たわごと~産業カウンセラーとして~

資格取得後もまだまだ研鑽の日々です。勉強会で感じたことを中心に、日々思う事や季節のことレシピまで自分を表現する日記です。

物理学の究極は東洋哲学…

2012-10-28 12:06:14 | 本の力


日没も早くなり、秋もこれから深まっていくのでしょうね。
秋の花、アメジストセージきれいに咲いていました。



前回勉強会の「アサーティブネス」を書いていたのですが、すみません…どうしても頭から「物理学」が離れなく…え?ぶつり?そう物理です。私がもっとも苦手で、できない印象しかない物理です。前回書いた頃から天外伺朗さんの本を3冊読破してしまいました。

天外伺朗(てんげしろう)さんとは、元ソニー上席常務でAIBOの開発をてがけた工学博士の「土井利忠」さんなのです。バリバリ理系です。関係ないけど、江戸幕府の大老「土井利勝」の末裔だそうです。現役の頃から天外伺朗のペンネームで執筆していたそうです。

その3冊は、amazonの購入履歴をみたら、1年以上も前に買ってあった「ここまで来たあの世の科学」と「意識は科学で解き明かせるか」と最近、電子書籍で購入した「宇宙のゆらぎ・人生のフラクタル」です。
たぶん、1年以上前に読もうと思った時は物理用語だらけで難しいな~という思いで読み進めなかったんです。
でもなぜか今回は、え?え?と驚きの連続と共に、気づいたら3冊…

なにしろ科学者が、実験、研究、新理論など、どんどん突き詰めれば突き詰めるほど、東洋哲学の思想に近づくというのです。これには、ほんと~~~に仰天でした。
多くの高名な科学者は瞑想をしている、般若心経と最新物理学はよく一致する、あのニュートンでさえ神の存在を認めていたという…
もう、なんだか読んでいて、わくわくしてしまったのです。
アインシュタインが否定しようとした量子力学も今、すごい発展を続けている…んだそうです。でもやっぱり東洋思想にたどり着く…
わくわくすると言ってもですね、物理の内容はさっぱりわからんのですね。

それにしても、近代科学はどんどん発展するけれど、人の心はなお、紀元前の「釈迦」にとうてい及ばず、なぜ何千年も発展できていないのか~
しばらくこの物理と東洋思想で頭いっぱいかも…
あ、アサーティブネスも書きます(汗)

「夜と霧」フランクル

2012-08-31 22:05:12 | 本の力
数年前のあるセミナーでこの本を知り、読もうと思ったまま忘れていたのですが、「100分de名著」で採り上げられていて、あ~そうだった、読んでいなかったと思いだしました。
でもきっと数年前に読んでも、うまく理解できなかったであろうと思うので、だから今なのか…と。
「100分de名著」4週間の放送の間に、本は続けて2度読みました。今のタイミングで読むことになるというのも何か…を感じます。

放送を観て、本を読んで、感じたことはもちろん色々あるのですが、その後に自分の意識がちょっと変わったことを書きたいと思います。

今まで、きれいなもの、きれいな言葉、明るい話などを、見よう、聞こうとしていたように思います。
それは自分の心によくないものは、取り込まないほうがよいというスピリチュアル的な考えでした。

ですが、強制収容所でのあまりにも人間の尊厳を失われた行為が事実であったことを受け入れた時、そのひどい行為を行った側にも目をそらしてはいけないのだと感じたのです。(ひどい行為を受けた側の心理は別の機会に書こうと思います。)

なぜ、人に、これほどまでひどい行為ができるのか、その心理状態はどうなんだろう…と、どこか客観的にみられたような気がします。きっと自分に投影しないからだな…と思いました。

ひどい事を言う、ひどい行いをする人の心理は、心に傷を持っていて、それを自分では抱えきれず持て余している状態といっていいでしょうか。自分に傷が多い分、他者を傷つけたいという…奥深い闇があるはずです。

でも本人の意識は傷ついているとは認めたくないでしょう。意識の10%が残忍で非情な人間でも、無意識の90%は、今まで傷ついてきた事、そして自分が残忍な事をしてひどい人間であるという認識にも傷ついていると思います。無意識なので本人はそれに気づいていないのでしょうが…そして人の目には、悪魔のような人間とうつってしまいます。

昔から変わらずに続いているいじめという問題もここにあると思います。
いじめはよくない、悪い事…というのは加害者本人もよくわかっていることです。
わかっていても、でも…それでもしてしまう心。その心の闇にどうやったら気づけるのか…

そんな事を感じてから、その闇をみなくてはわからないと思うようになり、ネット上にあるやりとり、たとえばTwitterなどでも、暴言などをあえてみるようになりました。

なぜあえてみるのか、自分が変わったのは、嫌悪感が大きかった以前に比べ、冷静に客観的にみれているので嫌な思いがそれほどないからです。だからといって、どこまで理解できるかは自分でもわかりません。
ただ、大きく広い意味で人間は同じだということは信じたいと思います。


博士の愛した数式

2012-07-07 22:19:24 | 本の力
私の好きな映画で、何度も観ているのですが、数学が大嫌いで苦手な私に、数学ってすごい!
興味深い!って思わせてくれるものでした。

小川洋子さんの原作を読んでいなかったのに気づき、読んでみました。「親鸞」のあとに。
悪人正機から数学って…(笑)
映画が先だったので、博士は寺尾聡のイメージそのものなのですが…

こんな風に数学に取り組めたら、好きになれたのかな~と思います。

・直感で数字をつかむ。
・神の計らいを受け絆で結ばれ合った「友愛数」。
・√(ルート記号)は、どんな数字でも嫌がらずかくまってあげる寛大な記号。
・√-1=i(虚数) 「i」は愛に通じる。
・愛する素数。
・1とは何か、0とは何か。

数学は嫌いだったけど、なぜか数字は好きでした。
数字って、なにか不思議な力…のようなものがあると昔から感じていました。
直感と数学は反対のものだと思って、だから私には無理なんだと決めつけていましたが、
博士の数学は直感のようです。
数字の不思議さを思うと、なるほどそうかもと思いました。

最近は、なんだか嫌いな分野が目の前によく表れてきます。
もちろん(なんで勿論なのか)物理も大嫌いだったのですが、
ある大学でエネルギーについての講義を聞き、目に見えないエネルギーを数式にする事を
おもしろいと感じ、意識的なエネルギーを科学で解明できそうな量子力学にも心動かされます。
最近では、ヒッグス粒子の発見で、わからないのにワクワクしました。

とはいえ、興味があるだけで難しい数式や難しい理論はさっぱりわかりません(笑)

大嫌いと思う事って、ほんとうは嫌いじゃなく、とても意識しているということ実感しました。
だから、嫌いだと思う事に、違う目を向けてみると、ちょっと世界が広がります。

悪人正機

2012-07-01 22:04:05 | 本の力
ここ数か月、勉強会は事例検討なので、守秘義務の観点から詳しい事はここには書けず…です。

「親鸞」読み終わりましたが、タイトルの「悪人正機」。

歎異抄の有名な一節である 「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」についてです。
善人が往生するならば、悪人ならなおさら往生する、救われるという意味です。

はじめはその深い意味、どのように理解すれば、と思っていました。
なので、いつも感じている人間は善人だけの人もいない…そして悪人だけの人もいない…
というところから考えていきました。

悪人(悪いことをしている人)というのは、自分が悪いことをしているという事を知っています。
なので、自分の「悪」もよく知っています。自分の「善」は否定しているかもしれません。

善人は、悪いことをしていないので、自分を悪人だとは思いません。
そりゃそうなのですが、悪い心のない人間はいないので、悪いことをしていなくても、「悪」は存在するという事です。 でもそれに気づかないかもしれません。

どちらにしても「悪」は自分の中にあり、気づかなくても本当は苦しいものです。
なので、その苦しみから「善」に気づくこと。

悪人ならなおさら…はこの気づくことが大切です。

親鸞の本の中で、悪人が自分の善に気づいた時、後悔や懺悔に打ちひしがれながらも自分の本当の良心(中心軸)と繋がるのです。それは感動的ですらありました。

自分の中の「悪」を見つめ、そして認めるところから「善」に繋がるというのは、逆説的であり、でも真実なのだと思いました。
そして、人間は善人か、悪人かという区別はないのだと…
うまく理解できなかった「罪を憎んで人を憎まず」がわかったような気がします。

修行とはなんぞや?

2012-06-18 22:54:33 | 本の力
最近になって、「歎異抄」がやたら目につき、どうにか理解できないものかと現代語訳を読んでみたりしました。
カルチャーで「歎異抄を読む」という講座があるくらいなので、まあ、難しいです。

なので、先ず、吉川英治著の「親鸞」読んでいるのですが、「修行」とはなんぞや?です。
折しも、オウムの話題が多く、当時の修行という名のもと、現実から隔離された共同生活を見て、
やっぱり「これは違う」と。

現実を生き抜くことこそ、修行ではないかと。
親鸞もお坊さんですが、現実世界を生きた人ではないかと思います。

山に籠ったり、瀧に打たれたりする修行も、そこで得た気づきを現実にもどって活かせてこそ
悟りではないかと思います。

現代では、心理学を学んだり、自己啓発セミナーなどで気づきがあることは確かなのですが、
その気づきを現実に取り入れて、しかもずっと継続する事は至難の業です。

日々の出来事に対して、気持ちの流れをずーっと穏やかに保つことは誰しも難しいと感じているはずです。
でも、その日々の生活を修行(成長)と思えれば、どれだけたくさん積み重ねられるでしょうか。

何か頭にくることやイライラ、うまくいかない事がでてきたら…

「修行」…キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!!!

くらいに思うと、そう思った時点で怒りは半減しているはずです。

あとは、この怒りの修行をどんな風に自分の糧にしていこうか、何が自分の成長になるのかを
考えていると、その怒りはどのように変化するでしょうか。

また、何もない普通の日を感謝することって簡単なようで難しいです。
数日ならばできそうな気がしますが、継続するのはどうでしょう。
とすれば、それもまた修行ととらえれば、修行の種はいくらでもありますね。

私もまだまだ日々精進です。

「竜馬がゆく」私のバイブル

2010-03-20 10:50:44 | 本の力
「竜馬がゆく」終わってしまいました。

最後の数十頁を残したまま、2日ばかり読めなかった、そう読めなかったのです。
でも子ども達が順番に読んでいるのに追い立てられ、とうとう読み終えました。
あ~あです。
やり遂げた瞬間に逝ってしまうというのは、やはり天から降りてきた人と思わざるをえません。

竜馬は夢や理想ばかりを追っているだけではありませんでした。
経済をちゃんと考え、お金は重要だと思っていました。儲けることが卑しいこととも思っていません。

理想だけでは人は動かない…

なぜなら「きれいごと」としかうつらないから。
「きれいごと」はきれいだからいいのですが、「それはいいね」、「すばらしい考えだね」だけで終わってしまうのです。
人間の本質は、やはりそれだけではないのです。

竜馬的言い方をすれば、「損か得か」
それをもって説いていけば、きれいごとだけではない理想として人は納得していくようです。

戦争する事の損得は?たとえ勝ったとしても相手に恨みを残したり、勝った側の損失もたくさんあるはず…
議論にしても、相手を打ち負かすような議論は、それで勝ったとしても納得ではなく恨みが残るだけになってしまうと…

竜馬を誰が暗殺したのか!ということがずっと気になっていましたが、今はどうでもいい気がしてきました。
誰であろうと死の現実は変わりません。

受け入れる事、許すという事、人間の大きさは私では表現できません。
そして「人を溶かす」という人間力…ん~~目指したいです。

←長男がコンビニで集めているフィギアです。
※ちなみにソフトバンクの孫さんは全部集めたとか…
没後150年近くたっても経済効果を生んでしまうって…「竜馬」の今年の経済効果はすごいだろうな~


癒しの逆説の真理

2008-05-16 20:56:16 | 本の力
今、諸富先生の「むなしさの心理学」を読んでいて、あ~これだ~と思ったのがこの「癒しの逆説の真理」
です。

「癒し」がブームになってかなりたつような気がしますが、未だに癒しブームは続いています。
癒して欲しい、癒されたい、という人が沢山います。
世の中、みんな疲れているんだな~
衣食住に困っていない日本なのに、何か満たされない、むなしい、生きている意味がわからない・・・
そんな気持ちでの毎日の単調な生活は、心が疲れてしまうのです。

しかし、癒されたいと思ってしてもらった事は、その時だけ、一時的のものです。
何かに癒して欲しい、この求める心があるうちは、やはりほんとうの癒しはやってこないというのです。

たとえば、ボランティアの人がよく言います。ありがとうといってもらう事がうれしい、元気がもらえると・・・
仕事にしても、お客さんが喜んでくれるので頑張れます。という事もよく聞きます。
本当の癒しは人に役に立つ事をすること??
「人に必要とされる喜び」、「人の役に立てる喜び」こそが本当の意味で人を癒す・・・これが癒しの逆説の真理です。

何かの役にたっている、誰かに喜んでもらえている、そう思ってした事こそが、人は癒されているというのです。
ほんとうは癒している側の人が癒されている・・・
実は、誰もが思い当たる事があるのではないでしょうか。

なんだかとても納得してしまって、そしてうれしい気持ちにもなってしまいました。
やっぱり私は性善説だな~~
そして、やっぱりマザーテレサに通じています。

あるがまま

2006-07-28 21:50:06 | 本の力
もうすぐ7月も終わってしまいますね~早く梅雨明けして、大きいもの洗濯したいですぅ

ここのところ、ハードな日程でしたが、疲れしらず。。。
おまじないのような言葉を本で読んだせいかな。。

最近、森田療法についての本を読みました。
カウンセリングの理論の中のひとつですが、主に神経症に対する精神療法です。
基本理念は、「あるがまま」と「目的本位」です。
この「あるがまま」こそが自己一致そのものだと思いました。

人間は生きている以上、苦悩がまるでないなどという事はありえませんよね。
だれでも、不安、緊張、弱さや醜さも持っています。
それを隠そうとしたり否定するという事は、人間のあるべき本来の姿に逆らって生きている事だというのです。
逆らって生きるという事は、辛い事です。だから心も辛くなってしまうのです。

でも、自分の気持ちに正直に。。といって、「イヤな事をしない」というのとは違うのだそうです。
もうひとつの「目的本位」とは、イヤだという気持ちを認めながらも、人間としてするべき事、成長できる事は、イヤな事でもやってみる。。。人間のもっている、より良くなりたいという「生の欲望」を引き出す事にあるようです。

最近は、この「あるがまま」を念仏のように頭の中で繰り返しています。

明日は、父の7回忌法要と、年に一度の地元の花火大会。。。晴れるかなぁ~

不思議な出来事

2006-05-13 10:49:08 | 本の力
昨日、不思議な事がありました。シンクロかな?

今、産業カウンセラーのお友達に借りた本を読んでいるのです。養成講座の時にも理論講座で講師をしてくださった諸富祥彦先生の「トランスパーソナル心理学入門」という本です。ちょっと一言では言えるものではないのですが、「自分への執着や自分の幸せだけのこだわりを捨てて、自分を超えた向こうからの呼びかけをまつというか。。こだわりを捨てて、まわりに委ねて生きる」という心理学です。

たとえば、人に良い事をしても、報われないとか、仕事を頑張っても評価されないとか、それは、やっぱり、自分への執着から不満に思ってしまうというのです。
そのこだわりを捨てて、色々と取り組んでいると当面の相手からは感謝も評価もなくてもまったく関係のないところから良い事はやってくる。という考えなのです。ちょっとシンクロニシティに通じるものがあります。
日本の諺でいえば、「情けは人のためならず」に近いです。

私はこの頃、頑張っても報われないって思いがあって、少々落ちぎみでしたが、本を読んでいて、あ~なんかそういう事思っていても、忘れていたなって気付いたのです。そして、なんだかふっといい事して頑張っている事は悪い事じゃない、感謝も評価もされなくったっていいじゃん、いい事にはまちがいはないのだからと思い、昨日ある行動を起こしたのです。

そして品川のオフィス街を歩いていたのですが、久しぶりの品川はまったく変わってしまってよくわからない。。
ビジネスマンばかりが右往左往しているし。。。その中で、ひとりの年配のやさしそうな女の人が近づいてきたのです。
私は道を聞かれるのかと思って、あ~私はこんなとこまったくわかんないのにな~と思っていると、話しかけてきたのです。
「あなた、なんか変わろうとしている、とてもきれいな相がでていますね~」最初は、何を言っているか??だったのですが、きれいな相をしていますね。と言われ、あ、顔がきれいって事じゃなく(当たり前じゃ)顔の相か~と思い、なにかあやしいものかな?と少しいぶかしく思ったのですが、でもなんかうれしくて「ありがとうございます」と言ってそれ以上話しを聞かずにきてしまいました。

うん、確かに変わろうというか、今まさに行動を起こそうとしていた時にそんな事を言われたのです。
しかも、まわりはほんとビジネスマンばかりがうじゃうじゃいて、その中で突然現れたおばあさんなのです。不思議。。
でも、なんかうれしいので、素直に喜んでおこうっと。。でもほんと不思議だな~~

あ、諸富先生の本の中であるアサーショントレーニング方法が紹介されていたのですが、今度、それを紹介しますね。

破壊的な心理とは

2006-03-20 19:12:05 | 本の力
サリン事件から11年、忘れもしない長男の小学校の卒業式でした。
感動の卒業式のあと、家に帰ってテレビをつけると、あの忌まわしい事件がまだ、状況もわからないまま、報道されていました。その日から、毎日テレビに釘付けだったのを覚えています。

なぜ、あの高学歴の、社会的地位もたぶん良識もあったであろうオウム信者があのような事件を起こしたのか???
今、先日takaさんにいただいた本を読んでいるのですが、その中で、権威主義的パーソナリティという考え方にすごく恐いものを感じていた時でした。
ミルグラムは、それを、破壊的な服従に対する答えとして、人格よりも状況にあるのではないかと考え、実験を行いました。「人を動かす状況を作れば、どんなに理性のある人間でも道徳律を捨て、命令に従って残虐な行為を行いうる」というものです。その最たるものが、戦争だと思うのですが。。。

ミルグラムの実験は、私にとって恐ろしいものでした。電気ショック実験というものですが、指示に従って、苦しんでいる被験者に電気ボルトをどんどん上げていくというものです。
結果としては、65%の人が、指示に従い、苦しんでいる人に対しても、どんどんボルトを上げていったという事です。
なぜ、私が恐ろしいと思ったのかは、今の自分では、その時絶対できないと考えていますが、でも、その状況で65%に自分も入ってしまったらどうしようという不安が恐ろしく思えたのです。

自分のおかれた状況や環境は非常に大切です。
私などのように、自由な環境であれば、状況を作る事は自分自身であると思います。
幸せな事に、私の周りは、向上心のかたまりのような人ばかりで、そんな状況では、自分も向上していこうという気持ちになります。
でも、管理されている人達がいるとすれば、心が壊れてしまう事はありえるのではないかと。。。
今の管理社会で、人を管理するという事をすごく考えさせられました。

やっぱり人間って難しいな~~