油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

ポケット一杯のラブ。  (5)

2024-03-23 10:00:31 | 小説
 局勤めは、裏門からの決まり。
 まっすぐ前を見ると、車庫に原付自転車が
いくつか並んでいるのが見える。
 
 神さまお願い、きょうこそ、仕分けや配達
の仕事がうまくできますようにと、目をつむ
りたくなる瞬間だ。

 「ちぇ、こんな時でも、いつもの癖が出て
しまう。ああ、びくびくすんなよ。今は、M
子の忘れ物を取りに来ただけなんだから」
 Yは、われとわが身をいたわる。

 中学生の二週間にも満たない社会勉強であ
るにもかかわらず、気を遣う。
 本当の職員さんの気遣いは、真剣勝負といっ
たところだ。

 しかし、このところ、局に、お客さんから
のクレームが多い。
 主に、配達にかかわる不平不満。

 「もう、日にちがかなり経っているのに、相
手から返事が届かない。急を要したから速達
で頼んだのに、一体どうなっているのですか」
 「すみません。調べた上で、すぐにお返事
さしあげます」

 局長は受話器を置くなり、ぐっと唇をかみ
しめる。
 すぐには顔を上げられない。
 視線の先にいる職員が気の毒だからだ。

 こんなことは、郵政省の時代にはめったに
なかった。
 職員は公務員として優遇されていから、彼
らは自らの仕事に誇りを持っていた。
 問題はしばしば民営化後に起きた。

 人手をどうするかで、同業他社との競争に
巻き込まれた。
 やっと、人員がそろっても、なかには配達
途中で配るのがめんどうになり、手元にある
手紙や封筒をごそっと人の目の届かないとこ
ろに置いてしまったりする。

 すべての配達人がそうではないが、ひとり
でもそんなことをすると、局の威信が即座に
傷つく。

 郵政省の時代でも、ひとつやふたつの不祥
事なら、起きていた。
 職員とて人間、弱き者である。
 何らかの理由で、追い詰められると、金銭
を自分のふところに入れようとする。

 「すわっ、公務員たるものがなんとまあ」
 業務上横領の罪で、手錠をかけられ、警察
署に連行されていくのを観るのは、A局長に
とって耐えられないものだった。

 A局長は、毎朝、正職員のみならず、アル
バイトやパート職員にも、心のこもった訓示
をする。
 仕事にたずさわる人それぞれの善意に頼る
しかないのである。

 配達物を入れたり、出したり。車庫わきに
コンクリートで出来た棚がせり出している。
 ぼんやりしていたYは、そのコンクリ棚の
左側にある階段をのぼろうとして、右足を踏
み外した。

 右足のすねをしたたか打ち、うずくまる。
 痛むが決して声をあげない。
 この癖も、子ども時代からのものだ。
 泣けば、祖母に気づかれる。
 「あなたが注意してないから悪い」
  Yの母はいつだって、そのように彼女に
叱られた。

 「どうしたの、Yくん。M子さんを見送り
に行って来たの?」
 Yは、上司のS子の優し気な声を聞き、涙
がこぼれそうになった。
 「忘れ物したんだって。洗い場に置き忘
れたかもって……」
 顔をあげずに、Yはやっとの思いで、そう
答えた。

 どれくらい時間が経っただろう。
 「ほらこれ。このまま、M子さんに渡しな
さいね」
 Yは、郵便局のマスコットキャラが描かれ
た大きな紙袋を手渡された。
 「はい」

 その口が一か所、ホッチキスでとめられて
ある。好奇心がわいてきて、Yは、その中を
そっとのぞいた。

 何やら地味な布地の入れ物。口のところが、
ひもで結んである。
 (何やらいっぱい詰まってるみだいだな)
 と、いぶかしんだ。
   
  
 
 
 
コメント (3)
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