かんりにんのひとりごと

日々の出来事や季節を感じる野鳥や花々の写真を載せています!
お出かけ先の寺院や趣味の卓球についても書いています!!

「黒谷さん」金戒光明寺

2024-12-29 | 観光・旅行・京都検定

 

昨日、真如堂の次におとずれたのはお隣の金戒光明寺です。

ここは何年か前に娘と来たことがありました。

娘が新選組が好きなので来たがっていたのですが、私はその時は全く知識がなくて、なぜ壬生寺でなくて、金戒光明寺が関係しているのか分かっていませんでした。

今から思えは、恥ずかしい限りです。

 

 

 

ここは、元々は法然上人が比叡山を降りてから初めて草庵を営まれた場所なんですね。

比叡山の黒谷にいたので、この場所は新黒谷とも呼ばれたそうです。

 

 

 

この立派な山門がなんと言っても迫力満点ですね。

 

 

前回は会津藩の墓地もお参りさせていただいたのですが、今回は別に見たい場所がありました。

京都検定の過去問題で、西翁院という塔頭の中に茶室があって名前が澱看席(よどみのせき)というそうなんです。

なぜかというと、京都の南部の方面まで見渡せて、淀競馬場がある淀まで見渡せるからだそうです。

 

 

 

 

 

ほんとうに淀が見えるかどうか確かめようとしましたが、、、?

 

 

公開寺院ではないので、中には入れなくて、外からではよくわかりませんでした。

まあ、仕方ありません。

もう一つ、じっくり見てみようと思っものが、、、。

通称アフロヘアーの阿弥陀様とも言われる「五劫思惟阿弥陀仏」でした。

 

 

 

この阿弥陀様は、阿弥陀様になる前の菩薩の時代に、ひじょーーーに長い時間考えに考えていたので、髪の毛が伸びきってアフロのようになったそうです。

どれだけ長い時間かというと「五劫」(ごこう)という時間です。

説明すると長くなるのですが、一劫というのは、空から天女が舞い降りて、天女の衣で一辺が160kmある岩をさっと撫でます。

3年に一度、天女が舞い降りてきて、その岩が全て擦り減ってしまうくらいの長ーい時間が1劫だそうです。

それを5回も繰り返すくらい永い時間考えていたそうです。

落語の「寿限無寿限無五劫の擦りきれ」というのはそのことらしいです。

気が遠くなりそうですが、面白い話なので、この機会に見ておこうと思っていました。

新選組あり、法然上人あり、よどみのせきあり、アフロ阿弥陀仏ありの金戒光明寺は、なかなかの見どころ満載の寺院でした。

金戒光明寺は私の一押しです。

 

  

 

 


紅葉が終わり静かな真如堂

2024-12-28 | 観光・旅行・京都検定

この土日は私以外の家族はそれぞれ用事でお出かけなので、私一人で自由な時間が取れることになっています。

そろそろ紅葉の季節も終わり、年末の準備もあるので、人が少ないだろうと期待して、京都歩きに出かけました。

先日、歩いたのが、千本通周辺で『西陣』と呼ばれるあたりでした。

今日歩いたのは、丸太町通りから白川通にかけての神社と寺院です。

いつものガイドブックの地図を見て、だいたいのコースは決めてありました。

最初に行くのは真如堂で、お隣にある金戒光明寺、そして南側の岡崎神社、その後親鸞聖人ゆかりの岡崎別院を通って、須賀神社、聖護院、熊野神社を歩いて帰ってこようと思いました。

どうせ同じ道筋にあるので、歩いていると通りかかるので、それほど大変ではありません。

一番遠くにある真如堂までは、バスで行って、そこから歩いて帰ってこようと思いました。

真如堂は以前に来たことがあるのですが、小高い山になっています。

前に来たときは、金戒光明寺の境内を歩いていたら、知らない間に真如堂まで来ていたという、やや不本意な感じだったので、今回は行こうと決心してやってきました。

これです。。。

前回来たのも偶然12月で、もみじが散って、地面が赤く色づいていました。

本当は違う季節に着たら良いのでしょうが、なかなかうまくはいきません。

このお堂は石薬師堂といって、ありがたい石が祀られているとのことでした。

こういう場所も1級の問題に出ることがあるので、一応写真にとっておきました。

さて、本堂は立派なもので、前回来た時にも感心していました。

前回もそうですが、裏口から入ったので、こちらが本堂の裏と言うことになります。

今日はちゃんと表に回って、本堂の中にも入らせて頂きました。

本堂までは無料で入ることができました。

真如堂のご本尊は阿弥陀様で、通称「うなずきの弥陀」と呼ばれています。

言い伝えによると、「都で人々を、特に女性をお救いください」とお願いしたところ、阿弥陀様がうなずいたそうです。

この阿弥陀様に関する言い伝えは各地に残っていますね。

永観堂の阿弥陀様は横を向いていて、「見返り阿弥陀」でしたね。

永観が朝やってくると「遅いぞ永観」と言って振り返ったとか・・・。

そういう言い伝えを勉強するのが好きなんですが・・・。

 

さて、あとは何と言っても、この三重塔が良いですね。

小さいですがかっこいいと思います。

本堂と三重塔のマッチングが特に良いです。。。

立派な総門をくぐって、外へ出ました。

今回は、なるべく出費を抑えようと、御朱印ももらわず、お守りなども買いませんでした。

たくさんの神社仏閣を回ろうと思ったら、いちいちお金を払っていたら、高くついてキリがありません。

この後、お隣の金戒光明寺をはじめ多くの場所にも行かないと行けないし、ここでゆっくりしていては、日が暮れてしまいますからね。

長くなるので、次回に続きます。

【洛東】真如堂のアクセス、拝観料、見どころ、混雑などの観光情報 - 京都のいろは

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京都 洛東にある真如堂の見どころ、アクセス、駐車場、混雑、御朱印、写真撮影の注意事項について紹介します。

京都のいろは


焼けずの寺と夜泣き止の松・本隆寺

2024-12-25 | 観光・旅行・京都検定
 
昨日の続きですが、千本釈迦堂をスタートして、ウロウロと歩き回っていたという話です。
 
ガイドブックの地図を見ながら、目にとまったのが「本隆寺」というお寺でした。
 
ガイドブックは地図がついているので、近くにどの寺院があるか分かって便利です。
 
あとはスマホの地図を開いて、歩いて何分かかるかをチェック!
 
右へ何メートル、左へ何メートルと歩いて無事到着しました。
 
 
 
 
 
このお寺は色々といわれのある場所で、ガイドブックでも紹介されています。
 
この寺院が有名なのは、御所の火災や天明の大火など、数々の大火にも耐えて残ったことで、別名「焼けずの寺」とも言われています。
 
 
 
それにしても立派な門です!
 
本堂の前の銀杏も大きくて、見事でした。
 
ちょっと、散り始めたのが残念でした。
 
 
 
 
 
もう一つ、この寺院に有名な話がありました。
 
泣いている子供を連れてきて、この寺院の松の木の周りを歩くと泣き止むというものです。
 
また、松の葉を子供の枕の下に置くと夜泣きをしないとも言われているそうです。
 
その松がどこにあるのか分からずに一生けん命探しました。 
 
あきらめて帰ろうかとしていたとき、スマホの本隆寺の説明に書いてあったのが、門のそばにあるということでした。
 
 
 
 
門はさっき見たし、と思いつつ考えていると、、、。
 
一つ思い当たりました。
 
門は一つではなくて、東側にもあり、今は工事で閉められているようでした。
 
そう思って、外から回ってみると・・・ちゃんと松の木がありました。
 
 
 
これが噂の夜泣き止の松なんですね。
 
大変ありがたい松だったので、写真だけを撮りました。
 
 
 
立派なお寺でした。。。
 
これでまた、行きたかったお寺を一つ回ることができました。
 
まだまだ、たくさんあります。。。 
 
 
 
 
 

義経と吉次と首途八幡宮

2024-12-24 | 観光・旅行・京都検定
 
先日、京都歩きをしたのですが、まだ書いていない神社がいくつかあります。
 
千本釈迦堂や千本ゑんま堂に行った日でした。
 
その日はあちこち歩き回って、全部で10以上のお寺や神社に行ったのでした。
 
お昼になったので、食べるところを探していたら、目の前に神社がありました。
 
 
 
 
そこは有名な「首途(かどで)八幡宮」というところでした。
 
名前はよく知っていて、一度来たいと思っていたので、うれしく思いました。
 
この首途(かどで)というのは、門出のことで、旅立ちの意味ですね。
 
源義経が奥州に旅立つ前にこの場所に立ち寄って、旅の安全を祈願したという話が残っています。
 
首途八幡宮という名前もその話が由来だと言われていますが、元々は平安京の鬼門の位置にあったので、都を守る鎮守社として、「内野八幡宮」と呼ばれたそうです。
 
 
 
また、この場所は平安時代末期の大商人「金売吉次(かねうりきちじ)」の邸宅跡であったとも言われます。
 
吉次は奥州でとれる金を売りさばく商人で、京都と奥州を行き来していたと言われます。
 
しかし、ちゃんとした記録がないため、本当にいた人物なのかどうか定かではなく、伝説上の人物とされています。
 
 
 
何だか面白そうな話ですねー!
 
こういった類いの話は、割と好きです。
 
義経が奥州の藤原氏を頼ったのも吉次の紹介だったとか?
 
本当だとしたらすごい人だと思います。
 
 
 
 
 
しかし結局この金売吉次は旅の途中で強盗の藤沢太郎入道に襲われて命を落としてしまったそうです。
 
福島県に吉次のお墓と伝わる場所があるそうです。
 
義経と弁慶も奥州で命を落としたのですね。
 
 
 
 
そんな歴史のある首途八幡宮に来ることができて、なぜか嬉しく思いました。
 
もう一ヶ月くらい前の話でした。
 
 
 
  
 
 
 
 

大堰川をひらいた角倉了以

2024-12-20 | 観光・旅行・京都検定

昨日と今日は、気温が低くなり、本格的な冬が近いと感じました。

仕事に行く時には、シャツの下にもう一枚シャツを着て、貼り付けるカイロをシャツに貼って、腰を温めるようにしました。

ズボンも二枚はいて、足が冷えないように気を付けました。

これくらい対策をしていれば、寒くありません。

むしろ体を動かしていたら、ホカホカしてきました。

冬場は、対策ができるので、まだまだ工夫の余地がありそうです。

さて、もう先週の日曜日になりますが、史跡ウオークで嵯峨嵐山を歩きました。

最後に到着したのが、観光地として有名な嵐山の渡月橋です。

渡月橋の近くは、人が多かったのですが、さすがに紅葉のピークは過ぎたようで、人通りも少なくなっていました。

この手前の川は、亀岡方面から流れてくる川で、「保津川下り」で有名です。

しかし、この渡月橋の近くになると、保津川から名前が変わり「大堰川(おおいがわ)」となります。

渡月橋を過ぎると、次は桂川となるという不思議な川です。

この川は、昔はもっと狭く船が通りにくかったようなのですが、江戸時代の初期の豪商、角倉了以さんが掘削して船が通れるようにしたそうです。

角倉了以さんは、他にも高瀬川など、多くの河川の改良をしたそうで、水運の父とも呼ばれています。

大堰川が見下ろせる高台に、角倉了以さんの銅像が建てられています。

三条大橋の高山彦九郎、円山公園の坂本龍馬・中岡慎太郎とともに、京都の三大銅像にも数えられていますね。

開発にかかる巨額の費用はすべて自費で賄ったそうですが、その後の水運業の船賃などにより、すべて回収できたそうです。

すごい人なんですね。

そんな歴史を知ってか知らずか、ヒドリガモがのんびりと泳いでいました。

そんなこと、知るわけないですね。

川面が太陽の光でピカピカ輝いて、きれいでした。

気持ちの良い、日曜日のお昼でした。

渡月橋にはいかずに、そのまま家に帰りました。。。

 

嵯峨嵐山編・・・おわり・・・