我にことばあり

2024-12-13 10:38:11 | 日記
 12月13日です。今年もあとわずかとなりましたが、自分のカレンダーも、、と思える日々です。もうすぐ厳寒という予感はありますが、なぜか小春が続きます。

 身体を追い込むようなトレーニングをするわけでもなく、マイコースの季節の移ろいを楽しみながら、歩くようなジョグを続けています。
11月中旬から、継続的なスロージョグを始めて、累計200kmに届きますので、そろそろ2月のフルに向けて強度を上げようかと思っています。金哲彦さんの『マラソン100日練習メニュー』を改めて参照しているところです。
 
 河畔公園では、土の上を走れるところがあります。

落ち葉を踏みながら。

保育園の子供たちの声を聞きながら。


 水面での鳥の漁撈を観戦しながら。サギより、この黒い方が上手です。シューっと潜っては小魚をくわえてきます。



 さて、12月8日は「真珠湾攻撃」の日でした。
爺さんには、もう一つの12月8日。先日、福岡市天神に出かける用があり、ついでにひさしぶりに古書店「入江書店」に立ち寄りました。『土屋文明百首』がありました。平成2年刊、定価2000円が700円でした。

 
 1990年(平成2年)12月8日に、満100歳で亡くなった歌人、土屋文明の生涯1万2千余首から、そのお弟子さんアララギ会員百人が一人一首分担して、解説と鑑賞を試みた”百人一首”です。現代歌人永田和宏は、「理性の人」と評していますが(岩波新書『近代秀歌』)、まさにその高潔かつ強靭な精神には惹かれるものがあります。

 垣山にたなびく冬の霞みあり我にことばあり何か嘆かむ  昭和20年

 グータラ爺さんは、寝床の中で寝落ちするまでに一首の解説を読むのであります。この本は、解説を書いた100人の方の人生もほの見えて、それもまた興味深い。
 では。年賀状を書かなくちゃ。
 

知らぬ犬

2024-12-04 13:41:47 | 日記
 早くも12月4日です。

        知らぬ犬はしりより来て秋の暮      久保田万太郎

 ブログネタが見当たらない時の定番。『久保田万太郎俳句集』より一句。ようやく秋色のマイコースをトボトボと歩くような速度のジョグを続けております。グータラ娘もこのとおり、まったく何事もございません。


 マイコースの模様。


 
 冬鳥が遊んでおります。



 那珂川河畔公園は、ワンちゃんたちにとっても絶好の散歩コースでありますので、トボトボ爺さんにしっぽを振ってくれる子もいます。
 この秋のマラソンシーズンは棒に振ってしまいましたので、来春に望みをつないでおります。まずは、フルマラソンの時間内完走を。2月16日の「北九州マラソン」、3月23日の「さが櫻マラソン」、どちらも制限時間6時間です。目標は、どちらかを完走すること。
 その前にハーフマラソンで気合い入れをと、1月13日「伊万里ハーフマラソン」にエントリーしましたが、エントリーした後に要項を見ますとなんと、制限時間が10分短くなっている! 今年は、2時間半でギリギリ完走したのに、制限時間が2時間50分から、2時間40分に短縮だと。ゲッ。

 走れるのかなぁ。

喜寿の旅行

2024-11-24 11:18:07 | 日記
 11月24日です。朝晩はめっきり冷え込むようになりましたが、秋らしい秋には出会えずじまいのようですね。  11月15~16日、故郷の幼馴染たちと「喜寿のお祝い旅行」へ行ってきました。  同級生65名のうち、死亡14人、住所不明4人、返信無し6人。差引41人のうち参加者22名でした。すでに島には親類縁者の無いものには連絡がつきませんし、返信なしの人の事情はわかりません。本人、家族が療養中など、欠席者の事情は誰かが知っているようです。 宴会前の記念写真です。もう77歳ですから、顔を見せても大丈夫でしょう。  この「同年寄」(どうねんより)は、ふるさとの慣習で、33、44、60(還暦祝い)、70(古希祝い)、77(喜寿祝い)と、それぞれ数え年でやるようになっています。還暦、古希は、翌年にはハレの旅行があります。思い出の写真です。なぜか33の時の写真が手元にありません。 44賀。小学校の担任の先生3方を招いて、宗像大社中津宮の社前で。 還暦。同じく中津宮での記念写真。島の人たちも集まってくれて、餅まき。 島中をパレードして、宴会場の旅館から餅まき。 翌年、ハレの旅行は、指宿温泉と開聞岳。 古希の祝宴は、一足先に帰ったので、フェリーまで見送りに来てくれました。  故郷の慣例では、お祝い行事は喜寿祝い迄で、これで終了です。  こういうのは、故郷に残って漁師をやっている友が、しっかりとまとまって世話してくれているからで、他の学年では、なかなかむつかしいと聞きます。  あと三年、頑張って生きて、傘寿(80)にも集まろうと約束しました。次は、町の人でやって!と、幹事を仰せつかりました。  帰路、宗像大社辺津宮に参拝、お祓いを受けて、神湊の寿司屋さんで昼食、解散でした。  今日は、「橘湾岸スーパーマラニック」の最終日、みなさん、小浜のゴールを目指して雲仙温泉を越えている頃でしょう。また、行きたいなぁ。爺さんは、今から「クイーンズ駅伝」をTV観戦です。では。

波もこえなむ

2024-11-10 16:30:31 | 日記

11月10日(日曜日)です。3週間のお休みでした。

10月29日から、11月5日まで、川崎市の次女宅で家事手伝い。孫1号と多摩川河川敷でバッタ狩りに付き合ったり(植生が生息にかなっていないらしく捕獲無し)のんびりとしておりました。

11月6日 仙台へ。亡き婿殿のご両親の墓参。

実は、11月3日「東北みやぎ復興マラソン」にエントリーしていたのですが膝故障が長引きDNS。あわせて予定していた仙台市立いずみ墓園へ。

郊外なので仙台駅前からレンタカーを借り、泉区経由で塩釜へ。松尾芭蕉「おくの細道」の旅です。塩釜神社へ参拝。

『石の階九仭に重なり』と書いた石段は上から見るとこのとおり。

ぶらぶらと散歩する。「浦霞」が宮城の酒とは知っていたが、塩釜とまでは知らず。本店酒蔵があった。

マグロ料理店で晩酌。マグロも美味かったが、「浦霞」もおいしゅうございました。塩釜泊。

 

松島海岸を眺めながら石巻へ。松島以北は、初訪である。

石巻市街への入り口、門脇地区に着くと、「みやぎ東日本大震災津波伝承館」と公園、「石巻市震災遺構門脇小学校」があった。

歌枕『末の松山』は、古代の津波被災の記憶から生まれたものというが、「伝承館」の屋根は高さ6メートル。津波が滞留した高さであるという。語り部さんの説明を聞いて、以後、爺さんには言葉無し。

日和山公園に登る。芭蕉の足跡であります。旧北上川と市街地。

登米市を経由して、仙台へ戻る。飲みに出る気にもなれず、牛タン弁当を買って、ホテルにて缶ビール。

翌日は、仙台城址を散歩して、午後、空路、帰福。16年前に出張以来の仙台でした。

 

 

さて、「橘湾岸スーパーマラニック」はDNSに。lineで、銀さんと、おっちんへ断りの連絡をした。

さて、これからどうするか。


「水と緑の久留米ランニング」

2024-10-21 13:34:08 | 日記

 10月21日です。まだまだ日中は半そでで過ごせますが、陽が落ちると急に冷えます。風邪をひかないように気をつけましょう。

 20日(日曜日) 「水と緑の久留米ランニング」に参加しました。ゼッケンをつけて走るのは、実に半年ぶりです。 カッパ先生が会長の「久留米走ろう会」主催で、エントリー料は、ナント800円なり。今時、嬉しいではありませんか。  

やっぱり、大会出場できるのはうれしいですねぇ。ナンバーは、23(ふみちゃん)であります。主催者が気をきかせてくれたか、というと、単純にアイウエオ順でございました。  

今年も、OBRC(大濠ブラインドランニングクラブ)の皆さんの姿が。楽しそうです。  

長崎平戸から、JOGTRIP主宰者アメリン僧正もおりました。  

 このところ司馬遼太郎に凝っており、「平戸のしばりょう」と自称しております。白いかつらをかぶっているのは、そのためです。これは、100均の宴会グッズだろうと思ってましたら、なんと、医療用ウイッグだそうで、そこまでやるかなぁとあきれた次第。

 相変わらずナンパ歩きをやっておりますが、ぜんぜん、どういう効き目があるのか、誰かひっかかったという話は無いようです。jogtripに女性参加者が増えたとか、減ったとか、もありません。まぁ、被害者が無くて何よりです。  ただし、河川敷を走る姿は、なかなかいい風景となっておりましたがね。

  会場は、「筑後川マラソン」の筑後川河川敷。前日の雨で、名物のどろぴちゃ道もありました。  

 爺さんは、膝がどの程度の衝撃に耐えられるのか、不安でありましたので、ゆっくりゆっくりです。ススキの波はいいものです。

 10,04km 1;16;48 7,39/km でした。キロ8分で10㎞を一応の目標としていましたので、OKです。帰りは、上津町の温泉によってゆったりして帰りました。ひさしぶりにいい気分でございました。

 久留米走ろう会のみなさん、ありがとうございました。  では、また。