それから二十年あまりのうちに、K市の台
地の目ぬき通りに面する店が、ファミレスは
いうに及ばない。業種を問わず、次から次へ
と変わっていった。
床屋さんも例外ではない。組合に入ってい
るからと、昔ながらのやり方に安住している
と、時代に取り残されてしまい、お客がさっ
ぱり来なくなってしまうありさまになった。
地域の住民が次々に代替わりし、若い人の
意向が大きくなってきていた。
若者らしい発想や考えに同調できずにいる
と、捨て置かれてしまうのである。
医院とても、例外ではない。見立てが良い
とかわるいとか、それは開業医としては当然
のこと、単に、人当たりがいいとか、子ども
に優しく接してくださるとかが人気ポイント
となる。
学習塾にしても、そうである。
創立五十年、ずっと専業でがんばっていま
すが、通じなくなった。
A塾ほど、英才教育をほどこすのに理想的
な学習塾はほかにはないと、Kは思う。
だからといって来るものは拒まない。その
方向性で一貫してずっとやってこられた。
Kもそのやり方を、彼なりに踏襲、こころ
の中では、僭越ながら、A塾の姉妹校だと自
認していた。
「わかる人には、わかる」
それが通じなくなってしまった。
わかる人がK市から、どんどん立ち去って
行ってしまったのである。
またまた二十年近く経った現在では、どん
どん文化レベルが低くなり、今では県都U市
の目抜き通りで時折見受けられるごとく、漫
画のヒーローやヒロインがパレードをする。
それらを、老いも若きも、人々がスマホを
高くかかげる。
そんな事態に立ち至っている。
自分で考えたり、本を読んだりするのが大
のにがて。
テレビやスマホ画面だけを頼りにしていて
は、なんとか食ったりのんだりして暮らして
いくことはできようが、それだけじゃサルだっ
てできる。
人間は考える葦。そのはずである。
「Kさん、久しぶりですね」
不意に呼びかけられ、Kは戸惑い、声のぬ
しを目で追った。
陽ざしの暖かいある春の日。Kは花木セン
ターに遊びに来ていたのである。
まわりの状況がふわりと浮かび上がる。
テーブルの上には白い手拭きとともに、湯
気の立つコーヒカップがひとつ、小さなスプ
ーンと細長い砂糖入れ袋ひとつ、白いプレー
トにのっているだけだ。
それらは先ほど、若いウエイトレスが運ん
で来てくれたもの。
Kはそう思い、目を細め、カウンターのわ
きに立っている人物を、まじまじと見た。
桜色のスカートをはいたり、肌着の透けそ
うな上着を身につけている。ブラの紅さが年
老いたKの生へのエネルギーに火をつけそう
なくらいである。
Kの興味本位の視線に気づいたのか、その
人物が口もとをわずかに動かした。
目に怪しいまでの妖艶さが浮かぶ。
(ひょっとして、おとこの……)
Kのこころの動きを察したのだろう。
不意にその人物の立ち姿勢がくずれた。
胸の大きさはごまかせようが、腰まわりは
いかんともしがたい。
見てはいけないものを観たと思い、あわて
てKは首を横に振った。
ひとりの年輩の男性が目を大きく開け、親
し気なまなざしでKの目の前に立った。
ウエイトレスが見えなくなった。
Kは顔をあげた。
彼の頭髪はなかば白くなっていて、目じり
に小じわがいくつもある。うわずえは百八十
くらいだろうか、猫背加減に上体を前に倒し
ている。
その男のふくみ笑いが、Kを、昔の想い出
の中にいた一人の友の像を、あざやかに蘇ら
せた。
「ひょっとして、M男さん?二十年は経っ
てますよね……」
彼はうんうんと大きく振る。
「そう……」
(今やもう五十がらみになってるよな)
KはM男と視線をからませてから、給仕の
ため、カウンターわきに立っている人物を
盗み見た。
とたんにM男はにやっと笑う。
(とにもかくにも親愛の情を……)
Kは立ち上がり、握手しようと、両手を
M男に向かって差し出した。
ウエイトレスらしい人物が再び動いたの
はその時だった。
高めのヒールですが、我慢してはいてい
ます、といったような足取りで歩いて来て、
Kのテーブルの上に白い大きめの深めの皿
を置いた。
「良かったら、どうぞ」
嘘をつかない、自身の声音である。
(やはりな……)
M男のお得意だったカレー&ライス。
「久しぶりにごちそうになるかな」
Kは、次々にスプーンですくっては、口に
運んだ。
「おいしい、おいしい。味はまったく変わ
りませんね」
思わず、顔をほころばせて言った。
(まあ、人生、いろいろあるさな)
どんな形でもいい、昔なじみのM男がまじ
かにいる。
そのことに、Kは感動をおぼえていた。
(了)
地の目ぬき通りに面する店が、ファミレスは
いうに及ばない。業種を問わず、次から次へ
と変わっていった。
床屋さんも例外ではない。組合に入ってい
るからと、昔ながらのやり方に安住している
と、時代に取り残されてしまい、お客がさっ
ぱり来なくなってしまうありさまになった。
地域の住民が次々に代替わりし、若い人の
意向が大きくなってきていた。
若者らしい発想や考えに同調できずにいる
と、捨て置かれてしまうのである。
医院とても、例外ではない。見立てが良い
とかわるいとか、それは開業医としては当然
のこと、単に、人当たりがいいとか、子ども
に優しく接してくださるとかが人気ポイント
となる。
学習塾にしても、そうである。
創立五十年、ずっと専業でがんばっていま
すが、通じなくなった。
A塾ほど、英才教育をほどこすのに理想的
な学習塾はほかにはないと、Kは思う。
だからといって来るものは拒まない。その
方向性で一貫してずっとやってこられた。
Kもそのやり方を、彼なりに踏襲、こころ
の中では、僭越ながら、A塾の姉妹校だと自
認していた。
「わかる人には、わかる」
それが通じなくなってしまった。
わかる人がK市から、どんどん立ち去って
行ってしまったのである。
またまた二十年近く経った現在では、どん
どん文化レベルが低くなり、今では県都U市
の目抜き通りで時折見受けられるごとく、漫
画のヒーローやヒロインがパレードをする。
それらを、老いも若きも、人々がスマホを
高くかかげる。
そんな事態に立ち至っている。
自分で考えたり、本を読んだりするのが大
のにがて。
テレビやスマホ画面だけを頼りにしていて
は、なんとか食ったりのんだりして暮らして
いくことはできようが、それだけじゃサルだっ
てできる。
人間は考える葦。そのはずである。
「Kさん、久しぶりですね」
不意に呼びかけられ、Kは戸惑い、声のぬ
しを目で追った。
陽ざしの暖かいある春の日。Kは花木セン
ターに遊びに来ていたのである。
まわりの状況がふわりと浮かび上がる。
テーブルの上には白い手拭きとともに、湯
気の立つコーヒカップがひとつ、小さなスプ
ーンと細長い砂糖入れ袋ひとつ、白いプレー
トにのっているだけだ。
それらは先ほど、若いウエイトレスが運ん
で来てくれたもの。
Kはそう思い、目を細め、カウンターのわ
きに立っている人物を、まじまじと見た。
桜色のスカートをはいたり、肌着の透けそ
うな上着を身につけている。ブラの紅さが年
老いたKの生へのエネルギーに火をつけそう
なくらいである。
Kの興味本位の視線に気づいたのか、その
人物が口もとをわずかに動かした。
目に怪しいまでの妖艶さが浮かぶ。
(ひょっとして、おとこの……)
Kのこころの動きを察したのだろう。
不意にその人物の立ち姿勢がくずれた。
胸の大きさはごまかせようが、腰まわりは
いかんともしがたい。
見てはいけないものを観たと思い、あわて
てKは首を横に振った。
ひとりの年輩の男性が目を大きく開け、親
し気なまなざしでKの目の前に立った。
ウエイトレスが見えなくなった。
Kは顔をあげた。
彼の頭髪はなかば白くなっていて、目じり
に小じわがいくつもある。うわずえは百八十
くらいだろうか、猫背加減に上体を前に倒し
ている。
その男のふくみ笑いが、Kを、昔の想い出
の中にいた一人の友の像を、あざやかに蘇ら
せた。
「ひょっとして、M男さん?二十年は経っ
てますよね……」
彼はうんうんと大きく振る。
「そう……」
(今やもう五十がらみになってるよな)
KはM男と視線をからませてから、給仕の
ため、カウンターわきに立っている人物を
盗み見た。
とたんにM男はにやっと笑う。
(とにもかくにも親愛の情を……)
Kは立ち上がり、握手しようと、両手を
M男に向かって差し出した。
ウエイトレスらしい人物が再び動いたの
はその時だった。
高めのヒールですが、我慢してはいてい
ます、といったような足取りで歩いて来て、
Kのテーブルの上に白い大きめの深めの皿
を置いた。
「良かったら、どうぞ」
嘘をつかない、自身の声音である。
(やはりな……)
M男のお得意だったカレー&ライス。
「久しぶりにごちそうになるかな」
Kは、次々にスプーンですくっては、口に
運んだ。
「おいしい、おいしい。味はまったく変わ
りませんね」
思わず、顔をほころばせて言った。
(まあ、人生、いろいろあるさな)
どんな形でもいい、昔なじみのM男がまじ
かにいる。
そのことに、Kは感動をおぼえていた。
(了)
時代と共に、街は変わっていきますね。
私も今日21年ぶりにマンションに戻ってきた友人と久しぶりに話しました。
その人は浦島太郎だと言っていました。
昔とは全然違うと。
そこに住んでいると、変化に気づかないものだと思いました。
そして、今日は我が家もカレーライスです。
いつもありがとうございます。