お正月3ガ日に見た夢は怖い夢や、苦境に陥る夢、耐える夢で、一富士二鷹三茄子を見ようと思ったわけではないが、それにはほど遠く、すべて楽しい夢ではなかった。夢は見ようとして見れるものではないが、心にある程度思いを託していれば、それなりにそれに近い夢を見る可能性は高くなると今までの経験で言える。今回は白紙で臨んだから心の本当の姿が現れた。そして心はいろいろと夢の中で戦い、現実において起きうる事象のソフトランディングをしてくれていると思うと、あながち悪い夢が悪いと決めつけるのはどうかと考え、この楽しくない夢に感謝しなければと思った。楽しい夢を見ることはまずない。自分の記憶でも叱られた記憶の方が鮮明に残っているように問題とならない楽しい記憶は捨てられるのと同じで楽しい夢は捨てられてしまうのだろう。それは夢そのものに発生することがないのか、発生しても夢の中で捨てられるのかはハッキリしないが夢の中で笑って、現実笑い声を隣で寝ている人に聞かれることもあるから多分夢の中で捨てられるのだろう。すると、悪い夢ばかり見ていたのではなく、楽しい夢を見ていたことになる。ただ覚えていなかっただけで楽しい初夢を見ていたのかも知れない。
今日の夕食は、
◆牡蠣フライ ◆すき焼き風煮 ◆ほうれん草と菊のお浸し ◆酢レンコン ◆ご飯
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