養成講座の課題のようなタイトルですが、「ゲシュタルト」です。
ゲシュタルトだから、何か書くのはやめようと、ノートもペンも持たずに岡田先生の講義を聴きながらワークを受けてきました。
最近、感じることに重点を置いていたはずだったんだけど、やっぱり
勉強会では、考えてしまった…
見えているもの、自分が感じていることの区別。
岡田先生の言っている意味はとてもよくわかったのだけれど…
たとえば、今、「イスが見えます」これは自分が見えているもの。
そして「蒸し暑くてちょっと不快だな」と思っているのは自分が感じていること。
これはイスという物体なので、見ても何かを考えないのですが…
相手が人間の場合…
「相手の方を見て見えているものを言って下さい。」「今感じていることを言ってください。」
二人組でのロープレがありました。
「目が見えます。」であれば見たままですが、「やさしそうな目が見えます。」と言えば、それは、考えて評価しているということです。
一見、「やさしそう」とは感じているように思うのですが、考えているということなのです。
その時自分が感じている感覚は、「寒い」かもしれないし、「うれしい」かもしれない…
見えているものと感じている感覚を区別する意味。
現代人は、考えることばかりしているので、本当の自分の感覚に鈍感になってしまうのです。
感覚の中にいると、心は開放されます。
感じているのか、考えているのかを意識するだけでも違います。
「ゲシュタルト」の「今、ここ」の感覚、大事にしたいと思います。
ゲシュタルトだから、何か書くのはやめようと、ノートもペンも持たずに岡田先生の講義を聴きながらワークを受けてきました。
最近、感じることに重点を置いていたはずだったんだけど、やっぱり
勉強会では、考えてしまった…
見えているもの、自分が感じていることの区別。
岡田先生の言っている意味はとてもよくわかったのだけれど…
たとえば、今、「イスが見えます」これは自分が見えているもの。
そして「蒸し暑くてちょっと不快だな」と思っているのは自分が感じていること。
これはイスという物体なので、見ても何かを考えないのですが…
相手が人間の場合…
「相手の方を見て見えているものを言って下さい。」「今感じていることを言ってください。」
二人組でのロープレがありました。
「目が見えます。」であれば見たままですが、「やさしそうな目が見えます。」と言えば、それは、考えて評価しているということです。
一見、「やさしそう」とは感じているように思うのですが、考えているということなのです。
その時自分が感じている感覚は、「寒い」かもしれないし、「うれしい」かもしれない…
見えているものと感じている感覚を区別する意味。
現代人は、考えることばかりしているので、本当の自分の感覚に鈍感になってしまうのです。
感覚の中にいると、心は開放されます。
感じているのか、考えているのかを意識するだけでも違います。
「ゲシュタルト」の「今、ここ」の感覚、大事にしたいと思います。