天災か人災かは分からないけれど、何かが起きて、世界、、、少なくともヨーロッパ辺り一帯は終末を思わせる事態に陥っている。そんな中でサバイバルが始まっており、ある一家~夫婦と子ども2人~が、ありったけの食糧を抱えて別荘へ避難してくる。
が、しかし、その別荘には見知らぬ親子が侵入し占拠しており、男が夫にライフルを向けている。夫は男と交渉しようとするが、男は問答無用でライフルをぶっ放し夫は死んでしまう。残された妻・アンナ(イザベル・ユペール)は、その親子に食料と車を奪われ、命からがら、娘エヴァ(アナイス・ドゥムースティエ)と息子ベニー(愛称ベン)を連れて逃げる。自転車を引きずりながら彷徨する母子3人、、、。
『ピアニスト』以前の企画ながら資金不足で撮影できずにいたが、『ピアニスト』のヒットによりようやく制作が実現。311を経験した日本人にとっては衝撃の問題作。
☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜
『マジカル・ガール』を見て、本物の不条理映画を見たいと思い、未見のハネケ作を見ることに。なんともはや、期待を裏切らぬ、いや、それ以上の映画でございました。こういう作品を撮る人と、マジカルなんちゃらの監督を同じ土俵で語られるのは、ハネケ好きとしてはやはりとっても心外。
上記の作品情報のリンク先より、Wikiの方が詳しいので、内容の詳細についてはそちらをご覧ください。
熊本で震災のあった折も折、アンナたち母子3人が行きついたあの駅舎のようなところは、まさに震災の度にテレビ画面に映し出される避難所の光景にそのまま当てはまります。もう、これだけで、平常心では見ていられない。
ハネケは、本作を03年に撮っています。もちろん、それまでにも恐ろしい天災・人災は世界中のあちこちで起きていますけれども、あのような絶望感が充満した世界というのをシンプルに描き出してしまうというハネケの想像力が恐ろしいです。もしかして未来予知能力でもあるのか? と思ってしまうけれども、そうではなく、やはり彼の卓越した想像力なのでしょう。
本作も、背景の説明は一切なく、いきなり話は展開します。しかし、展開されていく出来事の一つ一つは、不条理どころか理にかなったもので地続きです。突飛なエビソードのつぎはぎなどでは決してない。だからこそ、見ているうちに、少しずつ状況が分かって行くのだけれど、分かるほどに緊張感が増し、見ている者を精神的に追い詰める。
、、、これぞ、見る者の脳をフル回転させ、その精神をギリギリと追い詰める、真の不条理映画なのでは。
直截的な描写はほとんどないのです。夫が射殺されるシーンも、隣に立つイザベル・ユペール演じる妻・アンナの顔に血飛沫が飛ぶだけ。でも、不安感をかき立てる演出はこれでもか、とやってくれます。
例えば、アンナとエヴァ、ベニーの3人が、途中、藁が積まれた納屋のような所で一夜を過ごすことになるのですが、ここのシーンが、まさにもう、真っ黒な暗闇なんです。画面全部隅から隅までベタの闇。これはコワい。そして、緊迫したエヴァの声、、、「ママ、起きて! ベンがいない!!」 そしてともされるアンナのライターの小さな灯。ボヤっと浮かぶアンナの顔。、、、暗闇はそれだけでも恐怖を煽るものですが、この、完全なる漆黒の闇というのは、自分のいる場所が分からない、自身の存在さえも疑わしくなる、足下が危うくなる恐ろしさです。
母子3人は、ここではないどこか、、、希望のある地へ向かう列車が通ると言われる駅(?)に辿りつき、その駅舎にとりあえず落ち着きます。この駅舎には、最初は10人足らずの人しかいなかったのが、途中で大人数が押し寄せてきて、あっという間に避難民ひしめき合う避難所の様相を呈してしまう。そして、次第に、曲がりなりにも秩序が生まれ、統率する者が現れ、物々交換が成立し、人の思惑がぶつかり合う場所へと変貌していく。その過程が、実にサラリと鮮やかに描かれています。その巧みな描写に、ただただもう息をするのも忘れて緊張して見入ってしまう。
この駅舎で、実に様々なことがあるのですが、それは、まんま人間の日常生活の縮図。平穏な時にも、どこにでも普通に起きていたことが起きている。盗み、レイプ、ケンカ、自慢話、音楽、笑い話、、、。違うのは、皆が生存競争という小さい檻の中に放り込まれているということ。逃げ場はどこにもない。そこで生存競争を勝ち抜いたとしても、一体どんな未来が待っているというのか、、、。
そしてやはり、こういう終末状況で出てくるのが、謎の秘密結社、的な話。世界に36人しかいない“正義の団員”についてもっともらしく話している爺がいる。かつて、世界が危機に瀕したとき、その団員の1人が裸になって火に飛び込み生贄になることで世界を救った、、、という話。いかにも胡散臭い話だけれど、離れた所でベニーはジッとそれを聞いていた。
もし、本作を、311の前に見ていたら、、、受け止め方が違っていたと思うけれど、もうあれを経験してしまった者としては、本作で描かれているこの絶望的状況は、まさに放射能汚染による地球破滅、という状況にしか見えません。
家畜の牛が大量に焼かれている光景、ベンが時折流す鼻血、荒涼とした草原、汚染されている地下水、、、どれをとっても結びつけて見えてくる。
そして、決定的だったのは、終盤の衝撃的なシーンです。10歳に満たないであろう少年ベンは、恐らく、父親を殺されたことで精神的にとてつもない衝撃を受けたと思われ、本作でもほとんど喋らず心を閉ざしていますが、時折り姿をくらまし、彼がこの状況に絶望という言葉でさえも軽く感じるほどの絶望を胸に抱いていることが伝わってきます。
夜中、皆が眠っている中、ベンは一人目を見開いたまま、大量の鼻血を流している。拭っても止まることなく出てくる鼻血。、、、ベンは起き上がって外に出てくると、焚火の側へ行き、火を大きく起こすと、服を脱ぎ始めます。大量の鼻血を流しながら。裸になったベンは、焚火を見つめている。
正直、このシーンは、見ていて苦しくなりました。もう、ひたすら苦しい。息ができない、窒息しそうな感じでした。ここで泣けた、という感想をいくつか見ましたが、私は、涙が出る余裕もなかった。もう、ヒリヒリするような、胸がギリギリする感じです。
ベンは、夜回りをしている男性に、その行動を阻止され抱きしめられますが、ホッとするというより、私は放心してしまいました。
ラストは、車窓から見た風景が延々約2分間。暗い森から、スーッと明るい開けた場所に出ます。近くの木々は飛ぶように流れて行きますが、遠景の小高い丘や森はゆっくりと左から右へと移動していきます。、、、果たしてこのラストを救いと見るか、妄想と見るか。
私は、救いだと思いたい。ベンの行動が救ったのだかどうかは分からない。でも、何か、奇跡的な何かが起きて、ここではないどこかに向かう列車に、彼らは乗れたのだ、、、と。
こんな寓話をハネケが描くだろうか、と思うけれども、ハネケが「ヒューマニズムなき芸術は存在しない。ヒューマニズムが芸術家の存在理由であり、意思の疎通こそ人間的で、それを拒むのはテロリストである」と特典映像のインタビューで言っていることからも、そうだと考えたい。ハネケのいうヒューマニズムは、人間至上主義的なそれではなく、恐らく、理性に基づく人間性尊重・礼賛、というようなものだと私は思う。であれば、やはりあの車窓から見る流れる光景は、アンナたち母子が見たものと思いたい。
、、、ところで、本作は何気に豪華キャストです。イザベル・ユペールはいまさら言うこともないのですが、娘エヴァを演じていたのがアナイス・ドゥムースティエで、感激しました。彼女は『彼は秘密の女ともだち』で初めて知った女優さんだったのですが、とてもクレバーな女優さんだと感じていました。本作を見て、それを確信しました。この不条理極まる作品で、彼女はやはり素晴らしい演技をしています。もちろん、ハネケの演出が良いからでしょうが、それに応える能力のある俳優だということです。エヴァが、駅舎で亡き父に手紙を綴るシーンが良いです。ベンを演じた少年もとても可愛く、本作はこの2人に負うところ大と言って良いでしょう。
不条理映画、余白を敢えてつくる映画、見る者に考えさせる映画とは、こういう映画を言うのだよ、カルロス・ベルムトさん。
やっぱり、ハネケが好きだー!
★★ランキング参加中★★