作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv33191/
以下、TSUTAYAの作品紹介ページよりあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。
=====ここから。
19世紀の桂冠詩人ランドルフ・ヘンリー・アッシュ(ジェレミー・ノーサム)研究のためロンドンにやって来たアメリカ人ローランド(アーロン・エッカート)はこの日、大学の図書館で、アッシュの蔵書の中に古い手紙が挟まれているのを発見する。
やがてローランドは、それは愛妻家で知られるアッシュが同じ詩人でレズビアンのクリスタベル・ラモット(ジェニファー・イーリー)に宛てたラブレターであると確信する。それが証明できれば文学史を書き換える大発見となる。
そこで彼はラモットの研究家で大学教師の女性モード(グウィネス・パルトロウ)に協力を仰ぎ、この詩人たちの封印された熱き愛の真相に迫るべく本格的な調査を始めるのだったが…。
=====ここまで。
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BBCドラマ「高慢と偏見」でエリザベスを演じていたジェニファー・イーリーがステキだったので、彼女の出ている映画を見てみようと思いDVDレンタルしました。ダサい邦題が残念だけど、掘り出し物の逸品でございました。
……「高慢と偏見」についての感想は後日改めて書きたいと思っております。
◆図書館の蔵書から、、、?
とりあえずツッコミから。
ローランドは大英博物館の付属施設と思しき研究室にアメリカからやって来て研究活動(?)しているようなんだが、上記あらすじにもあるように、図書館で“たまたま”研究対象であるアッシュの自筆手紙を見付ける。……のだけど、こういうことって文学の研究しているとあり得る話なんですか? 図書館の蔵書にそんな重大資料が人知れず挟まっているということが、、、??
図書館がどんな図書館なのかにもよるだろうが、上記あらすじには“大学の”とあるけど、イマイチ映像からはその辺がよく分からんかった。そもそも図書館の蔵書って、所蔵時にいろいろ図書館員の人々が調べるんでないの? 大学図書館ならなおのこと、専門家がいるでしょ? しかも、アッシュという著名な詩人の蔵書ともなれば、隈なく調べるでしょう? てか、専門家なら調べずにはおれんでしょう??、、、というのは素人考えなんですかね? いっぱい資料があり過ぎると、とりあえず所蔵しちゃって、調べもせずに外国人の無名の研究者にも貸し出しできるようにしちゃうんですかね?
序盤で描かれるこのシーンがかなり引っ掛かる。しかも、その手紙は蔵書からちょっとはみ出すように端がペロンと出ていたし。おまけに、ビックリなのは、ローランドくん、その手紙をくすねるのだ。超一級品資料を。……まぁ、これは映画だから構わんと言えば構わんけど、それ、窃盗ですから。と、一応ツッコミ。だいたい、それがアッシュの自筆の手紙かどうかなんて、なんでローランドみたいな一介の研究員がパッと見ただけで分かるのよ?
フィクションというのは、細部にウソがあってはダメだと思うんだよね。大きなウソだからフィクションなんだけど、だからこそ、設定に関わる細部にウソがあると白ける。……といっても、私は文学研究のプロではないから、こういう描写がウソなのかどうかも分からないが。これが、プロにとっての“あるある”なら別にいいんだけど。だったら素人にもウソ臭く見えないようにもう少し丁寧な描写が欲しいかな。……それとも、ここに引っ掛かったのって私だけなのか??
とまあ、大きく初っ端から躓いたのだけど、それでも掘り出し物だと見終わって思ったのは、“文学史を書き換える大発見”である100年前のアッシュとラモットのお話の方がなかなか見せるものになっていたからでございます。現在の、ローランドとモードの話は、ハッキリ言ってどーでも良いというか。もっと言っちゃうと、アッシュとラモットの話だけの映画にしてもゼンゼン良かったんでないの? と。十分見ごたえある時代物ロマンスになったと思うのに。
しかも、現在編でアッシュとラモットの関係について、ものすごく簡単にいろんな資料が見つかって謎が解けていくんだよね。そんなにスルスル都合よく行くか??という、またまたツッコミ。
だからさ、現在編、いらんやろ、、、と。挙句、モードはラモットの直系の子孫というオチまでつく。出来過ぎとか超えている。やり過ぎ。
◆その他もろもろ
……とまあ、文句は書きつくしたので、以下は良かったと感じた点を。
ジェニファー・イーリー、知的な品と色気があって、こういう役には向いている。「高慢と偏見」のリジーとしては、ちょっと大人しいかな、、、という印象だったけど(もちろん良かったのだけど)、こちらのラモット役はまさにハマリ役だと感じた次第。知的だけでも、色気だけでも、こういう役はダメだもんね。
アッシュを演じたジェレミー・ノーサムがステキだった。大人しくて従順な妻を大事に思ってはいるが、打てば響くラモットとの刺激を受けてしまっては、そらしょうがないでしょう、ああなっても。知的な会話が成立する異性というのは、当時は今より希少だったろうし、ましてやあのように美しくて色気もある女性なら、いくら堅物の詩人でも、恋に落ちるのは、まあ致し方あるまい。
やはり、いつの時代も、恋愛は“その人と話していて楽しい”ことがかなり重要なファクターなのだ。時には知的な会話も必要だし、笑いのツボや間の取り方が同じことも大事。趣味や嗜好が違っていてもあまり問題ないけど、会話のセンスがかけ離れた相手との恋愛は、まあ成立しにくいわね、多分。
1か月の不倫旅行で盛り上がった2人は、ラモットの恋人が自殺したことで完全に終わってしまう。この恋人は絵描きのようだが、女性の絵描きも100年前はなかなか厳しい状況だっただろう、、、。その上、恋人にも裏切られては、絶望するのも分かる気がする……けど、自殺はちょっとね、、、。
だが、実は、アッシュとラモットの間には娘がいた、、、。そして、その娘を養子に出し、自分は叔母として、娘の成長を母と名乗れず見守ることで自分を罰しながら生きていくラモット。アッシュの死に際に、それを知らせる手紙を出すが、アッシュの妻はそれを本人に見せず、アッシュは事実を知らぬまま死んだのだった。
……と、ここからさらにもう一展開があって、それは敢えてここには書かないが、なかなかよい終わり方だと感じた次第。
ローランドを演じるアーロン・エッカートはどこから見てもアメリカ人。イギリス人には絶対見えない。何でだろう、、、?
お相手のモードを演ずるグウィネス・パルトロウは、どう見ても博士(ドクター)には見えないオシャレ過ぎる姉ちゃんで、なんだかなぁ、、、と思ったけど、私は彼女のことあんまし好きじゃないが、本作ではあまり嫌味な感じはなく、珍しくちょっとキレイに見えた。……あ、いや、まあ美人なんでしょうけどね。彼女のお母さんの若い頃は、ホントにキレイです。
ローランドの部屋とか、モードの部屋とか、インテリアが実に素敵だった。
現在と100年前とを時間が行き来する描写も工夫されていて自然で分かりやすく、演出はgoo。つくづく、現在編が蛇足に思える。
アッシュは架空の人物(桂冠詩人といえばDDLのお父さんですね)