映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ニューヨーク 親切なロシア料理店(2019年)

2020-12-31 | 【に】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv71678/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 NYマンハッタンの片隅にある老舗ロシア料理店ウィンター・パレス。創業100年を超えるかつての名店も、今や古びて料理もひどく、潰れかけている。

 店を立て直すために雇われたマネージャーのマーク(タハール・ラヒム)は刑務所を出たばかり、常連客の看護師アリス(アンドレア・ライズボロー)は他人のためだけに生きる変わり者と、店に集まるのは一癖ある人ばかり。

 そんな料理店に、二人の息子を連れて夫のもとからニューヨークへ逃げてきたクララ(ゾーイ・カザン)が飛び込んでくる。

=====ここまで。


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 あと1日で、コロナに振り回された2020年が終わります。毎年、1年の過ぎるのが速く感じるものだけど、今年は特に速く感じたような。でも、2月末にロシアに行ったのは、はるか昔のようにも感じ、、、。

 その、ロシアがタイトルに入っている本作。舞台はNYでも、ロシア料理店が重要な場所となっているのなら、ちょっと見てみたいと思い、劇場まで行ってまいりました。平日の昼間とは言え、サービスデーだったにもかかわらず、劇場はガラガラ、、、。40人くらいは入っていたかな。


◆邦題に騙される。

 ロシア料理店、、、に期待して見に行った者としては、その期待を大きく裏切られたとしか言い様がない。ロシア料理、ほとんど出て来ないんだもん、、、がーん。マジかよ、、、って感じだった。

 DV夫から逃げてきた子連れママが逃げ込んだのがウィンター・パレスという名のロシア料理店だった、というだけで、ほかにはほとんどロシア要素ナシ。店のオーナー・ティモフェイ(ビル・ナイ)がヘンなロシア訛りの英語を喋っているけど、それもわざとであって、彼自身は生粋のニューヨーカーだもんね。店は、彼のお祖父さんが移民としてロシアからやって来て開いた、ということになっている。

 ……というわけで、ロシアを当てにしていたので、ガッカリ感が大きかったのだけれど、映画としてはまあまあ。でも率直に言って“好きではない”。

 DVの夫から家族が逃げる話といえば、『ジュリアン』が思い浮かぶが、『ジュリアン』の方がDVの怖さは圧倒的であったし、本作より雰囲気は全体にシリアスで緊迫していた。本作のDV夫も終盤その怖ろしさの本質の直接描写があるが、やはり、ああいう人間からは逃げるしかない。

 それを前提で敢えて書くが、本作の母親クララだが、子連れで逃げるにはあまりにも無防備・短絡的で、正直なところ、同情できないどころか呆れてしまった。いくら夫が警察官だからって、福祉を頼ることはできるわけで、恐らく日本よりもそういうシステムは民間含めて整っていると思われる。子どもを殴っているところを「ある日見てしまった」と中盤でクララは言っているが、つまり、殴ったのを見た日の翌朝、追い詰められてすぐ逃げ出した、というわけじゃなさそうなんだが、少なくとも数日間あったのなら、逃亡中の衣食住の手段くらいは考えておけよ、と思う次第。子どもを守るために逃げたのだったらなおのこと、これじゃあ、むしろ母子共倒れパターンではないか。自分ひとりで逃げるのなら構わんが、子連れなら、そこは母親として最低の義務だろう。

 喰うに事欠いて、パーティ会場に忍び込んでオードブルをそのまま鞄に突っ込んでいるのは、見ていてビックリしてしまった。パンフに、クララを演じたゾーイ・カザンのインタビューが載っており、そこで、このクララの行為について、彼女は監督に「クララはこういう行為をどこで身に付けたのか?」と質問したと書いてあった。しかし、脚本も書いている監督は、「そこまで考えていなかった」と答えたそうだ。そこで、彼女はクララの生い立ちについて自ら想像力を働かせてあの演技になった、と言っている。監督の答えも、これまたビックリなんだが、、、。

 あと、クララに新しい恋が始まる、、、というエピソードもちょっとね。子連れで逃げている状況で、手を差し伸べてくれた男性と恋愛関係になるってのは、まあ、現実にはそういうこともあるだろうけれども、この映画では余計な要素だった気がする。むしろ、そういう色恋がない方がよりヒューマニティを感じられる話になったのではないか。

 それに、弱っている状況の女性と、すぐそういう関係になろうとする男なんてまったくもって信用ならん。クララがこんな状況に陥るのも、こういう恋愛にすぐ走る性質があるからじゃない? DV夫とも、確か、17歳のときに何かの事件の被害者と警察官として出会って、優しいからすぐ結婚した、、、、みたいなことを話していた気がする。学習しろよ、、、とオバサンとしては言いたい。またハズレ掴むぞ、そんなんじゃ。

 ……というようなところが引っ掛かってしまい、好きではない、と感じた次第。


◆その他もろもろ

 本作の監督はロネ・シェルフィグ。彼女の監督作品は本作が初めてだが、『17歳の肖像』とか『人生はシネマティック!』あたりはちょっと気にはなっていたが劇場に行きそびれていた。本作も、邦題に“ロシア”の3文字が入っていなかったら劇場に行っていたかは怪しい、、、。デンマーク出身ということもあるのか、わりとフェミ的な要素もある映画を撮っているようだが、本作を見る限り、ちょっと脇が甘い気がした。それは、上記に書いたような理由からだが、まあ、他の作品も見てみないと何とも言えないかな。でも、あまり期待は出来ない感じがする。

 クララを演じたゾーイ・カザンは、あのエリア・カザンのお孫さんだそう。彼女の長くて濃い八の字眉毛が終始気になってしまい、彼女のアップのシーンなんかは映画に集中できなかった、、、。エリア・カザンは、正直なところあんまし好きじゃない(作品もだけど、赤狩り時代の言動がね、、、)けれども、彼女は良い女優さんだと思うわ。脚本も書くらしいし、道理で、監督にクララの生い立ちについて質問したってのも納得。

 本作で一番のキーマンは、アンドレア・ライズボローが演じたアリスだろう。主役のクララより、よっぽど人間として魅力的だ。それは、看護師でセラピーの主催者で炊き出しの手伝いもしているから、というのではなく、私自身が彼女のような内省的な人に惹かれるから。ちょっとくたびれた感じのアンドレア・ライズボローが良かった。

 そして、一番存在感があったのが、ちょっとしか出て来ないビル・ナイ。3代目のオーナーなのに、全くオーナー然としておらず、時にはピアノを弾いて、店番かと勘違いされそうな具合に店の入口で本を読んで、たまに接客すれば「ここで一番の料理はキャビア、缶詰だから失敗しようがない」などと言う。飄々としていて、ビル・ナイの雰囲気にピッタリ。彼自身、ティモフェイのことを「ストーリーの蚊帳の外で漂っている存在で、惨めな奴でもある。少なくとも惨めに見え、不機嫌そうで幸せではない感じがする」とパンフのインタビューで語っている。

 別のインタビューによれば、彼は役作りのためのリサーチはほとんどしないそうで、そこで「必要なことは全部脚本に書かれているよ。書かれていない背景まで読み取れというのは、脚本家の怠慢だと思うね」とも言っている。これは至言だろう。シナリオの行間を読め、、、とか言う人もいるが、やはり、シナリオはそれで完結していなければシナリオとしては上等とは言えないんじゃないか。このエピソードを読んで、彼に対する好感度がさらに上がった気がするわ。 

 

 

 

 

 

 

 

ボルシチとかピロシキとかを美味しそうに食べるシーン、、、見たかったなぁ。


 

 



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暮れ逢い(2014年)

2020-12-23 | 【く】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv56907/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 1912年、才気あふれる青年フリドリック(リチャード・マッデン)が裕福な実業家ホフマイスター(アラン・リックマン)の個人秘書として採用され、彼の屋敷に住むことになる。

 ホフマイスター家の人々とともに過ごすうちに若妻ロット(レベッカ・ホール)と惹かれあうものの、互いにその胸のうちを明かすことをせずにいた。

 そんな中、突然フリドリックが2年間メキシコに転勤することが決定。二人は堰を切ったように互いへの思いを伝え、2年後も変わらぬ愛を誓い合う。しかし第一次世界大戦がはじまり、激動の時代に二人は大きく翻弄される……。

=====ここまで。


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 今年も残すところあと1週間。速いなぁ。まったく、コロナコロナに明け暮れた年だったけど、来年も続きそうでウンザリ。これから本格的に寒くなることを思うと、感染はますます広がるんでしょうね。もう、いつどこで誰が感染してもおかしくないです。

 そんな気分を紛らわしてくれるのが良い映画! ルコント監督の映画なんて、久しぶりだわ~。


◆ほんのりルコント節

 いや~、描き方によっては、ホントにどーでもいい映画になりそうな話を、さすがはルコント! 面白く撮っていらっしゃる。原作は、あのステファン・ツヴァイクの短編だとか。

 年の差夫婦の若く美しい妻と、さらに若い、しかも優秀な男性が、一つ屋根で暮らすようになれば、そらそーなるでしょう、、、という感じの展開。しかし、この2人は、絶対に一線を越えないのである。ううむ、、、これはキツい。

 しかも! そんな状態のまま、2人は何年も離れ離れになるんである。互いの気持ちを確かめはするものの、セックスしないまま、、、。そんなのあり?? おまけに、若妻の夫は、そんな2人の気持ちを知りながら、嫉妬に狂いつつも知らぬふりをして、さりげなく2人の邪魔をするという“いけず爺ぃ”なんである。

 この若者といけず爺の2人の男の描写が実に面白い。この辺りがルコント映画。

 リチャード・マッデン演ずるフリドリックは、若妻ロットが弾いたピアノの鍵盤を、最初は指でナデナデしていたかと思うと、次は頬をすりすり、、、そしてキス。しかも、それをメイドに見られているってのが、官能シーンっぽく撮ってはいるけど、コメディだよなぁ。このリチャード・マッデンの演技、なかなか見せてくれる。

 いけず爺ぃを演じるのは、アラン・リックマンなんだが、フリドリックと妻が庭で楽しそうにはしゃいでいるのをカーテンの隙間から見ていたり、ディナーで自分だけ先に席を立ってフリドリックと妻を2人きりにしたり、、、。

 結局、フリドリックがメキシコに旅立った後に第一次世界大戦が始まってしまい、当初の2年の予定が大幅に伸びてしまう。その間、途中でフリドリックからの手紙も絶え、2人の愛の誓いが実を結ぶんだろうか、、、と見ている方はちょっとヤキモキするわけだ。何しろ、この2人は肉体的に結ばれていないのだからね。


◆めまいがするような……

~~以下、結末に触れています~~

 面白いとはいえ、まあ、往年のルコント作品からすればかなり大人しい。さしものルコントもお年を召されて枯れたのか……と思いきや、ネット上の彼のインタビューを読んで、ゼンゼン枯れてなさそう!!で安心。

 インタビューで、彼はこんなことを言っている。原作のどこに惹かれたのか、と聞かれ、、、

「愛が時間の流れに勝てるかどうかより、欲望は時を超えても持続するのか、ということに興味を持ちました。愛を告白しながら、のちにお互いのものになると誓うなんて、めまいがするような考えです。この物語の主人公たちは強い欲望を感じながら、互いに想いを告げることはない。これには正直、感動しました。」

 おぉぉ、、、そうよそうよ、それそれ!! めまいがするよ。

 でも、原作は、何と再会したフリドリックとロットは「まるで他人同士で、冬景色のなか、欲望は枯れ、愛は凍りついています。」だそうだ。そらま、そーでしょう。若い男、しかもイケメンが、何年も物理的に離れている一人の女性のために誠意大将軍でいられるわけがない。むしろ、原作は極めて現実的なんだろう。

 だから、本作ではルコントがこのようなラストにしてくれたのは、ちょっと嬉しいかも。やっぱり、あり得ないこととは思っても、ハッピーエンディングは、見ている方も幸せな気持ちになれるもんね。

 本作でのフリドリックとロットも、再会直後は他人行儀なんだが、しばらくして互いの気持ちを確かめ合って、ようやく、、、やっと、、、、、何年かの長い長いプロローグを経て、キスしてエンドマークとなる。キスで終わり。そこも、奥ゆかしいというのか、抑制的というのか。あの後、2人はどうするんでしょうねぇ。

 ルコントはインタビューで、2人が結ばれないまま離れ離れになったのは、あの時代ゆえか、と問われて「そうではないでしょう」と否定している。私もそう思うなぁ。恐らく、ロットは夫のある身で、フリドリックはその夫の秘書で、ってことで、互いに自重し合ってしまったんでしょうね。私がロットなら、2年も我慢なんてムリだから押し倒しちゃう。でも、そんな女じゃこの話は成立しないし、だからこそルコントは「感動しました」と言っているのだろう。

 本作では、2人は長い年月を経ても結ばれるようだから結果オーライだけど、現実では、欲しいと思ったらその場でゲットしないと取り逃がすね、まず間違いなく。恋愛に限らず。というのも、先日、来年のカレンダーで素敵なのを見つけたんだけど、他のを見ていたら買い忘れてしまい、数日後に買いに行ったら売り切れていたのよね。「これイイ!」と思ったら即ゲットしないと。本でもそう。後で、、、、と思っていたら、いつの間にか絶版になっているなんてこともある。

 ……何の話だ。とにかく、ルコント作品を久しぶりに見られて良かった。次は、フランス映画、また撮っていただきたい。

 

 

 

 

 

 

 

自分の妻に惚れている青年を自宅に住まわせる老紳士の心理はいかに、、、。

 


 

 



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エイブのキッチンストーリー(2019年)

2020-12-22 | 【え】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv71428/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 イスラエル系の母とパレスチナ系の父を持ち、文化や宗教の違いから対立する家族の狭間で悩む少年エイブにとって、料理を作ることが唯一の心の拠りどころだった。

 誰にも自分を理解してもらえないと感じていたある日、エイブは世界各地の味をかけ合わせた“フュージョン料理”を作るブラジル人シェフのチコと出会う。

 フュージョン料理と自身の複雑な背景に共通点を見いだしたエイブは、自分の手料理で家族を一つにしようと決意する。

=====ここまで。


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 新聞で評を読んで、ちょっと見てみたくなりまして、劇場まで見に行って参りました。


◆ユダヤ VS ムスリム、ジジババの仁義なき闘い

 予告編も見ていたので、大体、予想どおりの雰囲気だった。ちょっとモメるけど、ほぼ、ほのぼの。安心して見ていられるのは、疲れたときに見るには助かる。

 エイブは、アブラハムと呼ばれたり、イブラヒムと呼ばれたりするわけだが、正式にはエイブラハムであり、本人は「エイブがいい」らしい。信じる神が違うと、同じ名前なのに呼び方が違ってくるのだ。ややこしいのう、、、。

 料理好きなエイブは、自分で作った料理をSNSにアップしたり、フードフェスに行ったりしているのだが、そのフードフェスでブラジル人のチコが出していた「アカラジェ」という料理に感動する。祖母がよく作ってくれる「ファラフェル」をジャマイカ風にアレンジしたものだと、チコは言う。ここでエイブは、食文化のミックスに目覚めるわけ。食の“フュージョン”だって。

 夏休みに母親のすすめで料理のサマースクールに参加するエイブだが、まるでオコチャマな内容に、早々にスクールには見切りを付け、スクールに通う振りをしながらチコの店に行って手伝いをする。そうして皿洗いから始めて、だんだん料理が上達する、、、という具合に、非常に和やかにオハナシは進む。

 途中、スクールに通っていないことが親にバレるけど、大した騒動にはならず。強いて、“転”となるのは、後半の感謝祭ディナーのシーン。両親と両祖父母に父方の叔父が一堂に会する。エイブは、イスラエルとパレスチナのフュージョン料理で皆をもてなそうとするが、当然、モメる。そのジジババたちの何と大人げないことよ。ジジババの年代では、まあ仕方ないとは言え、見ていて不快度が増すだけ、、、。父母が一生懸命、「エイブのディナーなんだからやめて」と止めてもお構いなしのジジババ。

 で、エイブは傷ついて、ジジババ達がハッスルしている隙に家を抜け出しチコの店へ。エイブがいなくなったことに気付いた大人達は大慌てで……、となれば、あとはもう展開は想像がつくが、その想像どおりになる。


◆予定調和、上等!!

 でもこういう映画は、こういう予定調和で良いと思うわ。見ている方もそれを期待して見ているのだし。要は、それをどうやって見せてくれるか、なわけで。

 といっても、本作は見せ方も王道で、特別奇をてらうこともない。ストーリーも演出も想定内となると、あーハイハイ、って感じに普通はなるんだけれども、エイブを演じるノア・シュナップが可愛いし、表情豊かで演技も良いので、それだけで十分見せてくれている。

 しかも、料理がどれもこれもすごく美味しそう。もちろん、料理の映像もとてもキレイに撮っていて、空腹時に見ると辛いかも。ファラフェルって食べたことないから、一度食べてみたいんだよなぁ、、、(涎)。

 また、大人げないジジババたちではあるが、孫のエイブを愛しているのは間違いなく、それは十分伝わってくる。両親は割と賢明な人たちで、悩みながらもエイブに宗教を敢えて強いない、というか無宗教で育てている。それでも、離婚の危機に瀕するのだが。

 ブラジルからの移民のチコも、エイブの複雑な家族背景を理解し、子ども扱いしないで料理を教えている。エイブがジジババたちの大喧嘩に心を痛めているときも、安易に慰めるでなく「問題からは逃げられない、立ち向かえ」なんて言う。

 ……と、エイブを囲む大人たちがなかなかイイ味出している。ジジババたちも、さすがにエイブが家出したことで反省したのか、最終的には、エイブの料理でもってイスラエルとパレスチナはフュージョンするのだ。

 イスラエル VS パレスチナをテーマにした映画といえば、昨年見た『テルアビブ・オン・ファイア』だが、面白さで言えば、『テルアビブ~』の方が遙かに面白い。毒もあるしね。本作は毒もないし、笑いも大人しいが、現実の対立があまりに酷いので、しばしフィクションの世界で夢を見るにはこれくらいのソフトさがちょうどいいのではないか、と思う次第。

 民族間の対立はどこも深刻だけれど、個人間で付き合うと、そういう属性ってほとんど意味がなくなるものよね。私も、中国人や在日韓国人の友人がいるけれど、人と人として付き合っているわけで、彼らは多才でとても尊敬している。属性で人を見ると見誤ることの方が多いと思うが、人間は基本愚かな生き物だから、そういう色眼鏡ってなかなか外せないのよね。だから、映画や小説といったフィクションの世界で、それこそフュージョンすることが可能だと見せることは、たとえキレイ事だの建前だのと冷笑されたとしても、意義深いと思う。

 

 

 

 

 

 


監督がなかなかイケメンです。


 

 

 



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燃ゆる女の肖像(2019年)

2020-12-20 | 【も】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv71560/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 画家のマリアンヌはブルターニュの貴婦人から、結婚を拒む娘エロイーズの見合いのための肖像画を頼まれる。

 身分を隠して近づき、密かに肖像画を完成させたマリアンヌは、真実を知ったエロイーズから絵の出来栄えを否定されてしまう。だが、描き直すと決めたマリアンヌに、意外にもモデルになると申し出るエロイーズ。

 キャンバスを挟んで見つめ合い、美しい島をともに散策、音楽や文学について語り合ううちに、ふたりは恋に落ちる。

=====ここまで。


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 アデル・エネルが主演なので見に行きました。新聞での評も読んでいたし、大雑把にあらすじは知っていたけれど、それにしても本作では“男が出て来ない”、、、です、ハイ。


◆恋愛映画として、、、どうなのか。

 あちこちで色んな人が誉めているので期待値が上がっていたせいか、正直言って、あんましピンとこなかった。

 ……恋愛映画なんだよね? で、いつも思うんだが、これが、異性愛の恋愛映画だったらどうなのか、って話。つい最近まで、LGBTはマイナーだとされていた。実際は、マイナーなのか、本当に異性愛がメジャーなのか、それすら今の私には分からないのだが、ほんの15年とか20年前までは、恋愛映画といえば異性愛映画が主流だったわけだが、そうじゃない恋愛映画が出て来て、“異性愛じゃない”ことが過剰にフォーカスされることで、それ男女の恋愛映画だったらあまりに陳腐やろ、、、っていう異性愛じゃない恋愛映画が量産されている気がするのね。

 男女の恋愛と、LGBTの恋愛じゃ、社会的背景がゼンゼン違うでしょ、ってことは分かるが、男女の恋愛にも枷はイロイロあるんでねぇ。

 つまり、本作も、画家の方が男だったらどーなのか? って話。

 意に沿わない結婚を強いられそうになっているお嬢、そのお嬢の肖像画を描く画家、お嬢のお目付役でもある母親が留守の間にお嬢と画家が懇ろになる。しかし2人は結ばれない運命にあり、お嬢の方はその束の間の恋を胸に秘めてその後の人生を生き、画家の方もお嬢を忘れられず独身を貫く、、、。

 ありがち……てか、18世紀版『マディソン郡の橋』でしょ、これ。不倫じゃないけどサ。画家が男であったら、本作はあんまし注目されなかった気がするなぁ。その程度の映画にしか、私には見えなかった。映画にする価値がないとまでは思わないけど、ここまで批評家とかに誉められたでしょうかね?

 ……というわけで、ストーリー的にはフツーで、特に、前半はかなり退屈に感じてしまった。2人が恋に落ちてからは、マリアンヌがどんな肖像画を描くのか(本作では、かなり絵が描かれていく過程が詳細に描写されているので、それは見ていて面白かったんだけど、、、)に興味を持って見ることが出来たけれども、ラストまで展開も想定内で意外性も低く、エンドロールが出て、え、、、終わり??って感じだった。


◆振り返る。

 とはいえ、印象的なシーンもないわけじゃない。

 本作のポスターにもなっている、ドレスの裾に火がついたアデル・エネルの佇んでいるシーンは、島の伝統行事でのワンショット。焚火をして、その周りで女たちが歌って踊るんだが、その焚火の火がエロイーズのドレスの裾に移って燃え上がりそうになる。すぐに消されるからどうってことはないんだが、そのエロイーズの姿を見て、マリアンヌの中で変化が起きるという重要なシーンということもあり、なかなか美しかった。

 あと、2人が懇ろになった後、別れを前提に、エロイーズのためにマリアンヌが自画像を描くんだけど、そのときに、鏡をエロイーズの股間(股間と言っても、別に、足を広げているわけじゃくて、ヘアーが隠れるように、って意味ね)に置くのよね。なんか、その図が非常に面白いというか。その小さな丸い鏡に映る自分の顔を描くマリアンヌと、それを見つめるエロイーズ、、、。なかなかユニークな画だった。

 それから、本作ではギリシャ神話のオルフェイスの話(振り返っちゃダメと言われたのに振り返って、愛する人は永遠に黄泉の国の住人となった、ってやつ)が出てくるんだが、これが、終盤の伏線になっている。……いるんだけど、私が本作でピンとこなかった一番の理由が、ここ。あんまり伏線が効いていないというか、、、いや、むしろ、やり過ぎなのかな。

 肖像画も出来上がって、2人はいよいよもうお別れ、というときに、花嫁衣装を身に纏ったエロイーズが、マリアンヌに「振り返って!」と言って、マリアンヌが振り返ろうとする、、、、というシーンなんだけど。これが、感動したという人もいるかもだけど、私には、何だかなぁ、、、という感じで。

 振り返る=永遠のお別れ、なわけだが、何でエロイーズは「振り返って」って言ったのか。マリアンヌは振り返ったのか?

 そして、これは、ラストシーンにもつながって、数年後に2人はある劇場で再会する。再会といっても気付いているのはマリアンヌだけ、、、で、エロイーズは気付いているのかいないのか、マリアンヌの方を見ようともせず、2人の思い出の曲が奏でられている舞台に見入って涙を流している。……でジ・エンド。

 マリアンヌを振り返らない=これが永遠の別れじゃない、、、ということなのかも知らんが、私にはあんまりグッとこなかった。

 まぁ、一旦別れた2人が再会するのって、難しいよなぁ。映画なんだからハッピーエンドにしちゃえば? とも思うけど。この時代(18世紀末)に、女性同士の恋愛を貫くのは社会的背景から言って極めて難しいわけで、それを敢えてやり遂げる2人の女、、、とか。それこそ、異性愛じゃない恋愛映画だからこそ、の話になりそうなのに、敢えてフツーの話にしちゃっているのがね、、、物足りない。


◆フェミ要素は不発。

 中世~近代まで女性の画家は珍しい存在だったみたいだが(いたかもしれないが資料がほとんど残っていないらしい)、女性画家を描いた映画だったら『アルテミシア』(1997)の方が面白かった。アルテミジア・ジェンティレスキという実在の女性画家を描いている。

 アデル・エネルは美しかったけれど、ほとんど笑わない。終盤にちょっと笑顔を見せるけれども。マリアンヌを演じたノエミ・エルランはフランス人だけど、ちょっと中東系の血もはいっているのかな?というようなエキゾチックな美人。意志が強そうで、役には合っている。

 2人のラブシーンが物足りん、と書いている人がネット上でいたけれど、十分だと思ったなぁ、私は。全裸ベッドシーンは軽めだけど、糸引きの濃厚キスシーンがねっとりじっとり描かれて、もうあれだけでお腹一杯。

 とにかく、男が出て来ない。荷物運びの下男みたいのがチョロッと出てくるだけで、顔も遠目からでよく分からん程度。かなりフェミを意識している作品だと思うが、多分、そっちの狙いは不発だろうな、これでは。そういう視点でいえば、『お嬢さん』(2016)の方がよっぽど刺さる。

 

 

 

 

 

 


絵が上手い人って、それだけで尊敬してしまう、、、。


 

 




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ゴーストランドの惨劇(2018年)

2020-12-14 | 【こ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv67890/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 シングルマザーのポリーン(ミレーヌ・ファルメール)は人里離れた叔母の家を相続し、双子の娘とともに移り住む。姉のヴェラ(テイラー・ヒックソン)は奔放で現代的な少女だが、妹のベス(エミリア・ジョーンズ)はラヴクラフトを崇拝する内向的な少女だった。

 新居に到着した夜、2人の暴漢が家に押し入ってくる。しかし、娘たちを守ろうとするポリーンは、姉妹の目の前で暴漢たちをメッタ刺しにする。

 それから16年後、ベス(クリスタル・リード)は家を離れ、小説家として成功していた。一方ヴェラ(アナスタシア・フィリップス)は精神を病み、今もあの家で母と暮らしていた。ベスが久しぶりに実家を訪れると、母は迎え入れるが、地下室に閉じこもっていたヴェラは衝撃的な言葉を呟く……。

=====ここまで。


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 本作は、公開時に気にはなっていたものの、結構ヤバいという話を耳にして、どうしようか、、、と思っている間に終映してしまったのでした。(お化けとか)怖いだけなら平気なんだけど、スプラッターは苦手で、ドンパチならまだしも、刃物系はちょっとなぁ、、、という人間としては、本作は、その中身がよく分からないので、どうしたもんだか、と思っていたのだけど、怖いもの見たさで見てしまいました。

 カテゴリーとしては、ホラーなんですかね? 見終わってみれば、心理サスペンス、、、かな、と感じました。

 ~~以下ネタバレしていますので、よろしくお願いします。~~


◆見ている方も追い詰められる。

 初っ端から、あんなヘンテコな家に、わざわざ夜着くように行くなんて、おかしいだろ、、、とツッコミ。普通、明るいうちに行くでしょ、あんな辺鄙なところ。

 正直言って、冒頭から15分くらいで、「これ以上見るの止めようかな、、、」と思った。それくらい、精神的に来る展開だったので。こんなんが100分続くのはちょっと耐えられそうにないかも……、と思った矢先に、急に16年後に場面が飛ぶ。

 そこには、もう、おぞましい光景はなくて、ベスがホラー作家として成功し、優しい夫と可愛い息子に恵まれて幸せに暮らしている、というホッと出来るシーンが展開される。ここで、あぁ良かった、、、と思って見続けてしまう。

 しかし、その5分後くらいから不穏な空気になり、ベスが実家に戻ってしばらくしてから、再びおぞましいシーンが繰り広げられるのであった。

 この作りが巧いというか、憎いというか、、、見る者の心理を実に的確に把握した展開。私と同じように、もう止めとこうか、、、と思った瞬間にシーンが切り替わって油断した、、、って人、結構多いと思うなぁ。

 再度、おぞましいシーンになって、あの16年後の幸せなシーンはベスの妄想だったと分かる。現実の恐怖から逃避するため、妄想の世界に逃げ込んでいた、ということらしい。だから、冒頭、あれだけクドクドとベスがラヴクラフトを尊敬していて作家を夢見る少女であるということを描いていたわけだ。……納得。

 で、現実のおぞましい現場をよく見てみると、妄想での夫や息子に似た絵が置かれているなど、小道具にも凝っている。実際には、16年など経過しておらず、あの冒頭のシーンがそのまま続いている、、、という解釈で良いんだろう。妄想シーンで実家に帰った際に、母親のポリーンが、地下室で暴れるヴェラをなだめながら「妹が欲しいのね……」という意味も、それがベスの妄想だと分かれば、分かる。よく考えてるなぁ~、などと感心する余裕が、この辺ではまだある。

 中盤から終盤にかけては、そんなことを考える余裕もなくなり、見ている方も、ベスと同じ心理状態になって、ハッキリ言って非常に心臓に悪い。そんなにグロいシーンが続くわけではないし、というか、私的にダメな残虐シーンは中盤以降はほとんどないんだが、心理的には追い詰められる。

 しかも、本作は、終盤で見る者をホッとさせておいて、再度絶望させるという、、、ここまで来てそれやる??みたいな展開。

 で、こういうジャンルにしては珍しいというか、ハッピーエンド、しかも、ただ無事に生還しました、、、だけではなく、2人の姉妹の明るい未来を感じさせるエンディングになっているところが良い。なんか、精神的にヤラレながら見てきて、ああ、良かったぁ~~、と思える終わり方で救われる。


◆終わってみれば、、、

 見ている間は、ぐぇぇ、、、、って感じだったのに、見終わって冷静になってみると、これはなかなかの秀作なんではないか、という結論に至った。

 小手先ではない良く練られたストーリーは言うに及ばず、演出も良いし、カメラワークも実に上手い。

 なんといっても、世界観が私的にはツボだった。あの、アンティークじゃらじゃらのいかにもな家のインテリアといい、暴漢2人のキャラ造形といい、少女2人の特殊メークといい、どれもこれも、センスが良い。気持ち悪さを醸し出しながら、嫌悪感は催さないギリギリのラインをついてくる感じ。

 で、しばらくすると、もう一度、あれこれと確認したい気になって、最初から見てしまった、、、ハハハ。そういう意味では、二度見では怖さはかなり減ってしまうが、謎解きという面では楽しめるので、本作はホラーというよりは、心理サスペンスじゃないか、と思った次第。あるいは、スリラーの方がジャンルとしては合っているかも。実際、お化けとかは出て来ないしね。まぁ、お化けなんかより、頭のネジが外れた人間の方がよっぽど怖い、ってことだけど。

 本作を見ながら、気持ちは追い詰められながらも、頭の隅っこで考えていたのは、「これは、児童虐待映画だ、、、」ということ。こんな理不尽な設定、、、と思うが、現実世界で起きている児童虐待は、子どもの目から見ればまさにこういうことだろう。

 んで、児童虐待のみならず、時々世間を驚愕させる謎の監禁事件、しかも家族単位でアカの他人に支配されるなんていう事件が実際に起きている。あれらも、本作と同じじゃないか、、、。実際に起きていることを考えると、本作のおぞましいシーンなど、実に可愛いフィクション描写だとさえ思えてくる。

 ……というようなことが、頭をよぎっていた。だから、ラストで本当の意味で救われて、将来に希望を持てそうなエンディングだったことで、本当に、心の底からホッとしたのだった、、、。


◆その他もろもろ

 パスカル・ロジェって、同姓同名のピアニストがいるんだが、最初、だから「え?ロジェ、映画監督までやるようになったの??」と思ったけど、ゼンゼン別人だった。ピアニストの方のロジェは、もう69歳になっていたと知って、それも驚いたが。もうそんな歳か、、、。

 この監督は、とにかく、こういう系の映画ばっかり撮っているらしい。特に『マーターズ』(2007)は彼の出世作らしいが、ネット評を見ると、恐らく私は見ない方が良い映画なのだろうね。『屋敷女』と同じぐらい気持ちワルイらしいので、やめておきます。

 大人になったベスを演じたクリスタル・リードは、ときどきキーラ・ナイトレイに似ているなぁ、、、と感じたけど、キーラより知的で品がある。まぁ、ホントにおぞましいシーンでは彼女の出番は少なかったので、演じるという意味では物足りなかったかも知れないけど。

 序盤で暴漢に果敢に一人立ち向かった母親ポリーンを演じたミレーヌ・ファルメールは、美人というのとは違うけど、とても美しい。本業は歌手らしいが、なかなか闘う母親の演技は素晴らしかった。グサグサ刺されながら、暴漢と取っ組み合うなんて、すげぇー、と思って見入ってしまった。

 暴漢は二人組で、一人は巨漢というか肥満男、もう一人はズラの男。ズラの男は、終盤でズラが外れると、スキンヘッドが現れる、、、。この二人の関係はよく分からんが、兄弟か親子か、って感じみたいだった。ズラの男が肥満男の面倒を見ている風。

 でも、何と言ってもこの気味の悪い暴漢二人組と闘った少女二人が、偉い! 二人とも、暴漢に暴力を振るわれて、スゴい顔になっている。特殊メイクなのは分かっていても、どんどん酷くなっていく顔を見ていると、痛ましいしおぞましい。彼女たちの実年齢は10代後半、といったところだろうけど、こんな映画の撮影を経験して、トラウマにならないのか、若干心配ではある。ネット情報では、どちらかが実際に怪我をして訴訟沙汰になったとか、、、。本当かどうか分からないけど、もしそうだとしたら、やっぱり心配だなぁ。

 まあ、あんまり「是非ご覧ください!」とは言いにくいけど、なかなか面白いよく出来た映画だと思います。

 

 

 

 

 

 

 


やめておこうと思ってはいるけど、でも『マーターズ』、ちょっと気になるなぁ。


 

 

 



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山の焚火(1985年)

2020-12-10 | 【や】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv10994/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 1984年、アルプスの山奥。人里離れた農場につつましやかに暮らす一家があった。十代の姉ベッリ(ヨハンナ・リーア)、弟(トーマス・ノック)、母(ドロテア・モリッツ)、父(ロルフ・イリッグ)の四人だ。聾唖者の弟は、学校には通わず、山地で働く父の手助けをしながら、将来教師になることを夢見ている姉から文字や算数を教わっている。時々、奇妙な行動をとる弟に頭を悩ます家族だったが、それぞれ深い愛情に結ばれていた。

 夏も終ろうとしているある日、芝を刈っていた弟は故障した芝刈り機に腹を立ててそれを崖から突き落として壊してしまう。怒った父親は、彼を家から追い出し、山の一軒家に追いやってしまった。

 日がたっても弟はなかなか戻ってこないので心配した姉が弟を訪れる。久しぶりに再会する姉と弟。焚火を囲んで楽しく食事をした二人は一つの布団で寄りそって夜を明かした……。

 晩秋の頃、父が弟のもとへやって来た。微笑む父に抱きつく弟。平和な日々は再び始まろうとしていた。

 しかし、思ってもみない事態が起こった。姉が弟の子供を身ごもったのだ。ベッドに伏せる日が多くなる姉。冬を迎えたある日、姉は母にそのことを打ち明けた。その事に気がついていた母は、ただ黙認した。

 しかし、母からそのことを聞いた父は狂乱し、銃を持ち出して姉を撃とうとするが、止めようとした弟ともみ合いになり銃が発砲し、父が絶命。母もショックのあまり息を引きとってしまった。

 雪のふりしきる家で、姉弟で、両親の葬式を行なうのだった。

=====ここまで。


☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 存在は知っているけど、なかなか見る機会がない映画、ってのがあって、これもそのうちの一本ですね。VHSはあったみたいですが、既に幻となっているようだし、DVDはamazonにありますが、6ケタの値段がついているという、、、誰が買うねん?? な世界。

 そんな本作をスクリーンで見られる機会が巡って参りましたので、一年で今が一番忙しい仕事を放り出して早稲田松竹に終映ギリギリに見に行って参りました。いやぁ、、、見て良かった。


◆坊や、、、目覚める。

 ストーリー的には、割とありがちな姉弟の近親相姦モノなわけだけど、そんな言葉で総括するのも憚られる、非常に文学的な映画であった、、、。これぞ、映画っていう味わいを堪能した感じで、見終わって、決してハッピーな話じゃないのに、何故か心が熱くなって家路についたのだった。

 両親も姉も、聴覚に障害のある末息子を「坊や」と呼んでいることから、この家族の持つ危うさの全てが察せられる。最初は「坊や」??と思ったが、しばらくして納得した。

 あんな閉ざされた空間で、一家4人が暮らしていれば、いつか家族の危機が訪れることは分かりきっている。家族とは、いつまでも同じ形態で存在できる集合体ではないのだ。子は育って大人になるし、親は老いる。親は老いて朽ち果てるだけと言えばそうなんだが、子は大人になると、色々と厄介事を抱えるのだ。厄介事の最たるものが、陳腐な言い方だけど“性(セックス)への目覚め”である。

 「坊や」と呼んでいれば、その時は永遠に来ない、、、なんてのはただの親のエゴであり妄想であって、その時は必ずやってくる。坊やは、聴覚に障害があるだけでなく、知的にも障害があると思しき描写が数々あり(父親譲りの癇癪持ち、ということになっているが)、身体の成長の割には行動や表情は幼く、坊や効果が見られる。でもそれも中盤まで。

 ……そもそも、この家族がどうしてこんな人里離れた山の上で孤独に暮らすことになったのか、それが分からないのだが、父親が変わり者のようで、やはり「坊や」に障害があることに起因している様子。母親は、坊やに障害があると知ってから性格が変わってしまった、、、と、ベッリの祖母(ベッリの母親の母親)が言っている。ベッリが学校を辞めた(辞めさせられた?)ことも関係があるみたい。

 下界は汚れている! とか、そういう極端な思想でもなさそうだけど、「坊や」という呼称からも、それに近い感覚がありそうな感じはした。そうでなければ、子どもに教育を受けさせないという究極のネガティブな発想は出て来ない気がする。

 それを確信したのは、終盤、ベッリが坊やの子を妊娠していると知ったときの父親の取り乱しぶりから。猟銃持ち出してきたもんね。ああ、やっぱり、、、って感じだった。まあ、冷静に受け止めた母親の方が、むしろスゴいとも思うが。

 この後、父親が猟銃の暴発で死んでしまい、そのショックで母親も亡くなるという悲惨な展開になるんだが、ラストに向けて悲壮感があまりないのが良い。ベッリは悲しみにくれるのだけど、坊やと、これから生まれてくる子のこともあってか、両親を弔うときには、何かこう、、、凛とした大人の女性に変貌していた様に感じた。

 最初は両親をベッドに寝かせ、棺に入れた後は、庭先に棺を埋めるのだが、顔は見えるようになっていて、その顔の部分に家のガラス戸を外して嵌め込んでいるのは坊やなのだった、、、。夕暮れになると、それに灯がともされ、両親の眠る顔が明るく照らされる。冷静に考えればかなりホラーな画かも知れないが、実に幻想的なシーンになっていて感動させられる。


◆“山”と“焚火”

 閉ざされているとは言え、天空の世界で繰り広げられる、実に人間的なドラマなんだが、これが、アルプスの雄大な自然を背景にしていなかったら、ゼンゼン違う話になっていたんだろうなぁ、と思う。

 例えば、都会であった場合、田舎でも寂れた農村だったら、、、? とか色々考えると、この物語はアルプスの山間だからこそ映画として成立し得たのだとつくづく納得させられる。他の舞台装置であれば、もっと俗っぽい話になっていたと思うから。あの、雲を下に見るような、アルプスの山々を背景にしていると、なぜか神聖な、厳かささえ感じる。

 あの自然を見せられると、何でベッリは山を下りて学校へ行こうとしないのか、とか、この家族はどうやって現金収入を得ているんだろうか、とか、そうはいっても姉弟で近親相姦て、、、、などという現実的なツッコミを入れるのを忘れてしまう。

 あの状況で、焚火を囲んでいれば、ちょっと感覚的に異次元の世界に行ってしまうことはアリかも知れない。たとえ姉でも弟でも、それが日頃から愛しい存在であれば、互いに肉体的につながりたいと思うものなのかなぁ、、、。

 山で合体、、、といえば、あの『ブロークバック・マウンテン』なんだが、あのケダモノ的な合体シーンと一緒にするのは違う気はするが、山の持つパワーってのはあるのかも。

 しかも、本作の場合、“焚火”まであるもんね。焚火には癒やし効果があるとかで(科学的な話ではありません)、焚火の音のBGMとか、焚火の映像とか、癒やしを求める人のためにあるのだそうな。焚火とまで言わなくとも、炎を見ると癒やしにつながるという話もあって、部屋を暗くしてアロマキャンドルを焚くとリラックスできる、というのもその効果の現れなんだとか。

 ベッリと坊やが結ばれるシーンを見ると、確かにそうかもな~、などと思ってしまった。好きな人と結ばれたい!!と強く願うのならば、その人と焚き火をすると良いかもね。……って、何の話だ?

 脱線ついでに、私は暖炉のある部屋に憧れているのだが、欧米では普通に集合住宅にもあるらしい暖炉、日本じゃめったにお目にかかれない。そもそも、煙突から煙が出たら、即ご近所問題になるだろうしなぁ。すぐ目の前で火が焚かれている、、、なんて素敵ではないか。

 そう言えば、暖炉の前でのラブシーンって、映画や海外ドラマで結構ある気がしてきたなぁ、、、調べたことないけど。……あ、私は別に、そういう意味で暖炉に憧れているわけではありません、念のため。


◆ムーラー監督

 フレディ・M・ムーラー監督の映画は、そもそも日本でもあまり多く公開されていない上に、ソフト化されているものも少ないレアものの様で、私も、本作以外には『僕のピアノコンチェルト』(2006)しか見たことがない。

 『僕の~』は、これまた本作とはゼンゼン雰囲気の違う映画だったが、詳細は忘れてしまっているけど、なかなか良い映画だった記憶がある。こちらは、DVD化されてレンタルもできるので、また、見てみようかな。

 本作と、『我ら山人たち』『緑の山』の3本が、伝説の三部作「マウンテントリロジー」と呼ばれている。確か、何年か前にどこかの劇場で上映していた(チラシをもらってきた記憶がある)けど、結局見に行けなかった。どれも、なかなかお目にかかる機会のなさそうな作品なので、いつかまた上映の機会があれば、そのときは是非3作とも見てみたい。

 

 

 

 

 

 


本作は、年明けに池袋の新文芸坐で上映される様です。


 

 



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海と毒薬(1986年)

2020-12-05 | 【う】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv17574/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです(長いので一部編集。青字は筆者加筆)。

=====ここから。

 昭和20年5月、敗戦の色はもはや隠しようもなく、九州F市にも毎晩のように米軍機による空襲が繰り返されていた。F帝大医学部研究生、勝呂(奥田瑛二)と戸田(渡辺謙)の二人は、物資も薬品もろくに揃わぬ状況の中で、なかば投げやりな毎日を送っていた。

 当時、死亡した医学部長の椅子を、勝呂たちが所属する第一外科の橋本教授(田村高廣)と第二外科の権藤教授(神山繁)が争っていたが、権藤は西部軍と結びついているため、橋本は劣勢に立たされていた。橋本は形勢を立て直すために、結核で入院している前医学部長の姪の田部夫人のオペを早めることにした。簡単なオペだし、成功した時の影響力が強いのだ。

 ところが、オペに失敗した。手術台に横たわる田部夫人の遺体を前に呆然と立ちすくむ橋本。橋本の医学部長の夢は消えた。

 数日後、勝呂と戸田は、橋本らに呼ばれた。B29爆撃機の捕虜八名の生体解剖を手伝えというのだ。二人は承諾した。

 生体解剖の日、勝呂は麻酔の用意を命じられたが、ふるえているばかりで役に立たない。戸田は冷静だった。彼は勝呂に代って、捕虜の顔に麻酔用のマスクをあてた。うろたえる医師たちに向かって「こいつは患者じゃない!」橋本の怒声が手術室に響きわたった……。

=====ここまで。


☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 『黒部の太陽』を見て、かなりイマイチだったんだけど、監督の熊井啓の作品をTSUTAYAで検索したら本作がヒット。しかも原作は遠藤周作。遠藤周作といえば、ちょっと前に見た『私が棄てた女』の原作者でもあり、そのあまりのマッチョ思想に驚愕したんだけど、本作は、あの悪名高い九大生体解剖事件がモチーフになっているとのこと、しかも、奥田瑛二と渡辺謙のW主演というので、見てみることにしました。


◆これって、、、、

 ううむ、、、もう何を書いても陳腐になりそうな、恐るべき話の映画である。

 これが戦争、戦争は人を人でなくする、、、などと本作の感想で書かれているのを目にしたが、そういうことなのか? 戦時中だから、彼らはこういうことをしたのだろうか? 平時ならそもそも軍から生体解剖の依頼そのものがないだろうと? いや、平時なら拒絶する判断力があったと? 

 ……そうだろうか。

 これは、戦争云々というより、組織の問題だろう。大学病院という、上が「白」といえば、「黒いものでも白くなる」ような上下関係の絶対的な組織において、上から、非人道的な、あるいは違法な行為をしろと強要されたときに、下の者たちはどうするのか、その行為にどう向き合うのか、、、が問われているんじゃないのか。

 そう考えると、現在進行形で、同じことが起きているではないか。言論の府で公然と虚偽答弁をする上のために、下の人間一人が死んでも、その上と組織を守るために、資料を改ざんしたり廃棄したり、白々しい嘘の上塗りで庇ったり、真相に迫ろうという人間を恫喝したり、、、。本作で描かれている話と、どう違うというのか。構図は全く同じだろう。

 いや、生体解剖=人殺しと、たかが資料の改ざん・廃棄は質が違うでしょ、、と? どーだか。たかだが資料の改ざんも拒絶できない人間が、人殺しなら拒絶できるとは思えませぬ。

 思うに、こういう“上下関係絶対の組織”に、自ら進んで属することを選ぶ人間というのは、そもそも“隷属気質”がある気がする。でなければ、そんな組織にはいられない。やってられないからだ。私の場合、自らの進路として、そもそも選択肢になかったが、友人・知人にはそういう組織に一旦属したものの、離れた人は多い。

 しかし、そういう組織にどっぷり浸かると、組織の論理が全てになって、一般的な理屈は後回しになるのだろう。それはある意味、当然の成り行きで、そうでないと組織で生き残れないからだ。そうまでしてでも、その組織に居場所を確保するためには、“隷属気質”は必要不可欠だろう。元々持っているか、後天的に醸成されるかは分からんが。隷属気質は、言い換えれば、自らを思考停止状態にすることに抵抗がない、ということだ。

 そんなことを言ったら、役所なんか機能しないじゃないか、と反論されるかも。実際、軍なんかは機能しなくなると思う。駒になりきれる人間を養成する組織なんだから。でも、それ以外の組織は、そこに属する人間を思考停止させるものがあるのなら、その組織の在り方が間違っているのであって、断じて思考停止に抵抗することが間違っているのではない。

 本作での勝呂は、生体解剖に関わったことについて、「もうどうでもよか、考えてもしょうのなかことと、私一人の力ではどうにもならないんだと、自分に言い聞かせた」と、まさに「思考停止になっていた」と言い訳をしている。実際そうだったんだろう。

 一方の戸田は、そんな勝呂に「俺もお前もこんな時代の医学部におったから捕虜を解剖しただけや。俺達を罰する連中だって同じ立場に置かれたらどうなるか分からへん」とうそぶく。しかもこの戸田は「あの捕虜を殺したことで何千人もの患者が救えると考えたらあれは殺したんやない。生かしたんや。人間の良心なんて考え方でどうにでも変わる」とまで言っている。もう、思考停止を超えて、洗脳されているというか、生来の気質なんじゃないかとさえ思えてくる。

 結局、下々が思考停止している方が、上は組織を動かしやすいってことに尽きる。今の政府が、一億総愚民化しようとしているのもそう。まったく、バカほど人を強権支配しようとするという典型。この映画を見て、そんなことを考えてしまうなんて、、、、我ながらイヤになる。


◆クリスチャンであれば、、、??

 原作者の遠藤周作は、どういう意図でこの小説を書いたんだろう。 ……と思って、ちょっとwikiを見たら、「日本人には確とした行動を規律する成文原理が無く、(中略)クリスチャンであれば原理に基づき強い拒否を行うはずだが、そうではない日本人は同調圧力に負けてしてしまう場合があるのではないか──自身もクリスチャンであった遠藤がこのように考えたことがモチーフとなっている。」だそうだ。

 「クリスチャンであれば原理に基づき強い拒否を行うはずだが」って、、、そうなの?? 本作内では、それを思わせるのが橋本教授の妻・ヒルダなんだが、この人は、やたらと「神様」を口にして、他人を断罪するようなことを平気で言うドイツ人女性という設定になっている。しかし、ヒルダは夫がしている人殺しについては知らないままのようで、結局、彼女が夫の行為を知った後、どういう態度をとるのか、ということについてはノータッチである。だから、原作のテーマ性は、映画ではほとんど描かれていないのだと思われる。

 日本が同調圧力の強い社会、というのは確かにそうだろうが、クリスチャンなら毅然と拒絶できる、ってのには懐疑的だ。別に、心に神の存在などなくても、自分と向き合うことができる人間は普通にいる。神がいる故に面倒なことになる場面だって、映画ではいっぱい描かれてきているのだからね。信仰についてとやかく言うつもりはないが、とかく、信仰を持つ人は信仰を持たない人に批判的になることがあるが、それは、ある意味で信仰の自由にも反すると思うのだけどどうだろう?

 まあ、原作を読んでいないので分からないから、信仰云々については原作を読んで、改めて考えてみたい。遠藤がどれくらいマッチョなのか、他の作品も読んでみたいしね。


◆その他もろもろ

 奥田瑛二も渡辺謙も若い。二人とも、なかなかの熱演だったと思う。

 奥田瑛二は、ときどき、キムタクに似ているなぁ、、、と思うシーンも多々あり、若い頃は二枚目だったんだね、、、と認識を改めました。渡辺謙は、独眼竜政宗より前になるのかな。方言が怖ろしく下手というか、板についていなくて、聞いていていたたまれなくなった。

 しかし、そんな主役二人を喰っていたのが、看護婦長の岸田今日子。無表情なんだが、すんごい怖い。橋本教授に惚れているらしく、もう、盲目的に従っている。解剖を終えた捕虜の遺体を運んで、暗い病院の廊下を歩いているシーンなど、ほとんどホラー。

 成田三樹夫は相変わらず悪役が似合う。独特の声が懐かしい、、、。彼のような俳優、今、いないような気がする。

 田村高廣も権力欲に取り憑かれた老いぼれ、という難しいところを巧みに演じていた。根岸季衣は、途中、脱いでいたけど、彼女はやっぱり本当にイイ女優さんだと改めて思った。こういう屈折した役はハマるよなぁ。

 ……と、何気にかなりの豪華キャスト。このキャストで、こんなセンシティブなテーマの映画が、よく撮れたなぁ、と感心する。1986年というと、昭和61年。あの頃は、こういう映画が制作できて、賞ももらえるようなご時世だったんだ、、、。今じゃムリだろうなー。歴史修正主義者たちが湧いてきそう、、、。

 『黒部の太陽』より、断然本作の方が良い映画だと感じた次第。

 

 

 

 

 


全編モノクロなのは解剖シーンが多いから?

 

 


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嗤う分身(2013年)

2020-12-01 | 【わ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv56430/

 

以下、amazonよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 内気で要領が悪く、存在感の薄い男サイモン(ジェシー・アイゼンバーグ)。会社の上司にも同僚にもバカにされ、サエない毎日を送っている。コピー係のハナ(ミア・ワシコウスカ)に恋をしているが、まともに話しかけることもできない。

 そんなある日、期待の新人ジェームズが入社してくる。驚くべきことに彼は、サイモンと全く同じ容姿を持つ男だった。何一つサエないサイモンに対し、要領がよくモテ男のジェームズ。容姿は同じでも性格は反対の2人。

 サイモンは次第に、ずるズル賢いジェームズのペースに翻弄され、やがて思いもよらぬ事態へと飲み込まれていく・・・。

=====ここまで。


☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 公開時に、ほんのちょっとだけ気になってはいたけれど、すっかり意識の圏外に、、、。いつのまにかレンタルリストに入れていたらしく、このほど送られてきたので見た次第。

 先に白状すると、雰囲気は嫌いじゃないけど、もうドッペルゲンガーものとしては、あまりにも想定内のオハナシで白けてしまった。こういう不条理劇ってのは、見ていてギリギリ来る感じがないとね。本作には決定的にソレがないのだよ。なぜかって、このジャンルではもう手垢がつきまくったストーリーが展開されているから。それに尽きる。wikiには「サイコスリラー」と書いてあるけど、コーヒー飲みながらボケーッと見られる映画の、どこがサイコスリラーなんだよ、って話。

 自分に見た目はそっくり、中身は対照的、っていう時点でアレだけど、序盤でサイモンが向かいの建物から男が自殺するのを目撃するところで、本作の結末は想像がつこうというもの。そして、そのとおりになるんだから、ガックシである。

 何でこんな、私でも想像がついてしまう展開にしちゃうのか。さんざん繰り返し描かれてきたテーマではないか。なぜ、この期に及んでコレなの?

 見せ方も、格別、素晴らしいとは思えなかった。とにかく全編、夜か地下みたいな暗い建物の中のシーンばっかりで、映像自体は凝っているとは思うけど、別段面白味もない。BGMに70年代の日本のGSとかを使用してアンバランスな感じを出しているけど、それも好みが分かれるところ。私はイマイチそういうのを楽しめないクチなんでピンとこない。

 多分、好きな人は好きなんだろうけど。先が読めても、面白い映画はいっぱいあるしね。最初にも書いたとおり、私も本作の雰囲気は嫌いじゃないし。でも、映画全体で見たとき、劇場でお金払って見たい映画ではないね、ってこと。

 ……と、こき下ろしてしまったけど、主演のジェシー・アイゼンバーグは、イイ味出していた。どっちかっていうと、彼の雰囲気はジェームズの方が合っている気がしたけど、、、『ソーシャル・ネットワーク』の影響かもね。ジェームズが早口でセリフをまくし立てているシーンなんかは、もろにザッカーバーグかよ、って感じだった。

 サイモンが好意を寄せているハナを演ずるミア・ワシコウスカは、作品によって結構顔が違って見える気がする、、、。『ジェーン・エア』のときとはゼンゼン別人に見えたんだけど、きっと良い女優さんの証だろう。特別美人というわけじゃないし、ちょっと印象の薄い顔立ちだよなぁ。似顔絵に描きにくい顔というか、、、。彼女の『ボヴァリー夫人』はちょっと見てみたいかも。DVDレンタル出来るみたいなので、借りてみようかな。

 

 

 

 

 

 


自分と見た目がソックリな人間が目の前に現れたら、どうします……??

 

 

 

 


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