以下、公式HPよりストーリーのコピペです。
=====ここから。
1950年代、ロンドン。英国ファッションの中心に君臨し、社交界から脚光を浴びる天才的な仕立て屋のレイノルズ。ある日、レイノルズはウェイトレスのアルマと出会い、彼女を新たなミューズに迎え入れる。
彼はアルマの“完璧な身体”を愛し、彼女をモデルに昼夜問わず取り憑かれたようにドレスを作り続けた。しかし、アルマの気持ちを無視して無神経な態度を繰り返すレイノルズに不満を募らせたアルマは、ある日朝食に微量の毒を混ぜ込む…。
やがてふたりは、後戻りできない禁断の愛の扉を開き、誰もが想像し得ない境地へと向かう。この愛のかたちは、歪んでいるのか?それとも純愛なのか?
華やかなオートクチュール(高級仕立服)の裏側で、映画史上もっとも甘美で狂おしい愛の心理戦がはじまる!
=====ここまで。
DDLの引退作、、、と言われている作品。でもきっと、これは撤回されると見た。だって、これ、DDLが主役じゃないもん。
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まあ、私はDDLのファンというのは通り越して、とっくの昔から信者なので、彼の出ている映画は基本的にそれだけで無条件に“良い映画”なんです。ましてや、本作は彼の引退宣言付き。有終の美であってほしい。……ほしいからこそ、引退撤回を予想してしまう、、、というか、願望。
◆DDL教信者のつぶやき、、、。
DDLの出演作は、『ガンジー』と『存在の耐えられない軽さ』以外は多分全部見ているのだけど、本作は、一番、DDLが光っていない作品だった、、、。残念。『NINE』も、なんだかなぁ、、、って感じだったけれど。……まあ、ものすごくいけ好かないキャラの上に、見下していた女に、文字通り“骨抜き”にされちまう情けない男の役なんで、仕方がないとはいえ、いけ好かないセシルを演じていた『眺めのいい部屋』では、彼の魅力が存分に発揮されていたのよね、、、。
やはり、さしものDDLも歳をとったか。60歳だもんなぁ、、、。中盤、毒盛られて寝込んだときのアップなんて、あの美しかったDDLのご尊顔とは思えぬ汚顔(まあ苦しんでいるシーンなんで仕方ないんだけど)になっていて、哀しいやら切ないやら、、、。信者としては、どんな教祖様の御姿も有り難く拝見するべきなんだろうけど、いい加減な信者にとってはなかなか辛いとこ。
しかも、本作ではDDLは実質的には主役ではないのよね。パンフではもちろんDDLを主役扱いしているけれど、実質的な主役はアルマを演じたヴィッキー・クリープス。まあ、美人の範疇には入ると思うけど、あんまり華がないというか。DDL演ずるレイノルズの仕立てる超一流のドレスを身に纏って麗しく変身するかと思いきや、イマイチ垢抜けないまま。……ううむ、これがDDLの花道を彩る主役なのか。なんか、寂しいぞ。
おまけに、本作を撮影している最中に、どうしても引退したくなったとか言っているDDL。自分でも何故か分からないがもう俳優やっているのがイヤだ、と思ったらしい、、、。何故か分からないが辞めたくなったんだったら、何故か分からないがまたやりたくなるかも知れないじゃん。しかも本作は、完成後に見る気がしないと言って見ていないらしいけど、アカデミー賞の授賞式にはスキンヘッドで参加していた(やっぱカッコえかった)し、表情もフツーだった、、、ことなどから考えて、彼が心変わりする可能性もゼロではなかろう、と思いたい。これが最後なんて、なんだかなぁ、、、である。
信者は、教祖様の言っていることがコロコロ変わっても、屁とも思いませんから、安心して引退宣言なぞ撤回していただいて結構です。
◆マッチョ男の自業自得。
……と、不満をタラタラ書いておきながら、を8コも付けているのは何故か、、、というと、単純に、まあまあ面白かったから(あとは、DDL出演作だから、無条件に2コ献上)。
大昔に、誰かのエッセーで、「好きな男にはちょっと弱っていて欲しい、と思う女性は多いはずだ」みたいなことが書かれていて、「死にそうな病気とかではなく、ちょっとした病気になっていて、私が独り占めして看病したい」というような内容だったと思う。それを読んだときは、はぁ? って感じで、いまだに私はそんなことを思ったことは一度もないけど、本作は、まさにそういうことを描いているわけよ。
このアルマの行動に共感する女性は、一体どれくらいいるのかしらねぇ? 私は、共感ってほどでもないけど、本作を見て、何となくアルマの心理も分かる気がするなぁ、と感じた次第。前述の誰かのエッセーを読んだときには分からなかったけど、男がちょっと尋常なキャラじゃない場合、つまり、女の手に余る場合、男を大人しくさせるためには病気にでもなってもらわないと仕方がない、と。そうすれば、自分のコントロール下に置けると。ものすごい自分勝手な発想だけど、男もそれを上回る自分勝手な人間なので、イイ勝負かな、、、と。
ただ、それを突き詰めて考えると、これって、相手を監禁or軟禁するのとあんまし変わんないじゃ、、、と思うに至り、非常に怖ろしくもなったけれど。
レイノルズは、私の大嫌いなマッチョ男で、マザコンのエゴイスト。ホント、デザイナーとしての才能がなければ、ただのバカでイヤな男なだけ。しかし、あのルックスと才能のせいで、女は寄ってくるし不自由しないし、今の女に飽きたらさっさと捨てて次に取っ替えれば良いのである。レイノルズにとって女はマネキンでしかないわけだ。彼が心を許す女性は、実姉のシリルだけ。
アルマも、レイノルズにとってはそれまでの女と同じでしかなかった。が、アルマはそれまでの女とは違っていたのよね。そう、女をバカにして見くびり続けて生きてきたツケが回ってきたわけよ。いい気味だ。
しかし、このアルマ、同じ女の目から見て、かなりヘンな女なのよ。初デートで、ヤル気満々(下品で失礼)だし、レイノルズがマザコン全開(母親の髪の毛を「いつも身近に感じられるように服に縫い付けているんだ!」とか嬉しそうに話す)にしても笑って聞き流すし(フツー、ここで退散するだろう、と思う)、レイノルズのVIP客に向かって「私、あの人と一緒に暮らしています」などと彼女宣言をしたり、、、ちょっとオツム弱い??的な感じ。おまけに、食事の作法とかもよろしくなくて、まあ、言ってみれば“ガサツな女”なわけ。
こういう女は、これまでのレイノルズからすれば、最も苦手なタイプなはずなのだけれども、レイノルズにとってアルマが特別な存在になったのには、もちろん理由があった。……それはまあ、見てのお楽しみってことで。そのエピソードで出てくる太った醜いオバサン・バーバラを演じていたのは、『デスパレートな妻たち』で強烈な存在感を出していたハリエット・サンソム・ハリス。このエピで、レイノルズにとって、アルマはこれまでの女とはゼンゼン違う存在になった、、、んだと思う。
◆自己愛の強すぎる2人の命がけの闘い。
まあ、とにかく、レイノルズもアルマも変人同士で、勝手にやってれば、、、? と最終的には言いたくなる。「この愛のかたちは、歪んでいるのか?それとも純愛なのか?」って、純愛なわけねーだろ、と言いたい。
この2人の愛は、自己愛であって、互いを思い合う愛じゃない。自己愛の強すぎる2人だから、より強い方が相手を力ずくで屈服させたってこと。レイノルズがもう少し若かったら、こんなアルマの手に落ちることはなかったんじゃないかなぁ、、、という気もする。多分、有無を言わさずあのハウス・オブ・ウッドコックから叩き出しただろうな、と思う。
そもそも、アルマはレイノルズのことをあまり分かっていないように見える。彼女がレイノルズにこだわるのは、彼が一流のデザイナーで、成功者だから。彼女が普通にあのまま田舎のレストランで働いていたら、一生手の届かない世界の人間だから、、、という風に見えた。もちろん、前述の“ある出来事”があったから、そうとも言い切れない、という反論もあろうかと思うが、しかし、人間、育ってきた環境というのはいかんともしがたいものがあるわけで、生まれも育ちもまるで違いすぎるアルマが、レイノルズのことをデザイナーとしても一人の人間としても、理解できるとは到底思えない。
レイノルズは、アルマに毒を盛られたと分かって、二度目の毒を口にする。このレイノルズの心理が、分かるような、分からないような。序盤で、アルマに「私はゲームでは負けないわ」と宣戦布告されるシーンがあるんだけど、この二度目の毒を口にするシーンは、その伏線だったということかも。何となく、喜んで口にした、というよりは、そうせざるを得なかった、という描き方だったような。
アルマはオツムは弱いかも知れないが、最強自己チュー女で、育ちの悪さのせいでサバイバルが身についているせいか、悪知恵だけは長けているのである。こういう女は一番タチが悪い。
でも、マッチョを画に描いたようなキャラのレイノルズが、そういう低レベルな女にまんまとやられる図、というのは、正直、痛快でもあり、これが面白いと感じた所以でもある。
そんな曰く付き女アルマを演じたヴィッキー・クリープスは、見た目は地味だけど、演技は確かで、素晴らしい。なんと彼女、後日見た『マルクス・エンゲルス』でもマルクスの妻を演じていて、こちらはとても賢くて魅力的な女性で、別人のようだったのが印象的(ちなみに、『マルクス・エンゲルス』の字幕を担当した寺尾次郎さんの訃報には驚きました、、、哀しい)。
弱ったマッチョ男を飼うより、カワイイ柴犬を飼う方がよっぽど幸せ。
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