今日はお休みの日で、お昼にNHKを見ていたら、以前に朝ドラでやっていた、「カムカムエブリバディ」を再放送していました。
確か、このブログでも何回もこのドラマの話を書いたのですが、卓球にも行けずに見入ってしまいました。
いいドラマですー!
お昼から泣きそうになりました。
今から卓球の練習を頑張ろうとしているのに、うるうるさせるなんて困ります!
明日も続きが見たいのですが・・・仕事でした。
さて、嵯峨野を歩いた話の続きです・・・。
このあたりには、何回も来ているのですが、まだ一度も来たことがない寺院がありました。
今回の史跡ウォークでは、その寺院がコースに入っていたので、期待していました。
一つは「祇王寺」という寺院です。
「平家物語」によると、平清盛に可愛がられていた白拍子が、清盛の心変わりで都を追われ、母や妹とともにこの寺に出家したのだそうです。
この話は、ガイドブックなどにも、よく書いてあるので、一度来てみたいと思っていました。
少し奥の方にあって、なかなか一人では来れないような場所にありました。
いつもの、史跡ウオークと同じく、中には入らずに、入り口で説明を聞いて、おしまい・・・。
やや残念でしたが、また機会があればゆっくりと来たら良いかと諦めました。
そして、祇王寺のすぐ隣にあるのが「滝口寺」というお寺でした。
この寺院にも悲しい恋の話があって、平重盛の家来の斎藤時頼(さいとうときより)が建礼門院の侍女・横笛に恋をしたというお話です。
二人は思いあっていたのですが、親に反対をされ、時頼はこの寺に出家してしまったそうです。
悲しみの中、横笛が会いに来たのですが、斎藤時頼は「自分は出家した身なので会うことはできない」と断ってしまったそうです。
その後、横笛も出家してしまい、二人は結ばれることはありませんでした。
今では、その二人の像がいっしょに置かれているそうです。
これらの話は、「平家物語」に書いてあるそうですが、どこまでが本当の話なんでしょうかね。
遠い昔の話に、なぜか興味が湧いてきます。
もう一つ別の話があって、新田義貞が後醍醐天皇と戦って戦士してしまったそうです。
そして、討ち取られた新田義貞の首が三条河原に晒されてしまいました。
それを妻がこっそりと持ち帰り、この寺に葬ったと伝えられています。
目立たない2つの寺院に、古い昔の物語が伝えられていることに、感心をして説明を聞きました。
歴史の勉強をしていると、そういった悲恋や残虐な物語に出くわすことがあります。
複雑な思いをしながらも、寺院にまつわる話を聞いて、勉強することは楽しいと感じます。
小さな寺院にも多くの物語が残されているのだと思いながら、歩きました。
何百年も昔の話に気が遠くなりそうです。
京都歩きは、奥が深いです。。。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます