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映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

雨月物語(1953年)

2016-01-06 | 【う】



 上田秋成の「雨月物語」から、「蛇性の婬」「浅茅が宿」を下敷きにした物語。

 時は戦国時代、思いがけないことから欲をかいた源十郎(森雅之)は、ある日、不思議な姫・若狭(京マチ子)と婆やに誘われ朽木屋敷へと足を踏み入れる。そこは、何とも不思議な邸宅で、源十郎は、若狭たちに歓待され、すっかり夢心地に。若狭との享楽の日々に現を抜かす。

 が、源十郎は国元に妻・宮木(田中絹代)と息子を置いて来た身。ある日、買い物に出た折に出会った一人の老僧に「死相が顔に出ている。早く元の家に帰れ」と言われ、ふと宮木のことを思い出し帰ろうとするのだが、、、。

 京マチ子がキレイだが、かなりコワい。溝口健二監督作品の中でも随一と言われる名作。


 
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 雨月物語は、小学生の頃読んで(もちろん子ども用に書き直されたもの)、一時期、かなりハマった記憶があります。怖いけど面白い、ついつい読んでしまう、という感じだったかなぁ。もちろん、一番印象的だったのが、本作の基となった2つのお話。どっちも、あると思っていたものが、実はなかった、という幽霊譚。

 前半は、源十郎が若狭に出会うまでの、宮木との夫婦としての話で、割と長い。まあ、ここで、宮木の人となりをしっかり描いているのが、後半に効いてくるのですが。

 若狭の登場シーンですが。若狭の顔が、コワいです、マジで。なんていうのか、こう、、、こけしみたいで、およそこの世ならざるもの、という感じを、その1ショットで表しているのがスゴイです。

 まるで憑かれたように(って実際憑かれているんですが)、若狭の後を着いて朽木屋敷へ入って行く源十郎。そして、それに続く宴のシーン。若狭は謡とともに舞い、途中から謡に低い男の声が交じりだし、これの不気味なこと。正直、見ている方も最初は「え? 空耳?」という感じで、若狭も聞こえているんだかいないんだか、舞い続けていたかと思うと、突然、「はっ! この声は!!」みたいになって恐れおののく。その声は、無念の死を遂げた若狭の父なんですが、それを説明するときに映る鎧とか、映像的に非常に不気味です。

 一番怖かったのは、源十郎が夢から覚めて、朽木屋敷を出たいと若狭に言ったところ。若狭の御付きの婆やが、地獄の底から絞り出すかのようなしわがれた、それでいてドスの利いた声で、「妻子がありながら、なぜ契りを交わされた!」とかなんとか言って、源十郎をしつこくしつこく攻め立てます。「帰してください」と哀願する源十郎の背に「いいや、返さぬ!!」と唸るような叫ぶその声は、もう、おぞましいの一言。このシーンが一番怖かった。

 そして、何と言っても最大の見どころは、源十郎が宮木の所に帰って来たシーンでしょうねぇ。宮木と息子に再会し喜ぶ源十郎は、ようやく心安らかに床に就くけれど、翌朝目覚めればそこに宮木はおらず、、、。

 朽木屋敷でのことにしても、宮木との再会にしても、源十郎の妄想、幻想だった、ってことです。

 まあ、浦島太郎とも通じるというか、夢のような日々の後に待っている恐ろしい現実ってやつです。こういう幽霊譚でなくても、普通に我々も、もの凄く楽しくて幸福な時間を過ごしたかと思った直後に突き付けられる自分の置かれた状況、、、ってのは経験していますけれども。幽霊よりもそっちの方がコワい、とも言えます。

 みんシネにも書いたけど、ルイ・マル監督、ビノシュ&ジェレミー・アイアンズの『ダメージ』のラストで、アイアンズ演じる元エリート男が、思いがけず空港か駅かで見かけた、自らが身を滅ぼす原因となった、かつて狂うほど愛してしまった女(もちろんビノシュ)を「普通のオンナだ・・・」と思うシーンで、私はこの「蛇性の婬」を連想しちゃうのです。

 結局、夢心地なほどの幸せな満ち足りた時間など、幻想でしかないのが人生、というものなのでは。大体、人生でそんな風に感じる時間、てのは、仕事で成功したとか、何か必死で頑張ってきたことがようやく世間に認められたとか、そんな晴れがましい時ではなく、もっと本能的な、、、そう、つまり恋愛においてしかないんじゃないでしょうか。心底好きな相手と2人だけで濃密な時間を過ごしている時、まさにその時以外にないでしょう。でも、そんなのは、幻想でしかないんだよ、と。

 そして、それはある意味、真実だとも思うわけです。そんな陶酔にも似た心境は、そう、度々あっては困ります。そして長くは続かないものなのです。その後には、恐ろしいほどに冷徹な現実が横たわっているわけです。

 田中絹代って、決して美人ではないけれど、独特の雰囲気がありますね。一人息子を背負い、川岸でずーっと夫の源十郎を見送るシーンが切ないです。今生の別れとなることが暗示されているシーンのように思います。

 ほかにも、義弟の藤十郎夫婦の話とかもあるんですが、でもまあ、やっぱり、本作は、京マチ子と田中絹代、そして、魔物に憑かれて妻を失うことになった源十郎を演じた森雅之の3人が素晴らしいです。





また「雨月物語」読みたくなってきた。




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美しき獣(2012年)

2015-06-22 | 【う】



 とある田舎町の豪邸に住む美女(?)ジュナは、ある夜、レンタルビデオ屋で出会った男パオロと成り行きで一夜を過ごす、、、かと思いきや、何だか顔つきが変わったかと思うと「ダメ……!」と拒絶し、パオロを強引に追い返す。宙ぶらりんのパオロは悶絶し、ジュナを追い回す。

 ジュナには重大な秘密があったのだ。その秘密とは、、、そう、ジュナはヴァンパイアだったのさ!

 あのカサヴェテスの娘さんの監督作だって。名前につられてレンタルリストにホイホイ入れたアタシがアホでした、、、ごーん。

 
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 (本作をお好きな方は、以下、不快になるかもしれませんので悪しからず)
 
 非凡な親の子だからって、当然のように非凡とは限らず、その辺にいる凡才である、なんてことはよくある話。本作の監督、カサヴェテス娘は凡才とは言わないが(こうしてたとえこれっきりになったとしても作品を撮って1本でも世に送ることができたわけだから)、あまり才能があるとは思えないな~、残念ながら。ちょっと、蜷川実花さんとダブりますね、存在と言い、印象と言い、、、。

 ストーリーはというと、ヴァンパイアの女ジュナに心を奪われた男パオロが、自らも望んでヴァンパイアになり、ラブラブ生活だった所へ、ジュナの妹ミミが現れたことで生活が引っ掻き回され苦悩するんだけれど、結果的にミミは滅び、ヴァンパイアのカップルは晴れて二人で異国の地へ旅立った、、、という、他愛もない話です。

 見せ方は凝っているんだろうけど、なんだかヘンなカット割りが多く(突然不自然にカットが入るんだよな)、は??みたいなところがあちこちに、、、。また、美術や音楽も凝っているんだけれども、どうにもこうにも脚本的に幼稚すぎて、ちょっと見ていて恥ずかしくなってくるというか。全編そうなんだから、これはかなりキビシイ。

 何がこんなに幼稚さを感じさせるんだろうと考えてみたんですけど、まあ、それはイロイロあるんでしょうが、最大の要因は、人物描写の薄っぺらさでしょうか。一応、キャラ的には、ジュナは良いヴァンパイア、ミミは悪いヴァンパイア、という色分けはしていますが、どうしてこんなに姉妹の確執が深まってしまったのかとか、何でミミは平気で人間を襲って生き血を吸い続けることをやめないのかとか、そういう背景が全く描かれていないわけです。

 そして、人物紹介も全部セリフ(セリフは正確ではないです、ゼンゼン)。
「あなたがパオロね、ステキな人ってジュネから聴いてるわ」
「あなたも○○○(なんか相手を褒めるセリフだった、忘れたけど)だってジュネが言ってますよ」
……みたいな。学芸会かよ、と突っ込みを入れたくなるシーンが盛りだくさん。

 それに、ヴァンパイアとしての苦悩があんましないんだよね。人間が食べるものと同じものも普通に食べられるし、夜であれば街中で普通に行動していてもゼンゼン問題なしだし。まあ、人間を見るとムラムラする、という描写はちょこっとありますが、それが決定的なネックとはなっていない。

 つまり、ドラマとして成立していないのよ、ほとんど。

 うーん、何か、目指したい方向性は分かる。しかし、それ以前の問題じゃないか、という難点があり過ぎで、そのギャップが見ていて辛くなるんだな、多分。

 ヴァンパイア界のパーティーがあるんだけど、そこでヴァンパイア界の女ボスみたいな亭主が「前菜よ!」とふるまうのが、どす黒赤の人口血なんだけど、なんかさー、こういうシーンがもう、笑っちゃうわけですヨ。コントじゃないんだからさ、前菜よって、食前酒入れるみたいなグラスに血はないだろうって、、、。

 でもって、さらに可笑しいのが、この女ボスは世間的には人気女優として生活しているんだけど、ミミがある企みを持って、この女ボスの所へ彼女の熱烈なファンという若い女性を連れてくるんです。女ボスは良いヴァンパイアなんだけど、その若い女性を見て急にわなわなし始める。??と思って見ていると、その女ボス、ミミを廊下へ呼び出してヒソヒソ声でこう言います。「あの子、処女じゃないの! 私が処女の血を最後に吸ったのはもう60年(40年だったかな)も前なのよ!」、、、処女ですか、そーですか。

 この世界観には、私はどうも入って行けませんでした。

 ヴァンパイアものはイロイロあると思うけれども、よくよく考えてみると、あんまし見たことないかも。他の吸血鬼モノも、こんなんなんでしょーかね。こんな風に、おバカっぽくなっちゃうんでしょうか。本作など、かなり気取った雰囲気なんで、余計にバカっぽさが際立ってしまって、ダメでした。

 本作を気に入った方々には大変失礼なことばかり書いてしまいましたが、ま、こんな風に思った人もいるんだなー、と受け流してくださいませ。

 カサヴェテスの子どもというと、息子のニック・カサヴェテスは結構活躍していますよね。『ミルドレッド』は、母親のジーナ・ローランズも出演していて、私もまあまあ好きな作品の一つです。『私の中のあなた』はイマイチでしたが……。

 娘さんはゾーイ・カサヴェテスという人がいるみたいですが、この人と、本作の監督ザン・カサヴェテスってのは、同じ人なんですかね? よく分かりません。まあ、どっちでもいいんですが。長編初作品とのことですが、次も撮るんでしょうか。なんだかんだとこき下ろしておきながら、怖いもの見たさで、見ちゃうかもです。


  

監督の目指すものと、現実に見せられる映画
のギャップがハッキリ目に見えてしまう辛さよ、、、。




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ウォールフラワー(2012年)

2015-04-19 | 【う】



  ハイスクールで馴染めなかったチャーリーが、アメフト観戦に行った際、思い切って声を掛けた青年とその妹の風変わり兄妹と出会ったことで、世界が広がっていく・・・、という青春もの。  

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 アメリカの、高校生を主人公にした青春絵巻ってのは、必ずと言っていいくらい「スクールカースト」に悩む話ね。古くは『キャリー』しかり、こないだ見た『25年目のキス』しかり。お決まりの、クルマ、プロム、セックス、、、って、やっぱし文化の違いを感じます。

 しかし、アメリカ人にとって、ハイスクール時代ってのは、そんなに重要なポイントを握る時代なんでしょーか。原作が大ベストセラーになった、ってとこを見ると、やっぱそうなのかなぁ。他にも同ジャンルの作品が一杯あるのを見ると、なんか、人生における重大な岐路、みたいな時代に思えるんですけど。私の高校時代なんて、振り返ってもただの通過点ですけど。

 まあ、今の日本でも「スクールカースト」という言葉があるくらいだからなぁ。私が高校生だったのは30年も前だし、何しろ田舎のフツーの学校で、階層も何も、どいつもこいつも芋ばっか、みたいな感じだったから、こういう映画を見ると、どうもしっくりこないというか、異世界のハナシにしか思えないのよねぇ。

 もちろん、なんとなく人の輪に入れない、馴染めない、という人はいたと思うし、さすがにイジメはなかったと思うけれども、からかい・いじりレベルのことなら、日常茶飯事だったんだろうな、きっと。そういうものの延長として見れば良いのよね、こういう映画は。

 本作は、結構いろんなところで高評価されていたみたいで、劇場に行こうかとも思ったけれども、どうもイマイチその気になれず、結局、DVD鑑賞ということに。ま、結果的に、その選択は正解でした。

 チャーリーの救世主となった兄妹、パトリック(エズラ・ミラー)とサム(エマ・ワトソン)は、2人ともすごくイイ子たちです。3人が車に乗って、サムがその荷台で両手を広げて風を受けるシーンは、あの『タイタニック』の、あのシーンみたいで、イマイチ。いや、明らかにオマージュってのなら良いんですけど、どうもそうじゃなさそうで。これ、チャーリーがサムに惚れてしまうシーンなので、重要なんですが、、、。あのポーズにする必要あるのかね、あんなパクリみたいな。もったいない。もうちょっと考えてほしかった。

 あと、お約束みたいに、パトリックはゲイだったり、チャーリーが抱えているトラウマが叔母さんによる性的虐待が原因だったり、パトリックとサムは実は義理の兄妹でステップファミリーだったり、サムはかつて売春まがいのことをしていたり、と、なんつーか、とりあえず、現代を象徴するテーマをあれこれやたらに入れ込んだごった煮的な感じがしたのも、イマイチだなぁ。

 そんなに色々詰め込まなくても、チャーリーの成長物語は描けたと思うのですが。ダメなのかね、そういう刺激のある題材を入れないと。

 まあ、原作が、あの『RENT レント』の脚本家、と言われて納得ですが。私、あの作品、まったくダメだったんで、、、。本作は、『RENT レント』ほどじゃないけれども、やっぱりどうにも入り込めない何かを感じました。

 それは、「生きづらい世の中」に対する恨み節炸裂、みたいな感じです。究極の、他力本願思考。

 このスティーブン・チョボスキーという原作者は、1970年生まれだそうで、ほぼ私と同年代。今の高校生ならともかく、アメリカじゃ、あの頃から高校生はこんなだったのか・・・。ま、10代後半なんて、そんなもんかも知れませんが。なんでもかんでも自分は悪くないんだ、人のせい!! みたいなね。生きづらいから世の中変わってくんないかな~、というグチ垂れ流し的描写は、レントの方がひどかったし。本作ではまだ自力で人生切り開こうという雰囲気はあっただけマシです。

 パトリックを演じていたエズラ・ミュラーが良かった! 彼は『少年は残酷な弓を射る』で初めて見て、なかなか魅力的だったけど、あの役と、パトリックは、あまりにも違い過ぎて、彼の無邪気な笑顔、結構可愛いのねぇ、と思いました。何しろ、『少年は~』では、ほとんどまともに笑わない役だったんで、、、。エマ・ワトソンはやっぱりカワイイ。ステキな大人の女優に脱皮できると良いんですが。チャーリーのローガン・ラーマンは、まあ、カワイイけど、あんましそそられない感じで、この辺も、本作がイマイチと感じた原因かも。

 



生きづらいですか、そーですか。ま、頑張って。




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うたかたの戀(1936年)

2014-05-27 | 【う】

★★★★★★☆☆☆☆

 だいぶ前にレンタルリストに入れていたのが送られてきました。今年、オードリー主演のTVM『マイヤーリング』が公開されて少し話題になりましたねぇ。見に行っていませんが。

 本作は、ハプスブルク家のお話なのに、フランス語です。ま、それはどーでもいいのですが。モノクロですが、非常に美術が豪華であることが分かります。制作年を考えると、これは相当のものなのではないか、と思う半面、この年代だったからこそ逆にできたことなのかな、と思ったりもして。よく分かりませんが。

 モチーフとなっているマイヤーリンク事件については、色々謎が多いようで、私はゼンゼン詳しくありませんが、少なくとも、本作のようなキレイごとではない、もっと複雑な背景のある出来事であることは間違いないでしょう(Wikiのシシーの解説を書かれた方は、シシーが嫌いなんでしょうなぁ。もの凄いこき下ろしようです。ま、当たらずとも遠からじだろうなぁとも思いますけれども)
 
 作中のルドルフは、自分の意思で生きられない憂さを酒と女で晴らし、精神的には君主制に批判的で自由主義であった、一応、骨のある男、という設定の様です。心底愛する女性と出会わぬまま政略結婚し、相変わらず放蕩を続ける彼の前に現れたのが可憐な姿のマリー・ヴェッツェラ。で、後は、ご存じの通りの展開。

 古い映画独特の、ややブツ切りな飛躍のある展開だけれども、ルドルフとマリーの悲恋の過程は結構丁寧に描かれているし、マリーを演じたダニエル・ダリューはなるほど美しい。なので、この2人の恋バナに関してはビジュアル的に問題ないけれども、ところどころに出てくるエリーザベトがどうも、、、。あの有名なシシーの肖像画には似ても似つかぬ華のない女優さんなんだよねぇ。そして、夫に情死されちゃう悲惨な大公妃ステファニーはかなり見た目のおよろしくない女優さんで、悪意があるとしか思えない配置。ここまでしなくてもいいでしょう、と言いたくなります。

 音楽はすべてウィンナワルツで、まあ、ちょっと大人の古めかしいおとぎ話だと思って見れば、それはそれで楽しめます。

 さて、 ここから先は余談です。ルドルフを演じたシャルル・ボワイエですが、正直、あまり好きではない俳優さんでしたが、本作でアップのショットを何度か見ているうちに、誰かに似ているなぁ、と思い、なかなか思い出せずにおりました。そして、終盤、思い出しました。そう、カルロス・クライバーです(特にブラームス4番のジャケの写真)。私はクライバー教の信者なので、これは歓迎すべきことなのかどうか、思い至った瞬間は複雑な気持ちになりましたが、その後、ちょっとした因縁を感じました。

 ボワイエは、愛妻家だった様で、30年以上連れ添った妻に先立たれた2日後に自殺していると、キャストの紹介に出たのですね。そして、クライバーですが、彼も、妻を亡くした後、引きこもりのようになり、ひっそりと亡くなっています。自殺という噂も飛び交いました。それほど、妻が逝ってしまった後、ガクッと来てしまったらしいのですね。彼は生前はかなりの自由人で、相当のプレイボーイだったとのことですが、心のよりどころは妻だったんですかね。ただ、顔が、というか、一瞬一瞬の表情が似ているな、と思っただけですが、ものすごーく些細な共通点がありました。
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ヴィオレッタ(2011年)

2014-05-21 | 【う】

★★★★★★☆☆☆☆

 自分が母親との確執を経験しているせいだろうけれど、つい、こういう作品は見てしまう。とはいっても、娘の立場に極端に感情移入するわけでもなく、結構、冷静に見ているつもりなんだけど。

 こないだ『8月の家族たち』で、娘たちがようやく母親に対して声を上げられるようになってきたことは良いことだと思っている、みたいなことを書いたばかりで、いきなり矛盾することを書くようだけれども、昨今、よく耳にする「毒親」という言葉が、私は嫌いである。一応、私も、スーザン・フォワード著「毒になる親」は読んだし、そこには共感できる部分もあったし、救われる部分もあったのは間違いない。だから、あの本に罪はないと思うが、「毒親」という言葉がネットで無責任に拡散し、言葉だけが独り歩きしている感が非常に強く、掲示板などでも「毒親」という言葉を見ると、「もう、いい加減にしてくれ」と言いたくなる。

 先日、某全国紙に、久田恵さんが「母娘問題 それぞれの自由な生き方へ」というタイトルで、昨今の安易な「何でも母親が悪い」的風潮を批判的に書いておられたが、おおむね同感だ。

 確かに、親のことで死ぬほど苦しんでいる人は少なくないはず。でも、思うにまかせぬ現状を「親のせいにしているだけ」の「毒親」大合唱の人々に、私は、いささか食傷気味だ。こういう親の子は、自分が親に毒されていることに気付いてはいても、それを解毒することをしようとしない。なぜなら、恐ろしいから。解毒=親からの自立=親との激闘を経なければ達成できない、という図式が、もう体で分かっているからである。中毒状態が苦しいけれども楽だと思ってしまうのだ。

 でも、それは大きな間違いだ。行動を起こすエネルギーを思うと卒倒しそうだからネットに愚痴を書きなぐっている人々には、そんなことしている時間はもったいない、と心の底から言いたい。1日も早く、自分の人生を取り戻さねば。人生には時間の限りが必ずあるのだからね。親に拘って生きるのも人生なら、親を心に封印して孤独な自由を生きるのも人生なのだ。どちらがより充実したものになりそうか、これ以上書くまでもない話。 

 と、前置きが長くなり過ぎたけれども、本作も、母親と娘の葛藤話。これはまあ、かなりヒドイ母親である。なんつったって、自分の名声・名誉のために、年端もいかぬ我が娘を裸にして写真を撮って、世間にばら撒いたんですからねぇ・・・。一応、アートだと世界的に評価もされる半面、容赦ない批難にさらされたのも当然だろう。

 本作は、しかし、母親の告発映画ではないように感じた。ポスターの惹句からは、告発ものっぽいイメージを受けるが、この監督エヴァ・イオネスコは、おそらく自分のために、そう、「解毒」のために本作をどうしても撮らざるを得なかったのだろうと思う。これは、もの凄くそう思う。なぜなら、母親に対する愛情を感じる描写も多々あったから。もちろん、これで解毒完了というほど単純なものではないと思うが、これはかなり大きなハードルだったに違いない。

 なにしろ、ヴィオレッタを演じたアナマリア・ヴァルトロメイが美しい。でも、体はまだまだ少女。このいびつさ。そして、背景の安っぽいゴシックアート。なんだか、ちょっとホラーっぽいと思ってしまったのは私だけかな。

 母親を演じたイザベル・ユペールはさすが。狂気じみた人を演じるのが、この人は本当に上手いと思う。当然、美しい。娘を愛していたのは本当だろうが、おそらくは、自己愛の方が強かった女性なのだと思う。自分の次が娘なのだ。でも、それってそんなに責められることなんだろうか。人間、誰だって自分が可愛い。そういう母親の子どもがもれなく不幸とも言い切れないだろうし。結局、母娘の相性に拠るところが大きいのではなかろうか。

 本作のラストは思わせぶりで、その後のこの母娘の成り行きが気になる。なので、パンフレットを買ってみたけれど、それについての言及は一切なかった。完全な和解はなかったのだろうな。そして、エヴァさんは、多分、一生、解毒を続けるのだろうと思う。そう、この中毒に完全治癒はないのである。いかに毒を薄めるか、これにエネルギーを注ぐ。でもそれは悪いことばかりではない。エヴァのように創造につながることだって多々あるのだから。
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ウエディング(1978年)

2014-05-16 | 【う】

★★★★★★★★☆☆

 これは随分前に見ていて、見た時は「さっすがアルトマン、おもしろい!」と思ったのに、なぜかレンタルリストに入れており、しかも、見たことさえ忘れており、DVDを再生して3分くらいして、ようやく「あ゛、、、これ、、、」と気付いたという・・・。がーん。

 アルトマン作品は割と好きである。こういう、一見、散漫な感じの作品はどちらかというと苦手なのだけれど、アルトマンについてはどういうわけか、面白い、と思う。最初に見た『プレタポルテ』でハマった感じである。世間的にはあまり評判は良くないみたいだけど。

 さて、本作は、伊丹十三監督の『お葬式』の、結婚式&アメリカ版って感じじゃないかなぁ。『お葬式』は、テレビのオンエアでしか見たことないけど・・・。本作より、よほどメリハリが効いていて、笑うポイントがハッキリしていた記憶があるけれども。

 私が特に印象に残っているのは3つほど。まずは、新婦がニカッと笑った時に、シャキーンと歯列矯正のブラケットが光るその笑顔。これがハッキリ言って可愛いとか、そういう感じじゃないのである。ギョッとなるのだけれども、これがその後の仰天シーンにつながる。あの肖像画はどう見ても悪意があるとしか思えない・・・。

 2つ目は、やはりミア・ファロー。彼女が本作で一番存在感があったかも。彼女演じる新婦の姉バフィが、トンデモなのだが、見事にはまっている。最後まで、画面の端にチラと映るだけでも存在感は変わらず。さすが・・・。

 3つ目は、新婦の母上、チューリップ。大体、チューリップって名前がどーなんでしょ。新郎の縁者(どっから見てもオッサンである)に突如言い寄られ、「いけないわ」なんて言いながら、ウエディングパーティーを抜け出して温室で逢引するという、おいおいな展開。このチューリップを演じたキャロル・バーネットが素晴らしい。この人は、あのドラマ「デスパレートな妻たち3」で、ブリーの継母役で出演していて、その時も、存在感抜群であった。どちらも、割とキツそうな女性であるが、彼女の雰囲気に合っている。

 ちなみに、「デスパレートな妻たち」に出演していた人がもう一人。新婦の父親役のポール・ドゥーリー。彼は、ドラマではスーザンの実父役だった。実にロクでもない父親役だったが、本作では、まあ、比較的マトモな父親なのではなかろうか。

 しかし、本作は、これだけのエピソードを脈絡なく描いても、素晴らしく分かりやすい。『M★A★S★H』でも思ったけれども、どうして、こんなグダグダ一歩手前の所で鮮やかに収集をつけられるのだろう、と驚嘆してしまう。もちろん計算してやっているんだろうけれど、テキトーにやっている、と言われても納得しそうな、それでいて、実にスマートな作りなのである。こういう人の頭の中って、一体どうなっているのだろうか。ものすごーく不思議である。

 彼の作品では比較的とっつきやすい方、という評価の様なので、初アルトマンにはおススメかも。
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