油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

11月19日(火)晴れ

2024-11-19 16:21:02 | 日記
 六時に目が覚める。
 寒い。

 北風が吹きぬける庭先にでてみると、
手洗い場においた洗面器の水が薄く凍っ
ていた。
 
 久しぶりに野良に出て、荒れ果てた
田畑の面倒をみようと思う。
 
 改良区とやらで、ほかの田んぼのほ
とんどは稲作、この夏の猛暑にかかわ
らずよく実ったのが嬉しい。

 しかし……、
 コメの在庫が少なかったらしい。
 値が上がりに上がった。
 今や、庶民には値が高くて、なかな
か口に入らない。

 こしひかり十キロで三千円ほどだっ
た相場が二倍あまりに急騰したのには
恐れ入った。
 
 「米を作ればいいのに」
 親せきの者がぶつぶつ言っていたよ
うだが、こちらの内情を知らぬのだか
ら、仕方ないことである。

 「作りたいのはやまやまですが」
 と、返したい。

 この年も天候不順だった。
 とりわけ四十度近い夏の暑さには閉
口した。

 野良仕事をやるにはやった。
 なりものは、じゃがいもを筆頭に少
しのニガウリとアスパラガスくらいの
ものだった。ほんのちょっぴり庭先の
畑に小豆をまいたが、鞘が出来たが、
実が全く入らなかった。

 何かが足りなかったんだと、空を仰
いでため息をついた。
 
 田んぼや畑での仕事。
 それはほとんど、鎌をつかんでの畔
の草刈りに終始した。

 空は荒れ模様。
 スコールのごとき豪雨にいくども泣
かされた。
 草は生え放題だった。
 
 この春、久しぶりに二反歩近い田ん
ぼの植えしろをかいてもらった。
 水をはって、水草程度なら保全する
のも楽だと思ったが、ほかの田んぼの
都合もあり、常時、側溝から水を得ら
れることができず、雑草も生えた。

 この秋、いちばん泣かされたのは稗
(ひえ)が田んぼに群れなして生えて
しまったこと。

 人間さまが食するに、不都合だが、い
のししや鹿にとって、ふさわしい食べ
物のようで、けもの道をいくつも作っ
て、歩き回った。

 田んぼがけもののための食堂になっ
てしまった。

 体調の都合もあり、草刈りをはじめ
るのに時間を要した。
 四か月我慢して、この時期に来てよ
うやく、草刈り機を使えた。
 
 あとは少しずつ、適当な日を選んで
燃そうと思う。
 
 「人間七十をすぎたら、いつなんどき
何があってもしょうがないんです」

 義父を診てもらった医師の言葉が脳
裏に強く刻まれている。

 からだの声に耳傾けて、これからの
日々を送りたいものである。
  
 嬉しいやら楽しいやら。
 そんなこともあった夏から秋だった。

 水をはった田んぼに生息したアメンボ
や水すまし、あっそれに、めだかさん。

 彼らは今、どうしていることだろう。
 来春もまた、会いたいものだ。 
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11月8日(金)晴れ。

2024-11-08 21:08:52 | 日記
 あとふた月もすれば、また一年歳をとる。
 喜ぶべきことか、それとも悲しむべきなことなのか。

 おそらく、長生きできたと喜ぶべきなのだろう。

 人も動物である。
 年老いて、あちこちガタが来る。
 今年はそのことを痛みをともなって、感じたことで
あった。

 おなかを少しだけ横に切らざるをえなくて、まな板
の鯉と同じ心の状態に置かれた。

 麻酔注射の針で、背骨辺りを、ふかく穿たれ、あや
うく、ぎゃっと叫びそうになった。

 「オペじゃないと、この病は治らないのですから」
 お医者さまのひと言に、
 「おまかせします」
 首を縦に振らざるをえなかった。

 まことにいい勉強になった。

 人は何があっても、生きるべし。
 前向きにすすむように、インプットされている。

 わたしよりずっと若くして病や事故でしかたなく鬼
籍に入った友が数多い。
 あの人も、かの人もと、時折、思い出しては、亡き
友と語りあうつもりになる。

 できるだけ、いいことばかりを想い出すようにして
いるが、うっかりすると、具合のわるい場面がこっそ
り、脳裏のスクリーンに映し出されて、あわてる。

 ああ、あんなことを言わなきゃよかった、しなきゃ
良かった。そうすれば今ごろは……。
 かの人ともっと縁がつながっていたかもしれないな
どと悔やむ。

 しあわせな人というのは、良いことばかりを憶えて
おられる方であろう。

 見方を変えてみる。
 亡くなった人は、果たして哀しんでおられるのだろ
うか。

 そんなことがわかるはずもない。
 あの世に逝って、戻ってこられた方などおられない
のだ。

 話がちょっと哲学的になる。
 生と死。あるとない。

 若い頃はどうも短絡的な傾向が強すぎてふたつの間に
ある「今、生きているぞ」という感覚がつかめない。

 この昼間、猫を庭先で観た。
 彼、または彼女は、日当たりを好んで寝そべっていた。

 わたしは主夫となって久しい。
 洗い物を干そうと、物干しさおに近づくのをためらっ
ていた。

 せっかく目を細めて日向ぼっこをしている猫があわれ
に思ったからだった。

 そうはいっても、いつまでも、かの猫のご機嫌をとっ
ているわけにもいかない。

 できるだけおどかさないよう、忍び足で干し始めたが、
猫はついとわたしの目が届かぬところに行った。
 日陰にもぐってしまった。

 その間、猫はさまざまに表情を変えた。

 わたしが猫になりたいと思うのは、こんな時である。

 もっともっとお金が欲しい。
 もっといい暮らしがしたい。
 等々。

 猫はそんなことに頓着しない。
 寒けりゃ、陽ざしの中で横たえたり、おなかが空けば、
飼い主の足にすりすりすればいいことなのである。

 平々凡々がいい。
 お猫さまから、そんな教訓をいただいた一日であった。

 生まれたからには、死ぬまで生きている。
 人生はそれほど冒険的で、波乱万丈ではないのだった。

 ただし、抗うことのできない事件や事故に遭遇するこ
とがある。 
 ええい、その時はその時だ。
 そう思うようにしている。

 しかしながら、決して自死すまいと考えている。
 自死は後生がわるいのである。

 精神を病んだすえに、えいやっと、列車や海にとび込
んだりするのである。
 正気じゃなかなか死ねないものだ。

 他人のことは言えない。
 わたしも死んだ方がましだと思ったことはあったが、い
ざとなると恐怖がまさった。

 今となっては、それで良かったと思っている。

 
 

 
 
  
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11月3日(日)晴れ。

2024-11-03 17:32:19 | 日記
 きのう二日は、あいにくの雨だった。
 しかし、近ごろのうつうとした気分を少し
なりとも晴らしてみたい。
 思いきって、車で外出した。
 久しぶりにカラオケでもと、行きなれてい
る下野市姿川のほとりのビニルハウスへ。
 だいたい十一時に着いた。
 これくらいの時刻に来ると、けっこう空き
がある。
 ふたつやみっつ歌えれば、御の字だと思い
直売所うらのハウスへ向かう。
 受付の女の方に、
 「きょうはカラオケはどうですか。営業な
さってますか」
 と訊く。
 はいの返事を聞いてほっとする。
 入場料は二百円。
 一枚一枚ていねいに縦ひとすじの穴に差し
入れた。
 戸外に通じるドアをざっと開けると、雨の
音にまじって、誰かの野太い歌声が耳に入っ
た。
 傘をささずに走ろうと思ったが、年老いた
身、風邪でもひいたらと、傘のほねがいくつ
か折れ、きわめてあつかいにくくなってしまっ
た古傘の心棒に付いたでっぱりを見つけて、親
指で押した。
 ばさりと開いた。
 「やれやれ、お前さんも年老いたのだね。きょ
うもありがとうね」
 使い古した傘にむかって、声をかけた。
 なんとか傘の用を果たし、ハウスの入り口
まで着くことができた。
 わたしを入れて、男ばかり三人。
 リモートの器械をあつかうのが上手な方ば
かりで、それぞれの十八番(おはこ)を、順
番に唄った。
 まるでコンテストのよう。
 おらのほうがうまいぞ。
 言わんばかりの歌いっぷりである。
 女の方はどうかわからないが、男は競争心
が旺盛である。
 これはうまいぞ。
 そう感じる方がおられた。
 わたしはときどき来るだけだから、同じ方
を二度お見かけすることはまれである。
 聴いたことがない男歌を唄われていた。
 「お上手ですね。味わいのあるいい歌を唄わ
れる。若い頃より相当、練習を積んでこられ
たのが、よくわかりますよ」
 とほめた。
 「鳥羽一郎さんのお子さんが歌っておられる
のです。そちらは五木さんの歌ですね」
 「はい、そうです」
 すぐわきを流れる姿川。
 まる一日降った雨で、濁流に勢いがある。
 白鷺が一羽、川面の上をすうっと通り過
ぎて行く。
 際立つ白さが、あたりの景色を、一枚の
絵に仕立て上げた。
 お昼を過ぎるころには、人が増えてきた。
 女の人が何人も増えた。
 この方はどんな声で、どんな歌をやられ
るのだろう。
 胸がわくわくした。
 しかし、しかしである。
 ビニルハウスはあちこち隙間があり、冷
たい空気が内に入り込んでくる。
 いずこにもストーブがない。
 足もとが冷えて来たので、宇都宮の老人
福祉センターに立ち寄り、風呂につかろう
と、失敬することにした。
 カラオケは趣味というより道楽だが、同
じ道楽の方とおしゃべりすることができる
のでうれしいものである。
  
 
 
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われに恩師ありき。 

2024-10-21 21:23:12 | 随筆
 長年生かせていただいていると、実にさまざまな
憂き目にあう。

 若い頃より恩師としてあがめた方が、ふいに身ま
かられた。

 (すでに九十才を超えられている。この先何がある
やもしれぬ……。その時は決して驚いたりあわてた
りするまい)

 こころの底では、そう思っていた。

 しかし実際、ぐいとその事実を突きつけられると、そ
んな気持ちがあっけなく崩れ去ってしまった。

 「夫がなくなりました。あなた様には大変お世話にな
りました。葬儀の日程は…」

 呼び出し音四回のあとで、そう、留守電にしたためら
れた恩師の奥様の言葉に愕然とする。

 このところ変な電話が多いせいで、迷惑防止装置を付
けたり、もっぱら留守電にしている。

 丁重に話されてはいるが、ご自分の感情があらわにな
らぬよう、必死に理性で抑え込んでおられるご様子が伝
わってくる。

 恩師の塾を退いてから、もうかれこれ三十年になる。

 何をなすべきか。
 わたしはためらったあげく、みずからの気持ちに正直
に動くことにした。

 わたしはすぐにコールバックし、受話器をとりあげて
くれた男性に、
 「今からすぐに訪ねてよろしいでしょうか」
 と問うた。

 彼の声に覚えがあった。
 「はい、どうぞ」
 長男さんのMに違いなかった。

 おおむね、この辺りでは、自治区がいくつかの班に分
かれていて、一戸一人、不祝儀の際は参加することになっ
ているが、恩師家族の現住所はもう数十年前に、都内に
移されている。
 だから、飛脚さえ、人任せにできなかった。

 恩師の子どもは、男ひとり女ふたり。
 K市に住まわれている、恩師の旧友のO氏の援助がある
ものの、重々しく、葬儀の際の負担が、彼らにのしかかっ
てきた。

 件の三人はわたしのかつての生徒。
 わたしは四十代半ばまで、恩師が経営される学習塾で主
に数学を任されていた。

 「お父さんがたいへんなことになって……」
 わたしが言うと、
 「はい。K先生にはお世話になりました」
 と気丈に答えた。
 「お母さんは……?」
 そう尋ねたが、しばらく誰の返事もない。

 (この際は誰しも平常心ではいられぬもの。知り合いの声
を聞いただけで、こらえていた感情があらわになってしまう) 
 奥様は逡巡されておられる。おそらくそのせいで……。

 「K先生。父が父が、お世話になって……」
 Mくんにつづいた女性の声は若々しいものだっ
た。
 はて、こんな声の持ち主がご家族におられたのやら、とし
ばし考えているうちに、電話の主が自ら名前を告げられた。
 合点がいった。

 「母は……」
 「そうだろね。行ってもいいかい。今から?」
 「お願いします」
 
 自分の身体の都合など考えてはいられない。
 わたしはわっとばかりにマニュアルの軽キャブに向かって
走り出した。
 
 数日後の本葬はさびしいものだった。
 参加者から親せき連中を差し引きすると、残りはたったの
数名。
 わたしがその中に含まれていた。

 最初の東京五輪が済んでまなしに、恩師はK市で学習塾を
始められ、このたびの新型コロナの大流行が始まる前まで、
粘り強く授業をつづけられた。

 生徒数はのべどれくらいだろう。
 わたしは正直、落胆した。

 一介の私塾とはいえ、人を集めていろんな道筋を、必死の
思いで、示して来たわけである。
 
 卒塾生のそれぞれの人生にさまざまなことがあったろう。

 しかし、しかしである。
 恩師の想いが伝わらなかったはずがない。
 そう信じたい。

 かつての生徒は、S新聞のおくやみ記事を見て、さまざまな
感慨にふけられたはずである。

 なにはともあれ……。
 
 麻屋与志夫氏へ
 
 あなたがこれまでに、わたしにかけてくださった言葉を宝物
として、残された人生をあゆんでいくつもりです。
 
 
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わっとか、あれっとか……。

2024-10-18 15:36:44 | 随筆
 「生まれてくれてありがとう」
 両腕でしっかりと体を抱えながら、わたしは縁の
できた幼子に声をかけつづけた。

 どれくらい経ったろう。
 いく度目かの来訪のとき、彼女のまなざしが実に
活き活きとしているのに気づいた。

 わたしの発する音声に意味は見いだせないだろう。
 だが、しっかりと聴き入っている様子。

 彼女の小さな頭の中で、何がどんなふうに動いて
いるか知れない。

 可愛さの増したつぶらな瞳に出会ったとき
 「この子はおしゃべりするのが早いぞ」
 と思った。

 何事によらず、人はわっとかあっとか、びっくりす
るべし。

 以来、わたしはそう思うようになった。

 それがもっとも大切じゃなかろうか。

 そんな感情をともなわないところでは、目の前の対
象を、しっかりと究明しようとする
 意気込みが出てこないのではあるまいか。

 たとえば我が家の農業課題。
 土の日が近づくばかりのわが身体。
 それに鞭打って、粉骨砕身の日々だが……。田畑を
耕したり、雑草除去に励んだり。

 ある日の昼下がり、
 「こんにちは。何やってるんですか」
 ふいに女の人らしい声がした。

 草刈りに励んでいたわたしは顔を上げた。
 一目見ても、その人が誰やらわからない。

 髪の毛を薄ピンクに染めている。
 ぎょっとして、わたしは相手の女性が気にするのも
かまわず、彼女の顔を凝視した。

 (あっ、どこそこのだれだれさん……)

 彼女のまなざしからようやく、彼女の正体が知れた。

 「あっ、どこのアメリカじんさんかと思ったよ」
 
 わたしは、彼女が園児時代から知っている。
 今では五十がらみになった女性に、冗談交じりの返
事を投げかけた。

 今までに一度も、かように彼女とフランクにしゃべ
れたことがなかった。

 他人様やら、彼女の子どもたちやら……。
 まわりに人がいては緊張してしまう。

 それに場所が場所。
 だだっ広い田んぼの中だったから良かった。

 「ああ、あの時、小学生だったあの子。彼女は今、ど
うしてる?」

 「……あっ、あの子ね。二番めの子はしっかり勉強し
てね、栃女に行ってくれたんよ」

 心置きなく、彼女もしゃべれたのだろう。

 わたし自身、いつの日か、彼女と忌憚なくおしゃべり
してみたいものだと願っていた。

 念ずれば通ず。
 そのことを意識した瞬間だった。

 わがグランドドーター(孫)の話にもどる。

 おそるおそる両腕に抱えた女の子は、もはや小学校に
通っている。

 小さな口から言葉らしき音が出始まったころ、彼女の
ふた親はびっくりしたらしい。

 何やらわからないが、とにかく、ぺちゃくちゃとやり
だしたらしい。

 わが気持ちやら、願いやら……。
 こちらのさまざまな熱い想いが、まるでほっこりした
毛布の如く、彼女を包み込んだのだろう。

 ましてや他人さまの子たちとなれば、こちらの必死の
想いなくして、かれらのこころを、ゆり動かすことなど
できようはずがない。
 
 もとえ、  
 「なんとかして田んぼや畑と向き合ってはくれまいか」

 熱い想いで、そうわが息子たちに話しかけたい。

 

 
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