油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

手ぶり地蔵。

2024-01-31 15:42:36 | 小説
 その日の朝、辺りは霧でおおわれていた。
 ルル、ルルルルルルッ。
 ふいに軽トラックらしいエンジン音がA子の耳に入った。

 A子は小学四年生。 
 こころ穏やかではいられない。
 およそ五百メートル先に竹林がある。
 車はその向こうを走っているらしい。

 竹林の外れに小さな交差点がある。
 とても見通しがわるいのだが、トラックは減速しそうにない。

 A子の胸に不安がよぎる。
 節分をいく日も過ぎた、ある日のことである。

 A子は菜の花を摘もうと家を出てあぜ道を歩いた。
 (速すぎるわ。あれじゃあぶない。運転手さん知らないのかしら。
あの交差点。このままじゃ事故になるわ)

 農道に出たとたん、A子の目の前を霧をかきわけるようにして貨物
車が通り過ぎた。
 T私鉄の踏切で警告音が鳴りだすと、いったんその車がとまった。
 しかしまた走り出した。

 軽トラックの目の前に紅い毛糸の帽子をかぶった男の子がとびだし
て衣服の袖からほっそりした腕をつきだすと、思い切り両手を振りだ
した。

 宅配の運転手らしい中年の男は、急いでブレーキをかけた。
 危うくその子ははねられるところだった。
 「やめてくれ。車の前にとびだすのは、お願いだからさ」
 「わかりました。もうしません」
 「みょうに素直だねえ」

 男の子はこくりとうなずく。
 「おじさん、おじさん。かわいい女の子が心配してるよ」
 「ええっ、なんでどうして、その子どこにいるの?心配なのはだれだ
ろ。ぼくじゃないのかなあ」

 「うん、そうだよね」

 「わかってるんだ。変な子だねえ」
 「そんなにいそがないほうがいいですよ。いくら出がけに奥さんとけ
んかしたってね。ゆっくり走ってよ。霧が濃いしね。この先、見通しの
わるい四つ角があるんだ。角のひとつに建物が立ってるし」

 運転手は驚いた。
 「へえ、そうなんだ。教えてくれてありがとう。ところでぼくはこの
辺の子?」
 「うん、まあそう」

 「うん、まあそうって、なんか変だな」
 「いいじゃない、おじさん。注意してあげてるんだから」
 もっと男は怒りたいところだが、なぜか怒れないでいる。

 「そうかい。ぼくにこれあげるよ」
 「なあに、この黄色い箱?」
 「おじさんが小さいころから好きなキャラメルだぞ。とってもおいしい
んだ」
 「ふうん、そうなんだ」

 赤い帽子に灰色のちゃんちゃんこ。
 今どきの子にしては、いでたちがおかしい。

 しばらくしてA子が竹林わきを通りすぎた。
 (あんなにあぶなかったのにね、よくもまあ、なあんにもなかったこと。
お地蔵さまのおかげかしら?)

 七体の地蔵さまがほほ笑んでいる。
 霧がすっかり晴れた。
 A子は地蔵像のひとつの前にしゃがみこみ、手を合わせた。

 「あれれ?この子だけのキャラメル。なんか不公平。ひとつひとつ、みん
なに分けてあげようっと」
 鼻歌交じりでキャラメルを配りだした。
 (了)

 
 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする