

 どーでもいいけど、ティム・バートンと破局直後に元彼の映画に出演なんて、ただの巡り合わせだと思うけど、因果な業界ですねぇ。どちらの監督も、私はあんまし好きじゃないので、どーでも良いんですが。彼女が素晴らしい作品に出てくれればそれで良いのです。

 さっき演出を素晴らしいと書いたけれど、最後に王子様が、継母に幽閉されているシンデレラを見付けるシーンは、イマイチですね。シンデレラの歌声が聞こえてきて、、、というのですが、伏線がないのです、この歌声に関して。これは、例えば出会いのシーンとか、途中の舞踏会のシーンとかできちんとシンデレラが歌うシーンを入れるべきでした。でないと、説得力がないでしょう。

 あと、王子様のルックスがねぇ。イケメンには違いないけど、あれじゃ、どっかのイケメンな農民にしか見えません、健康的&ナチュラル過ぎて。もう少し、高貴さが欲しいです。

 シンデレラはなるほど美女ですが、もう、イイ子過ぎて嫌味です。ま、おとぎ話なんで良いんですけど。見ていてむず痒くなってくる、、、。

 同じシンデレラなら、かなり前の映画『エバー・アフター』の方が内容的には百倍面白いです。ドリュー・バリモアのシンデレラが非常に魅力的だし、ダグレイ・スコットの王子様も(本作よりは)品があってかつ人間臭くて共感できるので。

 なぜ、今、こんな王道お姫様ワールドの映画なのか。パンフにケネス・ブラナーのインタビューが載っていますが、イマイチ上っ面な内容で面白くない。「新たなストーリーを作り出す」と意気込んだらしいが、新しさはあんまし感じなかったよなぁ。

 それにしても何なんだ、このパンフは。後ろ半分はディズニーの広告オンパレード!! だったらパンフ代下げろよ。すんごい興醒め。

 と、ほとんど文句になってしまいましたが、ヘレナ「だけ」を目当てに見たわけだから、仕方がないというか、十分予想できる結果なのでした。何を今さらなことばかり書いてしまいました、、、ごーん。





これぞ、キラキラ映画。




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ポネット(1996年)

2015-05-17 | 【ほ】



 4歳の女の子ポネットは、母親の運転する車に乗っていて事故に遭い、負傷する。しかし、運転していた母親は亡くなった。突然の母親との別れに、ポネットは現実を受け入れられない。もう一度、お母さんに会いたい、会いたい・・・。

 ポネットを演じたヴィクトワール・ティヴィソルの可愛らしさが、観客を黙らせる作品。 

 
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 結局『ラブバトル』は行きませんでした。というか、気付いたら上映期間終了していた、、、ハハハ。たった2週間だったし、『ラ・ピラート』を見てちょっと行く気が失せたし・・・。

 本作は、『ラブバトル』を見に行く気が結構あった時期にレンタルリストに入れておいたものが今頃になって届いたため、見た次第。

 正直なところ、映画としては、かなり「いかがなものか」という感じがします。ポネットが、お母さんを恋しがり、ひたすらお母さんと会いたい、お話したいと切望するのは良いのですが、終盤がね、、、。

 ポネットの可愛さ全開で話が進む途中、正直、思いました。「これ、どうやって収めるつもりなんだろうか」「もしかして、お母さんのお化けが出てくるのか」「・・・まさかね、そんなアタシでも思いつくオチにするはずないよな」、、、と思っていたら、その通りになるんだもん。な、なんだよ、ただのファンタジーかよ、、、え゛~~、みたいな脱力感に襲われました、はい。

 ほかに展開のしようがなかったんでしょーかね、やっぱり。あんなに可愛いポネットをさんざん見せつけられたら、ここはポネットの願いをかなえてあげるしかない、と見ている者が思うのと同じように、制作側も思ったんでしょーか。見ている者をいかに潔く裏切るかが創造の基本だと思うんですけれども、、、。

 まあでも、ホントにポネットは可愛らしいし、お母さんを恋しがるその姿に切なくなります。本当に、こんな可愛い子を残して死んでしまったお母さんの悔しさはいかばかりかと、こっちまで哀しくなる。お母さんのお化けと再会し、ポネットがそれまでにない明るい表情でお母さんと話す姿は、ファンタジーとはいえ、涙を誘います。

 おまけに、ポネットの着ている衣装がどれもこれも、すんごく可愛いしハイセンスなのです。さすがはおフランス。お母さんのお化けに着せられた赤いセーター、なんて素敵なんでしょうか。あんな子、一人であんな野道を歩いていたら、ヘンなおじさんにさらわれちゃうよぉ、といらぬ心配をしてヤキモキしてしまいました。そんな展開になるはずないのにね、、、。

 ファンタジーでない展開にするとしたら、、、アタシだったらどーするかなぁ、とちょっと考えてみました。

 “あのまま、あの寄宿舎生活を数年続けた後、お父さんが再婚、ポネットは新しいお母さんとの家族の生活に戻る。しかし、継母に懐かないポネットに継母が業を煮やしていじめを始め、お父さんも見て見ぬ振り。思春期を迎えたポネットはグレて家を飛び出し、幼少期に異常に可愛い子どもが成長すると平凡な容姿になるというご多分に漏れず、ポネットもそこらの女子たちとあまり変わらないだめんず女子になる・・・。”

 、、、ってのは現実的過ぎてやっぱし映画として「いかがなものか」ですねぇ。こういうテーマを取り上げた段階で、ファンタジーは既定路線だったってことですね、詰まるところは。

 ドワイヨン、あんまし合わないみたいです、私。やっぱり『ラブバトル』行かなくて正解だったかも。DVDでは見ると思うけど。


 



ポネットの可愛さを堪能する(だけの)作品




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イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密(2014年)

2015-05-14 | 【い】



 第二次大戦下のイギリス。ナチスドイツのUボート作戦により、大英帝国は国家の危機に瀕していた。それを回避するには、絶対解読不能と言われたドイツの暗号システム「エニグマ」を解読するよりほか、もう手はない。

 そして、その超難関国家事業のために呼ばれたのが、天才数学者アラン・チューリングを始めとする天才たちだった。激しい苦闘の末に解読に成功するが、チューリングの人生の苦悩は、むしろ、そこから始まった。

 
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 本作の主人公、アラン・チューリングは結構好きな数学者。なので、公開当初から見に行きたかったのだけれど、遅れ遅れになって、やっとこさ先日見に行くことができました。

 まずは不満な点から。

 大筋ではチューリングの半生をなぞっていますが、少年期の描写が“単なる同性愛に目覚めた時期”みたいな描かれ方で、ちょっとガッカリ。初恋の相手クリストファーの描写も中途半端で、チューリングの人生における“クリストファーとの出会いの衝撃度”があまり伝わってこなくて残念。

 実際のクリストファーは、学校一の秀才で、しかも人格的にも素晴らしい、優等生等という安っぽい勲章が似合わない少年だったのです。おまけに金髪碧眼の美少年(本作中では髪も瞳も茶色 でしたね)。このチューリングにとって“完全無欠”なクリストファーは、それまでダメダメ少年だったチューリングをあらゆる意味で根底から変革した人物で、彼との出会いがなければ、チューリングが後に国家を救った天才数学者となったかどうか、、、。この二人の心の交流、いや、チューリングの片想いは、もっと丁寧に描かれても良かったと思います。

 あと、ちょっと冒頭からデニストン中佐を悪人に描き過ぎな気が。そもそも、エニグマを解読するには数学的頭脳が必要なことは、彼が一番理解していたからこそチューリングが呼ばれたわけで、本作のように面接に来たチューリングに「なんでお前が」みたいなセリフはあり得ないのでは。解読に時間が掛かり、それなりに摩擦があったろうとは思いますが。

 とはいえ、映画としてまあまあ面白かったです。

 時系列があちこちするけど、別に見ていて混乱はしないし、エニグマがいかに解読困難だったかはよく分かる。解読後の苦悩も描いていて、単なる困難乗り越えました物語に終わっていないところも良いと思います。

 山場の一つである暗号解読を描くに当たり、実際にはかなり数学的理論が使われたそうだが、映画でそんな数学の群論だの何だのを披露されても観客はチンプンカンプンなわけで、それでも解読への盛り上げを作らなければならないというせめぎ合いで、脚本執筆はさぞや大変だったろうと思われます。本作では、難しい数学理論のセリフはほぼ皆無で、それでも、解読が困難を極めたことを非常に上手く描写しており、その点は素晴らしいと思います。

 あとは、まあ、何といってもカンバーバッチの演技力です。決してハンサムじゃないけど、人を惹きつける引力のある俳優ですよね~。声も低く渋くてgoo。一方のキーラはますます老けてしまい、26歳だかの設定だけど、せいぜい30代前半にしか見えません。相変わらずの、独特の品のない笑い方と痩せ過ぎな体型は、どうも魅力を感じられない、、、。輝いていないのよね、ヒロインなのに。

 アラン・チューリングを初めて知ったのは、2001年に教育テレビ(現Eテレ)の「人間講座~天才の栄光と挫折~天才数学者列伝」で、藤原正彦氏が歴史上の天才数学者について語っていたのを見た時でした。

 番組内で藤原先生が言っていたけれど、チューリングの不幸な晩年は、結局、国家機密に深く関わってしまったことにあったのだということに尽きます。エニグマを解読したことは戦後も絶対秘密、戦後のコンピューター研究はイギリスの水爆開発というこれまた超弩級の国家機密と関わっていたとか、、、。その張本人が犯罪者=同性愛者であり、同性愛者はプレッシャーに弱いという俗説の下、なおさら国はチューリングの存在を危険視したということのようです。本当に、不幸な要素が重なってしまいました。彼が国を救い、国民を救ったのにもかかわらず、、、。なんという仕打ち。

 死後60年経って名誉回復したのがせめてもの救いでしょうか。その栄光に比べ 、あまりに影の濃過ぎる人生に、胸が苦しくなります。

 「天才の栄光と挫折 天才数学者列伝」は文庫本になっているみたいです、読んでいませんが。「人間講座」のオンエアはバッチリ全8回VHSに録画してあったのでデジタル化しました。それくらい、とても面白い番組なんですよ、ホントに。また再放送するなりオンデマンドで配信するなりすれば良いのにと思います。どーですか、NHKさん。


 



天才は、やはり、平坦な人生を歩むことはできない運命にあるらしい。




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アメイジング・グレイス(2006年)

2015-05-11 | 【あ】



 18世紀、大英帝国の繁栄を支えていた奴隷貿易に、真っ向から異を唱え、執念の活動の末に、遂に奴隷貿易廃止法案を成立させたウィリアム・ウィルバーフォースの物語。

 タイトルの「アメイジング・グレイス」は、奴隷貿易船の船長だったジョン・ニュートンが、牧師となって作詞した讃美歌のこと。この讃美歌、好きなのですが、てっきり、アメリカ南部が発祥かと思っていました、、、。


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 これは、数年前に劇場公開されていて、見に行こうかどうしようか迷っている間に終映となってしまい、BSでオンエアしていたのを録画して1年以上放置していたため、このGWにやっとこさ見たという次第。制作は、06年だったのですねぇ。日本公開までかなりタイムラグがあったのはなぜでしょう。分かりませんが。

 さて、ほとんど期待しないで見たのですが、なかなか素晴らしい作品でした。奴隷貿易廃止にまつわるオハナシということくらいしか知らなかったのですが、讃美歌「アメイジング・グレイス」がかようにして作られたのだと知り、驚きました。本作を見るまで、てっきり、アメリカ原産だと思っておりましたので、、、。

 余談ですが、ジェシー・ノーマンの歌う「アメイジング・グレイス」のCDをたまたま持っているので、久しぶりに聴いてみました。彼女は、ソプラノ歌手ですけれど、この歌は、ソプラノの歌じゃない気がします・・・、何となく。また、本作中で歌われている「アメイジング・グレイス」のメロディと若干違います。作曲者は不明とのことですが、出所については諸説あるようです。まあ、何であれ、非常に美しいメロディで、一度聴いたら忘れられませんよねぇ。意外に歴史が浅い歌だと知り、それも驚きでした。

 信心深く、かつ、信念に基づき行動し続ける高潔な男が、主人公ウィリアム・ウィルバーフォースです。いわゆる貴族階級ではなく、商家の息子とのこと。ヨアン・グリフィズが好演しています。ずっと見ていると、岡田准一に見えてきます。岡田君の顔をちょっと横に広げた感じ。眉間に皺を寄せて苦悩している顔は、髪型も服装もゼンゼン違うのになぜか官兵衛に見えてきます。

 このウィルバーフォースとケンブリッジで同級生だったウィリアム・ピットを、ベネディクト・カンバーバッチが演じています。20代で首相になり、40代で病死するまで、地味ですが、要所要所の大事なシーンに出てきます。この数年の彼の俳優としての飛躍振りが感じられます。

 ウィルバーフォースの妻バーバラを演じるのはロモーラ・ガライ。彼女は、『エンジェル』のインパクトが強すぎて、あんまし良いイメージがなかったのですが、本作では知的で美しい、理想的な妻を嫌味なく自然に演じていて、あら、こんなステキな女性だったのか! と嬉しい発見です。

 何しろ、20年あまりの話を120分弱に収めたわけですから、ストーリー的にはかなり駆け足で、予備知識がないと分かりにくい部分も多いです。かくいう私も、1度見た後、ネットでちらほら調べた後、再見して、ようやく全体が分かった次第。でも、1回見ただけで、ウィルバーフォースとピットの友情、二人の人柄、バーバラの魅力は、十分伝わってきました。

 本作は、奴隷貿易がメインテーマでありながら、奴隷の描写はほとんどありません。実際、当時の英国人は黒人奴隷を実際に目にしたことはほとんどなかった様子。アフリカで買われた奴隷たちは、西インド諸島の砂糖精製農場へ売られるために送られていたのであって、大英帝国本土へ売られてきた訳ではないのでした。だから、英国人たちがその実態を知ることはなかったのも道理です。奴隷商船が時折、リバプールの港に入ってきて、その悪臭に鼻をひん曲げることくらいしかなかったわけです。でもその悪臭を嗅がせるだけで、富裕層の一部には効き目があった。それほど、その悪臭は、奴隷貿易が凄惨極まるものであることを想像させるに難くなかったのです。

 これを機に(というか、ほかにももっと啓蒙活動をウィルバーフォースたちが懸命に行ったからですが)、砂糖を摂取するのを止める人が大勢現れます。現在でも、フェアトレードという言葉が一般化していますが、まあ、それと同じことでしょう。

 でも、奴隷貿易廃止法案は、こんなことではゼンゼン通る気配すらなかったんですよねぇ。

 突破口は、一見、全く関係のない法案を通したことにありました。この突破口を思いついたのは、ウィルバーフォースではなく、彼と共に活動していた弁護士です。やはり、弁護士。策士です。恐らく、この奇策がなければ、法案成立は何年も遅れていたと思います。その奇策とは、、、。

 「アメリカ国旗をつけたフランス貨物船は保護しない」という法案を、通すこと。貨物船を装った奴隷船は海賊よけのためにアメリカ国旗を掲げている、この保護を撤廃すれば貿易は利益が出ないため、船主は船を出さない、というもの。なぜフランス船か、ナポレオン率いるフランスが脅威であったイギリスにとってそれが目くらまし法案のキモ。実際の法案は「一度でもアメリカ国旗を掲げた船」とすればイギリス船も該当し、つまり奴隷船の8割は航行をやめる。ただし、これは、奴隷貿易反対派が出してはダメで、保守派に出させなくては目論見がバレてしまう。一瞬バレそうになりながらも、なんとかこの法案を通したのでした。

 で、しかし、奴隷貿易廃止法案が実際に通ったのは、その2年後、、、。可決されたその議場で、奴隷貿易推進派だった議員2人の会話が印象的です(セリフ正確じゃないです)。
 「これが、ノブレス・オブリージュだ」
 「どういう意味だ」
 「高貴な者が庶民の英知を尊ぶということだ」
はて、これをどう解釈したら良いのでしょう。今、一般的に解釈されている「ノブレス・オブリージュ」とは、「高貴な者には重い義務が伴う」というような意味でしょう。ちょっとニュアンスが違います。本作では、ある種、負け惜しみ的に発せられたセリフなのかも知れません。

 実はこのシーンには伏線があり(と私は解しました)、ウィルバーフォースが39万人の奴隷貿易反対署名を議場で広げるのですが、これに対し、推進派議員が「庶民の意思など無意味だ。統治するのは支配階級だ!」と叫ぶのです。この傲慢なセリフに対する、自問自答がこの会話なのではないか、と。

 それはともかく、脇を固める俳優さんたちも、大御所揃い踏みです。「アメイジング・グレイス」の作詞者ジョン・ニュートンをアルバート・フィニー、奴隷貿易廃止法案に途中から賛成派と転じる議員フォックスをマイケル・ガンボン、ウィルバーフォースと共に活動するトマス・クラークソンを ルーファス・シーウェル。う~ん、豪華。

 こういう歴史絵巻は、冗長になりがちですが、本作は、その辺、なかなか上手くさばいていると思います。予備知識があった方が絶対分かりやすいとは思いますが、、、。
 

 



ラストのウェストミンスター寺院前でのバグパイプによる
「アメイジング・グレイス」演奏シーンがグッとくる




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北のカナリアたち(2012年)

2015-05-06 | 【き】



 北海道のとある島に赴任してきたキレイな先生、川島はる(吉永小百合)。6人しかいない分校の担当となり、コーラス指導に力を入れ、生徒たちを愛情深く(?)指導していた。が、そんなある日、はるが教師生活にピリオドを打つことになる事件が起きる。

 20年後、その6人の生徒のうちの一人・鈴木信人が殺人犯容疑で追われており、東京で暮らすはるの下に警察が訪ねてくる。信人の部屋にはるの住所と電話番号をを書いたメモがあったからだ。しかし、はるは、信人からの連絡などないと警察に話す。

 はるは、20年ぶりに島にやってきた。殺人容疑で追われている信人を探しに、そして、20年前の事件に向き合うため、、、。

  「東映創立60周年記念作品」という、バリバリの気合いが空回り気味な、小百合サマ映画。


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 もう、かなり前にBSを録画して放置してあったのですが、『天国の駅』を見たので、小百合さんものを続けて見ることに。

 むむぅ、、、これは、ちょっと、、、見ているのがキツかった。最後まで見ましたけど。正直、あんまし感想を書く気にもならない作品です。ただ、まあ、せっかく時間を割いて見たので思ったことをつらつらと。

 私の学生時代の知人(女性)が、高校の教師になったのですが、大学卒業後の最初の赴任地がある島だったのです。そこそこの規模の島で、本作に出てくるような分校しか小学校がないような小さい島じゃなかったんですが、それでも、彼女は言っていました。「島中の人にあっという間に顔を知られるので、一歩家の外を出たら、何も出来ない、男子生徒と二人で歩いたり、ましてや大人の男性とツーショットでいることさえ出来ない」と。

 なぜなら、それは、島の学校の先生だからですよ、もちろん。知人は、当然いろんな覚悟をして島へ赴任しましたが、それでもやはり、そういうプライベートがほとんどないという状況は息苦しかったそうです。それくらい、島の先生は、その職業に自覚をもった行動を強いられるわけです。

 本作でのはるさんは、ましてや夫のある身。はるさんの、夫以外の若い男(仲村トオル)との逢引きという行動には、「いかにもフィクション臭」を感じてしまう。いたたまれないというか、何とも言えない恥ずかしさを感じてしまうのです。リアリティがなさ過ぎる。ましてや、はるさんのお父さんは地方の名士でしょ。こんな軽率な先生、ちょっとあり得ない。

 別に、夫以外の人に心惹かれるのは構わないけど、真昼間から、干しワカメの陰でキスってさぁ、、、。せめて、島の外へ出て逢わせるとかさぁ、もうちょっとねぇ、、、。でないと、見ている方がシラケるんだよ、くだらな過ぎて。

 その他にも、イロイロ、何だかなぁ~、と思う所はあったけれども、まあ、ふ~ん、という感じで・・・。

 でもやっぱし、小百合さんは、小百合さんでしたね。何やっても同じ演技の俳優ってたくさんいるけど、小百合さんもその典型だよなぁ。『天国の駅』も、やっぱり小百合さんだったし。

 大体、小百合さんと柴田恭平が夫婦役って、どーなんですかねぇ? まぁ、この二人は許容範囲か。でも、小百合さんのお父さんが里見浩太朗ってのは、ちょっと、、、。ましてや、小百合さんの愛人が仲村トオルって、、、。ううむ。ま、実年齢とどーのこーの、というのも不毛ですけど、見た目的にね・・・。つーか、まあ、小百合さんありきの映画なんだもんね。

 若い俳優さんたちは旬な方々を集めて、それぞれ皆さんイイ感じでした。ただ、話の全てが、はる先生との単調な会話で進んじゃうので、退屈といえば退屈ですけれど。もう少し、彼らの役者能力を活かす方法もあったような気がします。

 何となく、見終わった後、とりとめもなく、愚痴とか文句とかを言いたくなる作品です。



しばらく小百合映画は見る気がしない




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天国の駅(1984年)

2015-05-03 | 【て】



 かよ(吉永小百合)は、類稀なる美貌の持ち主だが、男運が絶望的に悪い女性。寄ってくる男はロクでもない男ばかりで、かよは図らずも2度も殺人に手を染めることに、、、。

 ホテル日本閣殺人事件を下敷きにした作品とのことだが、まるで別のオハナシ。

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  吉永小百合主演映画は、『おはん』に続いてこれが2本目です。『おはん』は、大好きだった大原麗子さんが亡くなった後、彼女を偲んで見たのですが。感想は「みんシネ」にも書きましたけれども、どう見ても、主演の小百合さんは麗子さんに思いっ切り喰われてしまっており、一応、小百合さんも濡場っぽいものを演じておられたけれど、なんだかなぁ、という感じで、やはり麗子さんは素晴らしいと、改めて感じた作品でした。

 じゃあ、何で本作を見ようと思ったかというと、少し前に、松たけ子さんのブログ「まつたけ秘帖」で、小百合さんもかなり頑張っているという記事を拝見したからです。

 はてさて、、、なるほど、確かに頑張っておられます。『おはん』のときよりはかなり過激なシーンも、、、。

 でも、あんな痴態そのもののセックスシーンを襦袢を着たまま、しかも腰紐しっかり結んだまま、って、どー見てもヘンじゃない? ・・・て、別に私は小百合さんの裸体を拝みたいわけじゃないので構わないのですが、脱ぐ気がないなら初めから痴態シーンになんか挑戦しなきゃいいのに、と思っちゃいました。

 しかも、小百合さんの、恍惚の表情はみな同じ。2番目の夫と幸せな結婚をして初めて結ばれたセックスでの表情も、その夫に侮辱されながらまさに犯されているときの表情も、まったく同じなのは、やはりちょっと女優として芸がないと思うのですが、、、。

 ま、サユリストには、小百合さんのあんなお姿を拝めるだけでありがたや~、なんでしょうかね。

 本作の脚本は早坂暁さんだったのですねぇ。『夢千代日記』と同じコンビですね。本作は夢千代の後みたいです。本作のかよさんは、とっても品のあるつつましい女性という設定になっています。別にそれはゼンゼン良いんだけれど、私はたまたま、ホテル日本閣事件の内容を事前に知っていたので、あまりの違いに、ちょっと白けてしまいまして・・・。これは、早坂氏が、小百合さんに当書きしたからでしょうね。夢千代の、そして小百合さん自身のイメージを、早坂氏自身が強く引きずっていたのでしょうなぁ。

 小百合さんは、やっぱり、こういう汚れ役は向いていない気がしたのですが、しかし、これは、もしかすると早坂氏の罪かも知れません。もっと、かよを人間臭い、清濁併せ呑む奥行きのある女性として描けば、痴態シーンなど入れなくても、十分彼女のイメージと可能性を広げることが出来たんじゃないかと思うのです。

 真正悪女は、本当はとっても魅力的なのに。それだけに、演じるのはとても難しいと思いますが。、、、いや、もしかすると、早坂氏はそんなことは十分分かっていて、でも、敢えてこの脚本にしたのかも。もしそうだとすると、小百合さんに悪女は演じられない、と踏んでいたということになりますが・・・。

 2番目の夫(津川雅彦)の先妻は、精神を病んでいたのですが、それを白石加代子が怪演。すごい迫力です。出番は少ないのに、一番キョーレツだったかも。いっそ、白石さん主演で、史実に忠実な作品にした方が、よっぽど面白かったかも、という気がします。

 小百合さんが濡場シーンに体当たりで挑んだ、っていう話題ばかりが先走っている作品ですねぇ、残念ながら。脇の、津川雅彦、白石加代子、西田敏行(あ、三浦友和もかなり健闘していました)の方が、印象は強いです。

 しかし、そんなことよりなにより、本作は、冒頭からいきなり冷や水を浴びせてくれました。もったいぶって、テロップが出るのですが、それが、、、

 「天国の駅は、たった独りでしか、乗れない」

 これ、日本語としてオカシイって、誰も言わなかったんでしょうか、関係者は。もう、これで思いっ切り引いてしまいました、私。別に、文法がどうのこうのとか、そういう細かいことをあげつらうつもりはないけれど、あまりにも違和感バリバリの散文じゃない? もうちょっと何とかならなかったんでしょーか。言いたかったのは恐らく「天国の駅へは、たった独りでしか、行けない」or「天国の駅への電車には、たった独りでしか、乗れない」ってことだと思うんだけど。嗚呼、、、。

 せっかくDVDをレンタルしたのに、BSでも同時期にオンエアしておりました。うう、ツイてない。



あんな助平オヤジが、妻の襦袢を剥ぎ取らずに最後までするんでしょーか?




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