年内も余すところ2週間程となってきた。季節は「農閑期」へと入り、そろそろ仕事納めの時期かも。「整理清掃」のタイミングかも知れない・・・・・そう思い立ったのだろうか、仲間達も残滓処分に取り掛かったようだ。彼方此方でうっすらと煙が上り始めて来た。ご存じかと思うが、農作業では必ず余分な廃棄物が生じてくる。処分の必要性があり、多くは乾燥させて焼却とあいなる。農村地帯では火の手が上がるはずだ。無論、必要最小限の防火準備は整えた上での話なのは言うまでも無い。
年末の焼却は残滓の処分と園内の整理整頓とを兼ねている。スッキリさせて健やかな気分で新年のお迎えを・・・・・といった案配だ。民族特有の伝統でもある「大掃除」の発想だろうか。眺めて見ると、どうやらイモツルやマメ類の茎等がメインのようだ。マメと言えば、今年は枝豆・大豆が何れも不作だった。「長老」の分も、例の「百姓候補生」氏の分も、全く実らなかったのだ。ついでに言うと、子狸が植え込んだ小豆も全滅状態だった。連作と言う場面でも無い。何かの病気の発生かも知れないが、知る術も無かった。結果、大量の廃棄物が生じており、焼却へと至った模様。
当人達は忸怩たる思いかも知れないが、別に恥じる事も無いだろう。農作業は自然が相手、何が何時発生するかは未知の世界で、予測不能な事態がしばしば生じるのだ。失敗から学べばよい事、師匠の言葉を思い出してみよう。「百姓は毎年が1年生よ」・・・・・なのだ。
穏やかな天候とも相成って、立ち上る煙を眺めていると長閑な気分となってくる。焚き火の効用かも知れない。森でも農園でも頻繁に焚き火を行うが、焼却作業ばかりとも言い切れないだろう.煙が持つ独特な緩和機能というのか、穏やかにさせてくれる機能が何とも有り難いのだ。心身に不安や動揺が見られる場合、試しに焚き火の元へと誘われたら如何であろうか。一種の解決策ともなり得るかも知れませんよ。
農園に立ち上る煙は、一仕事の終了を意味する。当然ながら新たな作業の始まりでもあり、心機一転、気持ちを切り替えて挑戦の世界へと踏み出しますか、但し新年を迎えてからかな。少し早いが、良いお正月を。