T県、K市。
この街の北西部の高台に遊園地がある。
あえて名は告げない。読者諸氏がお調べ願
いたく、できれば訪ねていただきたいと思う。
観覧車があったり、子どもが喜ぶようなチ
ンチン電車を走らせている。
以前より市当局はこの街の知名度を上げよ
うとあちこちに働きかけていて、おかげで新
垣結衣さんが出演した青春映画のロケが行わ
れたりした。
ほかにも、この市としばらく前に合併なっ
た山深いA町には、今もなお、木造校舎が保
存されていて、やはり映画やテレビの宣伝に
利用されたりしている。
くだんの遊園地。
現在は乗り物料金も格安で、町の人々のかっ
こうの遊び場になっている。
その昔、四十年ほど前のことだが、我が子
を連れ、いくども、その遊園地、おっと公園
といった方がいいだろう。
K市で運営しているものである。
当時、その公園の片隅で、うさぎに猿それ
に鹿を見ることができた。
子どもは大の動物好き、嬉々としてそれら
を見物した。
ところが次第に課題が目に付くようになっ
ていった。猿やうさぎはかずが少なかったり、
個体が小さかったりで、それほど飼うのに世
話はかからない。
しかし、鹿の世話が大変だった。
数十頭はいたろう。
どこからか流れ込んでいるのだろう。飼育
場の土を水が濡らしたからたまらない。鹿
たちはますます住みづらくなった。
この市は小さな盆地を形づくっているとこ
ろに、古くから人々が集まって住みつくよう
になった。
北へ行けば行くほど山が深くなり、果ては
足尾や前日光の山々、男体山や女峰連山を越
え上州や越後へとつづく。
熊やいのしし、鹿や猿などといった、いろ
んな動物が生息している。
K市を例幣使街道がつらぬく。
近ごろ世界遺産に指定されたのを、読者諸
氏もご存じだろう。
樹齢四百年にもおよぶ、杉の古木が街道の
両脇にご老体よろしく、やっとこ突っ立って
いるありさまは見ていて、年老いたわたしは
同情をもよおす。
17世紀の初め、第三代征夷大将軍、徳川
家光は日光に祖父、家康公の墓地を造った。
以後、このあたりは関八州の名の通り、将
軍家直轄となった。
諸国の大名が行列をつくり、必要に応じて
家康の墓地に参拝することが義務付けられた。
おかげで街道筋にところどころに、大きな
宿場町ができた。
将軍家のおひざ元、取り締まりは特に厳重
だった。武蔵、相模、下野、上野、下総、上
総、安房、常陸。
広すぎて、監視が隅々まで行き届いたかど
うか疑問である。
いつしか、K市が位置する土地に、さまざ
まな人たちが移り住んだ。
今もなお、東照宮で眠り猫を彫った人物が、
屋台に刻んだといわれる彫刻が現存している。
小生にとっても、K市は異郷の地。
しかし、そのえにしは深い。
ありがたき人との出会いがあった。
この街の子どもたちと共に二十年弱、勉学
に励んだ。
そのことがわが人生の宝物である。
K市のこれからの発展と、ここに住む人々
の多幸を祈りたい。
この街の北西部の高台に遊園地がある。
あえて名は告げない。読者諸氏がお調べ願
いたく、できれば訪ねていただきたいと思う。
観覧車があったり、子どもが喜ぶようなチ
ンチン電車を走らせている。
以前より市当局はこの街の知名度を上げよ
うとあちこちに働きかけていて、おかげで新
垣結衣さんが出演した青春映画のロケが行わ
れたりした。
ほかにも、この市としばらく前に合併なっ
た山深いA町には、今もなお、木造校舎が保
存されていて、やはり映画やテレビの宣伝に
利用されたりしている。
くだんの遊園地。
現在は乗り物料金も格安で、町の人々のかっ
こうの遊び場になっている。
その昔、四十年ほど前のことだが、我が子
を連れ、いくども、その遊園地、おっと公園
といった方がいいだろう。
K市で運営しているものである。
当時、その公園の片隅で、うさぎに猿それ
に鹿を見ることができた。
子どもは大の動物好き、嬉々としてそれら
を見物した。
ところが次第に課題が目に付くようになっ
ていった。猿やうさぎはかずが少なかったり、
個体が小さかったりで、それほど飼うのに世
話はかからない。
しかし、鹿の世話が大変だった。
数十頭はいたろう。
どこからか流れ込んでいるのだろう。飼育
場の土を水が濡らしたからたまらない。鹿
たちはますます住みづらくなった。
この市は小さな盆地を形づくっているとこ
ろに、古くから人々が集まって住みつくよう
になった。
北へ行けば行くほど山が深くなり、果ては
足尾や前日光の山々、男体山や女峰連山を越
え上州や越後へとつづく。
熊やいのしし、鹿や猿などといった、いろ
んな動物が生息している。
K市を例幣使街道がつらぬく。
近ごろ世界遺産に指定されたのを、読者諸
氏もご存じだろう。
樹齢四百年にもおよぶ、杉の古木が街道の
両脇にご老体よろしく、やっとこ突っ立って
いるありさまは見ていて、年老いたわたしは
同情をもよおす。
17世紀の初め、第三代征夷大将軍、徳川
家光は日光に祖父、家康公の墓地を造った。
以後、このあたりは関八州の名の通り、将
軍家直轄となった。
諸国の大名が行列をつくり、必要に応じて
家康の墓地に参拝することが義務付けられた。
おかげで街道筋にところどころに、大きな
宿場町ができた。
将軍家のおひざ元、取り締まりは特に厳重
だった。武蔵、相模、下野、上野、下総、上
総、安房、常陸。
広すぎて、監視が隅々まで行き届いたかど
うか疑問である。
いつしか、K市が位置する土地に、さまざ
まな人たちが移り住んだ。
今もなお、東照宮で眠り猫を彫った人物が、
屋台に刻んだといわれる彫刻が現存している。
小生にとっても、K市は異郷の地。
しかし、そのえにしは深い。
ありがたき人との出会いがあった。
この街の子どもたちと共に二十年弱、勉学
に励んだ。
そのことがわが人生の宝物である。
K市のこれからの発展と、ここに住む人々
の多幸を祈りたい。
誰にでも、一生忘れられないような愛着のある土地があるー、油谷様にとっては、その公園がそうなのかなと感じながら拝見しました。