農村社会は協調的であり「共同体型」でもある。昨今は薄れてきたとはいえ、今なお色濃い側面も。子狸が居住する集落は純粋な農村タイプとは言えないが、近い存在なのかも知れない。様々なコミュニティーが存在し、程よく加入しながら暮らしている。今回は「タマゴ組」をご紹介しようかと思う。タマゴ組と言ってもピンと来られないのは当然で、我々が称する通称なのだ。平たく言えば、タマゴの共同購入集団である。気の合う数軒の民家で構成し、輪番制で養鶏場へと走っている。目的地は北部紀州、つまり高野山の麓だ。
近場にも養鶏場は多々あるのに、何故?、と思われるだろう。明確な理由が存在する訳でも無いが、あえて表現すれば「品質の高さ」と「オーナーの人柄」だろうか。何とも愉快なオーナー夫妻で、いつも代金を必要額より少なく間違えるとんでもない商人だ。従ってあらかじめ計算しておき、再計算を促す必要がある。女将さんは元気で走り回っておられるが、大病を患い医者からも見放された存在だった。必死の思いでご主人が情報を探し回り、とある東洋医学によって見事回復された次第。自転車を乗り回す姿からは想像も出来ないだろう。エピソードはともあれ、良き隣人達に恵まれ日々を楽しんでいる。
こうした特性は恐らくだが「水田稲作の伝統」から生まれたものかと思っている。ご存じかと思うが、水田稲作は多くの労力を必要とする。つまり集落で助け合わないと栽培できなかったのだ。機械化の恩恵で薄らいできたとはいえ、集団性と共同性とは今なお残る。良い面も悪い面もあるかも知れないが、所詮、「人間は社会的存在」とも言われるように、集団の中でしか生きられないのだろう。