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映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

告白(2010年)

2017-12-05 | 【こ】



以下、上記リンクよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 とある中学校。終業式後のホームルームで、1年B組の担任・森口悠子(松たか子)は、37人の生徒を前に語り出す。

 私の娘が死にました。警察は事故死と判断しましたが、娘は事故で死んだのではありません。このクラスの生徒に殺されたのです……。

 一瞬、静寂に包まれる教室。事件に関わった関係者たちの告白によって真相が明らかになっていく中、森口は、罪を犯して反省しない犯人に対し想像を絶する方法で罰を与える……。

=====ここまで。

 世間での高評価がナゾの作品。

   
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 本題に入る前振りが少々長いです。あしからず。


◆原作について

 今や“イヤミスの女王”などと呼ばれている湊かなえ著の原作は、一昔前に大ベストセラーとなったのだけど、ブレイクする直前に、新聞広告で「告白」の存在を知り、そのときはスルーしていた。が、その後、本屋大賞を受賞し、著者プロフィールを見てビックリ。「第35回創作ラジオドラマ大賞を受賞」とあり、しかもお名前が「湊かなえ」。あ、、、もしかして、あのときの、金戸美苗さんでは?? と思い至った次第。

 実は、私も「第35回創作ラジオドラマ大賞」に応募しており(結果は敢えて書かないが)、受賞作は当時読んでいて、その時点で既に何年も経っていたが受賞作の内容を割と覚えていたからである。もちろん覚えていたのには理由がある。

 wikiにもあるが、彼女の受賞作「答えは、昼間の月」という、タイトルもなかなか印象的だったこともあるけれど、そのストーリーはもっと印象的だった。メインテーマは臓器移植。臓器移植に至るきっかけとなった事故は、あの、JR福知山線の脱線衝突事故だった。さすがに、現在は詳細を忘れたが、確か作品の冒頭で、列車事故が起き、そこで脳死状態となった人の臓器をある人に移植することになったのだが、臓器の提供者と被提供者には実は特別な関係があった、、、というものだったと思う。

 私は、自分が応募したコンクールの受賞作は、圧倒的な作品であって欲しいと思っている。だが、受賞作に圧倒されることは、あまりない。まあ、実際、コンクールで入選した人のほとんどはプロで生き残っていないわけだから、それも当然と言えば当然だ。ラジオ(オーディオ)ドラマのコンクールで、“これは異次元の作品だ”と圧倒されたのは、今ではオーディオドラマの脚本家第一人者であろう北阪昌人氏の受賞作だった。内容は覚えていないが、確か、水道局員が主人公で、激しい水漏れがストーリーを展開していたように記憶している。オーディオドラマならではの“水の音”を生かした脚本で、ドラマチックな展開ではないものの、大人の情感溢れる作品だったように思う。あの作品を読んだときこそ、圧倒された、というのが実感だった。

 で、「答えは、昼間の月」だが、確かに素晴らしい筆力だし、ストーリーの構成もよく出来ていると思った。けれども、正直な感想としては、“嫌いだな、こういうの”であった。だから、余計に覚えていたのである。

 何が嫌いかというと、素材の選び方だ。「臓器移植」と「福知山線事故」。これを組み合わせるんだ、、、。さらに、臓器の提供者と被提供者に関係を持たせる。

 何を素材にして、どう組み合わせるかは作者の自由である。だからこそ、そこには作者のセンスと制作姿勢が垣間見えると思う。あまりにもドラマチックなストーリーとともに、私はこういう素材選択と組み合わせをする作者の作家性に、何となく嫌悪感を抱いたわけだ。念のために書いておくが、これは飽くまで好みの問題で、善し悪しを言っているのではない。現に、「答えは、昼間の月」は大賞を受賞し、高く評価された。

 今にして思えば、この作品には、イヤミスの萌芽があったと思う。私は、イヤミスは決して嫌いではないが、嫌いなイヤミスは当然ある。そして、湊かなえ著「告白」は、嫌いなイヤミスだった。映画化もされて何年も経った頃、図書館で“本日返却されたもの”の棚にぽつんと置かれていた「告白」を見て、ふと読んでみる気になったのは、もちろん、湊かなえ氏が金戸美苗氏だと認識していたからだし、あの「答えは、昼間の月」を書いた人が、どんなベストセラー本を書いたのか、という好奇心からだった。

 まあ、原作本の感想を長々書いても仕方がないので端的に書くが、やはり、想定内のものだった。それはストーリーがではなく、素材がである。そして、さらに「告白」ではそれがパワーアップしており、作者の思い付くありとあらゆる素材を全て闇鍋のようにぶっこんだという印象だった。だから、当然、読み終わっての感慨もなかったし、むしろ、「答えは、昼間の月」の方が面白かったと思ったものだった。

 後で知れば、新人賞を受賞したのは、最初の章の「聖職者」であり、その後の物語は、「告白」のために書き下ろされたものだとか。……納得。

 で、映画もそこそこ好評なのは知っていた。松たか子は正直言って苦手だが、中島哲也監督の『嫌われ松子の一生』はまあまあだったので、もしかしたら原作とは違った味わいで面白く仕上がっているのかも、という期待も手伝い、BSオンエアを録画した次第。

 ……ようやく、この後、映画の感想。


◆ううむ、……松たか子。

 最初に言ってしまうと、ゼンゼン楽しめなかった。

 申し訳ないが、松たか子の演技が酷すぎると思ってしまった。しかし、世間的には彼女の演技が素晴らしいことが本作の評価の高さであるらしいので、私の感性がねじれているのだと思われる。

 冒頭のHRでの松たか子の語りのシーン。延々続くが、この無表情演技が、ハッキリ言って私の目には、もの凄く工夫のない、大根に映ったのである。

 無表情演技は、無表情でセリフを言えば良いってもんじゃない。演技なのであるから、そこには役者の技量がどうしたって出るわけだ。で、私の中でその技量が素晴らしく高いと思う役者は、イザベル・ユペールなんだが、彼女の無表情演技を見て、工夫のない大根、と感じたことは当然一度もなく、それはもちろん、ユペールが凄いからであって、ユペールと比べること自体が松たか子にとっては酷だとは思うけれども、同じ“女優”を自称するならそういう試練は甘受していただかねば仕方がない。

 松たか子のあれは、無表情でセリフをしゃべっているのであって、無表情演技ではない、と思う。もっというと、演出も悪いと思う。淡々と生徒たちに語るシーンだからって、あんなロボットがしゃべっているみたいな演技をさせる必要はない。無表情=淡々、ではない。考え方が短絡的ではないか?

 冒頭10分以上のあのシーンで、正直なところ、最後まで見る気が失せたが、見始めた以上は見なければ、という、無意味な使命感で最後まで見た次第。

 
◆その他もろもろ

 そんな訳で、映画『告白』については感想らしい感想も持てなかったけれど、やはりあの原作だから、この映画はまあ、仕方がないのかなと思う。むしろ、映画は原作にかなり忠実な作りのように思うし。

 あまり、読者や視聴者の好奇心を誘導せんがために、刺激的(と作者が考える)素材ばかりを思い付く限り使いまくるのは、品がない。面白きゃええんじゃ! ということならばそれで良いが、本作は、ゼンゼン面白くもない。ただただ、人を嫌な気持ちにさせるだけである。そういう気分に浸りたい人のための映画だと、最初にちゃんと宣伝すべし。

 岡田将生は、トンチンカン教師を好演していたと思う。ああいう、バカ教師は確かにいる。バカな役をバカっぽく演じるのは難しいと思うので、岡田くんはなかなかの役者なのではないだろうか、、、。あんまし彼のことよく知らんが。

 橋本愛ちゃんは、確かに可愛いが、セリフ棒読みで、少々痛々しかった。犯人2人を演じた少年たちも頑張っていたけれども、まあ演出だと分かってはいるが、いささか芝居じみた演技に引いてしまった。木村佳乃は、相変わらずわめき散らすだけのヒステリック演技でワンパターン。演技に厳しい監督じゃなかったのか? ナゾ。

 ……と、頭から最後まで一貫してこき下ろしましたが、本作を好きな方の感性を否定するものでは決してありません。飽くまで、私は嫌い、というだけです。


 








湊作品にはもう近付かないことに決めました。




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