楓の葉がこの夏の暑さで枯れた葉が散見されて見苦しい。そんな話しを家人にしたら枯葉を落として拾ってくれていた。わが家の百日紅の花も今を盛りとして咲いているが花びらと花びらと萼が一緒になったものが落ちて黒石の上に落ち、落ちた時は紅色で綺麗に見えるが日が経つと茶色くなり風情がない。それらも拾っていたようで、なかなか昼食に呼んでも来ない。一旦、やり出すと途中で止めるとつぎが出来ないからでしょうね。拾いながらいろんなことを考えるらしい。たくさんの花びらが落ちているがそれを無限と取るか、有限と取るかは人によって異なる。NHKTV朝ドラ『らんまん』も最終週になったけれど、植物学者・牧野富太郎博士も雑草と思われる草にも名前をつけ、標本分類する作業は私などは無限と諦めてしまうが、それを有限と捉えられたから出来たのでしょう。諦めることは簡単ですが諦めないことには努力がついてまわる。家人は何事も有限と捉え根気よくやります。小さな頃から普通の人より劣っていると思い、出来るだけ普通に何でも出来る人になりたいと自身を育ててきたように思うと言う。今の世は多様性、多様性と言い、個性を尊重せよと言うけれど他と比較して自分の足らないところを補い、総合的に自分を伸ばすことも必要ではと考えていたようです。枯葉族の思うことは自分の人生だけでものごとを決めつけ考えてしまうことでしょうかね。
◆サンマの照り焼き ◆生春巻き ◆棒々鶏風 ◆水餃子スープ ◆ご飯
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追記: つとめる
「努」=「ある目標や目的を実現するために力をつくす。」(例:問題解決に努める)
「務」=「与えられた役目や仕事をまっとうする。」(例:司会を務める)
「勤」=「会社などで毎日のように仕事に取り組む。」(例:工場に勤める)
「勉」=「無理に力を出してはげむ。」(例:熱心に学びに勉める)