仲間内では用品の「現地調達主義」をモットーとしている。無論、全ての領域で通用する原則でも無いのだが、基本、そうありたいと願っている。具体的な事例を挙げてみると、種子の自家採取や籾殻・稲藁等の頂戴なという姿勢、資材等の現場用品活用・・・・といった案配だろうか。とりわけ活用されるのが竹である。支柱や添え木やロープの支点など枚挙にいとまが無いほど。周囲の森に自生しているという特徴もあるが、何よりも有効なのは再生してくれること。つまり切っても再び生えてくるのだ。最近、都に流行るもの・・・・「サスティナブル」何とも舌をかみそうな発音だが、なあに昔ながらのご先祖様達の暮らしぶり、と言ったら良いだろう。どうも日本人には欧米人の発想と発言を尊重し有り難がる奇妙な風潮が存在するようだ。コンプレックスの裏返しで無ければ幸いなのだが。
都の話はほっといて、農園の竹だが再生可能な特徴に鑑み、多くの場面で活用している。仲間の畑を覗くと、竹の切り出しが見られた。どうやら支柱の作成にと目論んでいる模様。現場は急傾斜の斜面となっており、竹林への出入りが難儀する場所だ。しかも斜面がえぐれて耕地の下側が空洞化している箇所も存在する。仲間達は危険性を承知しているから大丈夫だが、観光の方々が近づいたら命の問題ともなりかねない。一応警告はしているが、観光客は近づけない事が望ましいだろう。
竹は種類が「真竹」で、昔から竹製品の資材として重宝されたものだ。古老の話によると、以前は近隣の「富田林」に竹細工の職人が多く住み着いており、材料として高値で売れたとか何とか。最早、廃れてしまったようだが、竹の効能自体に変化がある訳でも無い。有り難く活用させて頂こうかと。
職人さんの話で思い出したのだが、以前富田林の街中を歩いていて、「鋸の目立て屋」との看板を見つけたことがあった。実際、営業しておられるかどうかは不明だが、そうしたビジネスが成立していたのだろう。つまり購入した鋸を何度も目立てして大事に使い込んでいた文化が存在したのだ。「もったいない」という言葉も、こうした生活の中から生まれたものだろう。そうそう「もったいない」という言葉も外国人によって再発見されたものだった。