木漏れ日の雑木林

金剛山の西山麓で里山の保全活動を行っています。自称若者集団ですが、実態は?

ゴーヤの解体撤去

2023年09月27日 05時40分33秒 | 耕作放棄地

夏野菜の代表的な存在であったゴーヤだが、どうやら命運尽きてきたようだ。咲いていた花も少なくなり、蝶や昆虫の来訪も見かけなくなった。7月の盛況期を過ぎること2ヶ月余り、流石に限界だろう。お勤めご苦労さん・・・・・・ということで解体撤去の運びに。周囲を見渡しても既にゴーヤの姿は無い。子狸だけがしつこく残していたようだ。別にゴーヤに拘った訳では無いが、チャンプルにテンプラそれにゴーヤ茶と用途が多く、重宝していたので撤去の思いには至らなかった。

流石に解体撤去とも成れば寂しいものである。まだまだ青々としていて、成長期とも見える姿、感慨深いものだ。解体に当たって最後の収穫を試みる、厚みのある葉の茂みの中に隠れている気配が濃厚だ。留意して探してみたら、画像のような収穫物が。タイミングが遅れてお化け状態の物も存在する。大きめなのはゴーヤ茶行きだ。小さめなのはマダム衆に分配しようかと思う、最後の戦利品だ。

竹で作った支柱等は再利用するので、注意深く解体する。経年劣化で痛んでおり、ハードな作業を行うと砕ける可能性があるのだ。結んでいたビニールテープ等も全て回収した。残置されると、刈払機の利用に支障をきたしてくるのだ。資源の再利用ともなってくる。残ったゴーヤの茎や葉は乾燥させて焼却処分となる次第だ。彼方此方で白煙が上がるのは仲間達の作業風景、何処の場面も同様みたいだ。

それにしても、今年はゴーヤを十分過ぎる程に活用した。夏場はゴーヤ尽くしといった案配で、しばしの沖縄人と言った雰囲気かな。沖縄や奄美の方々はゴーヤの活用でか長寿者が多いそうな。南国特有のゆったりした生活にもよるのかも知れないが、あやかりたいものである。

農業に従事して大きく変わったのが「ストレスフリー」な生活と言うこと、肉体的にはハードだが精神を病むことは無い。毎日太陽光線を浴びての生活が、精神面と肉体面の健康を保ってくれてるようだ。諸種の事情でストレス気味の方、農作業生活も選択肢の一つですよ、まかり間違っても「最悪の選択」を為さらずに農作業にもご注目あれ。真っ青な青空と綺麗な空気が貴方を待ち構えているのかも。

 

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« その後、梨の実は | トップ | コスモス畑 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

耕作放棄地」カテゴリの最新記事