
「さすらい者」とか「流れ者」などは、漂流瓶そのものだろう。
映画などから、具体的になにを運んでいるかは、前回(4)から想像がつくはずだ。
「生物は遺伝子の乗り物」と述べたドーキンスは、「ミーム」という言葉ももちいている。
「ミーム」は遺伝子と似ていて、人から人へと伝達し、増殖していく文化情報のことである。
「流れ者」たちは、生物情報とともに、文化情報も運んでいるのだ。
次の歌を聴きながら絵を作った。
夕日は落ちて
歌 緑咲香澄(一番好き)
作詞 久保田宵二
作曲 江口夜詩
荒野(あれの)の涯てに 日は落ちて
遥かまたたく 一つ星
故郷(ふるさと)捨てた 旅ゆえに
愛しの黒馬(あお)よ 淋しかろ
七つの丘も 越えたれど
湖(うみ)のほとりも さまよえど
朝霧夜霧 暮れの鐘
優しきものは 風ばかり
夕日は落ちて 黄昏(たそがれ)を
今日もとぼとぼ 旅烏(たびがらす)
恋しき君よ 思い出よ
いつの日幸福(さち)は めぐるやら
名もなき花も 青春(はる)を知り
山の小鳥も 歌を知る
何故(なにゆえ)悲し 人の子は
荒野(あれの)の涯の 雲を見る
休めよ黒馬(あお)よ 今しばし
月が出たとて 匂うとて
恋しの人が 待つじゃなし
頼むはせめて そち一人
どんな背景を歌っているのかわからないが、
私には、「なぜか」万葉歌人大伴家持(おおとものやかもち)が
秋田城に向かうときの「気持ち」に思えた。
使用3Dフリーソフト
Blender 2.82
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