木漏れ日の雑木林

金剛山の西山麓で里山の保全活動を行っています。自称若者集団ですが、実態は?

モグラ対策

2022年12月17日 05時29分04秒 | 耕作放棄地

モグラは「害獣」である。こう規定すれば不審に思われる方もあるやも知れぬが、事実、農村では少なからぬ被害を生じている。モグラは地中生活のため、目撃される事例は少ないかと思うが、田畑では時折死亡したモグラを見かける事もある。モグラは肉食で、主にミミズや昆虫を主食とする。従って地中に穴を掘り、ミミズを追い回す生活が続いている。当然ながら地中にトンネルが生じるわけで、この穴が作物を死滅させることがあるのだ。それとネズミがトンネルを再利用し、根菜類を食害する。両者の連携プレーで少なからぬ被害が生じてしまう次第、決して侮れぬ敵方なのだ。

農家は何とかして被害の軽減をと対策を講じるわけだが、特効薬があるわけでも無い。考えられるのが画像のような通称「フウシャ」と呼ばれる代物。簡単に言えば、ペットポトルを加工して作った風車だ。このフウシャを回転させる事で地中に震動を与え、モグラを撃退しようとの作戦。うまり人間で言うと地震の発生みたいなものだろう。うまく機能してるのかどうかは不明だが、「モグラ塚」が見られぬ処を考えれば、それなりの効用があるのかも知れない。画像は師匠の畑だが、フウシャは機嫌良く回っているようだ。それにしても腰が痛いと宣う師匠、何ともうまく加工したものだ。

モグラの発見は割と容易だ。上述のようにトンネルを掘るので、残土が生じる。地上に放棄するしかないので、特定の場所に山積みする。丸く小山のようになった存在が、いわゆる「モグラ塚」。モグラの生活圏である証だ。概ねトンネル沿いに連綿と続く事が多い。対策は足でトンネルと思しき箇所を踏みつぶすこと。トンネルの崩壊だ。

モグラの天敵は猛禽類やネコやイタチなど。比較的飼育しやすいのがネコだが、師匠宅のネコや野猫がモグラを追い回す姿は見かけたことが無い、与えられた環境に満足しきってる様子。イタチは飼育し難く、猛禽類は尚更だ。結局、天敵利用は困難で、中には超音波の活用や煙幕の利用なども考えられる。トンネルの大きさは直径5センチ程度、超音波や煙幕がうまく伝わるかどうかは疑問だが。つまるところ、これだと思える対策は無いわけで、原始的かもしれぬが師匠のフウシャが一番なのかも。

 

 

 

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タマゴ組

2022年12月16日 05時59分00秒 | 余話

農村社会は協調的であり「共同体型」でもある。昨今は薄れてきたとはいえ、今なお色濃い側面も。子狸が居住する集落は純粋な農村タイプとは言えないが、近い存在なのかも知れない。様々なコミュニティーが存在し、程よく加入しながら暮らしている。今回は「タマゴ組」をご紹介しようかと思う。タマゴ組と言ってもピンと来られないのは当然で、我々が称する通称なのだ。平たく言えば、タマゴの共同購入集団である。気の合う数軒の民家で構成し、輪番制で養鶏場へと走っている。目的地は北部紀州、つまり高野山の麓だ。

近場にも養鶏場は多々あるのに、何故?、と思われるだろう。明確な理由が存在する訳でも無いが、あえて表現すれば「品質の高さ」と「オーナーの人柄」だろうか。何とも愉快なオーナー夫妻で、いつも代金を必要額より少なく間違えるとんでもない商人だ。従ってあらかじめ計算しておき、再計算を促す必要がある。女将さんは元気で走り回っておられるが、大病を患い医者からも見放された存在だった。必死の思いでご主人が情報を探し回り、とある東洋医学によって見事回復された次第。自転車を乗り回す姿からは想像も出来ないだろう。エピソードはともあれ、良き隣人達に恵まれ日々を楽しんでいる。

こうした特性は恐らくだが「水田稲作の伝統」から生まれたものかと思っている。ご存じかと思うが、水田稲作は多くの労力を必要とする。つまり集落で助け合わないと栽培できなかったのだ。機械化の恩恵で薄らいできたとはいえ、集団性と共同性とは今なお残る。良い面も悪い面もあるかも知れないが、所詮、「人間は社会的存在」とも言われるように、集団の中でしか生きられないのだろう。

 

 

 

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丸形ダイコンのご登場

2022年12月15日 05時27分21秒 | 耕作放棄地

寒波が厳しくなってきて、「ダイコンの収穫期」となってきた。真っ白いダイコンは瑞々しくて何とも美味しそう。仲間の大半が栽培しており、折々にと持ち帰っている。流石に沢庵漬けなどに挑戦する猛者はいないが、煮物や浅漬けなど利用法は様々なようだ。おでんの素材としても重宝されるようで、家人などもダイコンが一番の好物とか。子狸も栽培しているが、実はダイコンの煮物が大の苦手、おでんなども器用に避けて賞味している。好物は大根おろし、焼き魚等とのマッチングは最高かと思っている。ダイコンは様々あれど、栽培品種はほとんど「青首ダイコン」だ。栽培しやすく、利用も容易で使い勝手に優れている。仲間達も青首ダイコンの採用が多いみたいで、ほぼ同様のダイコン姿が彼方此方に眺められる。

ある意味、青首ダイコン=ダイコン、とも言えるほどで、他の品種など想像だにしなかった。其処へ突然として登場したのが球形のダイコン、無論、「桜島ダイコン」など存在自体は存じていたが、まさか目の前に出現するとは。当然ながら、革命児はかの若き挑戦者であるO氏だ。又々、希少価値を狙ったのか、周囲の畑に存在しない品を選択した模様。彼の畑を覗いてみると、丸くて大きなダイコンの姿が。無論、彼のことだから出荷を狙っての行動かと思われる。

ご存じのように青首ダイコンは円柱形、細長いタイプだ。程よい大きさで使い勝手も優れている。球形のダイコンは見た目は優美だが、使い勝手はどうだろう。カットなどもしづらいような気がするのだが、単に慣れの問題だろうか。球形ダイコン、まさか桜島ダイコンでは無いと思うが、結構大きい。運搬等も力仕事となるかも知れぬが、まあ若き彼のことだから大丈夫か。そろそろ収穫期だと思うが、掘り出しの形跡は見当たらぬ模様、正月直前の出荷を狙っているのだろうか。

それにしても、仲間内での慣例的な栽培と異なり、「革命」とも思える栽培を覗かせてくれるから変化と驚きがあって、何とも楽しみでもある。やはり年齢的な若さは貴重なようだ。無論、慣習的な栽培になれきった者にとっては、「異端児」に思えて苦々しく感じる向きもあるやも知れぬ。とりわけ組織社会でもある我が国では、老人主体で「出る杭は打たれる・・・・・」となりやすい。国や人々が成長していくには「イノベーション」が必要なのだが、己は出来ずとも、少なくとも変革者の妨害とは成らないようにとは気を付けている。

 

 

 

 

 

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残滓の焼却処分

2022年12月14日 05時39分43秒 | 耕作放棄地

年内も余すところ2週間程となってきた。季節は「農閑期」へと入り、そろそろ仕事納めの時期かも。「整理清掃」のタイミングかも知れない・・・・・そう思い立ったのだろうか、仲間達も残滓処分に取り掛かったようだ。彼方此方でうっすらと煙が上り始めて来た。ご存じかと思うが、農作業では必ず余分な廃棄物が生じてくる。処分の必要性があり、多くは乾燥させて焼却とあいなる。農村地帯では火の手が上がるはずだ。無論、必要最小限の防火準備は整えた上での話なのは言うまでも無い。

年末の焼却は残滓の処分と園内の整理整頓とを兼ねている。スッキリさせて健やかな気分で新年のお迎えを・・・・・といった案配だ。民族特有の伝統でもある「大掃除」の発想だろうか。眺めて見ると、どうやらイモツルやマメ類の茎等がメインのようだ。マメと言えば、今年は枝豆・大豆が何れも不作だった。「長老」の分も、例の「百姓候補生」氏の分も、全く実らなかったのだ。ついでに言うと、子狸が植え込んだ小豆も全滅状態だった。連作と言う場面でも無い。何かの病気の発生かも知れないが、知る術も無かった。結果、大量の廃棄物が生じており、焼却へと至った模様。

当人達は忸怩たる思いかも知れないが、別に恥じる事も無いだろう。農作業は自然が相手、何が何時発生するかは未知の世界で、予測不能な事態がしばしば生じるのだ。失敗から学べばよい事、師匠の言葉を思い出してみよう。「百姓は毎年が1年生よ」・・・・・なのだ。

穏やかな天候とも相成って、立ち上る煙を眺めていると長閑な気分となってくる。焚き火の効用かも知れない。森でも農園でも頻繁に焚き火を行うが、焼却作業ばかりとも言い切れないだろう.煙が持つ独特な緩和機能というのか、穏やかにさせてくれる機能が何とも有り難いのだ。心身に不安や動揺が見られる場合、試しに焚き火の元へと誘われたら如何であろうか。一種の解決策ともなり得るかも知れませんよ。

農園に立ち上る煙は、一仕事の終了を意味する。当然ながら新たな作業の始まりでもあり、心機一転、気持ちを切り替えて挑戦の世界へと踏み出しますか、但し新年を迎えてからかな。少し早いが、良いお正月を。

 

 

 

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竹の用材化

2022年12月13日 05時18分45秒 | 耕作放棄地

仲間内では用品の「現地調達主義」をモットーとしている。無論、全ての領域で通用する原則でも無いのだが、基本、そうありたいと願っている。具体的な事例を挙げてみると、種子の自家採取や籾殻・稲藁等の頂戴なという姿勢、資材等の現場用品活用・・・・といった案配だろうか。とりわけ活用されるのが竹である。支柱や添え木やロープの支点など枚挙にいとまが無いほど。周囲の森に自生しているという特徴もあるが、何よりも有効なのは再生してくれること。つまり切っても再び生えてくるのだ。最近、都に流行るもの・・・・「サスティナブル」何とも舌をかみそうな発音だが、なあに昔ながらのご先祖様達の暮らしぶり、と言ったら良いだろう。どうも日本人には欧米人の発想と発言を尊重し有り難がる奇妙な風潮が存在するようだ。コンプレックスの裏返しで無ければ幸いなのだが。

都の話はほっといて、農園の竹だが再生可能な特徴に鑑み、多くの場面で活用している。仲間の畑を覗くと、竹の切り出しが見られた。どうやら支柱の作成にと目論んでいる模様。現場は急傾斜の斜面となっており、竹林への出入りが難儀する場所だ。しかも斜面がえぐれて耕地の下側が空洞化している箇所も存在する。仲間達は危険性を承知しているから大丈夫だが、観光の方々が近づいたら命の問題ともなりかねない。一応警告はしているが、観光客は近づけない事が望ましいだろう。

竹は種類が「真竹」で、昔から竹製品の資材として重宝されたものだ。古老の話によると、以前は近隣の「富田林」に竹細工の職人が多く住み着いており、材料として高値で売れたとか何とか。最早、廃れてしまったようだが、竹の効能自体に変化がある訳でも無い。有り難く活用させて頂こうかと。

職人さんの話で思い出したのだが、以前富田林の街中を歩いていて、「鋸の目立て屋」との看板を見つけたことがあった。実際、営業しておられるかどうかは不明だが、そうしたビジネスが成立していたのだろう。つまり購入した鋸を何度も目立てして大事に使い込んでいた文化が存在したのだ。「もったいない」という言葉も、こうした生活の中から生まれたものだろう。そうそう「もったいない」という言葉も外国人によって再発見されたものだった。

 

 

 

 

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